オジー・オズボーン
オジー・オズボーンアーティスト写真
 

オジー・オズボーン(本名ジョン・マイケル・オズボーン、1948年12月3日生)は、1970年にブラック・サバスのボーカリストとしてシーンに登場して以来、名実ともにヘヴィ・メタルの先駆者・パイオニアとして、また現在に至るまで世界中のメタルシーンにカリスマ的レジェンドとして君臨し続けている、正しく「メタルの帝王」。2020年にパーキンソン病を患っていることを告白したが、今年2022年にもジェフ・ベックやエリック・クラプトン、トニー・アイオミらをフィーチャーした通算13作目の新作オリジナル・アルバム『Patient Number 9』をリリースするなど、年を重ねてもなおそのパワーと存在感には陰りの気配すらない。

 イギリス第2の大都市、バーミンガムで育ったオジーはティーンエイジャーの頃ビートルズの虜となり、彼らの「シー・ラヴズ・ユー」を聴いてミュージシャンの道を決意したという。当時バンド仲間だったギーザー・バトラー(ベース)、トニー・アイオミ(ギター)らと1969年に結成したバンド、ブラック・サバスは今のホラーコア・メタルの先駆者ともいうべきおどろおどろしいスタイルで1970年にデビューアルバム『黒い安息日(Black Sabbath)』(US 23位、UK 8位)、セカンドアルバム『パラノイド(Paranoid)』(US 12位、UK 1位)を立て続けに英米で大ヒットさせ、後者のタイトル・ナンバー「パラノイド」(US 61位、UK 4位)は彼らの初期を代表する大ヒットかつヘヴィ・メタルの歴史に残る代表曲となり、ブラック・サバスのシーンでの絶大な地位を確保すると共に、メタル・ボーカリストとしてのオジーの存在感を作り上げた。

 1970年代を通じて数々のヒット作を発表、ブラック・サバスのボーカリストとして大きな成功を収めたオジーだったが、1979年にトニー・アイオミら他のバンドメンバーとの対立が原因で、過多の薬物・アルコール中毒を理由にバンドから解雇されてしまう。ブラック・サバスのマネージャーだったドン・アーデンは、LAで失意の中薬物にふけっていたオジーを自分のレーベル、ジェット・レコードに契約、新しいバンドで再出発するよう激励。ドンの娘でこの後オジーのマネージャーとなるシャロン(現オジー夫人)のサポートで、ギターの故ランディ・ローズ(元クワイエット・ライオット)や元ユーライア・ヒープやレインボウのメンバーによるバンドを結成したオジーは『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』(1980)でソロ活動を開始した。続くソロ2作目『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』(1981)共々大ヒットとなり、華々しいソロ・キャリアをスタートしたオジーはバンドと「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン・ツアー」で欧米・アジアを巡るツアーに出かけたのだが、そんな矢先に悲運がオジーを襲う。彼が信頼していた新バンドのギタリスト、ランディ・ローズがツアー先のフロリダで飛行機事故のために1982年3月に若くしてこの世を去ったのだ。

 悲嘆にくれ一時鬱状態となったオジーだったが、2週間のツアー中断後、当初バーニー・トーメ(元ギラン)、そしてブラッド・ギルズ(この後ナイト・レンジャー)を新ギタリストに迎えてツアー再開、この年7月には初来日も果たしている。その来日直前にオジーのマネージャーとして敏腕を振るってきたシャロンと晴れて結婚したオジーは、秋には「パラノイド」「アイアン・マン」などブラック・サバス時代の曲をライブ録音したアルバム『悪魔の囁き』をリリースするなど、1982年は公私共にオジーに取って様々な意味で忘れられない年になった。

