野村三郎氏によるNYC2014コンサートレポート
オーストリアでの視聴率、何と60%超え!
『バレンボイム、平和のためのコンサートで勝利を収める~音楽的にも、世界平和の希求の点でも充実の一言に尽きる。・・・ウィーン・フィルの類まれな音色を聴かせてくれた《平和の棕櫚》は当夜のハイライトの一つ。・・・《ディナミーデン》の解釈は輝かしい瞬間。』(『クーリエ』紙)
2014年のウィーン・フィル/ニューイヤー・コンサートは、巨匠バレンボイム2度目の登場となりました。ウィーン在住の音楽評論家・野村三郎氏によるレポートをお届けします。
平和を望むニューイヤー・コンサート~バレンボイム2度目の登場
オーストリア人はウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを聴かないと、新年を迎えた気分にならないらしい。いや放映される90カ国の病みつきになった人たちもそうかもしれない。わが国からも大勢の観客がやってくる。オーストリアでは何と視聴率が60%を上回った。今年の指揮者はダニエル・バレンボイム。イスラエルと周辺の若い音楽家を集めウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を作って平和活動を実践している彼は、今年が第1次世界大戦が始まって100周年を迎えることを念頭に、曲目の選定に加わった。
盛大な拍手に迎えられてバレンボイムが指揮台に上がると、《喜歌劇「美しきエレーヌ」によるカドリーユ》(エドゥアルト・シュトラウス)の景気のいい出だしが始まる。カドリーユのメロディで往時の着飾った上流階級の人々が、列をなしてエレガントに踊る様を姿を思い浮かべたいところ。次は打って変って流れるように静かなワルツ《平和の棕櫚》(ヨーゼフ・シュトラウス)。この作品にこそプロイセンに敗れたオーストリアへの平和の思いが込められている。続く軽やかな《カロリーネ・ギャロップ》(ヨハン・シュトラウス1世)は、皇后カロリーネ記念の門が作られ、川に橋が掛けられたことに因む。異国情緒たっぷりの出だしの《エジプト行進曲》(ヨハン2世)では団員の歌う「らーらー」というメロディが聞こえる。バレンボイムはディヴァン管弦楽団を思い、この曲を選んだ。《もろびと手を取り》(ヨハン2世)のワルツはベートーヴェンの「第九」の合唱の詩がきっかけとなっている。第1部は《恋と踊りに夢中》という題名通り軽快なポルカ・シュネルで盛り上げ、締めくくられた。
生誕150年を迎えるリヒャルト・シュトラウスやドリーブの音楽も演奏
第2部はまず喜歌劇「くるまば草」序曲(ヨハン2世)。ホルンが森の雰囲気を醸し出し、ゆったりとしたメロディががフルート、ホルンで彩られる。最後はアッチェレランドして盛り上げて終わる。このいささか長い曲の後の短いギャロップ《ことこと回れ》は水車の描写。名曲《ウイーンの森の物語》が続く。曲の間にツィターが哀愁を帯びて奏でられ、これがいかにもウィーン風なのだ。ワルツのメロディーが流れると踊っている気分になっているのだろう、人の肩がかすかに揺れる。
ウィーン・フィルの初期、ヘルメスベルガー一家は3代続いてコンサートマスターを生み出した。その最後のヨーゼフは作曲、指揮もした。彼の《大好きな人》はフランス風ポルカで、どこかウィーン風と違う軽い清楚な曲。こういう曲の後はポルカ・シュネルの《花束》。ヨーゼフ・シュトラウスが造園協会会館に捧げた曲。アンダンテにの後のヴィヴァーチェといったところ。続く《月光の音楽》は今年生誕150周年を迎えるリヒャルト・シュトラウスへのオマージュ。彼の歌劇《カプリッチョ》のフィナーレに近くでそうされる。ナチズムの荒れ狂う中、古き良き時代にテーマを求め、「音楽が先か」「文学が先か」と一見時代離れした戯れを作曲した。
ヨーゼフ・ランナーはウィンナ・ワルツの先駆者であった。《ロマンティックな人々》はセンチメンタルな味わいを秘めた名曲。ポルカ・マズルカ《からかい》(ヨーゼフ)は東欧のマズルカを取り入れ、どこか農民風。《害のないいたずら》(ヨーゼフ)は謝肉祭の騒ぎを反映したような活気に満ちたポルカ・シュネル。
フランスのバレエの大家レオ・ドリーブは《ピツィカート》をバレエ音楽《シルヴィア》に用いた。シュトラウスの《ピツィカート・ポルカ》に影響されたらしい。ピツィカートは作品をおのずと典雅にする。ヨーゼフの《秘めたる引力》は別名《ディナミーデン》。この中にR・シュトラウスが《ばらの騎士》で引用した「mit mir私と一緒に」とオックス男爵が口ずさむメロディが隠されている。人の惹きあう力なのだろう。秘密めかした始まりから軽やかなワルツへ変化が楽しい。再びヨーゼフで《憂いもなく》はポルカ・シュネルの高揚した気分だ。途中で団員たちが「アッハッハ!アッハッハ!」と合いの手を入れ、最後も「アッハッハ!」と陽気に終わる。ところがこれを作曲していた頃ヨーゼフは死の病に見舞われつつあった。作品の表面からだけでは伺えない何ものかがあるものだ。ヨハン2世も死の直前まで髪を黒く染め、コルセットで背中はぴんと張って活動していた。ウィンナ・ワルツは表面的なエレガンスと陽気さだけでとらえてはいけない。もっと違うところにウイーン風の魅力が隠されているものだ。
指揮者のいない《ラデツキー行進曲》
アンコールは《カリエール(馬の疾走)》(ヨーゼフ)。その後は例年どおり、新年の挨拶に続いて《美しく青きドナウ》。新年の挨拶では、バレンボイムが小声で「私とウィーン・フィルは」と言って振り返ると、団員が大声で「新年おめでとう!」とやっていた。そして定番《美しく青きドナウ》。このワルツのリズム、思い入れこそウィーン・フィルならではのものだ。最後はお決まりの《ラデツキー行進曲》。バレンボイムは団員の間を握手して回り、手拍子をとる観客にはポイントで合図するだけ。この間、最後まで指揮は一切せず、この演出が「指揮者のいない《ラデツキー行進曲》」各新聞の見出しになっているほど。バレンボイムの演奏については前回の登場より高く評価されている。2009年は音楽が重かったが、今回は「オーケストラは好きに演奏すればいい」と話していた通り、指揮者が振り回さないでいる方がかえっていい結果となり、いい演奏に仕上がった。こうして2014年のウィーンは、ウィンナ・ワルツで明けたのである。
野村三郎(音楽評論家、ウィーン在住)
all photos by Terry Linke