エド・ケイス
 エド・ケイスのことはもうご存じだろうか。UK国内では既に彼は話題の人物である。クラブのフライヤーや雑誌などに載っている彼の名を誰もが目にしているはずだし、レイヴ時代の彼の偉業については何かしら訊いているかもしれない。彼のとてつもないストリートへの影響力に加え、最近話題のレコード契約の件や、他にもメディアが彼のことを「ゲリラ・ガラージ・プロディジー」「UKガラージの伝説的存在」「グローバル・ダンス・イノヴェーター」「正真正銘の天才」と書き讃えていることまで耳にしたことがあるかもしれない。・・・それらは全て真実なのだ。



 とはいえまだ知らない貴兄もいることだろう。この機会にエドがどういう男かわかりやすく説明するとしたら、彼の日常を垣間見てもらうのが一番早いだろう。それはロンドンにある有名なレコーディング・スタジオでの彼のごったがえした部屋を見てもらうのがいい。例えば、電話がひっきりなしにかかってくることだったり。スペシャリスト・モスやミズ・ダイナマイトのようなMC達やスカンク・アナンシーのフロント・ウーマンであったスキンのようなシンガーであったりもする。ショーン・エスコフェリーが電話を使ってる一方で、リパブリカのサフロンは自分の携帯でおしゃべりをしていたりもする。様々な有名アーティストから、さもすればホットな無名アーティスト達までもがレコーディング・ブースに入る準備に大わらわしているところに出くわすこともあるだろう。彼らは全員が、26歳のUKコンポーザーであり、プロデューサー、そしてUKガラージの達人であるエド・ケイスという男のために集まっているのである。



 まだまだわかりやすく説明できる。遡ること2000年のこと、エドは元々素晴らしいポップ・ソングであったゴリラズの「クリント・イーストウッド」を極上のクラブ・チューンでありながら、超キャッチーなラジオ向けの曲に見事リメイクしてしまったのである。その後、2001年にはミドルロウ出身のレゲエ界の重鎮、スウィーティー・アイリーによる一度聴いたら忘れられない超キャッチーなフックをフィーチャーしたハード・ステッピンな夏の爆裂曲「Why?」を発表。その後、エドはデビュー・アルバム『エドズ・ゲストリスト』の制作に没頭した。アルバムでは様々なコラボレーションを聴かせてくれるが、その全曲がミキシング・テーブルで錬られたプロジェクトであり、そのコラボレーション相手はガラージ・コミュニティーから引き抜いてきたり、大物アーティストから新人、無名アーティスト達の中から厳選された。



 エドは2001年末からアルバムを完成させた最近まで、世間から姿を消し、このアルバムのために、彼の時間全てを費やしてアルバムを制作していた。そりゃぁ、時にはミスティークやエリザベス・トロイのために楽曲を制作したり、デスティニーズ・チャイルドの「ブーティリシャス」の極上リミックスを作っていたのも事実ではあるけど。その上、時にはイビザ島やアヤナパ(註:キプロス島東側海岸に位置し、リゾート地としてクラバーの人気スポット)でDJとしてツアーをやっていたのも事実。それでも、それ以外の時間はじっとスタジオに籠もりっきりだったのだ。



 この作品だが、「全部自分だけで組み立てていった」と彼は断言する。「様々な異なるバックグラウンドを持つアーティストを一同に集めたんだ。無名のアーティストもたくさん参加してるよ」、そしてエドは続けて言った、「無名でも彼らはスターと同じレベルの才能を持ったアーティスト達、日の目を見るべきアーティスト達なんだ。彼らと共に作ったトラックは共通してインパクトある曲に仕上がったよ」。



 『エドズ・ゲストリスト』はUKガラージだけの枠を越えた世界へエド・ケイス本人を導くコラボレーション・アルバムである。彼は自らが認めた才能を持つアーティスト達を多方面から集める主導権を握っていた。前述のスキン、ミズ・ダイナマイト、UKソウル・ディーヴァであるエリザベス・トロイやアメリカのヒップホップ・グループ、スプークスのリード・シンガー、ミン・ジアが参加したり、ソー・ソリッド・クルーのハーヴィーに、ショーン・エスコフェリー、ミズ・ダイナマイトのビガー・ビーツの人気MC、スペシャリスト・モス、そしてオルタナティヴ・ロック・ディーヴァ、リパブリカのサフロンらがスタジオでヴォーカル・レコーディングをした。またファーハン・ハサンやプルートなどこれから活躍が期待される新人達も大々的にフィーチャーしている。



 エドのプロダクションは新鮮で、フィーチャーしているアーティスト達の多様性同様、一曲一曲が変化に富んだフレッシュなものが並んでいる。クラブ・オリエンテッドな楽曲の次にはソウルフルな曲や、MCをフィーチャリングしたラップ曲、リラックスできるチルな曲からオーケストラを導入した曲、インディー・ロック系の曲など表情はさまざま。リッチで個性的なインストはお約束通り、それらに癖になるベースラインにバンピンなビートが印象的だったり、うねるドラムにムーディーなギターを絡ませた曲があったり、重厚感あるストリングスとピアノを組み合わせた曲があったりする。それぞれ異なったテイストであっても、全曲を通じて魅力的なメロディーとフックは健在。それら全ての要素がこのユニークで驚きに満ちたアルバムを構成しているのである。



