アメール・ラリュー



■グルーヴ・セオリーを経てついにソロ・デビュー


グルーヴ・セオリーは、ニューヨーク出身フィラデルフィア育ちのアメール・ラリューとNY出身のブライス・ウィルソン(元マントロニクス)の2人組。





詩人であり、ソングライターであり、さらにはとても20才そこそことは思えない深いヴォーカル力を持つアメールを擁したグルーヴ・セオリーは、1995年衝撃的アルバム『グルーヴ・セオリー』をリリース。


そのデビュー作からは、「テル・ミー」、「ベイビー・ラヴ」、「キープ・トライン」など続々とヒットを記録。特に「テル・ミー」に至っては、リリースと同時にチャートを駆け上がりビルボード・ナショナル・チャートで最高5位の大ヒットを記録。クラブでもヘヴィー・プレイされ、クラブ・ピープルたちのアンセムと化した。





アメール・ラリューはアンダーグラウンド・シーンでの評価を揺るぎないものとしたのである。日本でも同様にヒットを記録。「テル・ミー」はクラブ/アンダーグラウンドにとどまらない広がりを見せたのである。





それから4年が経とうとしている現在でも衝撃は全く薄れることがないどころか、逆にその斬新さに改めて気付かされる。「テル・ミー」はまさに歴史に残る名曲であり、アルバムも同様の評価を受けている。ある血気盛んなジャーナリストは、<もっとも手強いソウル・ジャンキーにとってさえ、クイック・フィックスになる>と評した。





しかし、デビュー・アルバム発表以降、グループとしての活動は休止状態に入る。







その後のアメールは、シャーデーのバックバンドが結成したグループ、スウィートバックのデビュー作にマックスウェルやバハメディアらと共に参加したり、ルーツのセカンド・アルバム『Illadelph Halflife』への客演を果たしたりと、その才能を随所で発揮していたものの自身の作品という形では休止状態を続けていた。





「あの時期の経験は私の目を開かせてくれた」と、当時を振り返りながらアメールは語る。「いろんなことを教えられたの、音楽づくりのことだけじゃなく、音楽ビジネスそのものについてもね。現在だって、ビジネスの部分で、音楽の部分でさえそうだけど、闘いとは言わないまでもいろいろあるわ。私が女だから曲も書けなければ自分のプロデュースもできないだろうっていう雰囲気みたいなものはあるのよね。曲を書くことと歌うことは私の場合直接つながっているから、どっちかだけをやるなんて想像もできないのにね。だけど、そういったことでめげてちゃいけないっていうことを学んだの。そういう問題は、すごく現実的なことだし実際に存在している.... 一人の人間としての自分を信じて、自分のやっていることに満足していないとほんとに精神的にまいっちゃうわ」