ニール・ダイアモンド(本名ニール・レスリー・ダイアモンド、1941年1月24日生)は、1960年代後半から1980年代にかけてアメリカの伝統的メインストリーム・ポピュラー音楽シーンを代表するシンガーとして、そして自曲のみならずモンキーズの大ヒット曲「アイム・ア・ビリーヴァー」(1966年7週全米1位)やUB40の全米ナンバーワンヒット「レッド・レッド・ワイン」をはじめとする数々のヒット曲のソングライターとして、絶大な人気を誇ったアメリカの国民的シンガー・ソングライター。彼の書いた曲は今に至るまで様々な形で広く愛されており、MLBのボストン・レッドソックスの試合で必ず8回にファンが声高らかに大合唱する「スイート・キャロライン」はその代表選手と言っていい。ニールは70年代以降活躍した他の欧米のソロシンガー達と異なり、ロックやR&B、ジャズといった他の音楽ジャンルとは一線を画した、アメリカの伝統的ポピュラー音楽をベースにした独自のスタイルを貫いたため、日本では欧米のような人気を得ることは残念ながらなかったが、彼のシンガーソングライターとしての才能と実績、LAのグリーク・シアターでの『Hot August Night』(1972) を初めとする多くの迫力あるライブ盤をリリースするほどのエンターテイナーとしての実績は、2011年にロックの殿堂入りと同時にケネディセンター名誉賞(パフォーミングアーツでの高い貢献に対する最高栄誉の賞)を受賞し、2018年にはグラミー賞生涯功労賞を受賞するなど、シーンから今も幅広く高い評価と敬意を集めている。
ニューヨーク・ブルックリンのユダヤ系移民の家庭に生まれたニールは、16歳の時に参加したサマーキャンプでフォーク界のレジェンド、ピート・シーガーが自作の曲を歌うのを聴いて作曲に目覚めたという。帰宅してすぐにギターを手にしたニール少年は、書きためた曲を持って地元ニューヨークのティン・パン・アレー(ヒット曲の職業作曲家や音楽出版社が集まるマンハッタンの地区)の音楽出版社に売り込みに行って作曲家としての職を得て、当時在学中だったニューヨーク大を中退して音楽のキャリアをスタートした。彼自身がバング・レコードと契約して1966年に初のチャートヒット「ひとりぼっちの男(Solitary Man)」を放つまでに、彼がタイムズ・スクエア近くのブリル・ビルディング(キャロル・キングとジェリー・ゴフィンやバリー・マンとシンシア・ワイルなど有名作曲家チームが所属したことで有名)で書いて世に送り出したヒット曲は、モンキーズの全米ナンバーワンヒット「アイム・ア・ビリーヴァー」や「恋はちょっぴり(A Little Bit Me, A Little Bit You)」(1967年全米2位)などがあり、パフォーマーとしてデビュー前からソングライターとしての名声を築いていた。
当時の有名プロデューサー、バート・バーンズのバング・レコードと晴れて契約して「ひとりぼっちの男」に続き「チェリー・チェリー」がトップ10ヒットとなるなど順調にヒットを重ね始めたニールだったが、バートが要求するコマーシャル路線への反発や印税収入条件への不満から1968年にユニ・レコード(現在のユニバーサル傘下MCAレコード)と契約、冒頭にも触れた彼の代表曲となる「スイート・キャロライン」を含むアルバム『ニール・ダイアモンドの肖像』そして続く『スイート・キャロライン』で初のアルバムチャートでトップ40入りを達成、新しいキャリアのフェーズのスタートを切った。
1970年代に入ると拠点を西海岸LAに移し、よりメローなサウンドによる「クラックリン・ロージー」「ソング・サング・ブルー」で相次いで全米ナンバーワンヒットを記録、名実共にシーンを代表するポップ・スターとなったニールは、地元LAの野外コンサートホール、グリーク・シアターでのオーケストラとバックコーラス隊を従えての7夜連続コンサートで、初期の作品から最近のヒットまでをカバーしたエネルギッシュなライブを敢行、当時「グリーク・シアター(1931年開業)史上最高のコンサート」との絶賛を得た。この勢いを駆って再び1972年に行った10夜連続5,000席を売り切ったグリーク・シアターでのライブを収めた2枚組ライブ盤『グリーク・シアター・コンサート』は全米5位と大ヒット、全米で急上昇していた彼の人気を決定づけたのだった。
1972年秋のニューヨークはブロードウェイのウィンター・ガーデン・シアター(1983年から2017年までミュージカル『キャッツ』が上演されたことで有名な劇場)でのライブで再び大成功を収めたニールはこの後ライブ活動を4年ほど休止し、家族との時間とアルバム制作に専念。そして新たにコロンビア・レコードと契約し、リチャード・バック作の小説『かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull)』の映画化作品のニール作によるスコア曲を収めた1973年のサウンドトラック盤を制作。全米2位を記録したこのアルバムでゴールデングローブ賞の最優秀オリジナルスコア賞と、グラミー賞の最優秀映画スコア音楽サウンドトラック盤部門を受賞したニールは、映画という分野での最初の成功を収めた。またこの間制作した『永遠のセレナーデ』(1974)、ザ・バンドのロビー・ロバートソンのプロデュースによる『ビューティフル・ノイズ』(1976)も次々にヒット。ロビーとの仕事がきっかけで、1976年秋にサンフランシスコで開催されたザ・バンドの解散コンサート『ザ・ラスト・ワルツ』にもボブ・ディランやエリック・クラプトン、ジョニミッチェルらと参加し、ロックのオーディエンスにもその力強いパフォーマンスを見せた。
