『ジョニー・キャッシュ・ショー』は、ジョニー・キャッシュの第2弾目となる刑務所ライヴ・アルバム『アット・サン・クエンティン』がリリースされた3日後の‘69年6月7日、ABC-TVをキー局として放映が開始された。番組は同年9月まで、土曜日夜にほぼ毎週オンエアされ、10月から年末までの中断を経て、翌‘70年1月から放映を水曜日に移して再開、5月13日にファースト・シーズンの計32回を終えている。‘70年9月からはセカンド・シーズンが始まり、‘71年3月31日まで計26回の放映が行なわれた。このDVD『ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー』は、その合計58週分の放映からベスト・パフォーマンスを選りすぐり、全盛期のキャッシュの唯一無二の存在感を伝えるとともに、ジャンルを軽々と跳び超えて選ばれた豪華ゲストたちの演奏をたっぷり収めた貴重な映像集だ。
 番組はナッシュヴィルのライマン公会堂のステージを1階席まで拡張し、2階席を客席にあてて、すべてライヴ演奏で収録された。ライマン公会堂といえば、カントリーを代表する歴史的な音楽番組『グランド・オール・オープリー』の会場であり、いわば“カントリーの聖地”にあたる。しかしこのショーには、著名なカントリー・アクトのほかに、ロック、ソウル、シンガー・ソングライターなど、ジャンルを超えたアーティストが、次々に迎えられた。この点にこそ、キャッシュの孤高のアウトローぶりと、アメリカ音楽の核心に向けた慧眼が感じられるだろう。また番組が存続した‘69年〜‘71年は、ロック音楽がそのピークに達し、同時に有能なシンガー・ソングライターたちが続出した時期にあたる。そうした時代の息吹がリアルタイムの映像として記録されていることも、本作の大きな特徴と言えるだろう。

ボブ・ディラン「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」
ボブ・ディラン&ジョニー・キャッシュ「北国の少女」

 記念すべき第1回から、ほとんど人前に姿を現わさなくなっていたボブ・ディランを迎えたことは、キャッシュが掲げていた音楽的主張を物語っている。ディランとキャッシュは‘64年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルで出会い、以後親交を温めるうち、コロンビア・レコードのボブ・ジョンストンが2人の共通のプロデューサーだったことから、セッションが実現。‘69年4月にリリースされたディランのナッシュヴィル・レコーディング・アルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』には、デュオによる「北国の少女」が収められ、大きな話題となっていた。この歌はもともとディランが初期の代表作『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(‘63年)に収めていたものだが、キャッシュは当時からこのアルバムをバックステージに常備するほど気に入っていたという。ディランは当夜、『セルフ・ポートレイト』(‘70年)で発表することになる「リヴィング・ザ・ブルース」も歌った。

ルイ・アームストロング&ジョニー・キャッシュ「ブルー・ヨーデル #9」

 歴史的なジャズ・トランペッター、サッチモことルイ・アームストロングの出演は、キャッシュ・ショーのハイライトのひとつとなった。翌年7月に他界するサッチモの、見事なエンタテイナーぶりを見ることができる。曲はサッチモが‘30年にレコーディングに参加したカントリー黎明期のスター歌手、ジミー・ロジャースのナンバー。ロジャースの看板だったヨーデルのパートは、2人のデュオで歌われる。

スティーヴィー・ワンダー「ヘヴン・ヘルプ・アス・オール」

 60年代前半の少年期から、モータウン・レコードの代表的アーティストとなり、70年代を迎えてソウル・ミュージックの最先端に立ったスティーヴィー・ワンダーが、ゴスペル・フィールを全開させて熱演。アルバム『涙をとどけて』に収められ、‘70年のポップ・チャートでトップ10ヒット(9位)、R&Bチャートでは1位を獲得した曲だ。

クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル「バッド・ムーン・ライジング」

 ロックンロール、R&B、ブルース、カントリーなど、アメリカ南部音楽を集約しながら、続々とシングル・ヒットを放って大成功を果たしたルーツ・ロックの先駆者、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルが、‘69年のビッグ・ヒット(2位)を快演。ジョン・フォガティ、ステュ・クック、ダグ・クリフォードに加え、ジョンの兄のリズム・ギタリスト、トム・フォガティが在籍していたオリジナルの4人によるパフォーマンスだ。

タミー・ウィネット「スタンド・バイ・ユア・マン」

 60年代後半、急速な勢いで女性カントリー歌手のトップに登りつめたタミー・ウィネットが、見事な節回しで彼女の代表曲を歌う。タミーが歌詞を自作、プロデューサー&ソングライターのビリー・シェリルが作曲し、‘68年にカントリー・チャートNO.1、ポップでも20位圏内にランクされた。夫に尽くす理想的な女性像を示唆した内容で、ある種のアイコン的ナンバーとして愛された名曲。

ジョニー・キャッシュ「黒い服の男」

 第52回はナッシュヴィルの名門校、ヴァンダービルト大学での取材シーンを含み、キャンパスで行なわれた学生たちとドラッグなどについて語るフィルムをまじえるなど、時代を反映した特別なプログラムとなった。このとき初演され、のちに代表曲となった「黒い服の男」は、いつも黒衣をまとっているキャッシュがその理由を述べた自作。毎週何百人もの若者がベトナムで戦死することに言及する箇所で、とりわけ大きな拍手を浴びている。

