つづれおり(レガシー・エディション)

キャロル・キング『つづれおり(レガシー・エディション)』

  • 完全生産限定盤
  • 未発表ライヴを含む最新デジタル・リマスター
  • 未公開写真を含むカラーブックレット付
  • 解説:ハーヴェイ・クバーニック、萩原健太/歌詞/対訳付
  • 三面デジパック特別仕様

Disc1

  • アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ
  • ソー・ファー・アウェイ
  • イッツ・トゥー・レイト
  • ホーム・アゲイン
  • ビューティフル
  • ウェイ・オーヴァー・ヨンダー
  • 君の友だち
  • 地の果てまでも
  • ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー
  • スマックウォーター・ジャック
  • つづれおり
  • ナチュラル・ウーマン

Disc2

  • アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ(ライヴ)
  • ソー・ファー・アウェイ(ライヴ)
  • イッツ・トゥー・レイト(ライヴ)
  • ホーム・アゲイン(ライヴ)
  • ビューティフル(ライヴ)
  • ウェイ・オーヴァー・ヨンダー(ライヴ)
  • 君の友だち(ライヴ)
  • ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー(ライヴ)
  • スマックウォーター・ジャック(ライヴ)
  • つづれおり(ライヴ)
  • ナチュラル・ウーマン(ライヴ)

「このパッケージにはアルバム『つづれおり』と、私たちが『つづれおりライヴ』と呼んでいる、1973年と1976年にボストン、メリーランド、セントラル・パーク、サンフランシスコで行なわれたコンサートから選ばれた音源が入っています。ピアノの弾き語りだけのライヴ……私がその歌を初めて聞いたのもまさにそんなふうで、キャロルがオフィスにやってきてプレイしてくれたのです……。歌はピアノとボーカルだけで生き生きしています。ピアノの中にボーカル・メロディやストリングの旋律、ベース・ライン、もしかしたらギター・ラインまで聞こえてくるのではないでしょうか。彼女はそんなふうに演奏していましたし、彼女のデモもそうでした。私がいちばん最初に聞いた歌もそのとおりだったのです」
——プロデューサー、ルー・アドラー

