アリ・シャヒード・ムハマド(ATCQ) インタビュー(全文)
デビュー・アルバム『ピープルズ・インスティンクティヴ・トラヴェルズ』の25周年盤のリリースを祝うDJツアーのため来日したメンバー、アリ・シャヒード・ムハマド(DJ、プロデューサー)が、渋谷にオープンしたHMV&BOOKS TOKYOで、トークショーとサイン会を行った。立ち見を含め約100人を超えるヒップホップ・ヘッズが集る中、トークショーに先立ち、1990年のヨーロッパ・ツアーのライヴ映像をまとめたVHSビデオ『The Art of Moving Butts in Europe』(未DVD化)が上映された後、トークショーはスタートした。
2015年11月21日 @ HMV&BOOKS TOKYO
インタビュアー:高橋芳朗(音楽ジャーナリスト)/ 通訳:渡瀬ひとみ
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──アリさん、実は後ろで一緒にライヴ映像を見ていましたが、この映像はご覧になったことはありましたか?
「ハロー。たった今、見ました。」
──初めてですか?
「作った時以来だから、25年ぶりですね。」
──このツアーのことは覚えていますか?
「(会場のオーディエンスに向かって)皆さん、目を閉じてみてください。目を閉じて、19歳の頃のことを思い出してみてください。 OK、それじゃ目を開けて。僕の19歳の時の人生はこのライヴ映像のような感じでした。皆さんが目を閉じた時にどんなものを見たかは僕にはわかりませんが、僕が19歳の頃って言われて目を閉じると、この映像が浮かびます。」
──それでは、今日はデビュー当時の頃のことを中心にお伺いしたいと思います。ATCQは“ネイティブ・タン”と呼ばれるヒップホップ・クルーに属し、デ・ラ・ソウル、ジャングル・ブラザーズに続いて3番手としてデビューしました。既に彼らが大きな成功を収めている中登場したわけですが、アルバムをリリースする前から自分たちに対する注目度の高まりは感じていましたか?
「僕らが世に出た頃、このライヴの頃のことですが、僕らはあまり知られていなかったと思います。まだ「Description Of A Fool」という曲しか出していなくて、ニューヨークではちょっと話題になっていましたけれど、それ以外ではあまり知られていませんでしたね。当時ジャングル・ブラザーズも人気があったし、デ・ラ・ソウルも「Me, Myself & I」がヒットしていたので、自分たちはそれをもっと上回るものを出していきたいとは思っていました。」
──ネイティブ・タンはそれまでのヒップホップの持つマッチョなイメージを打破しました。また、それまでのヒップホップ・アーティストが手を付けていなかったような楽曲をサンプリングしてトラックを作っていましたが、音楽面と精神面における自分たちの革新性を自覚していたのでしょうか?
「19歳の時には誰だって世の中に対して、他の奴らとは違うんだという野望のようなものを持っているもんですよ。年上の人たちは、そんなのはクレイジーだって言ったりするけど、当時の僕らは自分たちらしさを最大限に出していこうと。もちろん、僕たちは当時盛んにサンプリングされていたジェイムズ・ブラウンなどからも大いに影響は受けていましたけど、他のアーティストたちにもいっぱい影響を受けていたので、何かこれまでにない新しいものを打ち出していこうというのが僕らの意図でした。デビューしたての頃は自分たちの音楽はそれほど評価されていませんでしたが、25年経った結果、今もこうやってみんなが体を揺らしながら聴いてくれているわけです。」
──当時のATCQはデ・ラ・ソウルやジャングル・ブラザーズに比べて、ビジュアルのイメージが強烈でした。アフリカの民族衣裳のような衣裳を着るアイディアはどこから来たんですか?
「(笑) まぁ、アフリカというイメージはジャングル・ブラザーズから受けた影響も確かにありましたね。ただ当時ニューヨークの自分たちの周りにいる仲間たちの間では、ああいう格好をした人が多かったですし、まぁ、カラフルに自分たちを表現したまでです。」
──誰かに着させられたというわけではないんですね。
「そういうわけではないです(笑)。昔からパーラメントやファンカデリックとか、アフリカ・バムバータとかの影響を受けて、真似してカラフルな服を着ていましたけど、とにかく当時のヒップホップ・シーンの中でなんとか目立とうともしていたわけで。ライヴでこう言うカラフルな衣裳を着たり、アートワークもただの写真を載せるのではなく、ちょっとカラフルなものにしたいなという思いがありました。音楽でも、ビジュアル・イメージでも、自分たちの中で感じていることを打ち出したかったんです。だから皆さんが今ご覧になった映像でも、裾の長いローブのような衣裳を着ていました。」
──では続いて、このアルバムの内容についてお聞きします。プロデューサーはグループ名義になっていますが、具体的な役割分担はどのようになっていたのでしょうか?
