クラウス・ノミ
●クラウス・ノミは1944年、ドイツのバヴァリアにクラウス・スパーバーとして生また。オペラ歌手としての訓練を積み、1972年にニューヨークに移り住む。コックの仕事をしながら、マネキンのパフォーマンスなどで生活をしていたが、ほどなく、ニューヨークのライヴハウスに出演するようになる。真っ白に厚化粧し、奇抜な服装を身にまとい、カウンターテナーでアリアからポップ・ミュージックに至るまで、オリジナル楽曲と風変わりなアレンジでカヴァーした楽曲を披露し、アンダーグラウンド・シーンであっという間に注目を集める存在になった。そのパフォーマンの噂をききつけたデヴィッド・ボウイが彼にコスチューム・デザインとNBC TV 「サタデー・ナイト・ライヴ」のバック・コーラスを手伝ってくれるように依頼。その番組への出演で、より一般に注目されることとなった。アメリカではレコード契約に至ることがなかったが、1981年フランスのRCAと契約、ファースト・アルバム『オペラ・ロック(Klaus Nomi)』を発表する。翌年1982年にはラスト・アルバムとなってしまう『シンプル・マン(Simple Man)』を発表。このセカンド・アルバムが発表される頃には彼の体はすでにエイズに蝕まれていた。1983年夏、39歳の若さで短い人生を閉じた。まだエイズが「ゲイの癌」として忌み嫌われていた80年代初頭であり、著名人第一号患者として、誹謗中傷にさらされるなかでの非業な死であった。名声を求めながら、傷つきやすい同性愛者として愛を求めたドラマチックな半生と歌声は今なお多くのファンの心に焼き付いているはずだ。



●当時、日本ではパルコや石橋楽器とのコラボレーションやセイコーのCMで記憶に残っている人も多いはず。あの『スネークマンショー』にも彼の「コールド・ソング」が使われているので、こちらで彼の名前を知った人も多いはず。また、江口寿史の漫画『ストップ!ひばりくん』の中でも彼のキャラクターが使われていた等など、一時は“時の人”として話題を呼んでいた。



●そんな彼の半生を綴ったドキュメンターリー映画がこの夏に公開される!

タイトルは「ノミ・ソング」。東京では6月中旬より渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー決定。涙と笑いの音楽ヒューマンドラマ。デヴィッド・ボウイ、マックス・カンザス・シティ、イギー・ポップ、サタデー・ナイト・ライヴ・・・、狂騒の80年代NY、ニューウェーヴ・アンダーグラウンドのカルト的存在がレア映像とともに蘇る。



*2004年ベルリン国際映画祭パノラマ部門正式出品作品 

テディ・ベア賞受賞(ゲイ・ドキュメンタリー部門)