
 |
|
|

 |
◆コンテンツを楽しむには事前の準備が必要です。以下をご確認ください。お客様のPC環境によってはご利用いただけない場合がございます。あらかじめご了承ください。
※本企画はWindows限定企画です。Windowsの動作環境についてはコチラをご覧ください。
◆コンテンツを楽しむには
・シンプリー・レッド「グレイテスト・ヒッツ 25」のCD
・CD-ROMドライブを搭載したパソコン
・最新版のShockwave、ConnecteDプラグイン(いずれも無料)のインストールが必要です。 インストールはコチラにて事前の準備をお願いします。
・楽曲をダウンロードするには音楽配信サイト「mora」の会員登録(無料)が必要です。登録はコチラ
・楽曲を再生するには音楽再生ソフトSonicStageもしくはWindws Media Playerが必要です。 詳しくは楽曲ダウンロードページにてご確認ください。
※ページが見られない、ConnecteDを初めて利用するという方はQ&Aをご覧ください。
◆ConnecteDに関するお問い合わせ
ご不明な点などございましたら、ConnecteD Q&Aをご覧ください。
◆ConnecteD認証後の楽曲ダウンロードは音楽配信サイト「mora」のシステムを採用しております。楽曲のダウンロード、再生方法についてはmoraへお問い合わせください。お問い合わせはコチラ |
 |
2009 年、ミック・ハックネル(Mick Hucknall)は自身が結成し、バンド名を付け、フロント・マンを務めたシンプリー・レッドの25周年記念を迎えた。1984年のポスト・パンク期にマンチェスターのストリートやクラブから登場したシンプリー・レッドは、結成から12ヶ月以内に全英チャートへと躍り出た。
シンガーのハックネル、ベーシストのトニー・バウワーズ(Tony Bowers)、ドラマーのクリス・ジョイス(Chris Joyce)、ギタリストのデイヴ・フライマン(Dave Fryman)、キーボード兼シンガーのフリッツ・マッキンタイア(Fritz McIntyre)、ホーン奏者のティム・ケレット(Tim Kellet)から成るオリジナル・ラインナップのシンプリー・レッドは、盛況なクラブ・サーキット・ツアーの常連アーティストとなり、その後すぐにレコード会社の新人スカウト担当者の目に留まった。
中でも、最も粘り強く、寛大だったのは、あの名高いELEKTRAレーベル のUK オフィスの役員達であった。 シ
ンプリー・レッドは結成から6ケ月以内でメジャー・レーベルと契約し、名プロデューサーのスチュワート・レヴィンとスタジオ入りしたのだ。
ファースト・アルバム『PICTURE BOOK』の制作中にギタリストがデイヴ・フライマンからシルヴァン・リチャードソンに交替するという初のメンバー・チェンジを経て、 1985年10月に発売された同アルバムはTop20入りした
デビュー・ヒット “Money’s Too Tight (Too Mention)”のお陰で全英2位を獲得した。
ハックネルが自宅ベッドルームで書いた同アルバムからは更に4曲をチャートに送りこんだ。 この『PICTURE
BOOK』は全米アルバム・チャートTop20入りを果たし、1986年7月には“Holding Back The Years”が全米シン
グル・チャート1位に輝く。一方、イギリスでは55位に終わった同シングルを半年後に再リリースし、見事2位を
獲得した。
1987年3月にはホーン奏者のイアン・カーカム(Ian Kirkham)とヴォーカリストのジャネット・シーウェル(Janette Sewell)をフィーチャーし、プロデューサーにアレックス・サドキンを迎えた2作目の『MEN AND WOMEN』 が発売された。 曲作りにはモータウンの伝説的なソングライターのラモン・ドジャーが参加し、コール・ポーター(の名曲“Ev’ry Time We Say Goodbye”)やレゲエ・レジェンドのバニー・ウェイラー、シルヴェスター・スチュワート(スライ・ストーン)の楽曲をカヴァーした。
チャート入りした4曲のシングルを含むセカンド・アルバム『MEN AND WOMEN』は、(前作に続き)全英アルバム・チャート2位を獲得。シンプリー・レッドは再び大掛かりな全英、全米、欧州ツアーに出た他、オーストラリアや日本、ニュージーランドにて新境地を開いた。そして1987年に彼らは9ケ月間に渡るツアーで120本ものライ
ヴを行った。
1989年2月にはギタリストのヘイトールT.P.を迎えたサード・アルバム『A NEW FLAME』を発表し、更なるブレイクを果たした。初の全英アルバム・チャート1位に輝いたシンプリー・レッドは、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフに
