【ディランを追いかけて~ヘッケル】ボブ・ディラン2016年4月11日(月)大阪フェスティバルホール・ライヴレポート by 菅野ヘッケル
ボブ・ディラン
2016年4月11日、大阪フェスティバルホール
大阪3日間の初日、ボブは新調したと思われる黒のカントリースーツ、胸と袖口にワインレッドの刺繍とラインストーンの飾りがほどこされている。もちろんパンツの両サイドにも同色の装飾ラインが入っている。今夜もグレーの帽子をかぶっている。バンドは日本初披露の濃紺色のスーツ。相変わらずおしゃれだ。
夜7時ちょうどに、いつものようにスチュがアイリッシュ・トラディショナル「フォギー・デュー」を弾きながらステージに姿を現し、やがて全員がそれぞれの位置につき、ステージ中央のマイクの前に立ったボブが「シングス・ハヴ・チェンジド」を歌いはじめる。やや控えめな歌い方に聞こえた。ぼくの客席の位置のせいかもしれないが、全体的に音量が抑えられているように感じる。ただし、歌い方はとてもていねいに聞こえる。ボブの調子は今夜もいい。最後は両手を上げてポーズを決めた。
ボブはチャーリーと何やら打ち合わせをした後、すぐに「シービロングズ・トゥ・ミー」がはじまる。重々しいマーチのリズムに乗せて、両手を大きく広げて歌うボブがセクシーに見える。ハーモニカも力強く演奏された。もちろん観客は大歓声を上げる。ただし、ぼくが予想していたよりは、おとなしい。1978年の初来日公演以来、大阪公演ではいつも熱狂的な大歓声が湧き上がるのだが。会場のせいかもしれないし、よく観察しなかったが、年齢層が変わったのかもしれない。「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング」でのバンドのまとまりは見事。ボブが最後に立ち上がってエンディングの合図を送る。
大阪で初披露となるスタンダード曲カヴァーは、はたしてどんな風に受け止められるのかなと思っていたが、ぼくの予想以上に観客は好感を持って楽しんでいるようだ。ボブがソフトな声で優しくていねいに歌い、観客は1番ごとに拍手を送った。「デュケーン・ホイッスル」は衰えを知らない列車のように、今夜も快走する。ボブも立ち上がってポーズを決める。
雰囲気が一転して「メランコリー・ムード」。何という心地よさなんだろう。憂鬱な気分が歌われるが、聴き手には夢見心地の心地よさが湧いてくる。薄暗いステージを見ていると、ぼくの頭の中に場末の酒場で演奏するバンドの映像が思い浮かんできた。もっとも、こんなすばらしいバンドだったら、ぼくは毎夜その酒場に足を運んでしまうだろう。もっと長く続いて欲しいと思うのに、スタンダード曲はどれも短い。観客も大きな拍手で思いを伝える。
ボブがめずらしくスチュと何やら話をしてから、「ペイ・イン・ブラッド」がはじまった。それほど派手ではなかったが、「ボブ・ダンス」を交えながら、ボブは中腰の姿勢で手を腰に当て、にらみを効かせるように客席に視線を送る。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」は大きな拍手を集めた。みんなこの曲が好きなんだろう。ボブのロマンティックな一面を垣間見ることができる。ニュアンスたっぷりに、ていねいに歌うボブ。スタンダード曲をただカヴァーするのではなく、自作の曲と同じように、歌の中に入り込み、心の底から歌っているのが伝わってくる。うまい。「ザット・オールド・ブラック・マジック」は、シナトラではなく、ボブがDJをつとめたラジオ番組「テーマ・タイムラジオ・アワー」で放送したルイ・プリマ&キーリー・スミスのヴァージョンをベースにしていることを、友人のソニー・ボーイが教えてくれた。ボブのファンや研究者たちは、ぼくの知らない情報を惜しげなく教えてくれる。いつもありがとう。
