ドノヴァン

ドノヴァン(本名ドノヴァン・フィリップス・ライチ、1946年5月10日生)は、1960年代後半から70年代前半の英米の音楽シーンがフラワー・ムーヴメントやサイケデリアで高揚していた時代に、ボブ・ディランらとフォーク・ロックの創成期を担い、その独特のサイケデリックな音楽スタイルで絶大なる人気を誇り、唯一無二の存在感を発揮していたシンガーソングライター。80年代以降大きくロック・シーンがパンク・ニューウェイヴやオルタナティヴ・ロックに地殻変動していく中、商業的には往年のような成功は遂げられていないものの、その音楽スタイルと創作に向けての信条は変わらず、デビューから半世紀以上経つ今もマイペースの活動を続けているロック・レジェンドの一人だ。

 スコットランドはグラスゴー、メリーヒルでフォーク・ミュージック好きの家庭に生まれたドノヴァンは、イングランドのハットフィールドに引っ越した14歳の頃からギターを弾きはじめ、入学していたアートスクールを中退して既にライブ活動を行っていた。18歳の頃、ロンドンのパイ・レコードと契約し、翌1965年にはデビュー・アルバム『ドノヴァン*話題のフォーク・シンガー』とセカンド・アルバム『ドノヴァンのおとぎ話』を相次いでリリース。この頃はウディ・ガスリーや、ランブリン・ジャック・エリオットら伝統的フォーク・ミュージシャン達に影響を受けたフォーク・ミュージック作品が主で、当時イギリスでも人気を集めていたボブ・ディランがドノヴァンと同じミュージシャン達に影響されたスタイルだったこともあり、この二人は事あることに比較されて評判になっていたという。デビュー・シングル「キャッチ・ザ・ウィンド」も英米でヒット、まずまずのキャリア・スタートを切ったドノヴァンであった。

 3枚目のアルバム『サンシャイン・スーパーマン』からは、60年代UKポップシーンでアニマルズやルルなど、数々のスターを世に出していた有名プロデューサー、ミッキー・モストと組んで、コロンビアと契約。当時コロンビア副社長であった、音楽シーンの大立者クライブ・デイヴィスが制作やプロモーションに密接にからんだことや、そしてそれまでの伝統的フォークのスタイルを脱ぎ捨ててサイケデリックな曲調の同名シングルがアメリカでナンバーワンになったこともあり、一気にドノヴァンに対する英米での人気が沸騰した。新しいサイケデリックな音楽スタイルが、当時アメリカで勃興していたフラワー・ムーヴメントともシンクロしたことも当時の大きな人気の要因で、この時期の彼のサイケデリックでジャズやワールド・ミュージックの要素なども持った独得の楽曲スタイルは、60年代後半のビートルズの傑作『サージェント・ペッパーズ』やローリング・ストーンズの『サタニック・マジェスティーズ』などのアルバムにも大きな影響を与えたものと思われる。

 60年代を通じてミッキー・モストとのコンビで『メロー・イエロー』『ハーディー・ガーディー・マン』『バラバジャガ』とヒットシングルとアルバムを連発。これらのアルバムの多くの曲のバックには60年代後半に登場、70年代前半にかけて英米のロック・シーンに君臨したレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが参加していた。「サンシャイン・スーパーマン」に続いて全米2位の大ヒットとなった「メロー・イエロー」はジョン・ポール・ジョーンズがアレンジし、ポール・マッカートニーがバックボーカルを務めるという豪華さ。60年代当時既にイギリスでは大ギタリストだったジェフ・ベックも当時ミッキー・モストのマネジメント下だった関係で『バラバジャガ』で同じバンドのベースのロン・ウッド(後にローリング・ストーンズ)と共にドノヴァンのバックを務めている。

 この時期英米のレコード会社の契約上の問題で、ドノヴァンの作品は本国イギリスよりもアメリカでのリリースが優先されていた関係で、こうしたアルバムもイギリスではリリースが遅れたり、UK盤に収録されない曲があったりなどの理由から商業的にはイギリスでは今一つ振るわなかったが、アメリカでの人気は圧倒的なものがあった。1967年リリースのシングル「霧のマウンテン」は、1970年代初頭のアメリカを代表するサザン・ブルース・ロック・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンドがその後ライブでは20分以上に及ぶインスト・ジャムを展開する代表的ナンバー「Mountain Jam」のベースになるなど、アメリカのミュージシャン達にも大きな影響を与えていたし、当時ポップ・ロック系のアルバムとしては珍しい2枚組のボックスセットとしてリリースされた『ドノヴァンの贈り物/夢の花園より』(1968)も全米アルバムチャートのトップ20入りするなどの成功を収めた。