「僕自身はリリックを書くことはないので、リリックについてはQティップやファイフが書いていました。音楽に関してはみんな役割があって、意見をしたり、方向性を変えたり、ジャングル・ブラザーズやブラック・シープの良いところを持ってきたり。お互いに影響を与え合ったり、音に関してはみんなで意見を出し合っていましたね。」
──アルバムの1曲目の「Push It Along」は、アリさんがイニシアティブを取って作ったという記事を読んだことがありますが、そうだったのでしょうか?
「僕自身が最初のアイディアを出したかどうかは覚えていませんが、みんなそれぞれ役割がありましたね。」
──アルバムの中でも人気の高い「Bonita Applebum」は、アリさんとQティップさんがハイスクール時代にデモを作ったという話を聞いたことがあるのですが、実際どのように制作されたかを教えてもらえますか?
「まあ、15歳の男の子が書いたとても楽しい曲で、ハイスクールに通っているカワイイ女の子に一目惚れした・・・みたいなそんな曲なんですけど。最初に作ったのは15歳の時なので1985年ですが、1989年に再レコーディングした時にはリリックも音楽もかなり変わっていました。」
──それでは、当時はあのトラックではなかった?
「そうです。曲のコンセプト自体は同じですが、トラックもリリックも全然違ったものでした。まぁ、まだ若かったので、いろんなことを歌ってましたね。」
──先ほどのライヴ映像でも流れていましたが、「Youthful Expression」のアウトロと「Rhythm」のイントロで、“リズム”について語っていますが、あそこで訴えたかったことを説明していただけますか?
「いい質問ですね(笑)。なんて答えたらいいのかわからないですが、リズムというのはフィーリングであり、僕らが育った環境の中にあった音楽、特にブラック・ミュージックはすごくフィーリングを感じられる音楽であって、歴史的にみても、初期のジャズやジャズにまつわるサブ・ジャンル的なもの、ロックやヒップホップなどはそうです。Qティップがここで言おうとしているのは、リズムというものは人を覚醒させるものであり、気持ちを動かしてくれるものであり、人々をひとつにまとめてくれるものであり、踊らせてくれるものなんですね。リズムとラップというものは中毒になってしまうものなんです。だから、Qティップのラップの仕方というのは、ラップというよりも、どちらかと言えば、ジャズの人たちがやっているような手法に近い形で、ノンストップでグルーヴが続くんです。そういった意味では彼は天才だと思うし、彼がどういう人間であり、どんなことが彼を突き動かし、どんなことでグループがまとまるのか、世界が結集するのか・・・ニューヨークだけではなく、トロントとか、ロンドンとか、この東京とか。そんなことを彼は言っていたんじゃないかなと思います。」
──その「Rhythm」にはテイ・トウワ(towa tei)さんが参加していますが、彼との出会いと、彼から受けた音楽的影響を教えてください。
「テイ・トウワさんとどういう風に出会ったか、デ・ラ・ソウルを通じてか、Qティップを通じてかは忘れてしまいましたが、テイ・トウワの家で「Rhythm」をレコーディングした時には、まだそんなに彼のことは知らなかったけど、すごく幅広い引き出しのあるミュージシャンだなということはわかりました。彼がいろんな人を集めて、音楽のジャンルを越えて、いろんな意味で「Rhythm」のサンプリングをしていきました。おそらくアフリカ・バムバータのやっていたような手法を彼は取っていた気がします。」
──他にも日本の関連でいうと、アリさんのテーマ・ソング的な「Mr. Muhammad」では、ウェザー・リポートのライヴ盤に入っている日本人司会者のMCを使ってスクラッチしています。
「僕たちの持っていたウェザー・リポートのレコード盤の中で、東京で録音されたものを使ったんでしょうね。言葉を聞いて、英語じゃないエキゾティックな響きがあると思って、これをサンプリングしようと思ったんです。」
──それでは最後に、ツイッターで募った質問を2つお聞きしたいと思います。まずは、@Buoooooooonさんからの質問で、「昨年末に復活したディアンジェロの新作についてどのように思っていますか?」。アルバムは聴きましたか?
