記念すべき第1回から、ほとんど人前に姿を現わさなくなっていたボブ・ディランを迎えたことは、キャッシュが掲げていた音楽的主張を物語っている。ディランとキャッシュは‘64年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルで出会い、以後親交を温めるうち、コロンビア・レコードのボブ・ジョンストンが2人の共通のプロデューサーだったことから、セッションが実現。‘69年4月にリリースされたディランのナッシュヴィル・レコーディング・アルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』には、デュオによる「北国の少女」が収められ、大きな話題となっていた。この歌はもともとディランが初期の代表作『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(‘63年)に収めていたものだが、キャッシュは当時からこのアルバムをバックステージに常備するほど気に入っていたという。ディランは当夜、『セルフ・ポートレイト』(‘70年)で発表することになる「リヴィング・ザ・ブルース」も歌った。