【ディランを追いかけて~ヘッケル】ボブ・ディラン2016年4月12日(火)大阪フェスティバルホール・ライヴレポート by 菅野ヘッケル
ボブ・ディラン
2016年4月12日、大阪フェスティバルホール
今夜のボブは気合が入っている。新調したと思われる黒のカントリースーツを着てステージに現れた。上着の前身頃下部と両袖に派手な銀色の刺繍、襟にも白いラインが入っている。もちろんパンツの両サイドにはボブの衣装に欠かせないラインも入っている。バンドは黒のスーツ。
気になっているファンもいるだろうから、ステージに飾られている胸像について簡単に書いておく。向かって右手、ボブの水が用意されていいる台の上にオスカー像のレプリカと女性の白い胸像が置かれている。この胸像はアントニオ・ガレッラの1901年の作品「バスト・オブ・ポエジー」(ギリシャの詩の女神の雪花石膏製の胸像)と思われる。2015年のステージから飾られるようになったのだが、最初はボブのピアノの上に堂々と鎮座していた。その後今の位置に設置されるようになったのだ。もうひとつ、気づいていないファンもいるかもしれないがチャーリーとドニーに間に置かれたアンプの上に、小さなベートヴェンの胸像を飾られている。また、ステージ中央にマイクが3本立てられているが、実際にボブがヴォーカルとハーモニカで使用するのは中央の1本だけで、両側の古い時代のマイクは、どうやら飾りのようだ。すべて、ボブの指示で飾られていると思われるが、本当に不思議な人だ。
1曲目の「シングズ・ハヴ・チェンジド」は、ややおとなしい感じではじまったが、まとまりはすごい。曲の最後には、ボブがピョコンと飛び上がって終わる可愛い仕草を見せてくれた。「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」のボブは若い。「ドント・ルーーーック・バック」と特徴的な音を伸ばす唱法も聞かせてくれた。ハーモニカ演奏にも力が入っている。「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング」も軽やかさよりもていねいを感じる歌い方だ。大阪公演はていねいさが目立っている。
スタンダード曲の1曲目、「ホワットル・アイ・ドゥー」では暖かい拍手がわき起こった。観客もボブが歌うスタンダード曲に期待を膨らませているのがよくわかる。期待に応えるようにボブもソフトなヴォーカルを披露する。今夜も「デュケーン・ホイッスル」は列車のように、力強い響きを撒き散らす。決して脱線することはない。
長い「メランコリー・ムード」のイントロが流れる間、ボブはいつものように歩き回らず、トニーの前にじっと立っていた。この歌には、毎回うっとりさせられる。シナトラがデビューシングルのB面に吹き込んだ曲で、あまり知られていなかった小品だが、ボブが歌うことで魅惑たっぷりな歌に生まれ変わった。
「ペイ・イン・ブラッド」のボブは、両足を大きく広げて仁王立しながら歌う。時折混ぜる「ボブ・ダンス」が微笑ましく映る。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」は毎回大きな拍手を集める。ロマンチックな甘い切ない思いが心地よく漂う、これぞスタンダード曲のお手本といった仕上がりだ。ボブの歌のうまさが光る1曲。今回のツアーの9曲目は「ザット・オールド・ブラック・ナジック」に固定されるようだ。初日こそ「ザット・ラッキー・オールド・サン」を歌ったが、2日目以降はこの曲に固定されている。ボブが歌うスタンダード曲の中では、最も華やかな雰囲気とテンポを持つ歌なので、ショーの構成にピッタリ合う曲なのだろう。「カッコイイ!」観客席から掛け声がかかった。
1幕を締めくくる今夜の「ブルーにこんがらがって」は、ハーモニカ演奏が輝いていた。一人称の「I」で歌われるアルバム・ヴァージョンを初めて聴いた時は、自伝的な歌と思ったりもしが、近年は三人称の「he」や「she」で歌うことが多いので、はたしてどうだろう。
「ミナサン、アリガトウ。ステージを離れるけど、また戻ってくるよ」
日本語が増えたのはうれしいが、「ミナサン」より「ミンナ」の方がボブに合っている気がするのはぼくだけだろうか。
2幕は当然「ハイ・ウォーター」ではじまる。いつも以上に親近感を感じさせるややソフトなヴォーカルで歌った。まとまりのあるサウンドが迫り来る洪水の危機を伝える。ボブもヒョコヒョコ歩きながらボブ・ダンスを披露した。いつものようにエンディングは、ボブが両手を右方向に向けたポーズで合図を送る。「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」でボブは右手の拳を右胸に当て、左手を腰に置いて「アイム・センチメンタル~」と歌った。うっとりさせられた。
「アーリー・ローマン・キングズ」は、スチュが振るマラカス、ジョージのドラムズ、トニーのベースがステディなリズムを刻み、ボブのピアノとチャーリーのギターがスパイスのように刺激的なリフを生み出す。「ザ・ナイト・ウィー・コールド・イット・ア・デイ」のプロモビデオでボブはピストルを撃つ男を演じているが、まさにハードボイルドの世界がこの歌で広がる。
「スピリット・オン・ザ・ウォーター」ではスチュがサイドギターでリズムを大きな音で刻む。ボブは左足を上下に大きくストンピングさせてピアノを叩く。観客はボブの歌詞に大歓声で反応する。「スカーレット・タウン」ではチャーリーが不気味なギターリフをはさむ。ステージと客席が一体となり、ボブの世界に入り込む。丘のふもとにある謎めいたスカーレット・タウン、そこは天国だろうか、それとも地獄だろうか。すごいな。何度聞いても、ぼくはこの歌が好きだ。この歌とともに、アルバム『テンペスト』収録曲の「ティン・エンジェル」も、いつかライヴで聴きたいと願っている。わがままな願いだろうか。
ボブはスチュのそばに行き、何やら話をした後「オール・オア・ナッシング・アット・オール」がはじまった。新曲ながら、軽妙なジャズ・サウンドに観客は拍手を送る。チャーリーが心地いいリフを演奏する。「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」はいつ聴いても、何度聞いてもそのパワーに圧倒される。
楽しい時間は早く終わる気がする。あっという間に2幕を締めくくる「枯葉」がはじまる。イントロが流れる間、ボブはステージ奥で膝の屈伸や腰のストレッチをしている。薄暗いとはいえ、観客には丸見えだ。「見えてるよ、ボブ」とぼくは心の中で叫んだが、ボブは気にしていないようだ。いつものようにチャーリーのギターが、ひらひらと地上に舞い落ちた木の葉を表現した瞬間、ステージが暗くなり2幕が終了する。完璧なエンディングだ。
アンコールはもちろん「風に吹かれて」と「ラヴ・シック」。今夜の「風に吹かれて」は、ボブが高音で歌い出し、途中で2階席、3階席に視線を送りながら力強いパフォーマンスを繰り広げた。50年以上も前につくられた歌とは思えない。衰えることを知らない、永遠のメッセージ・ソングだ。最後の「ラヴ・シック」からは、どうしようもないやるせなさ、心の痛手、悲しさ、辛さが伝わってくる。「あなたといっしょにいられるというのなら、わたしは何もかも投げだそう」と、ボブは懇願するように、最後に観客にメッセージを投げかける。別れた恋人に向けた歌かもしれないが、じつはファンに向けた歌なのかもしれない。
最後の整列、昨夜もそうだったが、いつも以上に長く、ステージの証明が落ちるまでボブは客席を見続けていた。大阪が好きなんだろう。ありがとう、ボブ。
(菅野ヘッケル)