ハリー・コニック,JR.
ハリー・コニックJr.は、その豊かな感情の全てを極めて高い音楽性をもって表現することのできる男である。彼のソニーミュージックからの近作たちが、それを余すところなく証明してくれる。2001年度グラミー賞受賞作「ソングス・アイ・ハード」では子供時代に不思議に思っていたことを、最新大ヒット作「ハリー・フォー・ザ・ホリデイズ」ではクリスマスのスピリットを探究したコニック。新作のバラード集「オンリー・ユー」では、ロマンスというテーマに臨む。



2003年5月、ハリウッドにある伝説のスタジオ「キャピトル・スタジオ」で一連のセッションを行ったコニックが、ヴォーカリスト、ピアニスト、作曲家、編曲家、オーケストラ監督としての多彩なスキルを駆使した結果、「ハリー・フォー・ザ・ホリデイズ」と「オンリー・ユー」という2つのアルバムが生まれた。かつてはナット・“キング”・コールが使用したといういわくつきのピアノを操りながら、コニックは時にはフル・ストリング・オーケストラも投入しつつ、彼のレギュラー・バンドであるビッグ・バンドに指示を与えた。しかも2つの全く異なるプログラムをこなしながら。その挑戦について、本人はこう説明している。「どちらも音楽であることには変わりないよ。あとは気持ちの切り替えの問題だね。<ああベツレヘムよ>を唄うときの意気込みは<オンリー・ユー>の時とは種類が違うから」



ハリーによると、「オンリー・ユー」の構想の生みの親は、米ソニーミュージックの社長、ドン・アイナーなのだという。「『私の世代の曲を集めたアルバムを作ってみないか?』とドニーに言われたんだ。それで、やってみることにしたのさ。その時代の曲を集めて、自分に合っているのはどれか、自分が好きなのはどれかを決める作業から始めたよ」



その過程においてコニックが気づいたのは、初期のロックンロールのヒット曲の多くは、それよりずっと前に起源を遡るということだった。「この作品で僕がやりたかったことの一つは、’50年代にリバイバルヒットを博した曲に焦点を当てることだった」と彼は認める。「<マイ・プレイヤー>がいい例だね。大抵の人はプラターズを連想するだろうけれど、’30年代のインク・スポッツのヴァージョンも僕は知っている。それで、<私の青空>や<瞳は君ゆえに>のような、子供時代に聴いていた中で、本当に歴史のある曲を入れたんだ」



「オンリー・ユー」収録の12曲は、どれにもコニックのユニークなテイスト、想像力、情熱が反映されている。ドリフターズのヒット曲<ラスト・ダンスは私に>はスウィングするバラードになり、<マイ・ブルー・ヘヴン>にはサンバの味付けがなされ、<マイ・プレイヤー>はチェロのソロ演奏を加えることによりムード満点になっている。「それぞれの曲の色というか、色合いというか…それを醸し出そうと思ったんだ」と彼は説明する。「編曲をするときは、どれもそのようにやった。必要なものだけを使ってね」本作はその例に事欠かないが、中でも最高に素晴らしいのが、コンサートマスターのブルース・ダコフが<マイ・プレイヤー>のストリング奏者たちをソウルフルなセクションに変えたさま、そして<グッドナイト・マイ・ラヴ>における、ジェリー・ウェルドンをはじめとするコニック・バンドのサックス奏者たちの演奏である。「ジェリーに<グッドナイト・マイ・ラヴ>のリードを取らせたのは、彼があの手の演奏の仕方を熟知していたからなんだ」とコニックは強調する。また、ウェルドンは本作全体を通じて、大半の曲でホーン・ソロを担当している。他には<オンリー・ユー>ではジミー・グリーンのテナー、アラン・トゥーサン作曲の<オール・ジーズ・シングス>ではデイヴ・シューマッハのバリトンがソロを取っている。



コニック自身が「いつも自分のパートをアレンジに入れ忘れてしまうんだ」とジョークにしているほど、本人の楽器演奏は控えめに登場するものの、彼のヴォーカルは演奏の中心になっており、今までになく感動的な響きである。「これらの曲は歌うのが難しかった」と彼は語る。「それが、僕の声に新しいものをもたらしてくれたんだ。<君を想いて>のような曲は、ごまかしが利かないからね。とにかく空気を思い切り吸って唄うしかないんだ。一つ一つのフレーズにどう変化を付けようとか、そんな細かいことは気にしちゃいられない。そうしたら、今まで自分でも聴いたことのないような声が出せたんだ。「25」で<スターダスト>を唄ったときのような、初めて歌の唄い方を覚え始めた頃に戻ったような気持ちだったよ。心から唄うことができたと思うし、誇りに思っているよ」



