ミュージケアーズでのスピーチの後のインタビューでディラン語る。

2015.02.20

ミュージケアーズ・パーソン・オブ・ザ・イヤーでボブ・ディランが行なった40分にも渡る「伝説のスピーチ」は、その素晴らしい内容を全世界のメディアが即取り上げ大きな話題を呼びましたが、その後日談として、ローリングストーン誌のビル・フラナガンによるインタビューがボブ・ディランの公式サイトに掲載されました。スピーチの内容で自分の意図と違った形で伝えられていることがあり、それに対してのディランならではの回答といった感じのこれまた興味深いインタビューです。コンサートに参加したアーティスト達のことにも触れ、ブルース・スプリングスティーンの「天国への扉」については

「私はノスタルジックな方じゃないけれど、一瞬すべてが蘇ったよ。(サム・)ペキンパー(映画監督)、スリム・ピケンズ(俳優)、ケティ・フラド(女優)、ジェームズ・コバーン(俳優)、デュランゴ(コロラド州)の埃っぽい無法地帯、最初の妻、小さかった頃の子供たち…一瞬蘇ったんだ。それほどパワーを感じた。ブルースはとてもひたむきな男だ。その証拠があのパフォーマンスにはあったよ。みんなの心に、私の心に訴えかけるものがあるんだ」と大絶賛。

インタビューの全文は下記をご覧ください

http://www.bobdylan.com/us/news/post-musicares-conversation-bill-flanagan


Musicares後のインタビュー(インタビュアー:ビル・フラナガン)


イベントに出席しなかった人の中には、あなたのスピーチのトランスクリプトを読んで、皮肉が含まれていることに気づかなかったようですね。「主よ、なぜ私が?」というのもあなたは笑いながら言っていましたし、オーディエンスも笑っていました。活字になると、真面目に言っているのだと思った人もいたようです。


ボブ・ディラン(以下B):そうだね。その場にいないと分からないよ。


Musicareの出演者はどのように決めたのでしょうか。選ぶのは大変でしたか。


B:そうでもなかったよ。ほぼ全員がカヴァー・ヴァージョンを出した後だったしね。ガース(・ブルックス)は「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」をナンバーワン・ヒットにしたし、トム・ジョーンズの「ホワット・グッド・アム・アイ」のカヴァーも素晴らしい。ベックは「ヒョウ皮のふちなし帽 (Leopard skin Pillbox Hat)」を録音した。ボニー(・レイット)は「スタンディング・イン・ザ・ドアウェイ」や「ミリオン・マイルズ」の圧倒的なカヴァーを録音した。ジョン・ドウは「プレッシン・オン」をあの映画(『アイム・ノット・ゼア』)で歌ったけど、あれはまたとない録音だったね。ロス・ロボスも「こんな夜に (On A Night Like This)」をやった。クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュも同じだね。彼らの「北国の少女 (Girl From The North Country)」の美しいヴァージョンを聴いたことがあるよ。だから人選はそんなに難しくなかった。アラニス・モリセットが「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を歌うのもどこかで観たことがある。彼女があんなにモノにするとは信じられなかったね。私は全くできなかったから。ニール(・ヤング)は言うまでもなく「風に吹かれて」を長い間やっている。しかるべきやり方で歌っているから、あの歌は彼のためにある必要があったんだ。中には(企画が持ち上がってから)すぐに出演したいと電話してきた人もいたから、ドン・ウォズが何曲か選んだんだ。あとは大概、かつてカヴァーした曲を歌ってくれたんだ。アーロン・ネヴィルの歌う「シューティング・スター」以外は。私はいつも彼が歌う姿を想像していたよ。彼は私の他の曲をカヴァーしていて、みんな素晴らしかったけれど、私は何故か「シューティング・スター」のことをずっと考えていた。彼がこの曲を録音したことはなかったけれど、きっと歌えると確信していたんだ。曲を書いていたときからね。何と言っても彼はレコーディング史上最高にソウルフルなシンガーなんだから。もし天使が歌うのなら、あの声で歌うに違いない。とにかく素晴らしい才能を持っていると思うんだ。あの男は非の打ち所がない。最初から私のお気に入りのシンガーのひとりだったよ。「恋はきどらず (Tell It Like It Is)」、あれは私のテーマ・ソングのようなものだ。彼が人の曲をその人より上手くカヴァーできても、他の人は彼の曲を彼より上手くカヴァーできない。そんな人なんだ。アーロン・ネヴィルのことは語りつくせないよ。彼みたいな人は二度と出てこないだろうね。あとはエリック(・クラプトン)に出てもらいたかったね。彼は私の曲を沢山録音しているから。みんな素晴らしいヴァージョンだ。だけど無理強いはしたくなかった。彼はもう演奏活動をしないような気がするからね。ロッド(・スチュワート)も私の初期の曲をいくつかやっていた。彼に声をかけようとは何故か思いつかなかったけど、声をかければよかったんだろうな。他にもトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、クリッシー・ハインド、スティーヴィー・ワンダー、ローリング・ストーンズまで考えたけど、少し経つと手に負えなくなってくる。全員には到底声をかけられないからね。


