初回限定ボーナスDVD付き*日本語歌詞字幕付き
初回のみ超強力なボーナスDVD付。
1984年作名盤『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』全曲再現ライヴを全12曲分まるまるコンプリート収録。2013年6月30日ロンドンの Queen Elizabeth Olympic Parkにて行なわれた「Hard Rock Calling」で突然行なわれた超貴重なライヴ映像。2014年は名盤『ボーン・イン・ザU.S.A.』が発売された1984年からちょうど30周年となる。この作品はUSのみで1500万枚、全世界で3000万枚と記録的なセールスをあげたモンスター・アルバムであり、かつ様々な意味で誤解された名盤。日本盤DVDには歌詞の日本語字幕を入れて、素晴らしいライヴ映像とともにこの作品が持つ「意味合い」を再検証していただけるようにしています。
ボーナスDVD内容(初回プレス分のみ付属)
BRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BAND BORN IN THE U.S.A LIVE LONDON 2013
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』全曲再現ライヴ
- Born In The U.S.A.ボーン・イン・ザ・U.S.A.
- Cover Meカヴァー・ミー
- Darlington Countyダーリントン・カウンティ
- Working On The Highwayワーキング・オン・ザ・ハイウェイ
- Downbound Trainダウンバウンド・トレイン
- I'm On Fireアイム・オン・ファイアv
- No Surrenderノー・サレンダー
- Bobby Jeanボビー・ジーン
- I'm Goin' Downアイム・ゴーイン・ダウン
- Glory Daysグローリィ・デイズ
- Dancing In The Darkダンシン・イン・ザ・ダーク
- My Hometownマイ・ホームタウン
ボスからのたまらないプレゼント!!
当初アナウンスされていなかったが急遽初回版にボーナスDVDが付くことに!それもこれまでにない超強力盤!アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』の全曲再現ライヴ映像が収録されることが決定!
2014年は『ボーン・イン・ザ・USA』発売から30周年。その記念すべき年にファン感涙の素晴らしいプレゼントが届けられた。2013年6月30日にロンドンのクイーン・エリザベス・オリンピック・パークで行われた「ハード・ロック・コーリング」コンサートより、アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』の全曲再現ライヴ映像。これは何の予告もなしにコンサートの中盤で突如アナウンスされ、アルバム全曲12曲を演奏。その模様をまるまる収録したライヴDVD。
史上稀にみる誤解された名曲「BORN IN THE USA」
ベトナム帰還兵の悲哀を描いた歌であるにもかかわらず、ライヴやビデオで拳を突き上げて〝Born In The USA”と力強く歌うそのイメージでこの曲を今でも愛国歌と勘違いしてる人は今もなお多い(とくに日本では多いかもしれない)。時のレーガン大統領も勘違いして選挙キャンペーンに使用し、的外れな発言をしたことにブルース側が激怒して抗議したという話も有名である。『日本盤のみ対訳の歌詞字幕を入れているので、素晴らしいライヴ映像とともにこの作品が持つ「意味合い」を再検証して、誤解を修正してほしい。
ブルースのライヴの最高に楽しい瞬間も随所に登場。
「学校よりも、3分間のレコードから多くを学んだ。」というロックンロールの名言としても語り継がれる歌詞の「ノー・サレンダー」から「ボビー・ジーン」への流れは誰もが、友情、絆、大切な何かをブルースとEストリート・バンドを通して感じるだろうし、「アイム・ゴーイン・ダウン」「グローリィ・デイズ 」でのロックン・ロールの究極の楽しさ、一体感を感じるだろう。
「ダンシン・イン・ザ・ダーク 」 ではお母さんのアデレと写真家の妹パメラまで登場!ステージで一緒にダンスするところなどは、見たら絶対みんな笑顔になるはず。