1976年に3回目のグリーク・シアターでのライブとオーストラリア・ツアーでライブ活動を再開したニールは、その後も高校の同級生でもあるバーブラ・ストライザンドとの豪華デュオによる「愛のたそがれ」(1978)の全米ナンバーワンヒット、伝説的エンターテイナー、アル・ジョルソンの1927年の伝記映画のリメイク映画『ジャズ・シンガー』(1980)への主演と再び自作曲によるサウンドトラック盤の大ヒットなどで、アメリカを代表するポピュラーシンガー・ソングライターとしての活躍を続けた。特に『ジャズ・シンガー』からのヒット曲となった「自由の国アメリカ」は、自らの移民系出自を誇りを持って歌いながらアメリカを讃える歌であり、その後も1981年のイラン米国大使館捕虜事件の解決時や、1986年の自由の女神像100周年、1988年の大統領選での民主党候補マイケル・デュカキス氏のテーマソングとして、更には2001年のニューヨーク同時多発テロ後のコンサート等でも、アメリカ国民が自らを鼓舞する曲として広く支持される彼の新しい代表曲となった。
しかし1980年代以降、音楽シーンの70年代的スタイルからニューウェーブ等への大きなシフトに呼応するかのように、ニールの作品の売上やヒットチャートでの順位、リスナーの反応も次第に控えめなものになっていった。ニールのシングルは1986年の「フォー・ザ・フューチャー」を最後にヒットチャートにランクインすることもなくなったのだが、60年代に書いた「レッド・レッド・ワイン」がUB40のカバーで1983年に全米ナンバーワンとなったり、90年代から「スイート・キャロライン」がボストン・レッドソックスだけではなく、フットボールやバスケットボール・チームのテーマソングとして全米各地で広く歌われるようになるなど、彼の楽曲のアメリカ国民全般への浸透度はむしろ増していった。そして大事なことは、その間もニールは自作曲を中心としたオリジナル・アルバムを出し続けたということ。
1993年には自分のキャリアのスタートとなったブリル・ビルディングに敬意を表したカバーアルバム『星降る夜に〜アップ・オン・ザ・ルーフ』、90年代にリリースした2枚のクリスマス・アルバム、古いアメリカ映画でヒットした曲をカバーした1998年のアルバム『ザ・ムーヴィー・アルバム』など、アメリカを代表する国民的シンガーとして定番なカバーアルバムもこの時期にリリースしたが、彼があくまでこだわったのは「メインは自作曲での作品をしっかり作り続けること」。その彼の矜持を存分に体現したのが、1976年の『ビューティフル・ノイズ』以来初めて全曲ニール作による2001年のアルバム『Three Chord Opera』のヒットだった。そして同じく全曲ニール作による続く『12 Songs』(2005)は、元々ヒップホップで名をなし、90年代以降はジョニー・キャッシュをロック的アイコンとして再生させた名プロデューサー、リック・ルービンのプロデュースと、ロック系のミュージシャンのサポートで新たなニールの世界観を提示した作品となり、27年ぶりの全米アルバムチャートトップ5入りを果たしたのだった。
2008年にはリック・ルービンとの2作目『Home Before Dark』のリリース、イギリスのグラストンベリー・フェスティバルへの出演、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの4夜連続のライブとそれを収めたライブアルバムとDVDの『Hot August Night/NYC』の大ヒットなど、21世紀突入後も精力的な活動を続けてきたニールだが、2018年には残念ながらパーキンソン病の診断を受けたことを理由にツアーからの引退を発表。とうとうあのエネルギッシュでショーマンシップ溢れたステージを日本で見ることは出来なかったわけだが、ニールの半生を題材としたミュージカル『A Beautiful Noise』が今年2022年12月からブロードウェイの公演を開始することが発表されており、ニールの半世紀余に及ぶアメリカン・ポピュラー音楽の歴史を体現してきた作品とそのレガシーは確実に今後も幅広い聴衆に伝えられていくことは間違いない。
そして2014年の『Melody Road』を最後に全曲ニールの作品によるアルバムはリリースされていないが、そろそろまた彼の新しい作品を満載した新作も届けられるのではないかと、密かに期待しているファンも決して少なくないだろう。
ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)
1.主なアルバム
1966年 『The Feel Of Neil Diamond』 (Bang) – US 137位
1967年 『ニール・ダイアモンド・カレント・ヒット集(Just For You)』(Bang) – US 80位
1968年 『Neil Diamond’s Greatest Hits』(Bang時代のベスト盤)(Bang) – US 100位(1970年)