 エド・ケイスにとってここまでの道のりは決して短いものではなかった。1989年から90年へ移りゆく大晦日の夜、当時14歳であったウエスト・ロンドンの不良少年エドは12人の仲間達と共に1990年代の幕開けを楽しむため、スロウ(註:イギリスの南東に位置する街)で行われていたバイオロジー・レイヴへ繰り出したのである。「親を騙して行ったんだよ。朝までずっといたんだ、ママ達には近所のパーティーに行くなんて言ってね」とエドは想い出を語る。エドにとってこれがレイヴ初体験であったが、運のいいことに、そのパーティーこそ、UKでフリーで入場できた最後の、そして過去最大のウェアハウス・パーティーのひとつだった。カール・コックスらがレコードをスピンし、エドがラジオの海賊放送でその夏聴きまくっていたアンセムがかかりまくっていたのだ。「“Break for Love” “Baby Let Me Love You For The Night” “Strings Of Life” “Salsa House” そして“Sueno Latino”とかさ、全部もう知ってたんだよ、俺」



 兄貴が夏の間ずっとレイヴを楽しんでいたのを目の当たりにしていたエドは、当時すでにアシッド・ハウスのブームを体で感じていたのだ。「兄貴がエピング・フォレスト(註:エセックスにある街)で行われていたパーティーから20,000人のレイヴァー達をそのまま引き連れてきたのかと思うほど大騒ぎで帰ってきてたよ。それからパーティーのことを話してくれるんだ、もうあまりに壮大すぎる話で想像するだけでも大変だったよ」とエドが思いだしたように言う。





 当初はDJやプロデューサーになりたい、といったような野望を持っていたわけではなく、エドはただ、レイヴ・カルチャーにのめり込んでいったのだった。彼はまずミックス・テープを制作することに没頭し、そうしているうちにファン・シティという独創性に富んだハードコア・クラブでのDJ、そしてレイヴ・ステーションのファンタジーFMでの仕事をまだティーンエイジャーにもかかわらず、手に入れて、やり遂げたのである。「LTJブケムとグルーヴライダーの間の時間でプレイした時のことはよく覚えてるよ。もう信じられないことだったよ。だって俺はまだ16歳か17歳だったんだぜ」とエドは語る。彼はドラムンベースとも融合されていったレイヴ・シーンにもハマっていき、スパイラル・トライブ・パーティーでDJをするとき、キャッスル・モートンで踊ってるとき、女の子達がクラブから出ていこうとするときなどに、ガラージをかけまくってみたのだ。「それまではメロディーがなかったからさ、曲の違いを聞き分けるにはベースラインにひねりがあるか、ないかってことだけ、それでしか聞き分けられなかったんだよ」とエドは説明を加える。



 エドはブレイク寸前のガラージ・シーンにどんどんのめり込むようになり、クラブとラジオ双方で楽しめる音楽の価値を認めるようになったのだ。彼が子供の頃に学んだピアノのスキルと学校で学んだ音楽の知識、作曲のテクニックは、この新しいスタイルの音楽をプロデュースする際に役立っている。この芽の生えたばかりのサウンドをキャッチして、心惹かれながらも、彼のUKクラブ・ミュージックに関する豊富な知識が奏功し、彼は過去の過ちから学びとる力を自然に植えつけられていた。それから2年以上もの間、成功へ向けて着実に歩んできたのである。エドの最初のブレイクは極上の2ステップ・チューン、「サムシング・イン・ユア・アイズ」だ。この曲は今やDJの定番となっているが、これもシェリー・ネルソンのヴォーカルとザ・ドリーム・ティームの的確なサポートなしでは実現できなかったことであろう。そして、それからは様々な別名でアンセムを次々と作り出していった。



 彼自身も認めているが、彼には古くさいところもある。「俺はまだ26歳だけど、でもこの俺にはもう12年以上のダンス・ミュージックの経験が詰め込まれてるんだ」と語る。彼は恐らく我々が人生のうちで経験する以上のクラブを26歳にして回り、海賊放送によってメキメキと彼の名は広まっていったのだ。彼はイギリスのクラブ・カルチャーからパワーを培い、このアルバムを完成させたわけなのである。



 A&Rとしても活躍してきたエドは勿論小さいレーベルの利益計算の知識からクラシック・ハウスのコード進行までと、幅広い意味でのダンス・カルチャーを熟知している。彼はホットな新しいクラブについて教えてくれたり、ジャングルがどのようにダメになっていったかを懇々と語ってくれるだろう。また、彼は自宅でロンドンで最高のレコード・プレス工場のことを話すのと同じ感覚で、気軽に初期の頃のハウス・アンセムについて完璧に教えてもくれることだろう。ストリートの感覚を自然に身につけつつも、音楽に対して芸術至上主義を曲げない人間であり、イギリスのストリート・ライフを着実に映し出すことができる数少ない人間でもある。『エドズ・ゲストリスト』を完成させた今、彼自身は「このアルバムを俺がプロデュースしたのも事実、曲を書いたのも事実、ほとんどの曲のゲストを選んだのも僕自身であることも事実。しかし、最終的には俺自身が詰まってるってだけなんだよ、エド・ケイスだけがさ」と語る。



 そして、今夜、エドが彼自身の世界へ君を導いてくれることだろう。彼のスタジオで起こった今年最高のハイライト、音楽に人生を賭けて得た頂点の座。君の名前もゲストリストに控えてある。さぁ、エドの世界へようこそ!



アレックス・レイナー