プラネット・ファンク
<バイオグラフィー>

彼らの音楽が惑星的現象だ、などと言う権利は誰にもない。が、プロデューサー兼ミュージシャンのセルジオ・デラ・モニカ、アレックス・ネリ、ドメニコ・GG・カヌ、マルコ・バローニを中心とするイタリア系イギリス人集団なら、自信を持ってその権利を主張してもよいだろう。彼らこそ、Fの字をもっとも幅広く、ふつふつと湧き上がるセンスで捉えた、フロンティア・ファンクの巨匠たちである。



2年前にチャートを席巻した “Chase The Sun”のチームが、世界中でのモンスター・ヒットという歴史を引っさげ、折衷型グルーブの伝道を次のステップへ進めた。Planet Funkの初アルバム “Non Zero Sumness” は、スタジオの壁を蹴破り、ダンスミュージックに開かれた視野をもたらした。その心は水平線を超え、マイアミのハイソな生活からイビザ・ビーチのバーの享楽へ、はたまたナポリの社会的現実やロンドンの裏通りからケルト民俗のスピリチュアルなヴァイブまで駆け巡る。 



セルジオ、マルコ、GG、アレックスがはじめてのアルバムに時間を割こうと決めたとき、何らかの葛藤があったことだろう。伝統的に、ダンス・ヒットの後にあわてて出したアルバムは現金収入につながる。デジタル機器と人間を完璧に結びつけ、様々な歌い手を参加させ、ジャンルを拡張してギターまで取り入れることによってライブバンドとして完全に機能するレベルにまで徐々に進化させるような仕事が、果たして2年のスタジオワークに値するのかどうか、分かっている者がいただろうか。



しかし、上を目指し、理想にしがみつくことが危険な賭けだったとするならば、この賭けは勝ち以上のものとなった。昨年イタリアの輝く陽の下に登場した彼らは、5枚のシングルをチャートに送り込んだ。また、イタリアの音楽業界賞では、最優秀ダンスグループ賞、最優秀新人賞、最優秀バンド賞を獲得。明らかに、彼らの野望を認めた人間がいたということだ。「僕らが動き出し、そして2年もスタジオにこもることにした大きな理由は、音楽を前に進める必要があると感じたからなんだ。自分たちの周りではすべてのものは変化しているという感覚からね。」セルジオは言う。「世界が変わっている。そして僕らはその変化を感じている。音楽を作る人間は恵まれているよ。人と話したり、クラブや町で時間を過ごすことも仕事の一部なんだから。日々刻々と変化を感じる。それで、僕らはあの頃自分たちの音楽にちょっと飽きてたし、カードを切りなおす必要があると思ったんだ」



なるほど、”Non Zero Sumness”には、息を飲むほど広範な影響と、挑戦的なほど様々に掛け合わされたハイブリッドな曲調が存在する。Planet Funkの勢いはとどまるところを知らないようだ。ゴージャスな、天空を駆けるようなハウスも、垢抜けた無国籍メガ・ファンクも、あっけに取られるほどポップなユーロ・ダンスも、奇妙なサイバーパンク・ビートも、嵐のように襲い掛かる猛烈なグルーヴも、アンビエントな抽象音楽も、ソウルフルでメランコリックな有機的ハウスもこなしてしまう。アルバムの幅広さの一端を担うのは、様々なヴォーカリストとのコラボレーション。UKシンガーのダン・ブラックは(ロンドンの)クラブ地区の現実と社会的な内実を率直に歌った歌詞の曲にエッジを加え、“Who Said”のすさまじいグルーヴにはパンクの毒気をふりかけ、さらに”The Switch”を怖いほど癖になる、心地よいシュール気味なポップに仕上げることに一役買っている。ダンは、自らのバンドThe Servantでもフロントマンを務める。”Inside All The People”でも、一歩間違えばラジオ・ヒット系と紙一重のメロディに、クラブ地区では疎外されそうなダンのヴォーカルが生き生きした現実味を注入している。一方、シェフィールドを中心に活躍する歌手のサリー・ドハーティは、アルバムの雰囲気を正気の沙汰でないナイトライフから救い出し、精神世界行きの飛行船へ乗せてしまう。自らのクラシックやゲール音楽の経験をPlanet Funkのつづれ織りに紡ぎ入れ、 “Chase The Sun”のヴォーカリスト(ラップランド出身のAuli Kokko)の後を受けて、バンドの音景を雄大な野外へ、そして雲のはるか上まで運んでしまう。ダンがPlanet Funkの腕白小僧だとしたら、”All Man’s Land”, “Under The Rain”, “The Waltz”でのサリーは天使だ。「僕の中で、Planet Funkは様々な人格の音楽的集合体だ、シンガーたちも含めてね」とセルジオ。「彼らは、単にこのプロジェクトで歌っただけじゃない。今回のコラボレーションは、次のアルバムにもつながる本物なんだ。バンドに与えられた影響は、サイケだったり、お気楽ムードやハードさ、ロックのパワーなど色々あった。つまり僕らのコンセプトを言い表すなら、2つの違った角度からの視野を持ちたかったということだ。そういう意味で、ダンはとても守備範囲が広い。ステージでは、彼は自然の力だよ。信じられない。飛び回ってね。サリーはもっと崇高な感じだ。アンビエント、というのも僕らの受けた影響のひとつだけど、サリーの声は、それを表現するのにピッタリだと思ったんだ」