 母親が日本人ハーフというジェイク・E・リーを新ギタリストに迎えて『月に吠える』(1983)、『罪と罰』(1986)とヒット・アルバムをリリースし続けたオジーは、ランディの5周忌に合わせて、ランディとの過去の録音作品を収録した追悼盤『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ』(1987)をリリース。これが区切りであったかのようにバンドを去ったジェイクの後任として採用されたのが、この後20年以上オジーのギタリストとして活躍することになるザック・ワイルド。彼を迎えた最初のアルバム『ノー・レスト・フォー・ザ・ウィケッド』(1988)は再びヒット、1980年代を通じてソロデビュー以来のオジーの快進撃は続いた。一方、ブラック・サバス時代からのアルコール・薬物の習慣的多量摂取による奇行が多かったのもこの時代で、観客から投げ込まれたコウモリの首を噛みちぎったり、USツアー中にテキサス州サンアントニオにある国民的歴史遺産であるアラモ砦で立ち小便して10年間テキサス州から出入禁止になったりしたのもこの時期だった。

 1988年、元ランナウェイズのリタ・フォードのアルバム『Lita』(1988)収録のロック・バラード「永遠の眠り(Close My Eyes Forever)」(US 8位)でオジーが共演したバージョンが、オジーにとって初の全米トップ10ヒットとなり、それまでシングルヒットとは無縁だったオジーにとって新しいキャリアの可能性を示すことになった。続いてリリースしたアルバム『ノー・モア・ティアーズ』(1990)からはシングル「ママ、アイム・カミング・ホーム」(US 28位)がMTVなどを通じてヒット。90年代に入ってメインストリームのリスナーにもファンを増やしたオジーは、1993年のライブ盤『ライヴ&ラウド』からの曲「I Don’t Want To Change The World」で1994年第36回グラミー賞の最優秀ハードロック部門を受賞。そんな一方、絶え間ないツアーによる疲労を訴えたオジーはこの年一旦ツアーからの引退を宣言して「ノー・モア・ツアー」なる引退ツアーを行ったものの、すぐに撤回して1995年に発表し全米4位の大ヒットとなったアルバム『オズモシス』のサポートのためにツアーに復帰。

 1990年代後半には、オジーがロラパルーザへの出演を拒否されたことをきっかけに、妻シャロンと息子ジャックの発案で、オジーやブラック・サバスらをヘッドライナーとしたベテラン、中堅、若手のハード/メタル・バンドを集めた音楽フェス「オズフェスト」がスタート。第1回は1996年10月にアリゾナ州フェニックスで開催、2013年と2015年には日本でも開催されたこのフェスは、以降2018年までほぼ毎年開催され、若手のメタルバンドのみならず、メタルコアやスラッシュ・メタルといった新しいタイプのメタルバンド達のパフォーマンスの場になっている。

 オジーがこの時期、ミュージシャン・バンド活動以外で一般層の人達にインパクトを与えたのは、2002〜2005年に全米で放映されたオズボーン・ファミリーの破天荒な家庭内事情を追ったMTVのリアリティ・ショー『オズボーンズ(The Osbornes)』への家族揃っての出演。世界的に人気を呼んだこの番組で、オジーとシャロンはもちろんのこと、次女のケリーや息子のジャックが一躍有名人になり、ケリーに至ってはミュージシャンデビューして、オジーとのデュエット曲「Changes」(ブラック・サバスのカバー)を全英ナンバーワンヒットにしているほど(2003)。

 2000年代はこうした課外活動の他、2002年に先頃逝去されたエリザベス2世女王在位50周年記念コンサートに出演したりしていたオジーだったが、2003年に自宅での四輪バイク転倒事故で瀕死の重症を負ったことなどもあり、発表されたオリジナル作品は『ダウン・トゥ・アース』(2001)と『ブラック・レイン』(2007)と少なめだった。2010年代に入り、ザック・ワイルドに代わる新ギタリスト、ガス・Gを迎えた新作『スクリーム』を再び英米アルバムチャートの上位に叩きこんだオジーだったが、2011年11月には、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラーらオリジナルメンバーでのブラック・サバス再結成の一員としてサバス活動の開始を発表。2012年5月故郷バーミンガムのO2アカデミーで再結成後初めてのライブを行った後、2013年には名匠リック・ルービンのプロデュースによるブラック・サバスの最後のアルバム『13』を見事英米のアルバム・チャート初登場1位に送りこんだ。2016〜17年にかけてはブラック・サバスのファイナル・ツアーに専念したオジー。これで彼のアーティストキャリアの一つの区切りがまた付けられた。

