マイ・ヴィトリオール

Som Wardner - ヴォーカル、ギター、曲・詩・プロデュース

Ravi - ドラム

Seth Taylor- ギター

Carolyn Bannister- ベース



バンド名はグラハム・グリーンの「ブライトン・ロック」が由来。物語に登場するピンキーは、自分を脅す人に投げかけられるようにと、常時コートのポケットに硫酸(vitriol)が入った瓶をを入れている。この硫酸(vitriol)は、彼の妄想癖、彼の底意地の悪さ、彼の権力への追求心、彼の安心感の欲求、全てを象徴している。



1998年8月、ロンドンの大学生だったSOMがRAVIに出会う。スタジオ・エンジニアの勉強をしている共通の友人が「課題の一環として」彼らにデモのレコーディングを持ちかけた。そしてその2日後、彼らは5曲入りテープを仕上げることになる。このEPでは、RAVIがドラムを叩きSOMがその他全ての楽器を弾いた。そしてこのデモはmy vitriolの『delusions of grandeur』EPとなる。



翌年このEPを手に入れたBBC/Radio1のSteve Lamacqが彼の番組「Evening Session」で放送したことからマイ・ヴィトリオールの歴史は始まることになる。その後Radio1だけではなく、このEPを手に入れたイギリス、ヨーロッパのラジオ局がこぞって彼らの曲をかけだしたからだ。実際、レコード会社各社のA&Rからのオファーは殺到したが、彼らは学業に専念することを選ぶ。とはいえ、メディアも業界も彼らを放っておくはずがなかった。彼らはインディーから1000枚限定でリリースした一枚のシングル『always: your way』と、たった7本のライブでレコード会社と契約を交わした。2000年、このシングル一曲で彼らは早くも「ベスト・ニュー・バンド・イン・プリテン」と断言される。こういった過剰ともいえる期待の中、メンバーは焦ることなくアルバム制作とツアーを同時進行させ、自分達の立ち位置を確立していく。レコード会社と正式契約後にリリースした『losing tough』、『cemented shoes』そして『Pieces』の3枚のシングルはさらにイギリスを熱狂させるに十分過ぎるものだった。



待望のデビュー・アルバムの全英リリースを2001年3月5日に控え、彼らは現在ヘッド・ライニング・ツアー中である。このツアー中、2月頭のロンドンではアット・ザ・ドライヴ・インと一緒にステージに立った。この時の様子は"アルバムを一枚もリリースしていないバンドながら45分間のセットを完全なパフォーマンスで圧倒し、会場内にはダイヴの嵐が吹き荒れるもの凄い状態だった"とリポートされている。



そして現在、3月末のマニック・ストリート・プリーチャーズのロンドン公演のオープニングも決定している。