伊藤 銀次
1972年、大阪で結成したバンド"ごまのはえ"のシングル「留子ちゃんたら」で、キング/ベルウッドからプロ・デビュー。

アルバムのプロデュースを依頼したことが切っ掛けとなって大瀧詠一と出会い、はっぴいえんどの解散コンサート「CITY - LAST TIME AROUND」(1973年9月21日@文京公会堂)に"ごまのはえ"から改称した"ココナツ・バンク"として出演するが、ほどなく"ココナツ・バンク"は解散。

その後一時期、山下達郎、大貫妙子、村松邦男らと共に"シュガー・ベイブ"に在籍し、名曲「DownTown」を山下達郎と共作、また大滝詠一、山下達郎と共に『Niagara Triangle Vol.1』に参加。

りりィのバイバイ・セッション・バンドを経て、1977年に初のソロ・アルバム『Deadly Drive』をワーナーからリリース。

その後はアレンジャー/プロデューサーとして沢田研二、アンルイスなど数々のアーティストを手掛ける傍ら、1980年には佐野元春と出会い、彼のバンド"The Heartland"のギタリストとしても活動し、初期の元春サウンドの確立に貢献する。

1982年にはソロ・アーティストとしてポリスターと契約(後に原盤はソニーに移管)、 『Baby Blue』『Sugar Boy Blues』『STARDUST SYMPHONY '65-'83』など、7枚のアルバム(ミニ・アルバム含む)をリリース。
その後1986年に東芝EMIへ移籍し『GET HAPPY』『山羊座の魂』など5枚のアルバムをリリース後、Ki/oonに移り『LOVE PARADE』を発表。

この間、バンド・ブームを牽引したTV音楽番組「イカすバンド天国」の審査員としてお茶の間にも知られるようになる。

1990年代以降はプロデューサーとしてウルフルズ、ザ・コレクターズ、七尾旅人などの作品を手掛け、特にウルフルズは大ヒットを記録。

2003年には幻のバンド"ココナツ・バンク"の再結成とアルバムをリリースし、話題となる。

2007年からはソロでの全国ツアーを展開し、「I STAND ALONE」という弾き語りライヴも各地で開催、好評を得る。また杉真理らとの"マイルドヘヴン"や、L⇔Rの黒沢秀樹との"uncle-jam"など新たなバンド/ユニット活動も開始。

そしてデビュー40周年を迎えた2012年、遂にその活動を総括するベスト・アルバム 『伊藤銀次 GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~』をリリース!。