 そんな人気沸騰の中、当時のビートルズのメンバー達同様、インド思想に興味を持ったドノヴァンは、1968年にビートルズの4人や女優のミア・ファロー、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴらと共に、インドのリシーケシにあった、当時ビートルズのメンバー達が師としていたマハリシ・マへーシュ・ヨーギー師の寺院を訪れて後に現在に至るまで傾倒し続けることになる超越瞑想に没頭していた。このインド訪問は滞在中にジョンが「マハリシがペテン師であることに気が付き訣別を決心した」ことで有名だが、ここでドノヴァンはポールやジョンにギターの特殊なフィンガーピッキング奏法を伝授。そのテクニックは後にビートルズの『ホワイト・アルバム』(1968) 収録の「Julia」でジョンが、そして「Blackbird」でポールが使って演奏、当時のドノヴァンの影響力を改めて物語るエピソードとなっている。

 当時のドノヴァンのロック・シーンへの影響力を物語るエピソードは他にもある。ドノヴァン3曲目の全米トップ5ヒットとなった「ハーディ・ガーディ・マン」(1968)は当時英米で人気のあったクリームやジミ・ヘンドリックスらのヘヴィーでサイケデリックなロック・スタイルを採り入れたシングルだったが、この曲のバックにジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズそして故ジョン・ボナムが参加していたことから、このセッションがその同じ年のレッド・ツェッペリンの結成のきっかけになったかもしれない、とドノヴァン自身が語っているのだ。

 このように1960年代終盤に絶大なるシーンへの影響力と商業的な成功を収めていたドノヴァンだったが、1969年LAでのセッション中の口論が原因で、ミッキー・モストと袂を分かち、ミッキーの重厚なプロデュース・スタイルと一線を画したバンド・サウンドによるアルバム『オープン・ロード』(1970) をリリース。英米でそれなりのヒットとなるが、70年代に入って新しいロック・アーティスト達が相次いで台頭する中、60年代に圧倒的な存在感を示していたドノヴァンの影響力や商業的な成功には陰りが見え始めてきた。同年、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの元彼女で、デビュー当時からのガールフレンドだったリンダ・ローレンスと結婚したドノヴァンは、翌年UKの高い税率を嫌って18ヶ月に亘って日本を始め海外各国で過ごしたが1973年に帰国、ミッキー・モストと再びタッグを組んだアルバム『コズミック・ホイールズ』をリリース。しかし結局英米でトップ30を記録したこのアルバムが現在に至るまで彼にとってのチャート的なヒットとなった最後のアルバムとなっている。

 これ以降の1970年代もコンスタントにアルバムをリリースしながら、アリス・クーパーと共演したりイエスの『究極(Going For The One)』(1977)ツアーのオープニング・アクトとして活動しながら1977年にはミッキー・モストとの最後の共同制作となったアルバム『旅立ち』をリリースするなど、精力的な活動を続けていたが、折から音楽シーンはパンクやニューウェイヴが台頭している中、もはや60年代ヒッピー・カルチャーを代表するような彼のスタイルが商業的に受け入れられることはなかった。

 そして1980年代に入ると続けざまに3枚のアルバムをリリースする一方、1981年アムネスティ・インターナショナルが主催したチャリティ・コンサート「シークレット・ポリスマンズ・アザー・ボール」にスティングやボブ・ゲルドフ、エリック・クラプトン、ボブ・ディランらと出演したりしていたがメインストリームの成功を収めることはなく、ドノヴァンは80年代半ばまでには過去のアーティストとしてシーンの一線で脚光を浴びることは少なくなっていった。

