シャルロット・チャーチ
シャルロット・チャーチはウェールズ生まれの15歳(1986年2月21日生まれ)。まだどこかあどけなさの残る笑顔が魅力的なこの美声の持ち主は、1998年11月9日に聖歌やケルトの歌などを取り上げたデビュー・アルバム『天使の歌声(VOICE OF AN ANGEL)』をイギリスでリリース。発売と同時にこの作品には話題が集中、なんと全英アルバム・チャートのトップ40に初登場24位でランクイン、その翌週には史上最年少記録としてギネスブックにも認定された4位を達成、また同じくクラシック・チャートでは初登場で『バック・トゥ・タイタニック』を押しのけて1位に輝くという鮮烈なデビューを飾った。

彗星のように現れたこのシンデレラ・ガールに、イギリス中がたちまち一目惚れをしてしまった。数々のテレビ番組に出演、新聞の表紙などに登場して話題をさらったシャーロットのアルバムはその後も記録的セールスを続け、発売後わずか5週間でダブル・プラチナム(60万枚)を達成する。また、国民的イベントであるチャールズ皇太子の50歳の誕生日の記念式典や、ローマ法王を迎えて行われたイベント"クリスマス・イン・ザ・ヴァチカン"などにも出演してその美声を披露している。



ウェールズのカーディフで生まれたシャルロットは3歳半の時に初めて人前で歌を歌った。海辺のホリデイ・キャンプで従姉妹たちと一緒に「ゴーストバスターズ」を歌った彼女はその時の体験が忘れられず、それから歌手を夢見るようになる。シャルロットの家ではいつも音楽が響いていたという。ウェールズという土地柄もあるのだろうが、親戚にも音楽、特に歌に真剣に取り組んでいた人が多かったそうで、週末には近所のパブなどでみんなで歌っていたという。

シャルロットが9歳の時、クラブ歌手であった叔母がその歌声の持つ潜在的な可能性に気が付き、彼女の助言に基づき、シャルロットはちゃんとしたヴォーカル・レッスンを開始することになる。

本格的に歌を習い始めたシャルロットは、その飲み込みの速さで歌の先生を驚かせる。そんなシャルロットに最初の転機が訪れたのは10歳の時だった。テレビの視聴者参加型オーディション番組を見ていたシャルロットは番組終了後にそのプロデューサーに電話をかけ、電話越しに一曲歌ってただちに出演を認められる。番組で聴衆から大喝采を浴びたシャルロットはその数ヶ月後、叔母のキャロラインを"Big, Big Talent Show"というテレビ番組で紹介する役割を担い、そこで司会者にアンドリュー・ロイド・ウェバーの「ピエ・イエズ」の一節を歌ってくれないかと請われる。これがきっかけとなって、その後シャルロットは様々なテレビ番組に顔を出すようになる。評判は評判を呼び、そして彼女が出演した番組のビデオを見たソニー・ミュージック・UKの会長、ポール・バーガーの目にその才能が止まった。

ソニー・ミュージック・カナダ時代にあの世界的歌姫、セリーヌ・ディオンを育て上げた人物として知られるバーガーと対面したシャルロットは、彼のオフィスで歌を披露した。その声の素晴らしさ、そしてその誰にでも愛されるキャラクターに感激したバーガーは、迷うことなくその場で契約を決意したそうだ。1997年の8月のことだった。

1999年の1月14日には全世界発売に向けてのショーケースがローマのイギリス大使館で開かれ、ヨーロッパ各国はもちろん、アメリカ、日本、アルゼンチン、ブラジルなど世界各国から200人以上ものメディア関係者が集まり、彗星のように現れたこの天使の歌声に酔いしれた。1月26日にはニューヨークでも同様のショーケースが行われ、全米のメディアにもシャルロットという新星の存在を強烈にアピールしたのだった。そして2月に世界各国で相次いでリリースされたアルバムは各国でチャート上位にランクインを果たし、シャルロットのもとには世界中から取材依頼が殺到するようになった。

3月2日にはロンドンのブリクストン・アカデミーで初の本格的なコンサートを行い(この模様は後にビデオ作品として発売になる)、その翌週、3月9日に全米の音楽業界関係者が集まったラスベガスのNARMコンベンションでパフォーマンスを披露したシャルロットは異例のスタンディング・オベーションを受け、そして3月16日にアメリカで発売されたアルバムは全米チャートに初登場28位でランクイン、発売後わずか2週間で50万枚を突破してゴールド・ディスクを獲得するという前代未聞の快挙(クラシックのアーティストとしては史上最年少記録)を成し遂げる。アメリカではテレビ各局の看板番組に軒並み出演を果たし、6月にはクリントン大統領夫妻の前で歌を披露するなどシャルロット旋風の勢いはとどまるところを知らない。

4月にはプロモーションのための初来日を果たし、東京・麻布の米荘閣で行われたショーケースでその美声を披露して日本のメディアを大いに沸かせた。厳しい取材スケジュールの傍らで見せる少女らしい明るさはどこへ行っても周囲の笑顔を引き出していた。現在までに日本国内のセールスは25万枚と、クラシックの新人歌手としては例を見ないセールスを記録、数々の新記録を打ち立てつつある。その後、本国に戻ったシャルロットは5月に、ウェールズ国民議会の式典でエリザベス女王の前で歌声を披露している。

1999年夏には、創業100周年を迎える森永製菓の100周年記念キャンペーンのイメージ・キャラクターに選ばれ、彼女をフィーチャーしたTV−CMが日本のお茶の間に登場した。