「『Black Messiah』ですよね。 (しばらく間が空いてから) 彼はとても才能豊かなアーティストで、良いレコードだったと思っています。他人の作ったレコードを批評することは、僕自身アーティストとして、クリエイターとして、センシティブなところがあるので、とても難しいのですが、すごく良いレコードだったと思うので、また次のレコードを作るのに10年、20年、30年かからなければいいなあと思っています。(笑) 最新のR&Bのトレンドに凝り固まらなかったのはとても勇気のあることだと思うし、今までのやってきたことの繰り返しになっていないことが勇気のある選択だったんじゃないかなと思います。」
──ディアンジェロの「Brown Sugar」は、アリさんが手がけた作品の中でもエポック・メイキングな作品だと思うのですが、レコーディングはどのような体験だったのでしょうか?
「曲自体は15分で出来たんです。その後にスタジオで作業があるわけですけれど、いろんなことが起きてしまった場合、予定通りに進めるのか、予定を忘れてハプニングに忠実に対応するか選択を迫られるわけですけれど、そのハプニングに従わないと、素晴らしい瞬間を逃してしまったりすることもあるんです。実はこの曲のレコーディングをしていた時、レコーディングのオペレーティング・システムに問題があったんだけど、当時エンジニアは誰も扱うことができず、僕しかわかっていなかったんだ。いろいろやってみてもうまくいかなくて、セッションをそこで終わらせてもよかったんだけど、その時にラファエル・サディークから“そういう時でも何かを残しておくべきだ”というアドバイスを貰ったんだ。ちょうどその時、スタジオにあったキーボードでディアンジェロが何かを弾き始めたんだ。それは何かよくわからないんだけど、凄くいいものだってことはわかった。エンジニアに録音したかって聞いたら、録ったって言うんだ。ディアンジェロ自身も何をどんな風に弾いていたかわかっていなかったんだけど、聞き直したら、凄くジャジーで、誰かが自分のためにテープを作ってくれるとしたらこんな風な曲になるんじゃないかなって思ったんだ。まぁ、録音していたからこそ、この曲が出来上がったわけなんです。」
──それでは最後の質問になります。@ku_sasukeさんからの質問で、「今回のデビュー・アルバムの25周年盤に続いて『Low End Theory』や『Midnight Marauders』の記念盤のリリースの予定はあるのでしょうか?
「皆さんが求めているかどうかに依りますね。(拍手が起こる) もちろん『Low End Theory』もやりたいなとは思っています。とにかくスペシャルなことをやりたいなと思っていて、今企画中です。あと4枚あるのですが、今回の1枚目だけでもういいよって言われちゃうかもしれないし。」
──いや、いや。皆さん待っていると思いますよ。
「ありがとうございます。」
──それでは最後に、今後の予定などを教えていただけますでしょうか?
「エイドリアン・ヤングというアーティストのアルバムを作っています。あとソウル・オブ・ミスチーフともやっています。他にも、来年に向けてTVドラマ用のサウンドトラックも作っているのでが、今はまだ詳しくは言えません。」
──ソロ・アルバムについてはどうですか?
「まだわかりません。他にも、面白いアーティストがいたらやりたいなと思って探しているのですが。トロントのMernaという興味深いシンガーがいるので、これからやっていく予定です。あと今ラファエル・サディークと一緒に仕事をしているので、今後なにか面白いことができたらと思っています。」
──それではインタビューはこのあたりで終わらせていただきます。
「もし時間が大丈夫でしたら、オーディエンスの方からの質問も受けますよ。」
──え、いいんですか! それでは、質問のある方はいらっしゃいますか? 「ATCQとしての前回の来日が2010年のサマソニだったんですが、これからATCQとして来日する予定や可能性はありますか?」
「ハハハ、またライヴをやってほしいというのはよくされる質問なんです。わかないけど、そうなるといいですね。」
──次の方。「プロデューサーとして必要なもの、なりたい人が養うべきものってなんでしょうか?」
「一番大事なのは想像力を持つこと。実際、プロデューサーは無から何かを生み出すからね。目を閉じて想像を豊かにして、形にしていかなければならないので。それと、もう一つ大事なことはテクノロジーをよく知ること。自分の楽器や機材というものを知ること。テクノロジーを知れば知るほど、それを駆使してスペシャルなものを作ることができるので。あとは、人と人のネットワークを多く持つことですね。ミュージシャンを知っているとか、エンジニアを知っているとか。音楽を作っていく上で、例えばグラフィックが得意だとか、ソーシャル・ネットワークに通じているとか、そういう幅広い人を集めて、ものを作っていくということがプロデューサーの作業なので、プロデューサー=ソングライターである必要はないんです。アーティストが求めているものをより強化して、より良いものを作っていこうとするのがプロデューサーの役割です。」
(協力:HMV&BOOKS TOKYO)