1969年 『ニール・ダイアモンドの肖像(Brother Love’s Travelling Salvation Show)』(Uni) – US 82位(ゴールド)
『スイート・キャロライン(Touching You, Touching Me)』(Uni) – US 30位(ゴールド)
1970年 『ゴールド(Gold)』(ライブ盤)(Uni) – US 10位(2x プラチナ)(UKシルバー)
『Shilo』(Bang時代のコンピ盤)(Bang)- US 52位
『クラックリン・ロージー(Tap Root Manuscript)』(Uni) – US 13位(プラチナ)、UK 18位
1971年 『Do It!』(Bang時代のコンピ盤)(Bang)- US 100位
『ストーンズ(Stones)』(Uni/MCA) – US 11位(ゴールド)、UK 17位
1972年 『ムーズ(Moods)』(Uni/MCA) – US 5位(プラチナ)、UK 7位
『グリーク・シアター・コンサート(Hot August Night)』(2枚組ライブ盤)(MCA) – US 5位(2x プラチナ)、UK 21位(ゴールド)
1973年 『ダブル・ゴールド(Double Gold)』(Bang時代のコンピ盤) (Bang) – US 36位
『レインボー(Rainbow)』(カバーアルバム)(MCA) – US 35位(ゴールド)、UK 39位(ゴールド)
『かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull)』(サウンドトラック盤)(Columbia)- US 2位(2x プラチナ)、UK 35位(ゴールド)
1974年 『グレイテスト・ヒッツ(His 12 Greatest Hits)』(Uni/MCA時代のベスト盤)(MCA) – US 29位(4x プラチナ)、UK 11位(ゴールド)
『永遠のセレナーデ(Serenade)』(Columbia) – US 3位(プラチナ)、UK 11位(ゴールド)
1976年 『ビューティフル・ノイズ(Beautiful Noise)』(Columbia) – US 4位(プラチナ)、UK 10位(ゴールド)
『And The Singer Sings His Song』(MCA時代のコンピ盤) – US 102位
1977年 『ラブ・アット・ザ・グリーク:ニール・ダイアモンド・ベスト・ライブ(Love At The Greek)』(2枚組ライブ盤)(Columbia) – US 8位(2x プラチナ)、UK 3位(プラチナ)
『愛のぬくもり(I’m Glad You’re Here With Me Tonight)』(Columbia) – US 6位(2x プラチナ)、UK 16位(ゴールド)
1978年 『愛のたそがれ(You Don’t Bring Me Flowers)』(Columbia) – US 4位(2x プラチナ)、UK 15位(ゴールド)
1979年 『セプテンバー・モーン(September Morn)』(Columbia) – US 10位(プラチナ)、UK 14位(ゴールド)
1980年 『ジャズ・シンガー(The Jazz Singer)』(サウンドトラック盤)(Capitol) – US 3位(5x プラチナ)、UK 3位(プラチナ)
1981年 『再会〜そして、愛のゆくえ〜(On The Way To The Sky)』(Columbia) – US 17位(プラチナ)、UK 39位(シルバー)
1982年 『ニール・ザ・グレイテスト(12 Greatest Hits Vol. II)』(ベスト盤)(Columbia) – US 48位(3xプラチナ)、UK 32位(シルバー)
『ハートライト(Heartlight)』(Columbia) – US 9位(プラチナ)、UK 43位(シルバー)
1983年 『Classics: The Early Years』(初期曲のコンピ盤)(Columbia) – US 171位(プラチナ)
1984年 『プリミティヴ(Primitive)』(Columbia) – US 35位(ゴールド)、UK 7位(シルバー)
1986年 『フォー・ザ・フューチャー(Headed For The Future)』(Columbia) – US 20位(ゴールド)、UK 36位
1987年 『Hot August Night II』(2枚組ライブ盤)(Columbia) – US 59位(プラチナ)、UK 74位(ゴールド)
1988年 『The Best Years Of Our Lives』(Columbia) – US 46位(ゴールド)、UK 42位
1991年 『ラヴスケイプ(Lovescape)』(Columbia) – US 44位(ゴールド)、UK 36位(ゴールド)
1992年 『The Greatest Hits 1966-1992』(ベスト盤)(Columbia) – US 90位(3x プラチナ)、UK 1位(プラチナ)
『The Christmas Album』(Columbia) – US 8位(2x プラチナ)、UK 50位
1993年 『星降る夜に〜アップ・オン・ザ・ルーフ(Up On The Roof: Songs From The Brill Building)』(Columbia) – US 28位(ゴールド)、UK 28位(シルバー)
