プロジェー・オレンジ
Jean Christophe(ジーン・クリストフ)とSebastien(セバスティェン)の兄弟からなるこのユニット“Projet Orange”(プロジェ−・オレンジ)は、日本でこそ未だその名を知られてはいないが、地元カナダのケベック州では50人に一人がそのCDを持っているという、絶大なる人気を誇る存在だ。アルバム制作途中で兄のセバスセバスティェンが重度の免疫系の血液中毒にかかり半年以上も作業の中断を余儀なくされるというという苦境に見舞われるが、それを乗り越えて、悲しみ、喜び、そして生命力に溢れた本作Mebaphobe“を完成させた。



警告:La Belle Provinceのポップ・バンドが世界に飛び立とうとしている。



Projet Orangeのニュー・アルバムが“Megaphobe”(Mega=巨大な、偉大な/Phobia=恐怖感、嫌悪感)とは、まさに皮肉なタイトルといえるのではなかろうか。別に彼らは大ヒットすることに怖気づいているわけではないし、地元のコミュニティからはるかに大きな世界へ船出しようという今、そんな感情は全く必要ない。それにこのアルバムは母国語から英語へ切り替えた2人の才能の証ではなく、ビッグで勇敢で、国境を破壊するアーティスティックなステートメントなのだから。

すがすがしいフックが肉感的なギターと交わり、クールな雰囲気と詩的表現が対峙する。スマートで心を打つロック。これは人々の体と心を揺り動かさずにいられない最高のアルバムだ。舞い上がるフォルセット(裏声)に汚れのないハーモニーは、リスナーたちを魅惑してやまないことだろう。バンドの個性でもあるフレッシュな生命力は、彼ら独自のものである。ラフな“Yeah! Yeah!”からクールな“A.R.S.E.”、スムーズで繊細なファースト・シングル“Tell All Your Friends”まで、“Megaphobe”は現在のシングル時代に抵抗する作品となった。だがリスナーにずっと聴いていたいと願わせておきながら、当の2人は気楽なスタイルではしゃいでいるようにもみえる。この勢いは先例がないわけではない。Projet Orangeは世界に向けて偉大なデビューを飾った。

 そんな彼らのセルフ・タイトルのデビュー作は2001年3月7日にリリースされ、近頃では最も反応の早いフレンチ・カナディアンとなった。Francophne radioで実績をあげた4曲のシングル(De Héros à Zéro #1, S’étend l’Amer #3, Mystère Aérosol #5, La Pomme #15, )に、MuchMusic Video award受賞作 (La Pomme-Best French Video Award 2001)、常に熱狂的なツアー、そしてLa Belle Provinceをベースにした強力なセールス、それらを兼ね備えた彼らのセカンド・リリースが素晴らしい内容になることは間違いないといえるだろう。

 そのデビュー作に続くフレンチ・アルバムのレコーディングは、オルレアン島で行われた。メンバーのJean-ChristopheとJean-Sebastienは、すでに楽曲は揃っているにも関わらず、手持ち無沙汰な時間があると、さらにソングライティングを続けていた。

「20から25曲はあったんだよ」

 Jean-Sebastienは言う。

「でもおれたちはただ書き続けていたんだ。自由な時間を与えられていたのは本当にラッキーだったよ。そのおかげで探究心が芽生えたんだからね」

 大きなスタジオの時計の音やビッグなプロデューサー、背中に圧し掛かるプレッシャーなどといったものから離れていた彼らは、楽な気持ちで作品に手を加えたり新曲を書いたりできたのだという。

「レコーディングに集中できるように、おれたち兄弟はオルレアン島に家を借りたんだ」

 とJean-Christophe。

「河の景観は最高だったよ。大自然が唯一の気晴らしみたいな場所だったから、四六時中製作に打ち込めた。それに(失礼な意味じゃなく)代わり映えしないモントリオールからは遠く離れていたしね。おれたち自身の音楽の探求のために、場所を移す必要があったってわけ」

 そんな彼らだったが、あるとき深刻な出来事に直面する。2002年2月にJean-Sebastienが免疫系に影響する敗血症と診断され、製作途中ではあったが6ヶ月の休暇をとることになったのだ。

「人生を変える出来事だったよ」

とJean-Sebastienは言う。週3回4時間ずつの治療に通い始めた彼の傍には、いつも兄弟のJean-Christopheがいてくれた。そしてそんな逆境を克服した彼は、とうとう病から全快。言うまでもなく、2人が湖畔の家に戻ったとき、事態は変化していた。

「過酷な試練がおれたちに翼を与えてくれた」

 と、Jean-Sebastien。

「後になって気が付いたんだ。仕事に戻ったときにね。Jean-Christopheのリリックが、もっと直接的で探求心に満ちたものだってことが、今のおれには良くわかるよ。今だから言えるけど、良い経験だった」

 それは大きな出来事を通り抜けたからなのかもしれないし、6ヶ月の休暇のせいかもしれない。もしくは河沿いの家に漂う空気のせいだったのかもしれないが、なんであれ、それは彼らの音楽に染み出していた。そんななか、Jean-Christopheは2,3の楽曲の歌詞を少しいじっていた。使用したのは英語だった。殆ど出来上がりかけたフレンチ・アルバムのデモと一緒に、そのトラックはBMGカナダに送られ、そして再びすべてがストップした。新たなマテリアルを気に入ったレーベルは、英語のロック・アルバムを製作させるため、鉄が熱いうちにと2人をスタジオへ送り返したのだ。マネージャーのSebastien Nasraは、言語のアシストのためにトロントのシンガー・ソングライターSimon Wilcox(Three Days Grace、Jorane)に、彼らのトラックを数曲送ったが、それがきっかけとなりWilcoxとの間にパートナーシップと友情が芽生えることになる。”Megaphobe”で共同制作を行を行ったWilcoxは、Jean-Christopheにとっては英語関係すべての面で頼りになる女性となった。

「彼女はおれのやり方をすごく尊重してくれたんだ。おれ独特の世界を見出し、穴を継ぎはぎし、発音の仕方や単語の使い方を手助けして、すべてをグローバルな歌詞にしてくれた。彼女の言葉には心を動かされたよ」

 そしてプロデューサーのGavin Brown(”Hell To Pay”とファースト・シングルの”Tell All Your Friends”をプロデュース)と、シングル“Cities”のためにミックス・マスター、Brian Malouf(フー・ファイターズ、エヴァークリアー、パール・ジャム、ヴァーヴ・パイプ)を迎え、”Megaphobe”は堂々たる形を現すようになった。

 “Megaphobe”―それは呼吸をし、うめき、人々を漂流させ、また手繰り寄せるアルバムだ。この作品に注目して欲しい。なぜなら、偉大なバンドが飛び立ったときのぞくぞくするようなスリルと、ひらひらと舞う蝶々のようなフィーリング、その両方を感じられると保障できるからだ。