「このアルバムを、夜通しの世界一周旅行みたいに空想してみるとおもしろいんだ。カフェ・デル・マールから望むバレアリック海の夕陽に始まり、狂気の夜があって、”The Switch” や “Inside All The People”を経て日の出に近づく。マーティン・スコセッシ監督の映画みたいな、万華鏡的、望遠鏡的な夜さ。一晩で右から左、すべてのものに触れることができるだろう」



彼らのデビュー・アルバムの息づかいに潜むものは、2年間遠くナポリで費やした時間だけでできているわけではない。 “Non Zero Sumness”は10年以上にも渡って様々なクラブ、スタジオ、ストリートで過ごした時間の結晶でもあり、また、グループがイタリア、イギリス、ヨーロッパ、アメリカで経験したインスピレーションの総決算でもある。’90年代、セルジオはナポリとロンドンの往復だった。イタリアのピアノ礼賛傾向に反感を示し、プロデューサー仲間のドメニコ・GG・カヌ、アレッサンドロ・ソメッラ(現在はPlanet Funkの“ゴースト”メンバー)と一緒にSouled Out!を結成して大成功を収めた。そして、自らのヒット曲 “Shine On”だけでなく、リミックス・エンジニアとプロデューサーのチームとして、独自レーベルのBustin Looseからリリースされたクラブ系ヒット曲などの背後でも活動した。セルジオがフィレンツェを拠点に活動していたDJアレックス・ネリとであったのは、Bustin Looseレーベルがカーマスートラの曲( “Where Is The Love”)のライセンスを取ったとき。この曲が偶然にもアレックスとキーボードの巨匠マルコ・バローニというヒット曲製造コンビの作品だったのである。90年代の終わりにかけて、アレックスは音楽的に次のステップを踏み出そうと模索していた。フィレンツェのTenaxクラブの専属DJとして、長年ダンスフロアを研究しつくしてはいた。彼がやりたかったのはもっと左翼的で、自由で、でも同じくらいエネルギッシュなことだった。



1999年、彼はマイアミ・ウィンター・ミュージック・カンファレンスでセルジオのパートナーGGと出会い、フィレンツェで沸きあがりつつあるのと同じラインの野望がナポリにも存在することを発見した。1年も経たないうちに、新生の2都市4人からなるPlanet Funk集団は、ごまかしのない初ヒット曲を、ピート・タン、DJハーヴィ、アダム・フリーランドからディープ・ディッシュ、ハイブリッドまで、あらゆるDJのデッキに釘付けすることに成功した。Planet Funkのように、様々なアイディアをオープンに受け入れ、しかも一貫したサウンドと目的意識を持ってアルバムをまとめるということは、一種の天才でないとできないことだ。音楽の境地を捜し求める同志たちは、フィレンツェのインディロック・シーン事情や60年代のサイケブームの話題でも、ナポリのレイヴ・シーンの華やかなりし頃の思い出から最新のDJメニューの話題になっても、いつも同じようにハッピーだ。社会的な問題を落とし込むことにも躊躇はしない。 “Under The Rain”はエコロジーの色づけがあるが、ネイティヴ・アメリカンのチャントからインスピレーションを受けて作られた曲だ。アルバムのタイトルは、人間関係に関する地球規模の理論を提示したアメリカの作家リチャード・ブライトの本から。Planet Funkほどの巧みな手にかかると、壮大なアイディアがキー・レコードを作り上げる抗いがたいグルーヴと相乗効果をあげ、紋切り型の音楽に挑む勇気となる。「もちろん、多くのダンス音楽が“ベイビー、ベイビー、ケツを振れ”状態なのは確かだよ」とセルジオは言う。「でも、すばらしいダンス音楽だってたくさんある。ニュー・オーダー、マッシヴ・アタック、レフトフィールド、ケミカル・ブラザーズなんかは大好きさ。確かに、Planet Funkって一体何なんだ、という人もいる。でも、僕らの音楽がオリジナルだ、というのが一番大事なことだ。ダンスでもロックでもない。音的には、非常にうまくリンクしているアルバムだと思うよ。書き方はやや折衷的だけど、他にも同じようなユニットを5つは挙げられる。ベックからトーキング・ヘッズまでね」



独自の空間を彫り上げ、なおかつチャートでの確固たる影響力を保っているPlanet Funkは、2つの世界の一番おいしいところを手に入れるべく地球を傾けようとしているところだ。しかも、すばらしい成果があがっている。すでにダンスフロアとライブは最高水準に達した。計算ずくのヒットも手にした。フェスティバル・サーキットに乱入したプロデューサーたちは、めくるめくギターや本物のドラムをたずさえ、DJを加えてステージにビッグバンドを具現化。しかも、元祖ミュージシャンの神様、カルロス・サンタナの後に登場した挙句、まざまざと見せ付けてくれた。常に変化し、発展を続ける彼らのライブを観ると、Planet Funkのライブ体験がアリーナ級のクラブの大御所たちに挑戦状を叩きつけているように思える。必殺ハイブリッド・ダンスクルーにとって、小心者や外来音楽恐怖症がはびこる世界的な力に立ち向かってのし上がるなら、今が絶好のチャンスだ。「自分たちの音楽を、できるだけ長くやっていきたい。考えてみると、発展途上というのは、かえって楽なんだよ」セルジオは言う。「残りの人生、型にはまって過ごしたくはない。明らかにリスクはあるけれど、喜んで受けて立つし、自分で責任は取るよ。僕たちは、これが僕たちの音楽だって感じているし、どんなことがあっても挑戦し続けたい」

Planet Funkこそ、今の地球にふさわしい。