 2018年にソロ活動に復帰したオジーは、1992年の引退発言時になぞらえて「ノー・モア・ツアーズ2」と銘打ったワールドツアーをスタートしたが、新型コロナウィルスの影響で2019年と2020年の予定はキャンセルされ、2023年からツアー再開すると最近発表、パーキンソン病カミングアウトのこともあり、彼のキャリア集大成となるツアーの完遂に向けての彼の意気込みが感じられる。一方、2019年に今最もメインストリームなヒップホップ・スターであるポスト・マローンのアルバム『Hollywood’s Bleeding』の一曲「Take What You Want」(2019年US 8位)での共演が縁で2010年代以降の重要なプロデューサーの一人、アンドリュー・ワットと遭遇。アンドリューと意気投合したオジーは、彼をプロデューサーと全曲の共作者に迎えて10年ぶりの新作『オーディナリー・マン』(2020)をリリース。既に共演したポスト・マローンや、エルトン・ジョンらとの共演曲もフィーチャーされ、年を重ね更に音楽的間口を広げたオジーの新境地が存分に発揮されたこの作品は音楽評論筋の評価もかなり高い久々の快作となった。

 そして今年そのアンドリューともう1枚やりたい、というオジーのたっての希望で作られた最新作『ペイシェント・ナンバー9』が2022年9月9日にリリースされた。既に全米ロック・チャート1位を記録した、あのジェフ・ベックと共演しているタイトル曲を始め、エリック・クラプトンや過去の盟友、トニー・アイオミやザック・ワイルドら豪華なギタリスト陣をフィーチャーしたこの新作を引っさげて、オジーは2023年から最後のツアーに臨む。もしこれまでに11回の来日を果たしているオジーがその日程に日本を入れてくれるのであれば、このメタル・レジェンドの最後の勇姿を見届けに行かないわけにはいくまい。

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)

1.主なアルバム

1980年 『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説(Blizzard Of Ozz)』 (Jet/Epic) – US 21位(5x プラチナ)、UK 7位(シルバー)

『Mr. Crowley Live EP』(ライブEP)(Jet/Epic) – US 120位(ゴールド)

1981年 『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary Of A Madman)』(Jet/Epic) – US 16位(3x プラチナ)、UK 14位

1982年 『悪魔の囁き(Speak Of The Devil)』(ライブ盤)(Jet/Epic)- US 14位(プラチナ)、UK 21位(シルバー)

1983年 『月に吠える(Bark At The Moon)』 (Epic/CBS) – US 19位(3x プラチナ)、UK 24位(シルバー)

1986年 『罪と罰(The Ultimate Sin)』(Epic/CBS) – US 6位(2x プラチナ)、UK 8位(シルバー)

1987年 『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(Tribute)』(ライブ盤、ランディ・ローズの追悼盤)(Epic/CBS) – US 6位(2x プラチナ)、UK 13位

1988年 『ノー・レスト・フォー・ザ・ウィケッド(No Rest For The Wicked)』(Epic/CBS) – US 13位(2x プラチナ)、UK 23位

1990年 『ジャスト・セイ・オジー(Just Say Ozzy)』(ライブEP)(Epic) – US 58位、UK 69位

『Ten Commandments』(ベスト盤)(CBS/Priority)- US 163位

1991年 『ノー・モア・ティアーズ(No More Tears)』(Epic)- US 7位(4x プラチナ)、UK 17位(シルバー)

1993年 『ライヴ&ラウド(Live & Loud)』(ライブ盤)(Epic) – US 22位(プラチナ)

1995年 『オズモシス(Ozzmosis)』(Epic) – US 4位(2x プラチナ)、UK 22位

1997年 『グレイテスト・ヒッツ〜オズマン・コメス〜(The Ozzman Cometh)』(ベスト盤)(Epic) – US 13位(2x プラチナ)、UK 68位