1994年 『Live In America』(2枚組ライブ盤)(Columbia) – US 93位(ゴールド)、UK 96位
『The Christmas Album Volume II』(Columbia) – US 51位(ゴールド)
1996年 『Tennessee Moon』(Columbia) – US 14位(ゴールド)、UK 12位(シルバー)
『In My Lifetime』(3枚組ベスト盤ボックスセット)(Legacy/Columbia) – US 122位(ゴールド)
1998年 『ザ・ムーヴィー・アルバム(The Movie Album: As Time Goes By)』(Columbia) – US 31位(ゴールド)、UK 68位
2001年 『Three Chord Opera』(Columbia) – US 15位(ゴールド)、UK 49位
『The Essential Neil Diamond』(ベスト盤)(Columbia) – US 90位(2x プラチナ)、UK 11位(プラチナ)
2003年 『Stages: Performances 1970-2002』(5枚組+DVDライブ盤ボックスセット)(Columbia) – US 137位
2005年 『12 Songs』(American/Columbia) – US 4位(ゴールド)、UK 5 位(ゴールド)
2008年 『Home Before Dark』(American/Columbia) – US 1位(ゴールド)、UK 1位(プラチナ)
2009年 『Hot August Night/NYC: Live From Madison Square Garden』(2枚組ライブ盤+DVD)(Columbia) – US 2位、UK 14位(ゴールド)
『A Cherry Cherry Christmas』(American/Columbia) – US 60位
2010年 『ドリームス(Dreams)』(カバーアルバム)(Columbia) – US 8位、UK 8位(ゴールド)
2011年 『The Very Best Of Neil Diamond: The Original Studio Recordings』(ベスト盤)(Legacy/Columbia) – US 45位、UK 5位(プラチナ)
2014年 『Melody Road』(Capitol) – US 3位、UK 4位(ゴールド)
『All-Time Greatest Hits』(ベスト盤)(Capitol) – US 15位、UK 18位(・プラチナ)
2016年 『Acoustic Christmas』(Capitol) – US 48位
2017年 『50th Anniversary Collection』(3枚組ベスト盤)(Capitol/Universal) – US 78位
2018年 『Hot August Night III』(2枚組ライブ盤+DVD)(Columbia) – US 144位、UK 54位
2020年 『Classic Diamonds』(ロンドン交響楽団との共演)(Capitol) – US 173位、 UK 2位(ゴールド)
2,主なシングル(USAC=USアダルト・コンテンポラリー・チャート)
1966年 「ひとりぼっちの男(Solitary Man)」- US 55位
「チェリー・チェリー(Cherry, Cherry)」- US 6位
「I Got The Feelin’ (Oh No No)」- US 16位
1967年 「君のとりこに(You Got To Me)」- US 18位
「悲しきプロフィール(Girl, You’ll Be A Woman Soon)」- US 10位
「神よ今夜も(Thank The Lord For The Night Time)」- US 13位
「ケンタッキーの女(Kentucky Woman)」- US 22位
「ニュー・オルリンズ(New Orleans)」- US 51位
1968年 「レッド・レッド・ワイン(Red Red Wine)」- US 62位
「ブルックリン・ロード(Brooklyn Roads)」- US 58位
「トゥー・ビット・マンチャイルド(Two-Bit Manchild)」- US 66位
「サンディー・サン(Sunday Sun)」- US 68位
1969年 「トラベリング・サルベイション・ショウ(Brother Love’s Travelling Salvation Show)」- US 22位
「スイート・キャロライン(Sweet Caroline)」- US 4位(プラチナ)、USAC 3位、UK 8位(2x プラチナ)
「ホリー・ホリー(Holly Holy)」- US 6位(プラチナ)、USAC 5位
1970年 「思い出のシャイロ(Shilo)」- US 24位、USAC 8位
「Until It’s Time For You To Go」- US 53位、USAC 11位
「Solitary Man」(再発盤)- US 21位、USAC 6位
「スーレイモン(Soolaimon)」- US 30位、USAC 5位