 その後ドノヴァンは10年ほどは新作を発表することはなかったが、90年代CDの登場と共にこれまでアナログのみのリリースだった彼の作品をCD化しようという動きが起こり、1992年にソニーグループのエピック・レーベルからリリースされた2枚組CDベスト盤ボックス『Troubadour: The Definitive Collection 1964-1976』は昔のファンだけでなく、若い音楽ファンにもドノヴァンの作品を紹介する結果となった。これを受けて、当時カントリーの大御所、ジョニー・キャッシュをシンプルながら新たなアプローチで復活ヒットさせていた名プロデューサー、リック・ルービンの誘いで、彼のプロデュースによる12年ぶりのオリジナル・アルバム『スートラ〜教典』(1996) をリリース。しかしこれもジョニー・キャッシュ作品のようなヒットにはつながらず、これ以降ドノヴァンはメジャー・レーベルとの契約を離れ、新たに立ち上げた自らのレーベル「ドノヴァン・ディスクス」からの地道でマイペースな、気の向くままの創作活動を続けることになる。自らがハメルンの笛吹きを演じた1972年の映画『ハメルンの笛吹き』を題材にした子供向けの作品『Pied Piper』(2002)、過去の未発表音源集『Sixty Four』(2004)、1972年に書いた映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン』向けの楽曲のiTune向け限定リリースの『Brother Sun, Sister Moon』(2005)、更にはカリプソ歌手のハリー・ベラフォンテのトリビュート盤『Jump In The Line』(2019)などをリリースする一方、2005年には自らの半生を綴った自伝『ハーディ・ガーディ・マン(The Hurdy Gurdy Man)』を出版するなど、マルチな活動を展開。一方、60年代以来傾倒しているマハリシの超越瞑想を普及させるために同じくマハリシの支持者である映画監督のデヴィッド・リンチと活動を共にするなど、未だに変わらぬヒッピー魂を持ち続けているようだ。それでもそうした彼に対してリバイバル的な再評価の静かな気運は起こってきており、ドノヴァンは2012年にはロックの殿堂入りを果たしている。

 昨年リリースされた最新作『Gaelia (The Sulan Sessions)』(2022)ではピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアらをバックに、シンプルなトラッド・フォークスタイルの楽曲を聴かせており、彼の音楽スタイルの根本的なところが数々のデケイドを通過してもぶれることなく、一貫していることを改めて再認識させてくれる。時代を経ても60年代に神秘的に光り輝いていたドノヴァンであり続けているドノヴァンは、そのスタイルとマイペースの活動を今後も続けていくのだろう。

 

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)

1.主なアルバム

1965年  『ドノヴァン*話題のフォーク・シンガー(What’s Bin Did And What’s Bin Hid (UK) / Catch The Wind (US))』 (Pye / Hickory) – US 30位、UK 3位

              『ドノヴァンのおとぎ話(Fairytale)』(Pye / Hickory) – US 85位、UK 20位

1966年  『サンシャイン・スーパーマン(Sunshine Superman)』(Epic) – US 11位、UK 25位

              『The Real Donovan』(コンピレーション盤)(Hickory) – US 96位

1967年  『メロー・イエロー(Mellow Yellow)』(Epic) – US 14位

              『ウェア・ユア・ラヴ・ライク・ヘヴン(Wear Your Love Like Heaven)』(Epic) – US 60位

              『Universal Soldier』(コンピレーション盤)(Marble Arch) – UK 5位

1968年  『ドノヴァンの贈り物/夢の花園より(A Gift From A Flower To A Garden)』(Pye / Epic) – US 19位(ゴールド)

              『フォー・リトル・ワンズ(For Little Ones)』(子供向けの作品)(Epic) – US 185位

              『Like It Is, Was, And Evermore Shall Be』(コンピレーション盤) (Hickory) – US 177位

              『ドノヴァン・イン・コンサート(Donovan In Concert)』(ライブ盤)(Epic) – US 18位

              『ハーディー・ガーディー・マン(The Hurdy Gurdy Man)』(Epic) – US 20位

1969年  『グレイテスト・ヒッツ(Donovan’s Greatest Hits)』(ベスト盤)(Epic) – US 4位(プラチナ)

『バラバジャガ(Barabajagal)』(Epic) – US 23位

『The Best Of Donovan』(ベスト盤)(Hickory) – US 135位

1970年  『オープン・ロード(Open Road)』(Dawn / Epic) - US 16位、UK 30位

              『ドノヴァンの夢の世界(Donovan P. Leitch)』(ベスト盤)(Janus)- US 128位

              『ドノバンのすべて(All About Donovan)』(日本のみベスト盤)(CBS/Sony)