よるソウル・クラシック“If You Don’t Know Me By Now ”のカヴァーを全英シングル・チャート2位、 全米1位に送りこんだ。そして、 全米シングル・チャート1位を2度獲得したことにより、シンプリー・レッドはジョン・レノン、デヴィッド・ボウイ、クイーン等のイギリス勢と肩を並べることになった。
この3作目の成功と収録楽曲の質により同アルバムはイギリス国内で100万枚、全世界で600万枚の大ヒットを記録。 よって、ライヴ会場はクラブやコンサート・ホール系から大規模なアリーナへと一変し、ブラジルのサンパウロでは6万人のオーディエンスの前で演奏した。
1988年10月から1990年3月までの間、シンプリー・レッドは140本ものライヴを行い、再び世界を制覇した。こ
の時期、ハックネルは彼らが更なる新境地を開く4枚目のアルバムの構想を立てていた。
『STARS』はマッキンタイアによる2曲を除き、ハックネル作の楽曲ばかりを集めた初のアルバムとなった。
“Something Got Me Started”、“Stars”、“For Your Babies” と3曲のトップ20ヒットを含む4枚目のアルバムは、前作『A NEW FLAME』に続いてスチュワート・レヴィンと組んだ作品となった。また、このアルバムからベーシストのショーン・ワード(Shaun Ward)とパーカッション奏者の屋敷豪太(Gota)が、ハックネル、 マッキンタイア、カーカム、ケレット、エイトールというラインナップに新たに加わった。
バンド・リーダーのミック・ハックネルとシンプリー・レッドにとって『STARS』は真の名作となった。楽曲が“ラジオ向きではない”と見なされていたアメリカでもこの作品は70万枚を売り上げ、イギリスでの400万枚を含めた全
世界におけるアルバム累計売上は800万枚となった。
アルバム『STARS』でシンプリー・レッドは全世界における勝利を収め、この作品に伴うツアーで彼らはイスラエル、ギリシャ、シンガポールを含める初公演地を含めて150万人以上の観客を魅了した。全英アルバム・チャートでは5回に分けて合計12週間1位に輝き、合計134週間もの期間にチャート入りして1991年と1992年に“最も売れたアルバム”となった。また、BRITアワードとワールド・ミュージック・アワードで”最優秀アルバム”を獲得した。
『STARS』から5作目のスタジオ・アルバム発表までには4年間のブランクがあったが、1992 年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで録音したライヴEPは高い評価を得て、このライヴ盤でチャートに再登場した彼らは新
たなファンを得た。
1995年、アルバム『LIFE』はシンプリー・レッドにとって3作品連続で全英アルバム・チャートで1位に輝いた作品
となった。脱退したケレットとワードに替わり、 同アルバムではブーツィー・コリンズやレゲエ界のスターとして知
られるスライ・ダンバーとロビー・シェイクスピア(スライ&ロビー)がゲスト参加した。
そして、 ついにシンプリー・レッドは “Fairground”で全英シングル・チャート1位を獲得することになった。この
他にもEURO96(欧州サッカー・チャンピオンシップ)のオフィシャル曲“We’re In This Together”を含めた3曲がチ
ャート入りを果たした。『LIFE』に伴うワールド・ツアーは1995年から1996年まで続き、 新ベーシストのスティー
ヴ・ レウィンソン(Steve Lewinson)とヴォーカリストのサラ・ブラウン(Sarah Brown)が加入した。
当初ハックネルは発売をいくらか反対していたものの、 1996年にリリースした15曲入りのベスト盤『GREATEST
HITS』で再びシンプリー・レッドは首位に輝き、才能溢れるフージーズをフィーチャーした“Angel”は全英シング
ル・チャート5位のヒットとなった。
シンプリー・レッドの新ラインナップは1998年発表のアルバム『BLUE』で全く新しい容貌を見せることになった。彼らは同作品によりアルバム5枚連続1位を獲得し、ハックネルによる“Say You Love Me”や名曲ポップス“The Air That I Breathe”のカヴァーを含む4曲のヒット・シングルを放った。
その後、 マッキンタイアとヘイトールが次の道へと進む一方で、屋敷豪太がアンディ・ライト(Andy Wright)とハッ
クネルと共にAGMというチーム名で共同プロデュースするために復帰した。