 キャロル・キングの1971年のオード・レコーズからの傑作『つづれおり』は、ひとつの芸術的基準として、70年代ポップの礎として、音楽業界の現象的事件として、そして何より、何度も繰り返し聞かれるに違いないアルバムとして語り継がれている。ヒット・シングル(「イッツ・トゥー・レイト」b/w「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」、「ソー・ファー・アウェイ」b/w「スマックウォーター・ジャック」)やきわめつきのスタンダード・ナンバー(「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー?」、「ナチュラル・ウーマン」、「君の友だち」)のみならず、永遠に封じ込められた遠い昔の瞬間が甦ってくる手応えが素晴らしいのだ。
 オリジナル・アルバムのプロデューサーでありオード・レコーズの創立者、ルー・アドラーは、当時キングの事実上のマネージャーを務めており、『つづれおり』に至る10年も前から彼女の西海岸における音楽出版代表でもあって、キャロル・キング本人を別にすればキャロル・キングの音楽にこれほど近い人は誰ひとりいなかった。彼はブリル・ビルディング時代から彼女の細心に作り上げられたピアノ弾き語りのデモ録音作品のパワーに気づいていた。アドラーはコンサートでもキングのソロのパート(バンドが彼女のステージに加わる前か後)が彼女のデモ、ことに『つづれおり』のデモの精神をいちばん見事に捉えているとずっと思っていた。
『つづれおり』が生まれるきっかけになったのは、キャロル・キングがラブレア通りのA&Mレコーズ敷地内にあるオードのオフィスでルー・アドラーに聞かせた、そんなデモだった。そこは音楽コミュニティの“大学キャンパス”みたいだったと、かつてはチャーリー・チャップリンが所有していたスタジオを改装したオフィスについて彼は楽しそうに振り返る。LP、8トラック、カセット、CDなどで何年もの間アルバムをずっと愛聴してきた人たちにとって、このレガシー・エディションはキャロル・キングならではの“アンプラグド”的素晴らしさを、冬でも春でも夏でも秋でも、体験するチャンスを提供してくれるものなのだ。
「彼女のピアノの中にストリングスのパートが聞こえるはずです。他のバックのパートが聞こえるかも知れない。私がこのデモを当時ボビー・ヴィーのレコーディングをしていたリバティ・レコーズのスナフ・ギャレットのところに持って行ったら、もう取り戻すことはできませんでした。彼らはそのデモをレコードとして気に入ってしまったのです。だから『つづれおり』のプロダクションについて考え始めたとき、そのデモのサウンド——あまりに幅広くなりすぎないようにして、キャロルが真ん中にくるようにすれば、彼女がピアノの前に座っている姿が浮かんできて、ぐっとパーソナルな感じになるだろうと思いました。そのデモがずいぶん大きな役割を果たしたのです」
『つづれおり』レガシー・エディションは、12曲のクラシック・アルバムのリマスター・バージョンと、アルバムと同じ曲順の弾き語り未発表ライヴ・バージョンと合体させることで、ついにアドラーの数十年来の夢のコンセプトを実現した。ライヴ・レコーディングは1973年(ボストン、メリーランド州コロンビア、ニューヨーク・セントラル・パーク)、1976年(サンフランシスコ・オペラ・ハウス)で行なわれた
(特記:ライヴCDは11曲収録である。というのも、この時期にライヴ・レコーディングされた「地の果てまでも」は存在しない——キャロル・キングはまだその歌をコンサートで生演奏していなかったからだ)。
 2枚のCDに加えて『つづれおり(レガシー・エディション)』にはロサンジェルスのA&Mスタジオでの録音風景を撮影した未公開写真を散りばめたフルカラーのブックレットが封入されている。又それには、詳しいミュージシャン・クレジットや歌詞とともに、詳細の解説が入っている。そのライナー・ノーツは長年L.A.の音楽ジャーナリストとして活躍するハーヴェイ・クバーニックによって書かれている。彼はライヴ素材について「あなたが聞くのはまったく飾りのないものだ。ピアノの前に座ったキングは忠実なファンに向かってその魂をほとばしらせている。まさにその一瞬に、ひとりひとりのもとに風とともに……贈り物を持って訪れるのだ。歌に込められた親密さは明白で、こうした感情に訴えようとする姿勢は20世紀にもっとも愛された歌の数々に備わっている果てしない幅の広さを伺わせる」と書いている。
 クバーニックのライナーはルー・アドラーとの数時間に渡る突っ込んだインタビューに(部分的に)基づいている。ある部分では、アドラーが「ナチュラル・ウーマン」について「私たちがやった方法は、きわめて『つづれおり』的だったと思う。プロダクションはほんとにシンプルで、キャロルとチャーリー・ラーキーだけ。できる限りデモに近い、ピアノとボーカルとベースだけで、歌を何より大切にしているんだ。彼女は間違いなくアレサ・フランクリンをしのごうとはしていないし、私もプロダクションでジェリー・ウェクスラーをしのごうとはしていないからね。私たちは素晴らしい歌を提示しているだけなんだ」

