アブス
「FIVEが解散したとき、おれはまだ十分やり終えた気がしていなかったし、このままでいたら頭がおかしくなりそうだったよ。おれはまだハングリーで、何かをしたくてしようがなくて、ただ座っているなんて無理だったんだ。音楽はおれにとって人生そのものだから…」

 今アブスは彼の音楽について語り合うことに期待し、胸をわくわくさせている。彼の顔には消えることの無い笑みが浮かんでいるが、微笑む理由は沢山あるのだ。ソロ・デビューとなるアルバム「アブストラクト・セオリー」が完成したのだから。

 

 アブスことRichard Abideen Breenは、23年前にイースト・ロンドンのハックニーで生まれた。最初の数年間はトルコ人の父とアイリッシュの母との暮らしであったが、父が家を出てからは、母親であるケイがひとりで彼を育てあげた。アブスは15歳のときに家を離れて勝手気ままな生活になり、夢に向かって走り始め、ある日4人の男たちと一緒になった。



4人プラス1人、それがFIVEの誕生だったのだ…



 アブスがFIVEに参加したのは17歳のときだった。始まりは地味であったが(「スラム・ダンク(ダ・ファンク)」は最高第10位)、彼らはまもなくポップのプレミア・リーグでスター・プレーヤーと化して行く。アルバムとシングルはそれぞれ700万枚ずつのセールスを記録し(UKでの3枚のナンバー1ヒットを含む)、米国でも成功を収め、またブリット・アワード、MTV、そして6つのスマッシュ・ヒッツ・アワードなど多くの賞を受賞した。アルバム3枚をリリースしていた期間、彼らは自分たちがサクセスのための強力な青写真を確立したポップ・グループだったという事実を、常に見失わずに成長し、そのサウンドを明確にし、さらに磨きをかけていた。2001年の秋にとうとう解散をむかえ、ファンのために「グレイテスト・ヒッツ・コンピレーション」という作品をリリースしたが、それはまるでモダン・ミュージックの表面に走り書きを残して行ったかのような遺品であった。



 そして今から1年前の2002年5月、アブスはダブリンのレコーディング・スタジオにいた。彼はサイモン・コーウェルのレーベルであるSレコーズと契約を果たし、ダブリンをベースに活動するプロダクション、Biff Co.(FIVEのビッグ・ヒットの何曲かを手がけたのと同様、スパイス・ガールズやガブリエル、Sクラブなどでも知られる)から、FIVEの解散後、個人的に電話を受けていたのだ。そのチームと共にアブスはデビュー・アルバムに向けてレコーディングを開始し、セッションのなかからAlthea & Donnasの「Uptown, Top Ranking」をファンキーにリメイクした楽曲「ワット・ユー・ガット」をソロ・デビューのシングル曲として引きぬくことに決定。それは2002年の夏を代表する楽曲となり、UKチャートの第4位に浮上する。そしてそれから…事態は少し静かになってしまう。

 それは彼のレーベルのボスが突然アメリカで有名人となってしまったことが原因だった。だがしばらく放っておかれたアブスのオーストラリアでリリースした「シェイム」(「It’s a shame(My sister)」のリメイク)が地球の反対側のチャートをみるみる上昇。また彼はファンキー・モンキーという名でDJを務め、RougeやPop、CCLUBといったロンドンのクラブで大評判となっていた。それはすばらしい経験であり、アブス本人も楽しんではいたが、彼が本当に望んでいたことではなかった…

「その頃はフラストレーションが溜まっていたよ」と彼は話す。

「アルバムのマテリアルは準備できていたのに、リリース・スケジュールはなにもなかったんだから」

 アブスは、ただ時が過ぎて行くことが苦痛だったのかもしれない。だが結局のところ、その当時の状況と現在とのギャップは、彼にとっては必要なものだったのだ。

「意味があったのさ」そう言って彼はニヤリと笑った。

 

 コーウェルを別のA&Rとチェンジしたアブスは、最初のセッションからの楽曲をも含めた制作を行ない、デビュー・アルバム「アブストラクト・セオリー」を、2003年で最もエキサイティングなアルバムのひとつにするため、ほどなくして新しいプロデューサーと会った。アブスをすばらしいアーティストに変貌させた多種多様なビートやライム。このアルバムはそれらに満たされた、スマートなコンテンポラリー・ポップとなっている。そんなアブスの出会いのひとつはBrian Higgins(シュガベイブス/ガールズ・アラウド)であり、Higginsの驚嘆すべき才能は「7 Ways」(BMGが新たに契約したEVEのヴォーカルをフィーチャー。失った愛への非常に美しい賛歌)でまた新たな転換期をむかえたといえよう。

 そしてアルバムからのセカンド・シングルは「ストップ・サイン」というトラックで、これは60年代後半のMel Wynn and the Rhythm Acesのノーザン・ソウル・クラシックのリメイクである。Absolute(ティナ・ターナー)によってプロデュースされ、Steve Fitzmorris(クレイグ・デイヴィッド、ディペッシュ・モード)によってミックスされたこの楽曲は、感覚にアタックする2分57秒148BPMのパーフェクトなポップ旋風だ。一度耳にしただけで人々はリズムに突き動かされ、メロディにハミングさせられ、弾丸のような歌詞に頭を撃ち抜かれることであろう。聴衆はアブスに対する見方をまったく変えてしまうに違いない。まさに今までの彼とは違う彼がここにいる。

 またマックスウェルのギタリストでプロデューサーのHod Davidと行ったNYでのレコーディングも、すばらしい結果をもたらしている。

「NYのヴァイヴは本当に独特なものだから、見方を変えて楽曲制作やレコーディングができたよ」

 つまりこれは予測不可能なアルバムであり、ダークで歪んだユーモアと臆することのないポップの感性に溢れた作品であり、肥沃な土壌で培われたものなのだ。

「おれは以前FIVEで達成した成功のレベルを維持したいし、できればそれより1歩進みたいとも思う」

 ニュー・アルバムだけでなく、これから彼が行うことすべてから目を離すことができなくなるだろう。



 アブスは音楽業界に6年以上在籍しているが、「アブストラクト・セオリー」はこれまでに無いほど、自分のサウンドの方向性を彼自身が所有していることを示している。ぜひ、サウンドでそれを確かめて欲しい…