「クラックリン・ロージー(Cracklin’ Rosie)」- US 1位(1週、プラチナ)、USAC 2位、UK 3位(シルバー)
「兄弟の誓い(He Ain’t Heavy, He’s My Brother)」- US 20位、USAC 4位
「Do It」- US 36位、USAC 25位
1971年 「さすらいの青春(I Am…I Said)」- US 4位、USAC 2位、UK 4位(シルバー)
「ダン・トゥー・スーン(Done Too Soon)」- US 65位、USAC 37位
「アイム・ア・ビリーバー(I’m A Believer)」- US 51位、USAC 31位
「ストーンズ/クランチー・グラノーラ組曲(Stones / Crunchy Granola Suite)」- US 14位、USAC 2位
1972年 「ソング・サング・ブルー(Song Sung Blue)」- US 1位(1週、ゴールド)、USAC 1位、UK 14位
「Play Me」- US 11位、USAC 3位
「ウォーク・オン・ウォーター(Walk On Water)」- US 17位、USAC 2位
1973年 「チェリー・チェリー(Cherry Cherry (Live))」- US 31位、USAC 19位
「ロング・ウェイ・ホーム(The Long Way Home)」- US 91位、USAC 41位
「ラスト・シング・オン・マイ・マインド(The Last Thing On My Mind)」- US 56位、USAC 15位
「かもめのジョナサン(ビー)(Be)」- US 34位、USAC 11位
1974年 「スカイバード(Skybird)」- US 75位、USAC 24位
「ロングフェロー・セレナーデ(Longfellow Serenade)」- US 5位、USAC 1位
1975年 「この道を再び(I’ve Been This Way Before)」- US 34位、USAC 1位
「最後のピカソ(The Last Picasso)」- USAC 7位
1976年 「遙かな誓い(If You Know What I Mean)」- US 11位、USAC 1位、UK 35位
「陽気に行こう(Don’t Think…Feel)」- US 43位、USAC 4位
「ビューティフル・ノイズ(Beautiful Noise)」- USAC 8位
1977年 「愛しのデザレ(Desiree)」- US 16位、USAC 1位、UK 39位
1978年 「愛のたそがれ(You Don’t Bring Me Flowers)」(バーブラ・ストライザンドとの共演)- US 1位(2週、プラチナ)、USAC 3位、UK 5位(ゴールド)
1979年 「ブルー・ジーンズ・ライフ(Forever In Blue Jeans)」- US 20位、USAC 2位、UK 16位(シルバー)
「セイ・メイビー(Say Maybe)」- US 55位、USAC 3位
「セプテンバー・モーン(September Morn’)」- US 17位、USAC 2位
1980年 「グッド・ロード・ラブズ・ユー(The Good Lord Loves You)」- US 67位、USAC 23位
「ラヴ・オン・ザ・ロック(Love On The Rocks)」- US 2位、USAC 3位、UK 17位(シルバー)
1981年 「ハロー・アゲイン(Hello Again)」- US 6位、USAC 3位、UK 51位
「自由の国アメリカ(America)」- US 8位、USAC 1位
「イエスタデイズ・ソングス(Yesterday’s Songs)」- US 11位、USAC 1位
1982年 「ブルー・スカイ・セレナーデ(On The Way To The Sky)」- US 27位、USAC 4位
「Be Mine Tonight」- US 35位、USAC 2位
「ハートライト(Heartlight)」- US 5位、USAC 1位、UK 47位
1983年 「I’m Alive」- US 35位、USAC 4位
「Front Page Story」- US 65位、USAC 5位
1984年 「ふりむいて(Turn Around)」- US 62位、USAC 4位
1986年 「フォー・ザ・フューチャー(Headed For The Future)」- US 53位、USAC 10位
1987年 「I Dreamed A Dream (Live)」- UK 90位
1989年 「This Time」- USAC 9位、UK 84位
「The Best Years Of Our Lives」- USAC 7位
1992年 「Morning Has Broken」- UK 36位
2008年 「Pretty Amazing Grace」- UK 49位
2009年 「Cherry Cherry Christmas」- USAC 4位
2016年 「The Christmas Medley (Acoustic Christmas)」- USAC 10位
* USでは、アルバム・シングル共にラテンゴールド=3万枚、ラテンプラチナ=6万枚、ゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2022年8月現在。