シャルロットのセカンド・アルバム『シャルロット・チャーチ』は1999年11月中旬に全世界で発売され、瞬く間にスマッシュ・ヒットを記録した。アルバムの冒頭を飾る「ジャスト・ウェーヴ・ハロー」はシャルロットが初めて正統的なクラシック作品から逸脱した曲で、プロデュースを手がけているのはかのトレヴァー・ホーン。この曲は、新たなるミレニアムを迎えるに当たっての米フォード社による全世界規模でのキャンペーンに使われる"ミレニアム・アンセム"として抜擢され、テレビ・スポットが世界各国で放映された。

翌年2月には2度目のプロモーション来日が実現。テレビ出演などの傍ら、2月14日のバレンタイン・デーには東京・お台場のヴィーナスフォートで"ヴィーナスフォートが選ぶ2000年ミレニアム愛の天使"の記念式典が行われるなど、初めて日本のファンの前でその美声を披露した。

5月にはイギリス版グラミー賞とでも呼ぶべきBRITSアウォードが初めてクラシック部門を設立、そこで記念すべき第1回のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得している。

そして7月。シャルロットはサード・アルバムの制作に入る。スタジオは前回と同じロンドンのエア・スタジオ。スタジオ内をクリスマス風に飾り立て、雰囲気を出しながらシャルロットは選りすぐりのクリスマス・ソングをレコーディングしていく。

2週間のレコーディングの後にはジャケット用のフォト・セッション、そしてイスラエルにいってテレビ用ドキュメンタリー番組の撮影に突入する(この模様はビデオ作品としても発売予定)。エルサレムではダビデの塔の中庭でコンサートを行い、聖地にその歌声を響かせた。

発売直後月にはハリウッド・レポーター誌が選ぶ第5回"ヤングスター・アウォード"のベスト・ヤング・アーティスト(音楽部門)も受賞、その他には今度のアルバムのアメリカ版ジャケットを手がけている天才画家のアマンダ・ダンバーと一緒に新しいチャリティも立ち上げている。

シャルロットのサード・アルバム『ドリーム・ア・ドリーム』は2000年の10月にはアメリカで、そして11月20日にはヨーロッパを始めとする各国でリリースされた。クリスマス・ソングばかりを集めたこの作品はシャルロットの持つあどけない華やかさが実に心地よく、世界各国でまたもやヒットを記録。特に、カントリー界に出現した天才少年、ビリー・ギルマンとのデュエットはフォーレの「パヴァーヌ」を下敷きにした美しいポップ・ソングに仕上がっており、シャルロットのさらなる可能性を感じさせた。

2000年の12月にはクリスマスで行われたイベント“クリスマス・イン・ウィーン”に特別ゲストとして参加、プラシド・ドミンゴ、ヴァネッサ・ウィリアムズ、トニー・ベネットなどといった錚々たる顔ぶれのアーティストたちと共演を果たしている。

そして2001年。学業がますます忙しくなる一方、シャルロットは10月に最新作となるアルバム『エンチャントメント』を発表。これまでの路線を踏襲しながらもよりポピュラー寄りのアプローチを取ったまさに意欲作。自分の居る場所に決して満足することなく、さらに前進を続けるシャルロットの、魅力のすべてが溢れるアルバムだった。

サティの名曲「ジムノペディ」に歌詞をつけた「フロム・マイ・ファースト・モーメント」や、フィリッパ・ジョルダーノの歌でも有名なビゼーのアリア「ハバネラ」や英国の伝承歌「リトル・ホーセズ」にフラメンコ・ギターや南米風リズムを持ち込んだりと、非常に多種多様な音楽から要素を自分の世界に持ち込んでいる。

「このアルバムはこれまでの作品とはまったく違うの」とシャルロットは説明する。「いろんなことを試してみたかったけど、その一方で私の音楽に慣れ親しんだ人たちの期待を裏切りたくはなかったの」。

結果、美しいケルト民謡「カリックファーガス」やジャズ風の「キャント・ヘルプ・ラヴィン・ダット・マン」、さらにはブロードウェイの名曲「バリ・ハイ」や「トゥナイト」に至るまで、シャルロットの豊かな声がたっぷりと響き渡るアルバムに仕上がっている。それ以外にも「パパ、私の声が聞こえる?」や「ア・ビット・オブ・アース」など、シャルロットの表現力の豊かさも存分に味わえる。

もう一つ今作で注目すべきなのは、プロデュースにアメリカ・ポップス界で活躍中のキース・トーマスを迎えたこと。これまでにヴァネッサ・ウィリアムズ、エイミー・グラント、レジーナ・ベル、98°などを手がけてきた、歌い手を手がけさせたら天下一品の名プロデューサー。98年にはグラミー賞候補にもなっている実力派がシャルロットの新境地を引き出す。

さらに1曲、ホイットニー・ヒューストンの「ボディガード」やセリーヌ・ディオンの一連の作品で知られるアメリカ音楽界最高のヒットメイカー、デヴィッド・フォスターが、伝説のシンガー・ソングライター、キャロル・ベイヤー・セイガーとの共作曲「ザ・プレイヤー」で特別にプロデュースを手がけており、いよいよ世界的スターへの道を歩み始めていることを予感させる。

さらに同年の秋には「スノーマン」などのアニメーション作品で知られるレイモンド・ブリッグスの新作『The Bear くまさん』の歌を全面的に担当したり、ラッセル・クロウ主演の新作映画『Beautiful Mind』のサウンドトラックに参加、様々な分野で精力的な活動を続けている。