マティスヤフ
“ユダヤ教とレゲエを結びつけたことがすべての始まり。
ボブ・マーリィのメッセージはユニバーサルなもので、生きているものなら誰もが共感できる。
ボクのメッセージもそれに似ていて、スピリチュアルなメッセージだからユニバーサルなものだと言えるね”

と語るマティスヤフはペンシルヴァニア州ウェスト・チェスター出身の26歳。現在はブルックリン(NYC)を拠点とする。10代前半は両親の影響でフィッシュ(Phish)やグレイトフル・デッドなどサイケデリック系ロックに触れながら育つ。のちにボブ・マーリィやレゲエ、メッセージ性の強いヒップホップなどを聴き始め宗教心が芽生えた彼は、レゲエ・ミュージックの中にユダヤ教の考え方を見い出し、ユダヤ教徒になる。16歳の時にはイスラエルを訪問し、超リアルなユダヤ教の洗礼を受け、ハードコアなユダヤ教徒になる。現在でも安息日、すなわち金曜日の夜から土曜日の日没までは絶対にライヴを行わない、という正真正銘の敬虔派ユダヤ教徒である。アメリカでは“Hasidic reggae rapper”と形容されていることが多いが、Hasidicとは、敬虔派ユダヤ教のハシディズム(Hasidism)の一派・運動に属する人のことを言う。

2005年夏、プロデューサーにビル・ラズウェルなどを迎えてスタジオ・アルバムの制作に入ったマティスヤフは、同年夏から秋ころにかけてトレイ・アナスタシオ(元PHISH)と全米ツアーを行い、ツアー真最中である8月23日にライヴ・アルバム"Live at Stubb's”をアメリカでリリースした。このメジャー・デビューライヴ・アルバムが所属レーベルのEpicも予想だにしなかった好リアクションを得ることになる。アルバムはまず、米ビルボード・トップ・レゲエ・アルバム・チャートで2位を記録、ヨーロッパにも話題が飛び火し、パリ、ロンドン、アムステルダム、ベルリンでのショウが全てソールド・アウト。シングル"King Without A Crown”の全米ラジオのエアプレイも手伝って12月最終週にはビルボード・アルバム・チャートの100位以内に入り(93位)、その後32位まで上昇し、2006年2月中旬にはついにゴールド・ディスクに認定されている(50万枚のセールス)。

その後、“~Stubb's”がビルボード・レゲエ・アルバム・チャートで8週連続1位になる。そして、スタジオ・レコーディング・アルバム“Youth”のアメリカでの発売直前週、公式ウェブサイトでストリーミングが始まったシングル“Youth”のビデオが1週間で7万回ストリーミングされる。満を持して3月7日、アメリカでリリースとなったアルバム“Youth”は、ビルボード・アルバム・チャート初登場4位を記録、レゲエ・チャートは1位で、アメリカのサウンドスキャン・システムが始まった1991年以来もっとも売れたレゲエ・アルバムとなる。“~Stubb's”もビルボード36位まで上昇し、その時点でビルボード・トップ40に2作品チャートインさせている唯一のアーティストとなり、ビルボードのトップ・インターネット・アルバム・チャート、デジタル・チャート、レゲエ・チャートではそれぞれ1位、
i-Tunesアルバム・チャートでも1位に輝く。


<マティスヤフ発言集>
『キング・ウィズアウト・ア・クラウン』は、ボク自身の人生の過程で経験してきたことや、誰しもが学ぶ人生の教訓についての曲なんだ。だからこの曲を繰り返し聴いてみてほしい。その中に、本当に共感できるものがきっと見つけられると思うよ。

(セカンド・シングルの)『ユース』は、チャバド・ハシッド派(ユダヤ教)のリーダーであるルバヴィッチ・レベの言葉にインスパイアされて生まれた曲だ。『体が毒を拒むように、youth(若者/若さ)というものは偽りの空虚な精神(spirit)を拒絶するものだ。と同時に、youthは世のエンジンでもある』というのがその言葉だ。要するに、youthは非常に純粋な意思と、物事の是非を嗅ぎ分ける感覚を持ち合わせているんだ。何かが間違っていると感覚的に捉えたとき、彼らは反抗する。しかし、そのエネルギーが然るべき方向に導かれたとき、その力は世界をも変えることができるんだ。

ボクが10代の時は、フィッシュ(Phish)とかオールマン・ブラザーズとかグレイトフル・デッドみたいなサイケデリック系のバンドが好きだった。両親が聴いててさ。5歳まではカリフォルニアのバークレーに住んでいて親とグレイトフル・デッドのライブに行ったりしていた。のちにボブ・マーリィとかレゲエにハマって、その後ヒップホップを聴き始めて 宗教心が芽生えた。そしてユダヤの考え方をレゲエ音楽にも見い出すことができた。不思議な方法でユダヤ教とボブ・マーリィやレゲエを結び付けたことが全ての始まりなんだ。

僕のメッセージはユダヤ人だけに向けているわけではなくて、スピリチュアルなメッセージだから普遍的なメッセージでもあるんだ。ボブ・マーリィのメッセージもユニバーサルで、老若男女、生きている物なら誰でもが共感できる。僕のメッセージもそれに似ている。

そもそも音楽というものは人々をインスパイアするものだけど、僕も人々をインスパイアしたい。ユダヤ人であろうが、ユダヤ人でなかろうがね。人々の中に眠っていた気持ちを呼び起こしたいんだ。

音楽と結びつけられるメッセージや政治が必ずしも不純なものだとは思わない。その内容にもよるけれどね。メッセージと音楽が互いに矛盾するものだとも思わない、ただ自分の意見を人に聞かせるだけのために音楽を利用するのでなければ。それは音楽に対する敬意ではないと思う。僕は音楽には既に魂が宿っているものだと思うから、それを冒涜するようなことはしないつもりでいる。