2001年 『ダウン・トゥ・アース(Down To Earth)』(Epic) – US 4位(プラチナ)、UK 19位(シルバー)

2002年 『ライヴ・アット武道館(Live At Budokan)』(Epic) – US 70位、UK 115位

2003年 『エッセンシャル・オジー・オズボーン(The Essential Ozzy Osbourne)』(Epic/Legacy)- US 81位(2x プラチナ)、UK 21位(ゴールド)

2005年 『プリンス・オブ・ダークネス(Prince Of Darkness)』(CD4枚組ボックスセット)(Epic/Sony BMG) – US 36位(ゴールド)

『アンダー・カヴァー(Under Cover)』(Epic) – US 134位、UK 67位

2007年 『ブラック・レイン(Black Rain)』(Epic) – US 3位(ゴールド)、UK 8位

2010年 『スクリーム(Scream)』(Epic) – US 4位、UK 12位

2014年 『メモワーズ・オブ・ア・マッドマン(Memoirs Of A Madman)』(DVD付ベスト盤)(Epic/Legacy/Sony) – US 90位、UK 23位

2020年 『オーディナリー・マン(Ordinary Man)』(Epic) – US 3位(ゴールド)、UK 3位

2022年 『ペイシェント・ナンバー9(Patient Number 9)』(Epic) – US 3位、UK 2位

 

2,主なシングル(USR=USロック・チャート)

1980年 「Crazy Train」- (US 4x プラチナ)USR 9位、UK 49位(ゴールド)

「ミスター・クロウリー(Mr. Crowley (live))」- UK 46位

1981年 「Flying High Again」- USR 2位

「Over The Mountain」- USR 38位

1982年 「Symptom Of The Universe (live)」- UK 100位

1983年 「Bark At The Moon」- USR 12位、UK 21位

1984年 「So Tired」- UK 20位

1986年 「暗闇にドッキリ!(Shot In The Dark)」- US 68位、USR 10位、UK 20位

「The Ultimate Sin/Lightning Strikes」- UK 72位

1987年 「Crazy Train (live)」- UK 99位

1988年 「Miracle Man」- UK 87位

1989年 「永遠の眠り(Close My Eyes Forever)」(リタ・フォードとの共演)- US 8位(ゴールド)

1991年 「No More Tears」- US 71位、USR 10位、UK 32位

「ママ、アイム・カミング・ホーム(Mama, I’m Coming Home)」- US 28位、USR 2位、UK 46位

1992年 「Time After Time」- USR 6位

「Road To Nowhere」- USR 3位

「Mr. Tinkertrain」- USR 34位

1993年 「Changes (live)」- USR 9位

1995年 「Perry Mason」- USR 3位、UK 23位

1996年 「シー・ユー・オン・ジ・アザー・サイド(See You On The Other Side)」- USR 5位

「I Just Want You」- USR 24位、UK 43位

「Walk On Water」- USR 28位

1997年 「Back On Earth」- USR 3位

2001年 「Gets Me Through」- USR 2位、UK 18位

「ドリーマー(Dreamer)」- USR 10位、UK 18位

2003年 「Changes」(ケリー・オズボーンとの共演)- UK 1位(1週、ゴールド)

2005年 「In My Life」- UK 63位

2007年 「I Don’t Wanna Stop」- US 61位、USR 1位(5週)、UK 130位

「Not Going Away」- USR 14位

2010年 「Let Me Hear You Scream」- USR 1位(4週)

「Life Won’t Wait」- USR 12位

2011年 「Let It Die」- USR 21位

2019年 「Under The Graveyard」- USR 1位(6週)

「Straight To Hell」- USR 16位

「Take What You Want」(ポスト・マローン、トラヴィス・スコットとの共演)- US 8位(2x プラチナ)

2020年 「Ordinary Man」(エルトン・ジョンとの共演)- USR 7位

2022年 「Patient Number 9」(ジェフ・ベックとの共演)- USR 1位(3週)

 

*  USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2022年9月現在。