シャーロット・ハザレイ
1979年6月20日ロンドン生まれ。アッシュ前の在籍バンドはNightnurse。「バンドのパワー・アップをはかるため」ギタリストを追加しようと新メンバーを探していたアッシュは、オーディションにやってきた当時17歳のシャーロット・ハザレイと運命的な出会いを果たす。彼女のギター・プレイを聴いて「この子しかいないとピンときた」というバンド側とはかなり温度差のあるシャーロットだったらしいが、めでたくバンドに加入する運びとなった。(彼女はこの当時の自分のことを「アッシュ?聞いたことあるけど、別に?って感じだったわ。“ガール・フロム・マーズ”は知ってるけどってくらいにしか思ってなかったのよね(笑)」と笑う。) 

バンドに最適な人材を迎えたアッシュは、当時の彼らが持っていたステイタスをより強力なものとすることに成功する。3人のティーンエイジャーが作り上げた、時代に名を刻む傑作デビュー・アルバム『1977』で全英初登場1位という完璧なデビューを果たしたアッシュだったが、90年代終わりのUKロックシーンの落ち着きとともにバンドとして若干停滞期を迎えていた。あえて言うならば“アッシュ最初で最後の混乱期”だったこの頃にシャーロットが加入し新風を吹き込んだことによって、バンドは次の段階へ登ることが可能になったのかもしれない。

サード・アルバムのレコーディングに入った時に、初めて「シャーロットを含めた4人が“バンド”として完全に機能した」と全員が認識したという。つまり、このときようやく「アッシュ」というバンドは完成したのだ。当時全員がこう口にしていた。「ティムがものすごい量の、ものすごい名曲を持ってきた。4人が信頼し合い、リラックスして、本当に充実したレコーディングをして、そして、初めて全員が納得した“アッシュのアルバム”が出来上がった。」 2001年にリリースしたサード・アルバム『フリー・オール・エンジェルズ』は、ポップ・ミュージック全盛だったイギリス国内の下馬評を覆し同週発売のジャネット・ジャクソン「オール・フォー・ユー」を押さえ、またしても全英チャート初登場1位を記録。インディ・レーベルのロック・バンド(=当時のアッシュのレーベルはインフェクシャス・レコーズ)によるこの快挙に「ロックがもたらした久々のヴィクトリー!」と英国国内騒然となった。アルバムはミリオンを売り上げ、2ndシングル「バーン・ベイビー・バーン」がその年の主要音楽賞を総なめ(ブリット、NME、Qアワード他で「最優秀楽曲賞」受賞)する。翌2002年には“バンド活動10周年”を記念してベスト・アルバムをリリース。このアルバムに収録された新曲「エンヴィ」(=実は『フリー・オール・エンジェルズ』のボツ楽曲)が、またもやNMEのシングル・オヴ・ザ・ウィークに輝く。

2004年、4作目となる『メルトダウン』をロサンゼルスの「Sound City Studios」にて、ニック・ラスクリネクスをプロデューサーに迎えてレコーディング。アルバムは、全編に渡り「もの凄いリフ」&「アッシュ節炸裂泣きのキラー・メロ」で埋めつくされ、時にヘヴィーに時にグラマラスに響き渡った。より激しく、より重く、そしてより力強くなったアッシュは圧倒的な存在感とともに改めて不動の人気を確立する。時代や流行に左右されず、ファンからの絶対的な支持を勝ち取り、自分達の居場所を強力に築き、ライヴでの大合唱が全曲で起こる国民的バンド アッシュの、この輝ける地位を築くにいたった重要な要素---バンドとしてのターニング・ポイントが、シャーロットの加入だったのはもはや誰の目にも明らかだ。

2004年の8月には彼ら自身2度目のフジ・ロック来日を果たした。レッド・マーキーのヘッドライナーを勉めた彼らだったが、この日入場には規制がかかりテントからは人があふれ出した。ライヴ・パフォーマンスでも格段に成長した姿は10年以上前からのファンの度肝を抜いた。2005年1月には単独ツアーで再び来日。東京、大阪、名古屋、福岡、広島公演を圧巻ライブにて成功させた。