マール(・ハガード)のことを糾弾していた(ディスっていた)ように聞こえていた、あれは何だったのでしょうか。


B:いや、そんなことは全くないよ。少なくとも私の知っているマールについては。あれは大昔、60年代終わりくらいの話だよ。マールが「ファイティング・サイド・オブ・ミー」という曲を出した頃、彼のインタビューを読んだことがあったんだ。彼はヒッピーやディランや他のカウンター・カルチャーの話をしていた。それが心に残ってしまって傷ついたんだ。彼が好きじゃないと言っていた色んなことと一緒にね。でも勿論、時代も変わったし、彼も変わった。ヒッピーが今も存在していたら彼は味方になっていただろうし、彼自身もカウンター・カルチャーの一部だからね。そう、だから、物事は変わるものなんだ。彼とはツアーしたこともあるし、彼のことは最高に尊敬しているよ。彼の歌も才能も。あるアルバムでは、彼にフィドルを演奏してもらいたいと思ったこともあるくらいなんだ。彼のジミー・ロジャースへのトリビュート・アルバムは愛聴盤のひとつだし、何度聴いても飽きないよ。それに彼はちょっと哲学者風でもある。真面目でもあればふざけるときもある。完璧な男だ。最近は仲がいいよ。共通点も多いからね。でもあの頃はバック(・オーウェンズ)とマールが近い関係にいたね。彼らはベーカーズフィールド・サウンドを確立したんだ。あの頃バックは私に手を差し伸べてくれて、私が落ち込んでいるときには気分を盛り立ててくれた。本当に落ち込んでいたんだ。色んな意味で圧迫されていたから、バックがそうやってくれたことは大きな意味があった。マールのことを批判なんて全くしていなかったんだ。あの頃は人間的に違っていたということさ。あの頃は辛い時期だったから、打撃が今よりもずっと堪えたんだ。


(ジェリー・)リーバーと(マイク・)ストーラーも?


B:ああ、彼らのこともね。


ブルース(・スプリングティーン)のパフォーマンスはいかがでしたか。


B:素晴らしかったよ!彼はあの曲をレコードと同じようにやったんだ。私自身がやったこともなかったのに。そんな価値があるとすら思ったこともなかった。ひとつのバンドではマンパワー的に難しかったのかも知れないね。分からないけれど、考えたことがなかったんだ。正直言って、どうやるべき曲かも忘れてしまったしね。ブルースは今まで誰もやらなかったような形で、あの曲からパワーとスピリチュアル性と美しさをすべて引き出したんだ。アルバムのヴァージョンに本当に忠実だった。明らかに、あのヴァージョンをやりたかったんだろうね。私はノスタルジックな方じゃないけれど、一瞬すべてが蘇ったよ。(サム・)ペキンパー(映画監督)、スリム・ピケンズ(俳優)、ケティ・フラド(女優)、ジェームズ・コバーン(俳優)、デュランゴ(コロラド州)の埃っぽい無法地帯、最初の妻、小さかった頃の子供たち…一瞬蘇ったんだ。それほどパワーを感じた。ブルースはとてもひたむきな男だ。その証拠があのパフォーマンスにはあったよ。みんなの心に、私の心に訴えかけるものがあるんだ。


彼はオリジナル録音にはない、激しいギターを弾いていましたね。


B:そう、あれがブルースのブルースたるゆえんだよ。彼はああいうプレイができるってことを印象づけないといけないからね。でも耐え間なくやっていた訳ではないし、曲そのものへの興味をそぐようなものではなかった。さっと弾いてさっと引っ込んだ感じだったね。彼は何かを投入したり引き揚げたりするときのタイミングを心得ているんだ。あらゆる意味で素晴らしいパフォーマーだよ。


評論家たちについてのコメントは本心だったのでしょうか。全員が気に障るわけではないでしょう。


B:いや、全然。評論家たちには何の敵意もないよ。エルヴィス(・プレスリー)も言っていたように、「仕事だって分かっているから」ね。他者より優れた評論家は存在する。他者よりよく文章が上手かったり、よく考えられたり、見たものへの理解が深かったり、よく聴いていたりする。人生経験も豊かでね。色んな種類の評論家がいるけど、誰もが同じレベルじゃないんだ。それに、悪いことを書かれていないときは頭数に数えないこともあるからね。彼らの支持があるのは素敵なことだけれど、一方色んな意味で関係なかったりする。(価値を)決めるのは人々だからね。訳もなく不快なことばかり書く者もいるけれど、その辺りは理解しないと。公の場に立って自分らしさが1秒でも出せないとどんなことになるか、彼らには見当も付かないんだから。私は優越感を持って上から目線で「私は知っているけれど君たちは知らないんだろう」という感じで語る者が特に好きじゃないね。彼らの支持があるのは素敵なことだけれど、なかったとしても、気にすることはない。彼らは演奏家じゃないんだから。彼らに対しては何の他意もないよ。全く。


ブルースがシュトラウスのワルツとアラビア音楽のヴァイオリンの融合だと言われた、あれは何だったのでしょうか。どこでそんな話を?


