ロス・ロンリー・ボーイズは家族の伝統から始まった。



エヴァリー・ブラザーズからビーチボーイズ、ブラック・クロウズからハンソンに至るまでファミリー・バンドはロックンロールの偉大な慣習である。計算のない完成された兄弟間の美しいヴォーカル・ハーモニーはなんとも言えず独特で魅惑的なスタイルを作り出す。テキサス西部の小さな町出身、年齢21から25までの3兄弟、ロス・ロンリー・ボーイズによってアメリカの音楽ファミリーの物語に新たな一章が間もなく書き加えられる。彼らは父親のバック・バンドとしてスタートを切った。そして今、ロス・ロンリー・ボーイズは自分たちの目的に向かって歩みだした。



ロス・ロンリー・ボーイズはギターのヘンリー、ベースのジョジョ、そしてドラムのリンゴの3兄弟。この非凡な才能に恵まれた兄弟トリオは子供のころから音楽を共に鳴らし、プロとしての経験は既に10年も積み上げてきている。ロス・ロンリー・ボーイズは様々なスタイルの音楽を作り、歌い、そして演奏し、彼らが受けてきたあらゆる影響を完全な統一体としてブレンドしている。テックス・メックス*、カントリー、ブルーズ、そしてリッチー・ヴァレンス、チャック・ベリーやファッツ・ドミノ等のロックの先駆人達、加えてビートルズ等のポップ・ミュージック界の大御所を聴いて育ったロス・ロンリー・ボーイズは、そこから学んだ基本を強力なギター・プレイと活発なロックとラテンのリズム、ダイナミックな演奏の絡み合い、兄弟そろってのみずみずしいヴォーカル・ハーモニーで強化し、思わず引き込まれてしまうようなフックと表現力に富んだ歌詞、そして豊かなメロディに満ちた曲に変えていく。



バンドのセルフ・タイトルのデビュー・アルバムはあまりにも内容が濃く、これだけの音楽をたった3人で作り出したとは信じがたいほどである。長男のヘンリーはフレディ・キング、ジョニー・ウインターやヴォーン・ブラザーズで知られるテキサスの伝統的なギタリストの後継人として賞賛されると共に、カルロス・サンタナによって開拓され、発展し続けるラテン・ロック・ギター・スタイルで演奏する最も有望な若手ギタリストでもある。弟たちのタイトで強烈なリズム・サポートを従えたヘンリーの演奏によってロス・ロンリー・ボーイズは今世紀が生み出した最もエキサイティングなバンドの一つとなった。疑うならばロス・ロンリー・ボーイズをフェイヴァリット・バンドと称し、本人の所有するペデルナレス・スタジオをアルバムのレコーディングのために提供したこの世界の権威、ウイリー・ネルソンに聞いてみればいい。



「どうやら誰もが俺たちのことを気に入ってくれているみたいで、最高な気分だよ」とヘンリーは言う。早口で愛想のいい話っぷりである彼のくだけた語り口は、テキサスが誇る英雄ミュージシャン、ダグ・サームを彷彿させる。父であるリンゴ・ガルサ・シニアが自ら手本となって息子たちに家族ぐるみの演奏スタイルを叩き込んでいった様子をヘンリーは語る。ガルサは7人兄弟でザ・ファルコンズというファミリー・コンフント・グループで活動していた。「親父は70年代から80年代にかけて5人の兄弟と妹(姉?)と一緒に最高のコンフント・バンドをやっていた」とヘンリーは説明する。「あの時代ではまだ誰もやっていなかったようなミックス・スタイルを手がけていた。コンフントとカントリー・ミュージック、そしてスパングリッシュを掛け合わせたような。テキサスの南部や西部で物凄い人気を誇っていた。トップ・テンにも1曲送り込んだことがあるぐらい。ただドラマーだった兄弟の1人を亡くした悲劇をきっかけにバンドが壊滅してしまったんだ。」



