【ディランを追いかけて~ヘッケル】ボブ・ディラン2016年4月22日(金)東京(7公演目)ライヴレポート by 菅野ヘッケル
ボブ・ディラン
4月22日、オーチャードホール
今夜のボブは黒のカントリースーツ。上着には派手な飾り刺繍はなく、襟の後部がブラウンになっているだけのシンプルなもので、パンツの両サイドに赤い縦線が入っている。初めて見る衣装だが、日本ツアーに向けて、一体何種類を用意してきたのだろう。意気込みが感じられる。1曲目の「シングス・ハヴ・チェンジド」はニュアンスを込めて、ていねいに歌う。今夜もよさそうだ。期待が膨らむ。「これから先の60秒はまるで永遠のような長さ」の箇所では、いつも以上に、「エターーーナティ」と思い切り伸ばして歌った。細かいことだが、ファンはこうした些細なことが気になるのだ。ダンスも早々と披露してくれた。
2曲目「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」では、ことばが明瞭に聞こえる。今夜はヴォーカル・ナイトとなるかもしれない。ハーモニカも力強い。耳をつんざくばかりの大音量で鳴り響く。とても74歳とは思えないほどの肺活量だ。ボブもトレーニングをしているのかな? 3曲目「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング」の歌い出しは何度聞いてもぞくっとする。「アイ・ラヴ・ユー・ハニー・ベイビー」今夜はまとまりがすごい。
アメリカン・スタンダード曲「ホワットル・アイ・ドゥ」に観客は大きな反応を見せる。イントロがはじまると、会場から「ワオー!」、1番が終わったところで拍手がわいた。スタンダード曲を目当てに会場に足を運ぶファンが増えているようだ。うれしいな。5月25日にはグレート・アメリカン・ソングブックの第2集『フォールン・エンジェルズ』も発売される予定だ。
5曲目「デュケーン・ホイッスル」は今夜も快走する。トニーのスタンダップベースが力強く一定のリズムを刻む。一方、ジョージのドラムズの音がすこし小さいような気がした。鍵盤を叩くボブの指の動きを注視しながら、ドニーがペダルスティールで追いかける。今夜は気分がいいのだろう、ボブのヴォーカルから「ディラン節」も飛び出してきた。
雰囲気が一変して6曲目「メランコリー・ムード」がはじまった。長いイントロが流れている間、ボブは暗闇の中で中腰の姿勢でダンスをする。ボブは美しい伸びのある声を出せるんだ、と感心させられるヴォーカルだ。特にアルバム『テンペスト』や『クリスマス・イン・ザ・ハート』ではダミ声のボブが目立ったが、今夜のボブは力のある美しいヴォーカルを聞かせてくれる。きっと色々な声を思いのままに出せるのだろう。
7曲目の「ペイ・イン・ブラッド」ではラフな声に切り替えて歌う。右手を上げて、ボブ・ダンスやヘッドバンギングを混ぜながら痛烈なメッセージを投げかける。昨夜も思ったが、この歌は政治家たちに向けて「死ねばいい」と歌った「戦争の親玉」に通じるものを感じる。「わたしは血で支払う、でもわたしの血ではない」という歌詞が、聴き手の頭に残る。
8曲目は、お待ちかねのうっとりタイム。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」がはじまると、観客が大きな拍手で歓迎する。ボブのヴォーカルがはじまると、客席は聞き惚れるのだろう、静かになる静かに聞き耳を立てて酔いしれる。「あなたをほしがるなんて愚かなわたし……でも正しかろうが間違っていようが/わたしはあなたなしではやっていけないんだ」。こんなことばを聞かされたら、ウルウルする人も大勢いるだろう。9曲目は軽快な「ザット・オールド・ブラック・マジック」。早口で歌う歌詞はボブの得意だ。シンコペーション、タイミング、どれも他の人には真似ができない。ボブはリズムの王者だ。客席から歓声が沸き上がった。
1幕を締めくくるのは、もちろん「ブルーにこんがらがって」。ボブらしく、かなり崩して歌う箇所が増えてきた。そんな姿を見ていると、若いロッカーの姿と重なる。チャーリーのギターからすばらしいリフも飛び出してきた。ボブのハーモニカも、すごくいい。もちろんボブの代表曲なので、完成は一段と大きくなる。あっという間に50分間の1幕が終わった。
「ミナサン。ドウモ、アリガトウ。すぐに戻ってくるよ」
20分の休憩をはさんで、2幕がはじまる。バンジョーがなり続ける「ハイ・ウォーター」は終末の世界なのだろうか。川の水が氾濫して、いたるところが洪水になる。「ハイ・ウォーター・エーーーヴリウエア」と長く伸ばすボブの歌い方で、迫り来る危機感が一層高まる。最後、両手を上に上げてエンディングを決めた。
