大のビートルズ・マニアのヴィッキーとデビーののノピーターソ姉妹とスザンナが出会ったのは1981年の事。ピーターソン姉妹が出した新聞広告がきっかけになっての参加だった。



この頃のバンドの名前は“バングス(Bands)で、L.A.のライヴ・ハウスを中心に活動を始めた。彼女達の最初のレコード・ダウンキディ・レーベルからリリースされた”Getting out of Hand”はL.A.のペイズリー・アンダーグラウンドの中心的存在となっていった。



1982年にはニュージャージーに同じ名前のアンドがいるという事で、バンド名を”バングルス”に変更、同年フォールティ・プロダクツから5曲入りのミニ・アルバム「Bangles」をリリースした。この、ミニ・アルバムによって、バングルスは着実にファンを増やし、マイルス・コープランドのL・A・P・Dがマネージメントを引き受けぐんぐんと勢力を拡大していった。



1983年の夏にベーシストとして参加したのが3人の共通の友人ミッシェルである70年代の中頃、彼女はランナウェイズのオリジナル・メンバーとして活躍していた。



この年バングルスはCBS/Columbiaと契約を交わし1984年、L.A.の気鋭プロデューサー・デヴィッド・カーンをプロデュースに迎え「気分はモノクローム/All Over The Place」を発表。アメリカの音楽評論家、雑誌で高い評価を受け、BAM誌の「ベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤー」に輝く、キュートなルックスに加え、ノスタルジックな香りの漂うポップ・サウンドはウエスト・コーストのカレッジ・シーンを中心に急速な広がりをみせた。86年に発表したアルバム「シルバー・スクリーンの妖精/Different Light」は全米のラジオ局で一勢に流れ始め、TOP20、TOP10目指して大爆進していた。ここに収められた12曲のうち、4枚のビッグ・ヒットが生まれた。「マニック・マンデー」はご存知プリンスが曲を提供してくれた作品でチャート2位。「ホワッツ・シーウォンツ」は29位ながら「エジプシャン」は待望の1位。第4弾の「ウォーキング・ダウン・ユア・ストリート」も11位と大ヒット。アルバム・チャートもTOP100の2位まで上昇。人気は爆発そして映画「レス・ザン・ゼロ」のために録音したS&Gの名曲「冬の散歩道」のカバー曲も大ヒット。2位を獲得。おしもおされぬGIRL GROUPであり、GO-GO’Sナキあと、ダントツ・ナンバー・ワンでの世界中のアイドルである。