アリーヤ

アリーヤ/Aaliyah

アリーヤ(本名:アリーヤ・デイナ・ホートン、1979年1月16日生、2001年8月25日没)は1990年代後半に大きな人気を誇った女性R&Bシンガー。当時R&B界の新進気鋭のプロデューサーだったティンバランドのサウンドをバックに、その神秘的でスピリチュアルなビートとグルーヴが作り出すオーラをまとった彼女の存在と作品は2020年代の現在に至るまで数々のR&Bアーティスト達に多大な影響を残している。その人気の絶頂にあった2001年、バハマでのビデオクリップ撮影の帰途、搭乗していたセスナ機の墜落事故で惜しくも他界(享年22歳)。

ニューヨークのブルックリン生まれ、デトロイト育ちのアリーヤは、若い頃歌手を目指した母親や母方の叔母のグラディス・ナイトのサポートもあり、既に幼少からTVCMのオーディションなどでシンガーとしての高い才能を発揮していた。アリーヤ12歳の時に、グラディスの元夫で叔父のバリー・ハンカーソンが設立したブラックグラウンド・レーベルと契約して歌手としてのキャリアをスタート。バリーの紹介で当時R&B界の大スターだったR.ケリーのバックアップを得たアリーヤは、1994年にR.ケリーのプロデュースでデビュー・アルバム『Age Ain’t Nothing But A Number』をリリース。これがいきなり全米アルバム・チャートで18位を記録、15歳とは思えないセクシーさ満点のR.ケリー作デビュー・シングル「Back & Forth」、天使のように美しい歌声によるアイズレー・ブラザーズの名バラードのカバー「At Your Best (You Are Love)」と全米トップ10ヒットを連発し、たちまち新しいソウル・クイーンとしての地位を確立した。ただしこの成功の一方でアリーヤとR.ケリーが当時非合法の婚姻関係にあったことが明らかとなり、この一作限りでアリーヤはR.ケリーと公私を問わず一切の関係を断った。彗星のようにシーンに搭乗したR&Bのスターのキャリアがいきなりつまずいたかのように見えた。

1996年、ブラックグラウンド・レーベルの配給元のジャイヴ・レコードからアトランティックに移籍したアリーヤは、当時その独得で新感覚なR&Bサウンドで急速にシーンでの存在感を高めていたティンバランドと、彼のソングライターで自らも翌年『Supa Dupa Fly』の大ヒットでブレイクするミッシー・エリオットの二人を迎えて作ったセカンド・アルバム『One In A Million』をリリース。この意欲的サウンドによる新作はR.ケリーとのスキャンダルを吹っ飛ばす大ヒットとなりファースト同様、全米アルバム・チャート18位、全米200万枚売上のダブル・プラチナ・アルバムを記録、彼女のニュー・ソウル・クイーンとしてのステイタスを不動のものとした。

この頃からアリーヤは映画にも進出。1999年にカンフー・アクション・スター、ジェット・リー主演映画のアクション・ロマンス映画『Romeo Must Die』でジェットの相手役としてスクリーン・デビュー。彼女がエグゼクティブ・プロデューサーを務めた映画のサウンドトラック盤からは、彼女初の全米ナンバーワンとなった「Try Again」がヒット、この曲は翌年の第43回グラミー賞の最優秀女性R&Bボーカル部門にノミネート、ビデオクリップは2000年のMTVビデオ・ミュージック・アウォードで最優秀女性ビデオ部門と最優秀映画ビデオ部門を受賞。アリーヤは続いてゴシック・ホラー映画『Queen Of The Damned』(2002年公開)でバンパイヤの女王役を演じたり、映画『マトリックス』の続編への出演が決定していたなど、意欲的に音楽と俳優業の両方に取り組んでいた。

充実したアーティスト活動の中、再びティンバランドと制作に取りかかったサード・アルバム『Aaliyah』は2001年7月にリリースされるや、全米アルバムチャートの2位に初登場し、彼女最大のヒット作となった。ティンバランドのフューチャリスティックなサウンドがいかんなく結晶した「We Need A Resolution」や「More Than A Woman」、そして21世紀R&Bの夜明けを告げるようにスケールの大きい「Rock The Boat」など珠玉の楽曲が詰まったこのアルバムはその後広く2000年代R&Bの傑作の一つとして評価され、今のR&Bアーティスト達に大きな影響を与えた。