B:音楽学の本で読んだんだ。1600年代か1700年代に、アフリカの部族の争いがあって、彼らは今みたいに敵を虐殺するんじゃなくて、捕虜を縄で縛ると、アラビアの奴隷商人に売ったんだ。彼らは奴隷貿易の中間業者だった。奴隷たちは上陸していた船のところに行進させられたんだ。オランダ船、イギリス船、スペイン船なんかがあった。その行進は長く退屈なもので、時には何百マイルも歩かなければならなかった。夜になるとアラブ人たちは焚き火の周りでヴァイオリンを弾いた。それが彼らの夢の中に流れ込んで行ったんだろうな。これらの奴隷の多くは、船に辿り着く前に死んでしまったのが多かった。彼らは港に着くと船長に売られて、今度は新世界に向かってまた長い航路に出たんだ。そういう厳しい試練を実際に生き延びたのが何人いたか、はっきりしたことは分からない。アメリカの仲介業者は奴隷たちを船長から買って、それからプランテーションの地主に売った。奴隷達は新しい世界で、プランテーションのパーティでメヌエットをよく耳にするようになった…その本によるとそういう2つの影響があってブルースが生まれたらしい。とても興味深かったよ。12小節のブルース・パターン、あれはまた別の話だ。あれはどうやらフィールドホラー(訳注:19世紀の黒人労働歌の歌い方)からきている。ひとりがフレーズを歌って、他の人たちがみんなでそのフレーズを繰り返して、その後今度は3番目のフレーズがあることもある。そういうのがみんな混ざり合っているんだ。本の内容すべてを憶えている訳ではないけれど、その1章に魅了されたんだ。それはデルタ・ブルースと関連のある記述で、その手の音楽としては理に適っていた。ノース・カロライナの音楽とジョージアとフロリダの歌は違う。あまり鼻声訛りがなくて、もっとメロディアスでね。もっとワルツのメヌエットの雰囲気が強かった。恐らく奴隷たちが誰であったか、また彼らがどんな音楽に触れてきたかというのが関係しているんだろう。デルタ・ブルースは昔から不気味な感じでサスペンスに満ちていた。中近東風の音色でね。だから私には納得がいったよ。私は小さな子供の頃、ブルースが何か分からなかった頃から、特別な感情を持っていたんだ。特にデルタ・ブルースのサウンドにね。恐らく私のDNAに入っているんだろう。私にはアラブ(音楽)とワルツのリズムのヨーロッパの血が流れているに違いないと思うね。


あなたはロックンロールが’60年代初頭に終わったと語っていましたね。確かに、初期のロックンロールはブリティッシュ・インヴェイジョンとモータウンに取って代わられました。ですが「ロックンロールの殿堂」はもっと解釈が広く、その最初の爆発(初期のロックンロールのこと)から枝分かれしたものは、レッド・ツェッペリンからPファンク、トム・ウェイツまで同じロックンロールの木の一部であり、殿堂入りをする資格があるという考えです。その話には乗らないのでしょうか。


B:要らない話には乗らないよ。でも言いたいことは解る。私の見方は恐らく杓子定規なんだろう。もしかしたら、しない方がいい見方かも知れないな。


ビリー・リー・ライリー以外に殿堂入りに推薦したいパフォーマーはいますか。


B:勿論。例えばウィリー・デヴィルだね。彼の存在感、声、プレゼンテーションは、今頃そうなっていてしかるべきだったと思う。


そうですね。彼は見落とされていたのかも知れませんね。彼は多くの歴史を背負っていましたから。ドリフターズ、ベン・E・キング、ソロモン・バーク、ストリート・コーナー・ドゥー・ワップ、ジョン・リー・フッカーの影響を受けていますからね。


B:私もそう思うよ。


あなたは、殿堂入りを果たしたアーティストの中には本当のロックンロール・アーティストではない者もいるとして、ママス&パパス、アバ、アリス・クーパーなどを挙げられました。私はスティーリー・ダンの肩を持たずにはいられません。彼らがやったもののすべてがロックンロールではないかも知れませんが、「菩薩 (Bodhisattva)」、「ショウ・ビズ・キッズ」、「マイ・オールド・スクール」などは嫌というほどロックしていました。


B:そうだね。嫌というほどロックしていたかも知れないし、していなかったというつもりもないよ。でも、そういう曲をかけてからウィリーの「イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・モーメント」や「ステディ・ドライヴィング・マン」、あるいは「キャディラック・ウォーク」なんかをかけてごらん。スティーリー・ダンをけなすつもりはないけれど、違いはあるよ。

 

 


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