改めて『ボーン・イン・ザ・USA』は本当になんて凄い、素晴らしいアルバムなんだろう!と思う。こうして映像とともに歌詞を見ながら見るとなおさら心にぐっと突き刺さる。その当時のアメリカの時代背景、社会、労働者階級の人々の「ふつう」の生活、人生を見事に描き出している。ブルースの視点はデビュー以来まったくぶれていないこともわかる。その当時も新作『HIGH HOPES』も庶民や社会の底辺の人々への視点、生きていく上での喜び、苦悩、葛藤、そして社会が抱える様々な矛盾、問題・・・歌い続けることで人々に「何か」を気付かせる。
ブルース・スプリングスティーンによるライナーノーツ
過去10年からの俺たちの最高の未発表作品の幾つかを集めたレコードに取り組んでいたとき、(オーストラリア・ツアーの間スティーヴの代役を務めた)トム・モレロがライヴの演奏曲目に「ハイ・ホープス」を加えた方がいいと提案してくれた。「ハイ・ホープス」はLAを拠点にしていたバンド、ハヴァリナズのティム・スコット・マコネルズの曲で、俺は90年代に一度録音していた。オーストラリア・ツアー中のリハーサルで練習して、トムはその曲で会場を熱狂させることになった。俺たちはツアーの途中でシドニーのスタジオ301でその曲を再録音した。同じセッションでお気に入りのオーストラリアの初期のパンク・バンドのひとつ、ザ・セインツの曲「ジャスト・ライク・ファイア・ウッド」も録音した(彼らの「アイム・ストランデッド」も聴いてみてほしい)。トムと彼のギターは俺の詩神になって、このプロジェクトの残りをもう一段高い水準にまで押し上げてくれた。インスピレーションをありがとう、トム。
これらの内の一部、「アメリカン・スキン」と「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」はライヴ・ヴァージョンでみんなも親しみがあるだろう。俺はこれらが自分のソングライティングの最高のものに挙げられるので、それにふさわしいスタジオ録音版を残す価値があると感じた。「ザ・ウォール」はライヴで数回演奏したことのある曲だけど、個人的にずっととても大事な曲だ。曲名と着想はジョー・グルシェキーのもので、その後パティと俺が首都ワシントンのベトナム戦争戦没者慰霊碑を訪れた後に曲が浮かんだ。インスピレーションになったのは、ウォルター・ショーンの思い出だ。ウォルターはジャージー沿岸地方の最初の素晴らしいロッカーのひとりで、(俺の若いときのギターの師匠のひとりだった)弟のレイと一緒に「モティーフス」を率いていた。モティーフスは地元のロック・バンドの中でどのバンドよりも頭ひとつ抜けた存在だった。荒々しく、セクシーで、反抗的で、彼らは自分もそうなりたいと強く願わせるヒーローたちだった。でも、彼らは実際に会って、話しかけ、音楽についての質問をできるヒーローたちだったんだ。クールなんだけど、いつだって近づきやすかった。彼らは俺にとってのインスピレーションだったし、60年代にニュージャージー州中部で演奏活動していた多くの若いミュージシャンにとってそうだった。「ザ・ウォール」の主人公は海兵隊員だけど、現実のウォルターは陸軍の歩兵中隊、第3大隊第8歩兵隊にいた。本物のロック・スターの神秘的な雰囲気で満ちた男を目の前にするのは彼が初めてだった。ウォルターは1968年3月にベトナムで戦闘中に行方不明になった。彼は今でも俺の頭の中でほぼ定期的に演奏している。彼の立ち方、着こなし、タンバリンの持ち方、さりげないクールさ、その自由さ。その態度こそが彼なんだ。彼の歩き方が言っていた。「ここにあるものすべて、教えられてきたことすべて、恐れるように、愛するように教えられてきたこと、そういったことすべてを無視したっていい。それでも君は大丈夫さ」と。彼の死は俺たち、彼の家族や友人、地元の音楽界にとって、ひどく大きな損失だった。俺は今でも彼のことを思っている。
これは俺がずっと発表される必要のあると感じていた音楽なんだ。「ハリーズ・プレイス」のギャング、「フランキー・フェル・イン・ラヴ」の準備のできていなかったルームメイト(スティーヴと俺がアズベリー・パークのアパートで一緒にのらくらして暮らしていた頃を思い出させる)、「ハンター・オブ・インヴィジブル・ゲーム」の荒れ地の旅人から、「ザ・ウォール」の兵士と彼を訪ねる友人まで、彼ら全員に居場所が与えられ、その話を聞いてもらう価値があると感じた。みんなもこれを楽しんでほしいね。
ブルース・スプリングスティーン
(翻訳:五十嵐正)