What Is WU-TANG CLAN?

WU-TANG CLANとは…

Wu-tangはニュー・ヨークはスタッテン・アイランド出身のラップ・グループ。
メンバー構成はRZA(レザ)、GZA(ジザまたはジーニアス)、METHOD MAN(メソッド・マンまたはメス)、RAEKWON(レイクウォンまたはシェフ)、OLD DIRTY BUSTERD(オール・ダーティ・バスタード)、GHOST FACE KILLER(ゴースト・フェイス・キラー)、INSPEKTAH DECK(インスペクター・デックまたはレベルINS)、MASTER KILLER(マスター・キラー)、U-God(ユーゴッド)、CAPPADONNA(カパドナ)の10人。
さらにその周辺にラッパー(ストリート・ライフ等)、プロデューサーなどがおりメンバーによればその数は増え続けているという。
そのプロデュースのほとんどを手掛けてきたのが、RZAでありWU-TANGの総帥である。
Wu-tang Clanは、非常に大所帯なグループだが、それぞれがソロ・アルバムを出しており、しかもそれがことごとくヒットしているという完璧なキャラだちがなされたスーパー・グループなのである。


ウータンの名前の由来

ウータン。英語で書くとWu-tang。
漢字で書くと「武闘」。もともとは少林寺拳法の一つの流派でその昔、中国で少林寺と対抗した武闘派が、すなわちウータンである。(少林(Shaorin)vs武闘(Wu-tong)という映画がある。)
メンバーのインタビューによると「Wuが剣(Sword)で、Tangがスラング」と説明しているものや「Wuが宙を切る音でTangが剣の振り」というのもあるが、武闘=ウータンである。
この背景には、RZAを含めウータンのメンバーがカンフー映画に多大な影響を受けているという事実がある。(ウータンのメンバーは小さい頃にカンフー映画を見て育ったという。)
そして、その精神性に深く共感を覚えた。その精神性とは…自らを鍛え、技を磨く、仲間を大切にする…などなど。
そのためグループ名は勿論のこと、メンバーの名前、曲名、収録曲の効果音などなど様々な形でそれが現れている。
例えばウータンのメンバーは地元スタッテン・アイランドのことをシャオリン=少林と呼んでいる。つまり総本山といったところ。
また1stアルバムのタイトルは「ENTER THE 36 CHAMBER」であり、これはご存じ「少林寺36房」=SHAORIN 36 CHAMBER、と「燃えよドラゴン」=「ENTER THE DRAGON」にひっかけてある。
さらに、ウータンの所有するスタジオの名前が36Chamberであったり(現在はウー・マンションと呼ばれる所にスタジオ等全て完備されている)、1stアルバムのA面がShaoin Sideと記され、B面がWu-tang Sideと記されていたり…といった具合である。
つまり、Wu-tangとは、カンフーの精神性やアイディア、ストーリー性を取り入れたラップ・グループなのである。(ちなみに昨年、発売されたプレイステーション・ソフト「WU-TANG」はメンバーのキャラを使って戦う格闘ゲームである。(日本では今年5月に発売された))



HISTORY OF WU-TANG CLAN

「Protect Ya Neck」=自己を防御せよ!

93年、1枚のアナログが発表された。タイトルは「PROTECT YA NECK」=自己を防御せよ。
この、恐ろしいほどのエネルギーを持ったシングルが瞬く間に全米を席巻し、ここ日本でもHIPHOPシーンでは相当な話題となったのであった。
当時、何から何まで謎に包まれていたWU-TANG CLAN。(ゴースト・フェイスにいたってはずっとストッキングを頭からかぶりっぱなしである時期まで顔を全くみせなかった)
HIPHOPライターのチェオ・H・コーカーをメンバーが殴打した事件がそのルックス通りの危ないイメージに拍車をかけ、さらに実はメンバーが500人以上いるなどという噂も飛び交ってWU-TANG人気は膨れ上がっていった。(実際はクルー含めて何人ぐらいになるのかは不明だが)WU-TANGの謎めいた部分がその人気に拍車のは事実だが、当然その楽曲のパワー、斬新さも忘れてはならない。
チープでシンプルながらも繰り返し聴いてしまう、ある種麻薬性をもったRZAのトラック、そして9人のメンバーの個性豊かなMC(これだけの人数が入れ替わり立ち替わりラップしても一聴して誰がラップしているかがわかってしまう)そんな、突然HIPHOP界にさっそうと現れたWU-TANG CLANであったが、実は、ウータンのメンバーの内、RZAとGZAはそれぞれ以前にソロ・デビューをしていた。
RZAはプリンス・ラキームという名前でTOMMY BOYから、GZAはジーニアス名義でCOLD CHILLINから。どちらも名をはせたHIPHOPレーベルであるが、そこで彼らはろくなプロモーションもしてもらえず、自分が出したくないようなPOPなサウンドを要求されたという。ここでの彼らの失敗、経験が後のウータン・クラン結成に大きく関係している。つまりリアルなものが受け入れられない音楽シーンとPOPなものしか出そうとしないレコード会社に対して復讐にきたグループ、それがWU-TANG CLANである。
RZAは地元スタッテン・アイランドの仲間を集め、レコード会社に頼らない自給自足の形で今一度HIPHOPシーンに返り咲くことを決意したのであった。
自らの手で完全に作品を作り、それを自らプロモーションする。93年に自主盤で1stシングル「PROTECT YA NECK」をリリースするとメンバーは自らマイクロ・バスにのりこみ全米各地をライブ&プロモーションしてまわった。