「親父はコンフント・ミュージックの演奏以外に昔からロックやカントリー好きだった。エルヴィスやビートルズのようになりたかったようだ。8歳のころから演奏を始めたんだよ。俺たちはまず親父から演奏の手ほどきを家で受けた。親父のライヴを観に連れて行ってもらい、少し大きくなるとステージで1曲一緒に歌うことが許されるようになった。ラジオなんかよりも親父の演奏をよく聴いていたな。俺たちが最大に影響を受けた人物だよ・・・親父と伯父たちとステージに上がって「La Bamba」を歌う機会をいつも楽しみにしていた。俺たちはリッチー・ヴァレンスやチャック・ベリー等のオールディーズにはまっていて、ラジオの流行曲なんて見向きもしなかった。俺はただひたすら自分で曲を書きたかっただけ。初めて書いた曲は4歳の時だった。(親父が)ちっちゃなギターを買って持ち帰り、俺の手に渡されたときは『絶対に手放すもんか』と思った。ギターをもらった直後、自分の部屋にこもって音をつなぎ合わせ、なんとかギターの弾き方を自己流で考え出し、歌詞を書いて出来上がったものを親父に持っていった。当時は完全に父親からの影響一色だった。女の子に捨てられた内容の曲を親父が歌っているのを聴き、親父の歌からインスピレーションを受けて“She Left Me”という曲を書き上げた。ほんの数行ほどの歌詞だよ。」



ヘンリーのすぐ下の弟、ジョジョの愛称で知られるジョーイはギターからピアノへと転換後、最終的にはベースに落ち着いた。末の弟のリンゴがドラムスを始めたときにファミリー・バンドが完成した。「リンゴが9歳のときに親父がドラム・セットを与えたんだ」とヘンリーは昔を振り返る。「俺が手ほどきをしてやると、なんと30分ほどで見事に叩けるようになった。そうなるべくしてって感じだよ。しかもリンゴって本名だから奇遇だろ?!!そのとき以来、ドラムス一筋なんだ。」



兄弟は次第に音楽ユニットとして形を成していった。父親のバンドの解散後、兄弟は父のソロ・ライヴのバックを務めるようになる。父との初ライヴは彼らがまだティーンエイジャーになる前の話だった。「親父のバックを務めるようになったのは、伯父たちとのバンドを辞めてから他のミュージシャンとカントリー・バンドで演奏するようになってからだ。親父たちはウイリー・ネルソンやウエイロン・ジェニングス等のアウトロー・サウンドを目指していた。親父ってそういうイメージがついているんだ。」



父と子が作り出した音楽は昔ながらのロックンロール、カントリーとテックス・メックスのミックス。息子たちの並々ならぬ才能に気づいたガルサはバンドごとナッシュヴィルへと移った。ミュージック・ロー界隈のレコード業界関係者の目にはとまらなかったもの、3兄弟がミュージック・シティで過ごした期間から得たものは大きかった。



「1999年代を通してナッシュヴィルを行ったり来たりしていた」とヘンリーは説明する。「ナッシュヴィルを訪れた当初は親父との演奏を続けていたんだけれど、やがて俺たちが個人として成長し、自分たち用に曲を書くようになり、言ってみれば親父のもとから卒業したんだ。良い意味で親離れする時期が来たんだ。俺たちだけで活動するようになり、気づけば親父抜きでアトランタでの初ライヴのステージに立っていた。ナッシュヴィルではあまりうまくいってなかったんでテキサスに戻ってまた活動を始めたんだ。」



トリオとして技を固めた彼らはライヴ活動の激戦区であるテキサスとアメリカ南東部で最もエキサイティングなショーを見せるという定評を持つようになり、またクラシック・ロック等を聞き込んでいた年月が彼らの優れたヴォーカルとソングライティング力を養っていった。「親父が伯父達とやっていたバンドを聞いて俺達はハーモニーというものを体で覚えた」とヘンリーは語る。「親父に教わったんだよ。親父が歌うのを聞いて耳で覚えていった。本格的に習いに行ったことは一度もない。親父にお前たちの可能性は無限大だと言われ、俺たちは子供の頃、休むことなくとにかく音楽を聴いて、聴いて聴きまくり、演奏を重ね、学び、練習し続けた。」