「ブルーにこんがらがって」は、いつ聞いても間違いない。1、3、5番の歌詞を歌ってから、ハーモニカを演奏し、ピアノに移動して7番の歌詞を歌って終わる。75年のアルバム・ヴァージョンとは人称が変えられ、何箇所か歌詞も書き換えられている。ボブの中では、もっとも多くの違った歌詞が存在する作品のひとつだ。今夜は、ワイルドさよりも、ていねいにストーリーを伝えるように歌っていた。
「アリガトウ。ステージを離れるけど、帰らないでくれ。すぐに戻ってくるよ」
いつも通り、スチュのブルース演奏で2幕がはじまる。バンジョーが鳴り続ける「ハイ・ウォーター」だが、チャーリーのギターの音量が小さかったような気がする。前にも書いたが、ぼくの席のせいだったのか全体的に今夜は音量が抑えめだったような気がした。そのため、ワイルドな一夜というよりは、やさしい、ていねいな歌い方の目立つ一夜だと言った方がいいかもしれない。ボブは両手を腰の位置に置いて「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」を歌う歌う。できればもう少しおしゃれに着飾って見にくればよかったと思うほど、ボブはおしゃれな男に見える。
ステージが明るくなって「アーリー・ローマン・キングズ」がはじまる。ここでも突き刺すようなワイルドなヴォーカルではなかったが、ノリノリの演奏を聞かせてくれた。ボブの音楽はジャンルの壁を超えて広がっている。バンドは、様々な音楽を見事に演奏し、ボブの世界を支えている。ボブは、歌手だけでなく、バンドリーダーとしての役割も見事にこなしている。ボブはいままで多くのバンドを組んできたが、現在の編成が、最適にして最強のバンドだと、ぼくは思っている。一転してスタンダード曲「ザ・ナイト・ウィー・コールド・イット・ア・デイ」。もちろん観客は拍手を送る。
「スピリット・オン・ザ・ウォーター」ではチャーリーの繊細なギターリフが目立つ。観客の反応もすごかった。ボブが「ぼくのピークは過ぎたと思ってるのかい?」と歌うと、観客は「ノー!」と叫ぶ。ボブが「楽しい時を過ごせると思うよ」、観客は「イェー!」と答える。決して観客を虜にするのは、代表曲やヒット曲だけではない。ボブはパフォーマンスで観客を自分の世界に引きずり込むパワーを持っている。本物だ。
「スカーレット・タウン」を歌うボブは終始半身の姿勢を保っている。物語が進むにつれ、観客は不気味な神秘の世界に引き込まれていく。はたして行き着く先は天国なのか、地獄なのか。大きな拍手がわき上がった。一転して「オール・オア・ナッシング・アット・オール」は軽快なおしゃれなジャズに仕上がっている。ボブがグレート・シンガーであることを証明する曲だ。
「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」は、ややテンポを遅くして歌っているようだ。その分、迫力が増加した気がする。短い小節を繰り返し歌うこの曲を聴いていると、改めてボブのリズム感のよさと、タイミングの取り方のうまさに感動する。天才だ。2幕を締めくくる「枯葉」に観客はうっとりする。何の予備知識や先入観を持たずにボブを見に来る人がいたとしても、かならずボブの虜になるはずだ。ひとひらの木の葉が地上に落ちた瞬間、ステージは終了しボブは去っていく。
アンコールはいつものように「風に吹かれて」と「ラヴ・シック」。「風に吹かれて」はラップを思い出させるような調子で歌い出した。50年以上経過した歌だが、今の時代には今夜のヴァージョンが合っている気がする。それほど、新鮮に聴き手に心に響く。「ラヴ・シック」は今回の日本ツアーのハイライトの1曲になりつつある。ソフトでやさしいスタンダード曲が多く歌われた今夜のセットの中で、エッジの効いた鋭いナイフのように際立った1曲だ。ツインリードの間奏の後、「あなたといっしょにいられるというのなら、わたしは何もかも投げだそう」と、ボブは懇願するように、最後に観客にメッセージを投げかける。
最後の整列、いつも以上に長く、ステージの証明が落ちるまでボブは客席を見続けていた。ありがとう、ボブ。ぼくは、今夜も心の中で叫んだ。
(菅野ヘッケル)