フー・ファイターズ 世界一アツい“ロック兄貴”、デイヴ・グロール率いるフー・ファイターズ待望のベスト盤遂に発売!グラミー賞最優秀ロック・アルム史上最多受賞記録 全世界を組み伏す最強ロック・バンドの全てが詰まった一枚!
フー・ファイターズ Greatest Hits グレイテスト・ヒッツ 2009年11月18日発売 初ビデオクリップ集、収録!!
初のベスト盤発売記念!今こそ復習のとき!アルバムで振り返る、フー・ファイターズ14年の歴史を徹底解剖!!
1995   フー・ファイターズ/FOO FIGHTERS
フー・ファイターズ/FOO FIGHTERS ヒットシングル“This Is A Call”を生んだデビュー作。全米最高位23位。
ニルヴァーナの衝撃的な解散が未だ色濃く余韻を引きずっていた1995年7月、フー・ファイターズはセルフ・タイトルを冠したアルバムでデビューを果たす。それまで世間的にデイヴ・グロールは、ニルヴァーナのパワフルなドラマーとしてのみ認知されていただけに、彼が曲を書き、歌い、ギターを弾いて、これだけの作品を作り上げるとは全く誰も予想しておらず、その登場はまさに衝撃的なものだった。記念すべきファースト・アルバムは、バレット・ジョーンズのプロデュースで、シアトルにあるロバート・ラング・スタジオにて録音され、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムス、全パートの演奏をデイヴが1人でこなしている(※1曲だけ元アフガン・ウィッグスのグレッグ・デュリが参加)。

アルバム完成後、デイヴは、この頃ちょうど解散したばかりのサニー・デイ・リアル・エステイト(※現在2度目の再結成中)に所属していたネイト・メンデルとウィリアム・ゴールドスミスをリズム隊として迎え、さらにセカンド・ギタリストに、かつては伝説的なパンク・バンド=ジャームスに在籍し、後期ニルヴァーナにも参加していたパット・スメアを誘い、正式に4ピースのバンドとなってフー・ファイターズのキャリアをスタートさせた。ファースト・シングル「ディス・イズ・ア・コール」、バンド初のビデオ・クリップが作られた(監督はディーヴォのジェリー・キャセール)セカンド・シングル「アイル・スティック・アラウンド」、さらにウィーザーのリヴァース・クオモが大のお気に入りだという「ビッグ・ミー」など、デイヴの作曲能力の高さを示す楽曲が収録された本作は、ビルボードで23位、全英チャートでは3位にランクインを果たした。

1997   ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ/THE COLOUR & THE SHAPE
ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ/THE COLOUR & THE SHAPE 「モンキー・レンチ」などの大ヒット曲(日本では05年にキリン“極生”CM曲となった)を生み、フー・ファイターズとしての活動を軌道に乗せたセカンド・アルバム。全米最高位10位。
初来日公演を含むワールド・ツアーを終えたフー・ファイターズは、ピクシーズの一連の作品を手がけたことで名をあげたギル・ノートンのプロデュースのもとセカンド・アルバムのレコーディングに取りかかる。 だが、バンドでのレコーディングを開始して早々に、ウィリアムのドラム・プレイにデイヴが満足できず、結局ウィルはレコーディング半ばにして脱退。 もともと彼は、手を負傷したままでツアーをこなすことを強いられたりするような状況が続く中、メジャーにおける活動ペースについていけず、バンドへの意欲を急激に失っていたようにも思う。 急遽デイヴ自身が殆どのトラックでドラムを叩く形でレコーディングは続行されたが、そうして完成した『ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ』は、未だにフー・ファイターズの最高傑作としてあげる人も少なくない傑作となった。

ファースト・シングル「モンキー・レンチ」、セカンド・シングル「エヴァーロング」ほか、粒ぞろいの佳曲が並んでおり、1997年5月にリリースされたアルバムは全英で3位、ビルボードでも10位まで上昇するヒットとなった。ちなみに、タイトルの"カラー"の綴りがイギリス式になっているのは、ギル・ノートンがイギリス人だからだとのこと。

一方バンドは新たなドラマーとして、アラニス・モリセットのバック・バンドにいたテイラー・ホーキンスをリクルートしてツアーに出発、悪天候による壮絶な環境がすでに伝説となっている第1回フジロック・フェスティバルにも出演を果たした。混沌としたオーディエンスに「みんな、ちょっとずつ後ろに下がって!」と呼びかけていたデイヴの姿は、今でも強く印象に残っている。
なお『ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ』は2007年になって、シングルのカップリング曲などを追加した10周年記念エディションがリリースされた。