ジェイムス・テイラー「スウィート・ベイビー・ジェイムス」

 同じく第52回。前年(‘70年)の秋から「ファイアー・アンド・レイン」がヒットし、シンガー・ソングライター時代の旗手として大きな注目を集めていたジェイムス・テイラーが登場。郷愁と現代的な詩情を込めたこの歌を歌う。この回は特にロック世代向けのゲストが迎えられ、他にニール・ヤング、トニー・ジョー・ホワイト、リンダ・ロンシュタット&スワンプウォーターらが出演した。

ニール・ヤング「ダメージ・ダン」

 第52回、ヴァンダービルト大学のキャンパスで学生たちとドラッグについて対話するキャッシュが紹介するのは、ニール・ヤング。ドラッグ常用者の苦悩を真正面から描いたこの歌は、視聴者にとってある種の衝撃をもたらしたはずだ。ヤングが傑作アルバム『ハーヴェスト』(‘72年)に収めてリリースする、ちょうど1年前にあたる放映。ここには収められていないが、ヤングは続けてステージにセットされたピアノを弾きながら「ジャーニー・スルー・ザ・パスト」を歌った。

ジョニー・キャッシュ「アイ・ウォーク・ザ・ライン」

 キャッシュの最初のブレイクスルーとなり、彼のシグネイチャー・ソングとなったサン・レコード時代‘56年のヒット「アイ・ウォーク・ザ・ライン」(カントリー1位、ポップ17位)。この曲はこのショーで何度も歌われたが、オープニングに使用されたのはこの最終回のみだった。

デレク&ザ・ドミノス「イッツ・トゥー・レイト」
デレク&ザ・ドミノス with ジョニー・キャッシュ&カール・パーキンス「マッチボックス」

 おそらくこれが短命に終わったデレク&ザ・ドミノスの唯一の映像に違いない。メンバーはもちろん、エリック・クラプトン(ギター)、ボビー・ウィットロック(オルガン)、カール・レイドル(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)の4人。クラプトンのヴォーカルにウィットロックが激しく掛け合いで呼応する「イッツ・トゥー・レイト」は、アルバム『いとしのレイラ』(‘70年)でとりあげたチャック・ウィリスの‘56年のR&Bヒット。カール・パーキンスのロックンロール・クラシック「マッチボックス」では、ドミノスにパーキンス本人とキャッシュが加わり、豪華共演が実現する。パーキンスがいつになく気合の入ったギター・ソロを聴かせているのが面白い。

レイ・チャールズ「リング・オブ・ファイア」

 「愛さずにはいられない」をはじめ、レイ・チャールズにはカントリー・ソングをソウルにアレンジした数多くのレパートリーがある。このキャッシュの代表曲は、‘70年のアルバム『ラヴ・カントリー・スタイル』で取りあげ、‘70年2月(第19回)の出演に続いて2度目の登場を果たした際に、これを歌った。濃厚なソウル・フィールに満ちたレイ・チャールズならではの解釈だ。

ジョニー・キャッシュ「スーという名の少年」

 漫画家、絵本作家、劇作家として知られるシェル・シルヴァースタインは、ユーモラスな風刺精神をまじえた傑作曲を書く、シンガー・ソングライターという顔も持っている。父親にスーという名前をつけられてしまった青年の顛末を描いたこの歌は、キャッシュがライヴ・アルバム『アット・サン・クエンティン』(‘69年)で取りあげ、カットされたシングルが爆発的なヒット(カントリー1位、ポップ2位)を記録した。当然キャッシュ・ショーでも第1回以来、何度も歌われたが、これはヴァンダービルト大の学生たちの熱い声援を受けた第52回の演奏。放映時には“son of a bitch”の箇所がピー音で消されていたけれど、本DVDは堂々のノーカットだ。

トニー・ジョー・ホワイト&ジョニー・キャッシュ「ポーク・サラダ・アニー」

 濃厚な南部フィールを込めたスワンプ系自作自演歌手トニー・ジョー・ホワイトは、キャッシュのショーに3度出演したが、これは初出演にあたる第27回のもの。エルヴィス・プレスリーが取りあげ、ホワイトの名を一躍高めたナンバーを、キャッシュとデュオで和気あいあいと演じた。南部の純朴な青年といった、ホワイトのたたずまいがほほえましい。

ロイ・オービソン「クライング」
ロイ・オービソン&ジョニー・キャッシュ「おお、プリティ・ウーマン」

 キャッシュとはサン・レコードでレーベル・メイトだったロイ・オービソン。キャッシュのショーに3回出演したうちの、これは最初の回。‘61年の名作バラード・ヒット(1位)と、’64年の大傑作ビート・ナンバー(1位)を歌う。キャッシュとデュオで歌われる後者には出たとこ勝負の楽しさがあり、旧友どうしの親密さがうかがえる。

ジョニー・キャッシュ「フォルサム・プリズン・ブルース」

 ‘56年に4位にランクされたサン時代のヒット。やがて刑務所ライヴを行なうようなったキャッシュのシグネイチャー・ソングと化した代表曲だ。キャッシュ・ショーで何度も歌われたが、この第5回ヴァージョンには、キャッシュの無頼なキャラクターが特によく表われている。