一転してスタンダード曲「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」が歌われる。「いつだってわたしはあなたのピエロだったことを忘れてしまったのかい? どうして今わたしを心変わりさせようとするの?」訴えかけるように、ボブはソフトなヴォーカルを聞かせる。途中で客席から拍手も上がる。最後は両手を上げてエンディングを決めた。今夜のボブは、機嫌がいいのだろう、エンディングで両手をあげる曲が多い。
「アーリー・ローマン・キングズ」は毎回ステディな仕上がりだ。ピアノで上昇&下降リフを叩きながら。ボブは半ばシャウトするようにことばを吐き出す。チャーリーのギターから大胆なリフも飛び出す。アーバン・ブルースの熱気が会場を包み込む。最後は、ピアノから立ち上がってボブがエンディングを決めた。続くスタンダード曲「ザ・ナイト・ウィー・コールド・イット・ア・デイ」左手を水平に伸ばしながら、ソフトな、伸びのある高音で、ていねいに歌った。この曲の最後も、ボブは両手を上げてポーズを決めた。
今夜の「スピリット・オン・ザ・ウォーター」はおもしろい。ボブが単音を主体にして、ピアノを弾きまくる。ボブがリードギターに夢中で取り組んでいた時に、しばしば3連音を多用する単音ソロを弾きまくっていたのを思い出した。今夜はピアノで同じことを試みているようだ。チャーリーもボブのピアノに応えて、すばらしいリフを弾く。会場が興奮に包まれる。こんな人は他にいない。
今夜の客は暖かい。「スカーレット・タウン」の途中で何度も拍手が起きる。チャーリーの低音を強調した不気味さ漂うギターに乗せて、ボブは淡々と物語を進めていく。「スカーレット・タウンで、終末は近づいていた/世界の七不思議がここにある/善と悪が隣り合わせ/あらゆる人の姿はすべて賞賛されるみたい」。スカーレット・タウンは神秘の庭なのだろうか、地獄なのだろうか、理想郷なのだろうか。謎は解明されない。
スタンダード曲「オール・オア・ナッシング・アット・オール」を歌うボブはソフィストケートされた、しゃれ男だ。チャーリーもいいリフをギターで生み出す。良質のジャズ・ヴォーカルの世界が広がる。それにしてもボブの音楽は幅広い。決してひとつの枠に収まらない。ロック、フォーク、ブルース、ジャズ……何でもありだ。広義に解釈すれば、これこそアメリカーナと言うのかもしれない。
今夜の客は反応が大きい。格好良く決めまくるロッカー・ボブが歌う「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」に、随所で歓声と拍手が沸き起こる。特に「だってあなたはわたしの友だちなのだから」の箇所では客席から「ワー!」と歓声もあがった。ボブも両手を上げてエンディングを決める。
2幕を締めくくる「枯葉」には、非の打ち所がない。冷たい秋風と寂しさを象徴するように、1枚の木の葉が枝からゆらゆらと地上に舞い落ちる。ペダルスティールとギターがその儚さを音で表現する。木の葉が」地上に落ちた瞬間、ドラムの音が響き、ステージの照明が落とされる。幕は降りた。ボブとバンドは無言で去っていく。お見事。
アンコール1曲目は「風に吹かれて」。今夜のボブのヴォーカルは一段と説得力が増したように聞こえる。ピアノからドレミファ・リフの変形も飛び出す。それにめげることなくチャーリーがギターで印象的なリフを弾きだす。何度も書くが、オリジナルを忘れてしまうほど、今のアレンジはいい。よく知っている歌なので、いっしょに歌おうとする観客もいるだろう。でも、あきらめたほうがいい。ボブといっしょに歌える人はいない。この曲は衰えることなく、将来にも歌い継がれていくと確信する。
最後はロッカー・ボブで締めくくる。アンコール2曲目の「ラヴ・シック」では、ステージ背景にボブの影が映し出され、すぐに光の縦線に変わる。実に効果的だ。恋のやまいをわずらっている男の本音が正直に歌われ、ドラマティックに展開する。はたして特定の人に向けた歌なのか、社会に向けた歌なのか。最後にボブが観客に投げかける「何をすればいいのかまるで見当がつかないんだ/あなたといっしょにいられるというのなら、わたしは何もかも投げだそう」。ボブ、ありがとう。
今夜のボブは大満足だったようだ。最後の整列の時、観客の大歓声に対してボブは両手を上げて客席のあちこちに体全体を向け、いいつもより長く応えていた。ボブとバンドがステージを去り、場内の明かりが点灯し、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が流れはじめる。その調べに送られて、観客は会場を後にした。観客も満足したはずだ。
(菅野ヘッケル)