【ディランを追いかけて~ヘッケル】ボブ・ディラン2016年4月21日(木)東京(6公演目)ライヴレポート by 菅野ヘッケル
ボブ・ディラン
4月21日、オーチャードホール
名古屋公演のレポートで、今回の日本ツアーに用意してきたステージ衣装はすべてお披露目したと書いたが、あれはまちがいだった。今夜のボブは上着丈が太ももまでの黒のスーツ姿、ジョニー・キャッシュを思い出すような、まさに「黒いロングコートの男」だ。1曲目「シングズ・ハヴ・チェンジド」は、ややダミ声で「みんなは頭がおかしいし、時代も妙なことになっている。いろんなことが変わってしまった」と歌う。休み明けということもあり、声もよく出ているし、早々とボブ・ダンスも見せてくれる。フリー度が増している。それに、チャーリーのギターから印象的なリフが次々に飛び出してくる。
今夜の「シー・ビロングス・トゥ・ミー」はなぜかセクシーな感じがする。ハーモニカのブレークも決まっている。調子いいみたいだ。ここでもチャーリーのギターがいい。3曲目の「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング」では、ボブのピアノからメロディアスなフレーズが飛び出してきた。固定セットリストでも、毎回ちがう印象に聞こえる。この曲でも、チャーリーのギターがすごくいい。
アメリカン・スタンダード曲「ホワットル・アイ・ドゥ」がはじまると客席のあちこちから「キャー!」「ワー!」と歓声が上がる。ボブの歌うスタンダード曲が聞きたくて足を運んだ人も増えてきているようだ。会えない寂しさを、写真に向かって打ち明ける男の切ない気持ちが、痛いほど伝わってくる。ボブは歌がうまいな。
「デュケーン・ホイッスル」では、ボブがピアノで前回とはちがったリフを叩き出した。「鳴り響くあのデュケーンの汽笛を聞いてみな/まるで俺の世界をかっさらっていくかのように鳴り響く」。疾走する列車は何を象徴するのだろうか。ボブが左足を上下に踏みならしてリズムをとりながら、ピアノがリードするジャム演奏に突入。最後はボブが立ち上がって一瞬客席に視線を送り、エンディングの指示を出す。
「メランコリー・ムード」の長いイントロの間、ボブは暗闇の中でダンスをするように軽く動いている。思うようにならない恋に悩む男の悲哀、ひとりぼっちで憂鬱な気分を歌っているが、ずっと聞いていたい気分になるほど心地いい。一瞬、ボブが好きなアーティストの一人に名前を挙げていたレオン・レッドボーンを思い出してしまった。一転して激しい「ペイ・イン・ブラッド」では、両手を高く上げるジェスチャーも飛び出した。「わたしたちの国家は救済されて、自由に解放されなければならない/あなたは殺人罪で訴えられてきた、あなたはどんな弁明をするのだろう?」と「戦争の親玉」を連想させるような、痛烈なことばで(政治家を)非難する。レコード・ヴァージョンにはなかった「おれの意識ははっきりしてる、あなたのはどうかな?」という歌詞が心に突き刺さる。
さあ、今夜もうっとりタイムだ。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」ほど、切ない男心を見事に表現した歌はない。愛の前では、男なんて愚かなものなのだ。ボブは、まるで自作曲のように歌の中に入り込み、心から歌っている。だからこそ聴き手に直接届くのだ。2千人以上の観客が集まっていても、まるでボブがすぐそばで歌いかけてくれている気がする。ボブの魔法にかかったみたいに心は揺れる。ぼくは『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲のなかで、この歌が一番気に入っている。9曲目の「ザット・オールド・ブラック・マジック」を聞いていると、ボブはすばらしいジャズ・ヴォーカリストだと思った。軽快なリズムの曲もボブに似合う。
1幕の最後「ブルーにこんがらがって」は70年代のボブの代表曲だけあって、歓声が一段と大きくなる。基本的には男と女と語り手の3人が登場する物語だが、何度聞いても、こんがらがってよくわからなくなってしまう。だからこそ何度も聞きたくなるのだが。この歌ではステージセンターでボブがハーモニカを熱演し、ピアノに移動してフィニッシュに向かう。今夜のピアノはちがったリフを叩き出す。レコード・ヴァージョンは7番まで歌詞があるが、最近のライヴは大幅に歌詞を書き換えたり、3、4、6番を省略したりして歌っている。全部聞きたい。