『つづれおり(レガシー・エディション)』の発売はレコーディング・アーティストとしてのキャロル・キングの50周年を記念するものだ。彼女がニューヨークのハイスクール・オブ・パフォーミング・アーツ(PA)を卒業し、クイーンズ大学でソングライティングのパートナーであり後の夫となるジェリー・ゴフィンと出会い、アル・ネヴィンスとドン・カーシュナーのアルドン・ミュージック(伝説のブリル・ビルディング内にある)と契約したのは1958年のことだった。彼女のデビュー・シングル「THE RIGHT GIRL」は1958年5月にABC-パラマウント・レコーズから発表されている。
 その後の10年はソングライターとして成功を収め、ゴフィン=キングはアメリカとイギリスで目も眩むような連続ヒットを放った。「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー?」(シュレルズ)、「サム・カインド・オブ・ワンダフル」(ドリフターズ)、「ハーフウェイ・トゥ・パラダイス」(トニー・オーランド)、「エヴリ・ブレス・アイ・テイク」(ジーン・ピットニー)、「サヨナラ・ベイビー」(ボビー・ヴィー)、「クライング・イン・ザ・レイン」(エヴァリー・ブラザーズ)、「ロコモーション」(リトル・エヴァ)、「アップ・オン・ザ・ルーフ」(ドリフターズ)、「チェインズ」(クッキーズ)、「かなわぬ恋」(スティーヴ・ローレンス)、「悪口はやめて」(クッキーズ)、「ワン・ファイン・デイ」(シフォンズ)、「ヘイ・ガール」(フレディ・スコット)、「朝からゴキゲン」(ハーマンズ・ハーミッツ)、「炎の恋」(アニマルズ)、「希望を胸に」と「プリーザント・ヴァレー・サンデー」(モンキーズ)、「ナチュラル・ウーマン」(アレサ・フランクリン)、「ゴーイン・バック」と「ワズント・ボーン・トゥ・フォロー」(バーズ)、「ソー・マッチ・ラヴ」と「ハイ・デ・ホー」(ブラッド・スウェット&ティアーズ)などなど。作曲のパートナーシップは離婚後の1968年に解消され、キャロル・キング(そのときまでに2児のシングル・マザー)はソロ・レコーディング・アーティストとしてのキャリアをふたたび真剣に追求しだしたのだ。
 1971年3月後半に発表された『つづれおり』はポップ・ミュージック史における絶妙のタイミングだったこともあって世界的大反響を巻き起こした。これは、フォーク・ロックが内包する、狂乱の時代に放つ内省的で社会意識の高いロマン性が、ローレル・キャニオンとして知られるロサンジェルスの音楽コロニーを中心に台頭した太陽輝くウェスト・コーストの自然主義と出会った時期だった。その発端になったのはFM周波数帯域幅の規制緩和だった。それは、独自のアーティストを育てたりメインストリームのトップ40とは別のプレイリストを作ったりしたがる、いわゆる「プログレッシヴな」、あるいは「アンダーグラウンドの」、あるいは「フリー・フォームの」ラジオ・ステーションの急増という結果を招いた。キャロル・キングはそのどちらの世界でも活躍した稀なアーティストのひとりだった。
『つづれおり』からのファースト・シングル「イッツ・トゥー・レイト」b/w「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」は1ヶ月後の4月にビルボード・ホット100に入った。同じく4月に、キャロルの親友、ジェイムス・テイラー(『つづれおり』に5曲で参加している)が彼のニュー・アルバム『マッド・スライド・スリム』からのファースト・シングルとして「君の友だち」(『つづれおり』とは別のレコーディング)を発表した。キャロル・キングとジェイムス・テイラーがセッションを行なったA&Mスタジオは、この時期ジョニ・ミッチェルも使っており、ミッチェルとテイラーは「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー?」にボーカルを提供することになった。
 6月19日には「イッツ・トゥー・レイト」と『つづれおり』の両方がナンバーワンの座に着いた。「イッツ・トゥー・レイト」は5週間、『つづれおり』は15週間その座にとどまり、後者は最終的になんと302週もの間チャートインを続けたのだった。大局的に見れば、コンテンポラリーのロック/ポップ・アルバムでこれほどの高みに到達した作品は一枚もない。同年(11月)発表された『レッド・ツェッペリンⅣ』は259週しか続かなかった。もちろん、1973年に発表されたピンク・フロイドの『狂気』は741週という記録を作った。しかし、史上もっとも長くチャートにとどまったアルバムのトップ5では『つづれおり』の地位は揺るぎない。アルバムはアメリカで10倍のプラチナ・ディスクに認定され、アドラーによると世界中で2400万枚を越す売り上げを記録している。
 1972年3月に開催された第14回グラミー賞で、キャロル・キングはレコード・オブ・ザ・イヤー(「イッツ・トゥー・レイト」)、アルバム・オブ・ザ・イヤーおよび最優秀女性ポップ・ボーカル(いずれも『つづれおり』)、ソング・オブ・ザ・イヤー(ジェイムス・テイラー・バージョンの「君の友だち」。テイラーは最優秀男性ポップ・ボーカルにも輝いた)を受賞、“グランドスラム(全勝)”を果たした初の女性となった。これは、アラニス・モリセット(1995)まで破られなかったグラミーの歴史的記録であり、さらにクインシー・ジョーンズは彼のアルバム『スマックウォーター・ジャック』(A&M)でベスト・ポップ・インストゥルメンタルを受賞した。

『つづれおり』の影響についてコメントを求められて、キャロル・キングは言った——「『つづれおり』が小さな意味でも大きな意味でも世界中の人々の人生に違いをもたらしたことを誇りに思っています。私の人生の相当な部分にもね」そして彼女は加える「ソングライターとしては、歌がこれだけの歳月持ちこたえたことがとても嬉しい。パフォーマーとしては、今でもこの歌をライヴで演奏して楽しんでいるのよ。いちばん最近では『リヴィング・ルーム』ツアーでね」。