1998年のライヴ活動はロンドン3公演のみだったにも関わらず、シンプリー・レッドは翌年1999年に南アフリカ、
ヨーロッパ、ラテン・アメリカを精力的にツアーした。
そして、 1991年の移籍以来シンプリー・レッドがWarner Music及びEast West Recordsと長期間に渡り成功を
収めた両者の関係は終焉に近くと、彼らは所属レーベルから最後のアルバムとなる『LOVE AND THE RUSSIAN
WINTER』を発表し、 2曲のシングルをチャートに届けた。
2002 年、ハックネルと彼のマネージメント・チーム(アンディ・ドッドとイアン・グレンフェル)は、録音作品、ツアー、マーチャンダイジング、スポンサーシップ活動を行うsimplyred.comという名のユニークかつ画期的なビジネス・モデルを創り上げた。これは、全世界で合計130以上のプラチナとゴールド・ディスクを獲得してきたバンドが新たに前進するための新たな方法だった。
『HOME』は急進的な新組織から発売した初の作品で、全英アルバム・チャート最高2位を獲得した同アルバム
にはトップ10ヒットの“Sunrise” とスタイリスティックス “You Make Me Feel Brand New ” のカヴァーを含むヒット・シングルを4曲収録。大成功を収めたこの『HOME』は、この音楽史において、インディーズから世界規模で発売したアルバムの中で最も売れたアルバムとして賞賛を得ている。
『HOME』に伴うワールド・ツアーで、ハックネルは自身が確立した11人編成のチームによる新挑戦を模索し続けた。2005年には、彼の新しい自宅スタジオで録音された2作目でもある、ラテンものからインスピレーションを
得たアンプラグド・アルバム『SIMPLIFIED』を制作し、ロンドンの名門アルバート・ホールでの連続公演や大規模
なヨーロッパ・ツアーを行った。
全英3位、ヨーロッパでは10位にランク・インした同アルバムには“Perfect Love”とダブルAサイド・シングル
“Something Got Me Started/A Song For You”を収録し、イアン・カーカム、 デイヴ・クレイトン(Dave Clyaton) 、クリス・デ・マーガリー(Chris De Margary)、ディー・ジョンソン(Dee Johnson)、ジョン・ジョンソン(John Johnson)、サラ・ブラウン、鈴木賢司、ピート・レウィンソン、スティーヴ・レウィンソン、ケヴィン・ロビンソン(Kevin Robinson)という長年の付き合いの演奏者たちをフィーチャーしたアルバム『STAY』を2007年に発売した。
シンプリー・レッドにとって10枚目のスタジオ・アルバムとなる『STAY』は全英、ヨーロッパ、オーストラリア、カナダでのツアー後に発売され、全英4位獲得により(デビュー・アルバムから)22 年間連続で彼らのアルバムはTop10ヒットとなった。ちなみに、 このアルバムにはハックネルがジュールス・ホランド(Jools Holland)と初共作した“Lady”とインスピレーショナルなロニー・レインの楽曲“Debris”を収録している。
2008 年、音楽的可能性を更に広げたいと切望したハックネルは偉大なるソウル・シンガー、 ボビー・ブランドヘのトリビュート・アルバムでソロ・デビューを果たした。 これに伴い、 ヨーロッパとイギリスで開催されたシンプリー・レッドのツアー前に、数日のみ「Tribute To Bobby」コンサートを行った。
結成25周年記念に先駆けて、ハックネルはシンプリー・レッドの究極の楽曲集をプロデュースするという大きな役目を引き受けることになった。『SIMPLY RED 25』と表記された2枚組ベスト盤には、過去25年間におけるトップ25曲と、ムーディー・ブルースが60年代に放ったスマッシュ・ヒット“Go Now”のカヴァー(最新シングル)を収録している。
これまで行ったライヴ本数は1,000公演以上(合計観客数:1,000万人以上)である他、全世界で5、000万枚以上の累計セールスや30作品の全英トップ40ヒットを誇るシンプリー・レッドは、今後も更なる新作と2009年のワールド・ツアーで沸かせてくれることだろう。
1985年のオフィシャル・バイオグラフィーでミック・ハックネルは「これは単なるスタート」と自信を持って予測した。
昨今、シンプリー・レッドの未来に対する疑問符が浮かんでいる状況ではあるが、25回目の誕生祝いでシンプリー・レッドの幕を閉じないことを願おう。
(2008年10月/ Brian Southall) |
 |
|
| © Sony Music Japan International Inc. All Rights Reserved. |
 |
|