ホルスト・シュタイン
1928年5月2日、ドイツ・ヴッパタール市のエルバーフェルト生まれ。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で学んだ後、49年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者となってキャリアをスタートさせた──ちなみに、2002年2月に没した名指揮者ギュンター・ヴァントも同じ町の生まれで、シュタインはケルン高等音楽院で彼に師事した。──本格的な指揮者活動は51~55年のハンブルク州立歌劇場時代に始まったが、この間の52~55年バイロイトで、クナッパーツブッシュ、カイルベルト、カラヤンなどのアシスタントを務め、62年の《パルジファル》でバイロイト音楽祭デビュー、70年の《ニーベルングの指環》全曲の指揮が絶賛され、今日に至る“ワーグナー指揮者”としての名声の礎を築いた。

1950年代初頭のハンブルク時代以後は、ベルリン国立歌劇場(旧東ドイツ)の楽長を皮切りに、61~63年ハンブルク州立歌劇場音楽総監督代理、63~70年マイハイム州立歌劇場音楽監督、70~73年ウィーン国立歌劇場第1指揮者、72~77年ハンブルク州立歌劇場音楽総監督を歴任、オペラ指揮者として重厚多彩な実績を残した。以後はコンサート・オーケストラの指揮者の活躍が中心となり、80~85年スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を務めた後、85年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任(96年から終身名誉指揮者)した。この間の85~89年にザルツブルク音楽祭に出演したほか、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめとするヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク響を率いて世界各地を楽旅するかたわら、数多くのレコーディングも行なった。

わが国を初めて訪れたのは1973年2月、NHK交響楽団の招きで定期演奏会を指揮、75年の再訪の際に早くも名誉指揮者の称号を贈られ、以後99年まで定期的に客演を重ねているほか、バンベルク響との公演も98年までに数回行なっている。