ジャニス・ジョプリン『ウッドストック・エディション』

ジャニス・ジョプリン『ウッドストック・エディション』

2009年7月22日発売 SICP2322〜3 2枚組:¥3,780(税込)

完全生産限定盤●紙ジャケット仕様●未発表*収録
両面刷り折込ポスター付●解説・歌詞・対訳付

米盤(KCS9913)をE式シングル・ジャケットにて再現
タイトルのステッカー封入

DISC 1 : I Got Dem Ol'Kozmic Blues Again Mama !

1. トライ 5. トゥ・ラヴ・サムバディ
2. メイビー 6. コズミック・ブルース
3. ワン・グッド・マン 7. リトル・ガール・ブルー
4. 素晴らしい世界に 8. ワーク・ミー、ロード

1969年は大いなる変化の到来を告げる年だった。テキサス州ポート・アーサー生まれのシンガー、ジャニス・ジョプリンの話だ。しばらく活動を共にしたバンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと袂を分かったジャニスにはすでに、自分の思うとおりの音楽をやれるだけのものが備わっていた。目指す頂は高かった。前のバンドで出したヒット・アルバム『ファースト・レコーディング』と『チープ・スリル』を超えるものを作りたい。ジャニスが新たに組んだのはコズミック・ブルース・バンド。メンバーたちはスタックス/ヴォルトの誇るヒットメーカー、オーティス・レディング、ブッカーT&MGズ、サム&デイヴに心酔していた。その影響でジャニスの音楽スタイルは劇的に変わる。サウンドにファンクとソウルの要素が加わったのだ。「あのバンドがいい具合にブレンドしたんだ。もともとあったなまの手触りと、あとで身につけた洗練されたプロの技をね」とレガシーのプロデューサー、ボブ・アーウィンは語る。

1969年9月に発売された本作『コズミック・ブルースを歌う』は、ジャニスの新たな一歩になった。カバー曲(ビージーズの「トゥ・ラヴ・サムバディ」やロジャーズ&ハートの「リトル・ガール・ブルー」)と強力なオリジナル(「トライ」)からなるこのスタジオ盤はジャニスの傑作として名高い。収録曲はライヴで欠かせないレパートリーになった。

思い描いていたものが形になるのはもう少し先だが(1971年の『パール』)、この初ソロ作はジャニスが新たな高みを目指すための確かな土台になった。しかし悲しいかな、世間は彼女の未来を耳にする機会を奪われてしまう。1970年10月4日、ジャニス・ジョップリンは急逝した。

DISC 2 :RECORDED LIVE AT THE WOODSTOCK MUSIC & ART FAIR, SUNDAY, AUGUST 17, 1969

1. レイズ・ユア・ハンド * 6. コズミック・ブルース
2. 素晴らしい世界に * 7. お前をはなさない *
3. トゥ・ラヴ・サムバディ 8. ワーク・ミー、ロード
4. サマータイム 9. 心のカケラ
5. トライ 10. ボールとチェーン

ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとその無名シンガー、ジャニス・ジョプリンは1967年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァル最大のサプライズだった。彼らのパフォーマンスに感動し、とりわけジャニスの並はずれた歌と存在感に心を奪われたのが当時コロムビア・レコードのクライヴ・デイビスで、彼はすぐさまバンドと契約を結ぶ。それから2年後の1969年8月17日、ジャニス・ジョプリンは(ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと別れ、ソロ・アーティストとして歩み始めたばかりだった)ウッドストックのステージに続く階段を上っていた。今度は誰もが知るスーパースターとして。

出演者リストに名を連ねる他のきら星のごときスターたちと同じく、“平和と音楽の3日間”におけるジャニスのフェスも遅れに遅れた。「誰の出番もひどく遅れたんだ。悪天候と機材の問題のせいでね」と祭典の共同プロデューサー、マイケル・ラングは説明する。結局、10時間以上も待たされるはめになったのだが、ジャニスは気を取り直し、最高のパフォーマンスを見せる。歌ったのは10曲。「心のかけら」やビッグ・ママ・ソーントンの「ボールとチェーン」といったライヴでのお気に入りに加え、発売間近の初ソロ作『コズミック・ブルースを歌う』から「トライ」、ビージーズの「トゥ・ラヴ・サムバディ」、「コズミック・ブルース」も披露した。「ジャニスのステージはスタックス/ヴォルト・レヴューみたいにパワフルで、客の受けも最高によかった」とラングは語る。「バンドリーダーの“スヌーキー”フラワーズとの掛け合い風のパフォーマンスで、客の心を鷲づかみにしたんだ」

同じく共同プロデューサーのジョエル・ローゼンマンもジャニスのステージをよく覚えているが、その記憶は悪夢のごとき金銭トラブルにも彩られている。グレイトフル・デッドとザ・フーが、ギャラをもらってからでなければ演らないと言って譲らなかったという。「ぎりぎりのところで小切手を渡せて、それでなんとか収まった」とローズマンは振り返る。「ぼくがイベントを救ったんだ。で、気づいたら目の前のステージでジャニスが歌っていた、肺も張り裂けんばかりの激しさでね。嬉しさと興奮が合わさって、本当に最高の気分だったな」

ここでのジャニスの歌は粗いが、その未完成さの中に美がある。驚愕の声を絞り出す喉の調子は絶好調で、彼女はいかにも楽しげだ。「ジャニスはここにいられるのが嬉しくてたまらないという感じだった」とラングは言う。「この歌を聴けば、のりにのっていたのがわかると思う。見事なパフォーマンスだったね」