1971年  『HMS Donovan』(Dawn) (子供向けの作品)

1973年  『コズミック・ホイールズ(Cosmic Wheels)』(Epic) – US 25位、UK 15位

              『エッセンス(Essence To Essence)』(Epic) – US 174位

              『ライヴ・イン・ジャパン:スプリング・ツアー1973(Live In Japan: Spring Tour 1973)』(ライブ盤、日本のみリリース)(Epic)

1974年  『セブンティーズ(70年代)(7-Tease)』(Epic) – US 135位

1976年  『Slow Down World』(Epic)– US 174位

1977年  『旅立ち(Donovan)』(Rak / Arista)

1980年  『Neutronica』 (Barclay / RCA)

1983年  『Love Is Only Feeling』 (RCA)

1984年  『Lady Of The Stars』(RCA / Allegiance)

1990年  『Rising』(ライブ盤)(Permanent)

1992年  『Troubadour: The Definitive Collection 1964-1976』(2枚組CDボックスセット)(Epic / Legacy)

1996年  『スートラ〜教典(Sutras)』(American)

2001年  『ライジング・アゲイン(Rising Again)』(ライブ盤)(Pilot)

              『Greatest Hits Live: Vancouver 1986』(ライブ盤)(Varese Sarabande)

2002年  『Pied Piper』(子供向けの作品)(Rhino / Donovan Discs)

2004年  『Sixty Four』(1964年のデモ音源集)(Donovan Discs)

              『Beat Cafe』(Appleseed)

              『エッセンシャル・ドノヴァン(The Essential Donovan)』(ベスト盤)(Epic / Legacy)

2005年  『Brother Sun, Sister Moon』(1972年の同名映画向け楽曲の再録、iTuneミュージック・ストア限定リリース) (Donovan Discs)

              『Try For The Sun: The Journey Of Donovan』(3枚組CDボックスセット)(Epic / Legacy)

2006年  『The Best Of Donovan: Sunshine Superman』(UKのみベスト盤)(Parlophone)- (UK シルバー)

2008年  『プレイリスト:ヴェリー・ベスト・オブ・ドノヴァン(Playlist: The Very Best Of Donovan)』(ベスト盤)(Epic / Legacy)

2010年  『Ritual Groove』(Donovan Discs)

2013年  『Shadows Of Blue』(Treasure Isle)

2019年  『Eco-Song』(過去作品のうち気候変動に関する楽曲のコンピレーション)(Donovan Discs)

              『Jump In The Line』(ハリー・ベラフォンテへのトリビュート盤)(Donovan Discs)

2022年  『Gaelia (The Sulan Sessions)』(Donovan Discs)

 

2,主なシングル

1965年    「キャッチ・ザ・ウィンド(Catch The Wind)」- US 23位、UK 4位

                 「カラーズ(Colours)」- US 61位、UK 4位

                 「Universal Soldier」- US 53位

                 「Turquoise」- UK 30位

1966年    「サンシャイン・スーパーマン(Sunshine Superman)」- US 1位、UK 2位

                 「メロー・イエロー(Mellow Yellow)」- US 2位(ゴールド)、UK 8位

1967年    「狂人ロック(Epistle To Dippy)」- US 19位

                 「霧のマウンテン(There Is A Mountain)」- US 11位、UK 8位

                 「恋は天国(Wear Your Love Like Heaven)」- US 23位

1968年    「ジェニファー・ジュニパー(Jennifer Juniper)」- US 26位、UK 5位

                 「ハーディー・ガーディー・マン(Hurdy Gurdy Man)」- US 5位、UK 4位

                 「Lalena」- US 33位

                 「幻のアトランティス(Atlantis)」- US 7位、UK 23位

                 「西海岸で待っているスーザンに(To Susan On The West Coast, Waiting)」- US 35位

1969年    「バラバジャガ(Barabajagal)」(ジェフ・ベックとの共演)- US 36位、UK 12位

1970年    「リキ・ティキ・タビ(Riki Tiki Tavi)」- US 55位

1971年    「Celia Of The Seals」- US 84位

1973年    「I Like You」- US 66位

 

*  USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはシルバー=6万枚、ゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2023年2月現在。