アーリヤのキャリアが絶頂にさしかかっていたそんな時、悲劇は起きた。2001年8月25日、バハマでの「Rock The Boat」のビデオクリップ撮影が完了した帰国するアリーヤが乗ったセスナは離陸直後に滑走路先に墜落、アリーヤとスタッフの7人は即死だったという。彼女の訃報が届けられると、全米、世界中のファンのみならず、当時デスティニーズ・チャイルドのメンバーだったビヨンセや叔母のグラディスをはじめ多くのミュージシャン達が悲嘆にくれた。既にチャートを下降していたアルバム『Aaliyah』は反転し9月にはナンバーワンを記録。「More Than A Woman」はイギリスでナンバーワンに輝くなど、アリーヤのあまりにも早い死を悼むシーンの反応は絶大で、改めて彼女のシーンにおける存在の大きさが実感された。

今年2021年の8月25日はアリーヤの20周忌にあたる。今も彼女の音楽を求めるファンは後を絶たない。つい先頃ノーマニ(元フィフス・ハーモニー)がカーディBとコラボしたシングル「Wild Side」のドラム・ブレイクビートが、アリーヤの「One In A Million」のサンプルではないかという14,000以上のツイートが殺到したというエピソードもある。そんな中、長く権利関係の問題で流通が限られていて、デジタル・ダウンロードやストリーミングにも解放されていなかったアリーヤの作品群(ファーストアルバムを除く)がこのタイミングに合わせてCDやLPで再リリース、加えてストリーミングも解禁されることになった。死後20年で初めてアリーヤの音楽が、当時存在していなかったストリーミングという形で広くファンのもとに届けられることになるが、これによりアリーヤというR&Bシーンにおけるアイコンの輝きはいっそうまばゆいものになるだろう。

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)

1,アルバム
1994年 『Age Ain’t Nothing But A Number』(Blackground/Jive) - US 18位(2xプラチナ*)、US R&B 3位、UK 23位(ゴールド)
1996年 『One In A Million』(Blackground/Atlantic)- US 18位(2xプラチナ)、US R&B 2位、UK 33位(ゴールド)
2001年 『Aaliyah』(Blackground/Atlantic)- US 18位(2xプラチナ)、US R&B 2位、UK 33位(プラチナ)
2002年 『I Care 4 U』(未発表曲を含むベスト盤)(Blackground/Universal) – US 3位(プラチナ)、US R&B 1位、UK 4位(ゴールド)
2005年 『Ultimate Aaliyah』(サントラ盤提供曲などを含むベスト盤、日英豪のみのリリース)(Blackground) – UK 32位

2,シングル
1994年 
「Back & Forth」- US 5位(ゴールド)、US R&B 1位、UK 16位
「At Your Best (You Are Love)」- US 6位(ゴールド)、US R&B 2位、UK 27位
「Age Ain’t Nothing But A Number」- US 75位、US R&B 35位、UK 32位
1995年 
「Down With The Clique」- UK 33位
「The Thing I Like」- UK 33位
1996年
「If Your Girl Only Knew」- US 11位、US R&B 1位、UK 15位
「Got To Give It Up」フィーチャリング・スリック・リック - UK 37位
「One In A Million」- UK 15位
1997年
「4 Page Letter」- UK 24位
「The One I Gave My Heart To」- US 9位(ゴールド)、US R&B 8位、UK 30位
「Journey To The Past」- UK 22位
1998年
「Are You That Somebody?」- US 21位、US R&B 1位、UK 11位
2000年
「I Don’t Wanna」- US 35位、US R&B 5位
「Try Again」- US 1位、US R&B 4位、UK 5位(シルバー)
「Come Back In One Piece」フィーチャリングDMX- US R&B 36位
2001年
「We Need A Resolution」フィーチャリング・ティンバランド - US 59位、US R&B 15位、UK 20位
「More Than A Woman」- US 25位、US R&B 7位、UK 1位(シルバー)
2002年
「Rock The Boat」- US 14位、US R&B 2位、UK 12位
「Miss You」- US 3位、US R&B 1位、UK 76位
2003年
「I Care 4 U」- US 16位、US R&B 3位
「Don’t Know What To Tell Ya」- UK 22位
「Come Over」- US 32位、US R&B 9位
2012年
「Enough Said」フィーチャリング・ドレイク - US R&B 55位


* USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKでは、アルバムはゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2021年8月現在。