1999   ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ/THERE IS NOTHING LEFT TO LOSE
ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ/THERE IS NOTHING LEFT TO LOSE 全米最高位10位。グラミー賞「ベスト・ハード・ロック・パフォーマンス」獲得アルバム。
テイラーをドラマーに迎え、ラインナップを強化したフー・ファイターズだったが、今度はパット・スメアが脱退を表明、デイヴは後任にフランツ・スタールを加入させてツアーを続行する。フランツは、デイヴがニルヴァーナ以前に所属していたバンド=スクリームのメンバーだった。 だが、続く3枚目のアルバム制作が始動するにあたって、結局フランツはバンドに居残れず解雇、サード『ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ』は、デイヴ、ネイト、テイラーの3人でレコーディングされることになる。 デイヴは、喧噪に満ちた大都市ロサンゼルスを離れ、自分の生まれ故郷であるヴァージニア州アレキサンドリアにて自宅の地下室をスタジオに改造し、アダム・キャスパーをプロデューサーに迎えて、気心の知れた仲間と毎晩バーベキューを楽しみながら、非常にリラックスした雰囲気の中で録音作業を続けたという。

そうやって完成した本作は、当時シーンを席巻していたコーンやリンプ・ビズキットなどのいわゆるニュー・メタル勢への対抗意識から、徹底的にメロディアスな側面を追求した作風が特徴的で、ファースト・シングル「ラーン・トゥ・フライ」や「ブレイクアウト」など、非常にスムーズなサウンドを持ったポップな楽曲が満載されている。

1999年11月リリース、ビルボード10位、全英8位を獲得。 さらにアルバムは2001年に、グラミー賞でベスト・ロック・アルバムを受賞した。 なお収録曲「スタックト・アクターズ」が、コートニー・ラヴのことを揶揄した歌だと一部メディアが報道し、怒ったコートニーがデイヴを非難するという騒動も起きたが、極めて大人な対応で受け流すデイヴであった。



2002   ワン・バイ・ワン/ONE BY ONE
ワン・バイ・ワン/ONE BY ONE 全世界で800万枚以上を売りあげた激ロック・アルバム。                ベスト・ロック・アルバムとして2度目のグラミー賞を獲得。全米初登場3位。
新ギタリストに、ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミギミズのクリス・シフレットを加入させ、ついに現在にまで至る不動のメンツ を固めたフー・ファイターズだったが、その4人で取り組んだ初のアルバムとなる4作目のレコーディングには、実際かなり苦労したようだ。当初は前作と同じようにヴァージニアの地下室でレコー ディングをスタートさせ、その後ロサンゼルスの近代的なスタジオに移ってレコーディングを続けたのだが、数百万ドルの予算を注ぎ込んで殆ど完成しつつあったアルバムの内容に、どうしてもデイヴは納得できず、結局は全てを破棄して、いちから作業をやり直すことを決意する。 一時的にクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジにドラマーとして参加、リフレッシュをはかったデイヴは、再びヴァージニア州の自宅へ戻り、実質4日間でアルバムのほとんどを仕上げてしまい、他のメンバーの追加録音作業も1週間程度で終わらせるという大胆な行程を経て、ついに『ワン・バイ・ワン』は完成した。

2002年10月にリリースされた本作は、ビルボードでは3位、全英1位と大成功を収め、2004年のグラミー賞で再びベスト・ロック・アルバムに輝く。1曲目を飾る「オール・マイ・ライフ」は、未だにライヴでクライマックスの場面を担う超重要ナンバーのひとつ。

「タイアード・オブ・ユー」にはクイーンのブライアン・メイが参加している。また、リリース当時は911の同時多発テロがアメリカ社会全体に暗い影を落としていた時期で、そのことを考えて聴けば「タイムズ・ライク・ジーズ」の響きはより染み渡るものになると思う(※2004年の大統領選挙でジョージ・W.ブッシュが同曲を自身の選挙キャンペーンに使用した時、デイヴは対立候補のジョン・ケリーを応援し、自身の政治的なスタンスを表明した)。

2005   イン・ユア・オナー/IN YOUR HONOR
イン・ユア・オナー/IN YOUR HONOR 2枚組みでありながら350万枚を売り上げた超強力ダブル・アルバム。   全米初登場2位。
5作目のアルバムにとりかかるにあたり、デイヴはついにロサンゼルスに自らのスタジオを建設する。そこで作り上げられた『イン・ユア・オナー』は、エネルギッシュなロック・ナンバーを1枚目のディスクに凝縮したうえで、それまでに書き上げてはみたものの録音されてこなかったアコースティックなタイプの楽曲をもう1枚のディスクにまとめた、バンド史上初の2枚組作品となった。この当時、昔は失敗作として見なされることさえあったビートルズの『ホワイト・アルバム』やレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』などが再評価される気運や、レディオヘッドの『キッドA』と『アムニージアック』、システム・オブ・ア・ダウンの『メスマライズ』と『ヒプノタイズ』など、CD時代に規定されたアルバム・サイズから自由になろうとする動きもあり、そうしたシーンの空気を敏感なデイヴのことだから、ある程度は意識をしていたのではないだろうか。 2005年6月にリリースされた本作は、その体裁にもかかわらず全米・全英ともに2位を記録。グラミー賞は惜しくも獲れなかったが、計5部門にノミネートされている。