「ミナサーーン、アリガトウ。ステージを離れるけど、すぐに戻るよ」
2幕は「ハイ・ウォーター」ではじまる。1幕に比べるとボブ・ダンスの動きが派手になったようだ。体全体で踊る瞬間さえあった。若いなあ。次の「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」はスタンダード曲で、ディランがつくった歌ではないが、「わたしはどうしてもっとありきたりの人間になれないのだろう/みんなはあれこれとお喋りして、ジロジロ遠慮なく見つめる/だからわたしもやってみよう/でもやっぱり自分には向いていないな」と歌われると、なんとなくディラン本人を連想してしまう。自伝的な歌のように聞こえてならない。
「アーリー・ローマン・キングズ」を歌うボブはエネルギーいっぱいで格好いい。ボブのピアノに呼応してチャーリーもいいリフを繰り出す。アーバンブルースの手本のような仕上がりだ。すごいジャム演奏を終えると。ボブはピアノから立ち上がって客席に視線を投げかけた。どうだ。続いてソフトにていねいに歌う「ザ・ナイト・ウィー・コールド・イット・ア・デイ」では、ドラマティックな夜の出来事を感情を込めて歌う。見事な対比だ。
今夜の「スピリット・オン・ザ・ウォーター」は語るように歌った。ピアノからドレミファ変形リフも飛び出す。先日、ボブはハイノートが嫌いなのかもしれないと書いたが、今夜はハイノートでピアノを叩き、パラダイスのくだりでは、お得意の単音ソロも飛び出した。余韻を残すエンディングもよかった。「スカーレット・タウン」には、毎回感動させられる。「スカーレット・タウンの空はくっきり晴れ渡っている/あなたは神に願うことだろう、ここにいさせてくださいと」の箇所で、チャーリーのスプーキーなギターが印象的に聞こえる。最後に「もし恋が罪なら、美しさは犯罪となるだろう/人々の時間の中では何もかもが美しい/黒と白、黄色に褐色の肌の人/ここスカーレット・タウンではあなたのためにすべてがある」と歌われると、やはりスカーレット・タウンは理想郷なのだろうか。
軽快なジャズ・ナンバー「オール・オア・ナッシング・アット・オール」を歌うボブはソフィストケートされた、おしゃれ男のようだ。「すべてかまったく何もなしか/愛の場合、その中間はない」その通りだ。来日に合わせて発売されたばかりの新曲だが、歌の途中で客席から拍手も上がる。AARP誌のインタヴューで「ロマンスは廃れない」と語ったボブのことばが真実であることが証明された気がする。
「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」は格好良く決めまくるロッカーのボブだ。両手を上げて「どうだ」ポーズも飛び出す。二つの列車が並走するシーンで「あなたが行く必要はない、わたしはあなたのもとへとやって来たんだ/だってあなたはわたしの友だちなのだから」とボブが歌うと、客席から「ワー!」と歓声が湧き上がる。今夜はノリノリのボブだ。
あっという間に2幕の終わりを告げる「枯葉」が歌われる。去って行ってしまった恋人、冷たい秋風、寂しさ、これほど終幕にふさわしい歌はない。見事なセッットリストだ。ギターとペダルスティールの響きに乗せて、1枚の木の葉が風にゆらゆらと地上に舞い落ち、ボブとバンドは無言でステージを去っていった。
アンコール1曲目は「風に吹かれて」。今夜も高音で歌い出し、ドレミファ変形も飛び出した。今夜はボブのピアノとチャーリーのギターが絡み合っている。アンコール2曲目は「ラヴ・シック」。最後はロッカー・ボブで締めくくる。「時には沈黙が雷鳴のように思えることもあれば/自分がバラバラになってしまっているように思えることもある」恋の病はそういうものなのだ。最後にボブが観客に投げかける「何をすればいいのかまるで見当がつかないんだ/あなたといっしょにいられるというのなら、わたしは何もかも投げだそう」。
整列のとき、ボブはめずらしく両手を上げて観客に答えた。ボブも満足した一夜だったのだろう。ボブ、ありがとう。
(菅野ヘッケル)