3人
4人
5人
A:(1)
フィル・ラッドが1975年から83年まで在籍した後、サイモン・ライトが加入。89年にライトは脱退(後にディオに加入します)、元ザ・ファーム〜ゲイリー・ムーア・バンドのクリス・スレイドが参加します。ただ94年にはフィルが復帰、現在でもバンドのドラマーとして活動しています。波乱のキャリア を経てきたAC/DCですが、3人というのは多い?少ない?
メンバー全員が壁の向こうでプレイする
メンバー全員のコスチュームを着たマネキンがステージでプレイする
ライヴが始まってもいないのにステージ・セットを破壊する
A:(3)
なんとまだライヴ開演前だというのにステージ前の鉄球がステージ・セットを破壊してしまいます。そしてバンド登場!ちなみにこのツアーの模様は映像作品『ライヴ・イン・マドリッド 灼熱の闘牛場』で見ることが出来ます。ラテンなノリの観客が盛り上がりまくりの迫力ステージ、ぜひチェックしてみましょう。
ショー・ビジネス
ソウル・ストリッパー
クラブソディ・イン・ブル−
A:(3)
AC/DCの初期のアルバムは、オーストラリア盤とインターナショナル盤で異なっていたためレアな音源が存在します。「ショー・ビジネス」、「ソウル・ストリッパー」はオーストラリア盤『ハイ・ヴォルテージ』に収録された後、『74ジェイルブレイク』で聴くことが出来るようになりました。「クラブソディ・イン・ブルー」は『ロック魂』オーストラリア盤に収録されていますが、インターナショナル盤では「素敵な問題児」に差し替えられました。
2回
3回
1回も出演していない
A:(2)
1981年、1984年、1991年の3回、いずれもヘッドライナーとして出演しています。
1981年はホワイトスネイクやブルー・オイスター・カルト、84年はヴァン・ヘイレンやオジー・オズボーン、91年にはメタリカやモトリー・クルーという、凄いバンドばかりを従えて不動のトリを務めているとは、さすがAC/DCですね!
91年のライヴは『ライヴ・アット・ドニントン』として映像ソフト化されています。なおドニントンでは現在後継フェスティバルといえる『ダウンロード・フェスティバル』が毎年夏に行われており、いずれAC/DCがこのフェスに出演することもあるかも知れません。
メルボルン
シドニー
フリーマントル
A:(3)
1980年2月19日にボンスコットは、33歳という若さで永眠しました。イギリス北部スコットランドのキリーミュアに生まれたボンは6歳の頃にオーストラリアのメルボルンに移住しますが、それから4年後、西部パースのフリーマントルに引っ越しています。彼が少年時代を過ごした思い出の場所として、永遠の休みにつくのに相応しい場所といえるかも知れません。
今日でもボンのお墓を訪れるファンは後を絶ちませんが、近年墓標が盗まれるという悪質な事件も起こっています。ファンの皆さんは決してそういうことをしないように!!。