そして何よりもアコースティック・ディスクにおいて、ジョン・ポール・ジョーンズやジョシュ・オム(※この2人が後にゼム・クルックド・ヴァルチャーズのメンバーになることはご存知の通り)をゲストに迎えたり、ノラ・ジョーンズとデュエットしたボサノバ風の「ヴァージニア・ムーン」や、テイラーがヴォーカルをとる「コールド・デイ・イン・ザ・サン」などが盛り込まれたことは、バンドの音楽的な幅を一気に広げる結果をもたらした。これは直ちにアコースティック・セットでのツアー、その様子を収録した『スキン・アンド・ボーンズ』へと発展していくことになる。

2006   スキン・アンド・ボーンズ/Skin And Bones
スキン・アンド・ボーンズ/Skin And Bones フーファイターズ初のライヴ盤にして初のアコースティック・アルバム。    彼らの“歌”の素晴らしさが極限まで生の形で、且つ最高の形で現れた作品。
偶然というよりも必然的な成長の結実として、『イン・ユア・オナー』のアコースティック・ディスクはフー・ファイターズの創造性を多いに刺激し、拡大させた。それを受けて、同作品にも参加し ていた元ウォールフラワーズのラミ・ジャフィ、元ザット・ドッグのペトラ・ヘイデン、テイラーが紹介したパーカッショニストのドリュー・ヘスター、そして以前のメンバーでもあったパット・スメアを加えた8人編成を組んで、巨大なアリーナではなく、椅子付きのホールを会場に選ぶ形でのアコースティック・ツアーが実現。
このツアーの模様を収録したものが、フー・ファイターズ初のライヴ・アルバム『スキン・アンド・ボーンズ』となった(※ダニー・クリンチによって監督されたDVD作品も同時リリース)。本作リリース直後の2006年末には初の武道館公演とともに、アコースティック・ショウの方も新宿厚生年金会館で実現しているが、まったりした雰囲気の中で進行していくパフォーマンスの間に屈託なくニルヴァーナ時代の思い出を語るデイヴの姿は本当に印象的だった。ちなみに「スキン・アンド・ボーンズ」は、シングル「DOA」のカップリングとして収録されていた曲だが、本作では看板ナンバーとしてフィーチャーされるに至っている。

また、同年の6月にはロンドンのハイド・パークで、盟友クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジやジュリエット・ルイス&ザ・リックス、さらにはデイヴが最もリスペクトするグループのひとつであるモーターヘッドらを従えた、大規模なコンサートも行なわれた。
この日フー・ファイターズのステージには、クイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーがゲストで登場。そちらの様子は『ライヴ・イン・ハイド・パーク』というDVD作品になってリリースされている。

2007   エコーズ、サイレンス、ペイシェンス・アンド・グレイス/ECHOES, SILENCE, PATIENCE, AND GRACE
エコーズ、サイレンス、ペイシェンス・アンド・グレイス/ECHOES, SILENCE, PATIENCE, AND GRACE 全世界で200万枚のセールスを記録。グラミー2部門受賞の最新作。
こうして音楽性の幅を一気に広げたフー・ファイターズが、いちいちロックとアコースティックに分けなくても、それら全てを統合した形で1枚の作品にまとめあげる形で作り上げたのが、現時点での最新作であり、バンドのひとつの到達点である『エコーズ、サイレンス、ペイシェンス・アンド・グレイス』だ。

2007年9月にリリースされた本作は、ムーディなイントロから典型的なフー・ファイターズ流ロックへとなだれ込む「ザ・プリテンダー」で幕を開け、非常にメロディアスな「ロング・ロード・トゥ・ルイン」を含みつつ、カーキ・キングをゲストに向かえた「バラッド・オブ・ザ・ビーコンズフィールド・マイナーズ」、スティーリー・ダンみたいなつもりで作ったという「サマーズ・エンド」、さらにデイヴが初めてピアノを使って作曲した「ホーム」まで、実に多彩な要素を盛り込みながら、それでもフー・ファイターズらしさを失わない、極めて完成度の高い作品だ。全米3位、全英では1位を獲得し、2008年のグラミー賞で再びベスト・ロック・アルバムを受賞。このアルバムを完成させた後、バンドはアコースティック・セット用に組んだ8人編成のままエレクトリックなセットもこなすツアーに出て、最終的にはロンドンのウェンブレー・スタジアムで2日間ソールドアウトとなる記念碑的なコンサートも実現させた。ゲストで登場したジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズと共演した後、感極まって涙ぐむデイヴ・グロールは、フー・ファイターズがひとつのピークに立ったことを自覚したのだろう、ライヴ後には、しばし休養をとる意思を表明した。

しかし、満を持してリリースされる初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』には、すでにブッチ・ヴィグをプロデューサーに迎えて録音された新曲が2曲も収録されており、特に「ホイールズ」にはバンドのさらなる新生面が打ち出されている。現在はゼム・クルックド・ヴァルチャーズとしてツアーを続けながらも、デイヴの頭の中はすでにフー・ファイターズの次回作に向けてワクワクする状態になる瞬間もあるらしく、活動再開後の彼らが一体どんな音楽を生み出していくことになるのか、今から興味津々だ。




デイヴが参加する噂のスーパー・ロック・グループ、ゼム・クルックド・ヴァルチャーズからも目を離すな!!
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