彼らはあのすばらしいヴォーカル・ハーモニーをわざわざアレンジするほどもないと考えている。「ごく当たり前のように自然とできてしまうんだ」とヘンリーは言う。「曲作りをしているとき、俺が曲を手がけていればリンゴが自動的に俺とハモリ、ジョジョも独自のパートで入ってくる。自然にそうなるんだ。マジックのようですんごく不思議なんだけどさ、3人兄弟で皆音楽に対して情熱を燃やしている。一緒に演奏していると思わず溢れ出してくるんだよ、ごく自然にね。」



スペイン語と英語で歌われているアルバムのオープニング曲の「Senorita」はバンドの方向性をうまく表している。「弟のジョジョが書いていた曲に合わせて俺はライムする歌詞を考えていたんだ」とヘンリーが当時を振り返る。「“ボニータ”と”セニョリータ“をライムさせ、コードに合わせて1曲できちまった。テキサスではスペイン語のスラングが日常的に使われている。ちゃんとしたスペイン語ではなく、どちらかといえばストリート・スラング的に使われるんだ。あのライムは妙にキャッチーだった。俺たちは伝統的なチカーノ・ミュージックやコンフント、トロピカルやラテン・ミュージックを熟知している。親父とその仲間がやっていた音楽を聴いて育ったから、俺達はなんとなくその逆方向へと向かうことにしたのかな。そりゃあ大変だったさ、『君たちのサウンドはメキシカン・バンドっぽくないね』って言う人は後を絶えなかったからね。やろうと思えば当然できたことだけど俺達は自分らしさを出して新しいことに向かいたかったんだ。俺と弟たちはそれを実行して、とうとうレコーディングまでこぎつけ、今の世の中に俺達流のサウンドを発表できるまでになった。絶対にうけると思うよ、ヒスパニック社会の中でもね。何しろサンタナ以外にこういうサウンドをやっているのは聴いたことないからな。」



ライヴ・バンドとしての素晴らしさは本人たちも十分承知のことだが、今回のスタジオでのレコーディングの出来のよさに彼らは驚きを隠せないようだ。「以前にもレコーディングの経験はあるんだけど、なかなか納得いくものができなかった」とヘンリーは打ち明けた。「でもこのアルバムはギター・トーンからギター・パート、ヴォーカル・パート、アルバム全体のヴァイブに細部に渡り、全てに満足していると偽りなく言える・・・本当に誇りに思える作品だ。」



「なんだかメキシコ版のビートルズになったみたいでクレイジーだよ」とヘンリーは話をくくる。「どういうスタイルの音楽をやってるんだ、って訊かれることが多い。スティヴィー・レイとサンタナ、もしくはジミー・ヘンドリックスとリッチー・ヴァレンス、それともビートルズとロニー・ミルサップを掛け合わせたような音楽だといつも答えている。名づけてミュージック・ブリート・セオリーだ(※訳者注 ブリートとは挽肉、チーズ、ビーンズ等の具をトルティーヤに巻いた料理のこと)。具体的な例は今思いつかないけれど数々の偉大なミュージシャンから学んだことを自家製のトルティーヤに乗せ、くるっと巻いて自分たち流のブリートを作り、世の中に売りに出したんだ、わかるだろ?」



*テックス・メックス:

その名前を料理と共有するテックス・メックスは、メキシコと南西アメリカの融合音楽だが、そのほとんどが国境の北側に集中――歴史的に有名な「アラモ砦の戦い」までメキシコ領だったテキサス州は、今でもメキシコの文化や風土が色濃く残っており、特に南テキサスはメキシコ系アメリカ人が大部分を占めている。こうした背景から生まれた音楽を「テキサス流のメキシコ音楽=テックス・メックス」と呼ぶが、そのサウンド自体はかなり広範囲だ。その初期に特徴的だったのは、軽快なリズムとアコディーオンの音色。このスタイルの代表として挙げられるのはサー・ダグラス・クインテットのリーダーだったダグ・ザームやフレディ・フェンダー&ザ・バンドだ。一方、ジョー“キング”キャラスコやザ・クラウンズといったアーティストは、テックス・メックスにパンクのエネルギーを持ち込んで新境地を拓き、現在ロサンゼルスに拠点をおくロス・ロボスは常に実験精神に満ちた作品を発表している。