本作で唄っているものと1992年の<スターダスト>ヴァージョンの大きな違いの一つは、彼の芸術へのアプローチが進化していることに帰する。「音楽に人生経験を織り交ぜようとしなかった時期があったんだ。芸術は完全に本質的なものだと思っていたから」と彼はいう。「今でもある意味そう思っているよ。そうでないと、アーティストというものは終わりに向かって走っているだけの存在になってしまうからね。だけど、今の自分は今までになく個人的な経験を基にして音の風景を描いている。<アザー・アワーズ>を唄ったときは今までの人生の中で辛かったときのことを考えていたし、<オンリー・ユー>や他のほとんどの曲は、妻のジルを思い浮かべながら歌ったのさ。



それらの感情を演じることなく、肌で感じながら唄ったのはこれが初めてだった。荘厳で穏やかな雰囲気で、素晴らしい気持ちだったよ。他の人がこの音楽を聴いたらどう思うかなど、それまでスタジオ作業にはつきものだった邪念もあまりなかった。やっと僕らしくなれたという気持ちだね。楽しんでいるよ」



「オンリー・ユー」はコニックの名高くかつ稀に多彩なキャリアの最新章にすぎない。ニューオリンズ育ちの彼は、ジェームズ・ブッカーやエリス・マルサリスという伝説の鍵盤奏者たちからピアノを学んだ。5歳よりステージに立ち、10歳で初めてのジャズ・アルバムを制作したコニックは、18歳でニューヨークに移住し、ジャズ・トリオを率いる自らの名を冠したアルバムで、米Columbiaレコーズ(ソニーミュージック)からまたたく間にデビューを飾った。2作目「20」からはヴォーカルも担当。彼の歌声は、初のビッグ・バンド作にしてマルチプラチナを獲得した「恋人たちの予感(原題:When Harry Met Sally)」にもフィーチャーされている。



‘90年代はコニックの芸術性の全体像が露わになった時代だった。彼はオリジナルのインストゥルメンタル曲やヴォーカル曲をフィーチャーし(「ロフティーズ・ローチ・スフレ」や「ウィ・アー・イン・ラヴ」)、ファンクを開拓し(「SHE」・「スター・タートル」)、ロマンティックなバラード集(「トゥ・シー・ユー」)を発表したのち、世紀末を締めくくった大傑作「カム・バイ・ミー」ではそれらの要素を一つにまとめた。近年は子供時代のお気に入りの曲を振り返ったグラミー賞受賞作「ソングス・アイ・ハード ~ムービー・クラシックス・ソングス」や、最近のジャズ・カルテット・ヒット作「アザー・アワーズ」などを発表し、更に成功を収めている。「アザー・アワーズ」は、今後マルサリス・ミュージックからリリースされる「コニック・オン・ピアノ」シリーズの第1弾。コニックが手がけたブロードウェイ・ミュージカル「ザウ・シャルト・ノット」から、トニー賞ノミネート曲のインストゥルメンタル・バージョンも収録されている。また、最近発売された季節もののアルバム「ハリー・フォー・ザ・ホリデイズ」では、サンクスギヴィングの夜にNBCで放映された同名の特別番組が好評を博し、2003年11月・12月の全米ツアーも大成功に終わった。



同時に、俳優としてのハリー・コニックJr.も映画界やテレビ界に大きな影響を与えている。彼のハリウッド映画出演クレジットには「メンフィス・ベル」、「微笑みをもう一度(原題:Hope Floats)」、「インディペンデンス・デイ」などが並ぶ。テレビ出演作はABCプロダクション制作「サウス・パシフィック」や、現在出演中の「ウィル&グレイス」など。



累計2,000万枚以上に及ぶアルバム・セールス、グラミー賞受賞歴3回、トニー賞、エミー賞、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、ケーブル・エース賞のノミネートは言うに及ばず、これらの功績に反映されている創造的なエネルギーをもつハリー・コニックJr.は、現代のエンタテインメント界において希有な存在である。「オンリー・ユー」の心に響く演奏は、いま最も感動的な音楽的創作物というかたちで、コニックの一連の成功に続くものとなるだろう。