LOUDとの契約

完全自主盤でリリースされた「PROTECT YA NECK」にいちはやく目をつけたのが、当時全くの無名レーベルだったLOUDであった。WU-TANGのメンバーからすれば常にストリートの視点に立ち、アーティストのやりたいことをやらせるという考えをもったLOUDレーベルが魅力的であったが、WU-TANGと契約したことが後のLOUDの大成功に繋がっているのは間違いない。(LOUDにとってWU-TANGが初のヒットであり、その後MOBB DEEP、BIG PUNなどのヒットを生み出していくことになる。)つまりWu-tangがLOUDからリリースして(その徹底したストリート・プロモーションにより)ストリートからの支持を勝ち得たように、LOUDもまたWu-tangをリリースしたことによりレーベルとしてストリート、さらにHIPHOPアーティストからの支持を勝ち取ったわけだ。
1stアルバム「ENTER THE 36 CHAMBER」

LOUDと契約したWU-TANGは「PROTECT YA NECK」に続き、「WU-TANG CLAN AIN'T NUTHING TA F'WIT」、「C.R.E.A.M」と次々とシングル・ヒットを生み出し、93年ついに1stアルバム「ENTER THE 36 CHAMBER」をリリース。このアルバムがソースでもマイク4,5本を獲得しプラチナ・セールスとなったのであった。WU-TANG CLANはデビュー・アルバムを出すと同時に一躍HIPHOPシーンの中心的存在になるという快挙を成し遂げたわけだが、その後各メンバーのソロ・アルバムの怒濤のリリースが始まる。

それぞれのメンバーのソロ作品の成功

まず、WU-TANGの看板ラッパーといえるMETHOD MANがDEF JAMと契約。94年ソロ・デビュー・アルバム「Tical」もあっさりとプラチナ・セールスを獲得した。当時やや人気が落ち目であったDEF JAMを現在の隆盛に立て直した貢献者の1人といっても過言ではないだろう。98年にはセカンド・アルバム「Tical 200:JUDGEMENT DAY」をリリースしており事実、未だにMETHはDEFJAMの看板ラッパーである。
続いて、グループ・イチ、イカレタ男O.D.Bがソロ・アルバム「Return To The 36 Chambers」をエレクトラからリリース。これまたゴールド・ディスクに輝いた。
その後もグループ・イチのリリシストであるGZA、さらに技巧派でありMETHODMANに並んで客演の多いRaekwonら次々とソロ・作品をリリースし、Wu-tangとそのメンバーは常にHIPHOPシーンの中心にいた。現在HIPHOPシーンではD.M.X率いるRUFF RIDERS、JAY-Z率いるロッカフェラ、バスタ・ライムズ率いるフリップ・モード・スクワッド、などなどといったようにクルーでアルバムを出しつつもソロでもアルバムを出すというのが一種のハヤリとなっており最も主流だが、この方法論の先駆けのなったのが紛れもないWU-TANG CLANである。
少しでもリリースがないとすぐに忘れられてしまう、流れの速い現在の音楽シーンにおいて、常に話題を振りまいてシーンの中心にいるというやり方を既にデビュー時からWU-TANGはビジョンに入れていたのであった。(日本でいえば、モーニング娘がこのやり方で成功している。ソロあり、プッチ・モニあり赤、青、黄のユニットあり)

2ndアルバム「FOREVER」〜

やや話がそれたが、そうしたソロ・リリースが続き、Wu-tangのニュー・アルバムが待ちこがれられた97年に待望の2ndアルバム「FOREVER」がリリースされたが、なんとこのアルバムは2枚組で、全29曲というボリュームであった。初回出荷ですでにプラチナとなったこのアルバムでWu-tang健在を示したばかりか、彼らの活動はその後さらに加速していく。1stから2ndの間にソロ・アルバムをリリースしていたメンバー(Meth、O.D.B、Raekwon、Gza、Ghost)は2ndソロ・アルバムをリリースし、さらにInspektah Deck、U-GOD、といったメンバーもソロ。アルバムをリリース。また総帥Rzaもプロデュースを続けるかたわら、自らのソロ・アルバム「The Bobby Desital」という爆弾を落としたのであった。

そしてついに3rdアルバムが…

Wu Is Back!!!! そしてついに、期待の3rdアルバムを引っさげてWu-tangが帰ってきた。
アルバムのタイトルは「The W」。
今年に入ってもMethは相変わらず出す曲、出す曲ヒットの絶好調状態。そしてGhostのシングル「Cherchez Laghost」はN.Yのクラブ&ラジオ・ヒットを記録し、ここ日本でもハーレムなどで聴かない日はないといっても過言ではない。さらにInspektah Deckも初のソロ・アルバム以降、さらにプロップス(評判)をあげ、といった具合にメンバーそれぞれのパワーも確実にアップしている。
そんなモンスター・グループ、Wu-tangの放つ3rdアルバム「The W」。
今から期待は募るばかりである。
WU-TANG伝説はまだ終わらない。

Wu-tang CLAN DISCOGRAPHY

93年「Enter The 36 Chambers」Wu-tang clan
94年「Tical」Method Man
94年「6 Feet Deep」Gravediggaz
95年「Return To The 36 Chambers」Old Dirty Busterd
95年「Liquid Swords」 Genius
95年「Only Builty 4 Cubanlinx」 Raekwon
96年「Ironman」 Ghost Face Killer
97年「Wu-tang Forever」Wu-tang clan
98年「Tical 2000 Judgement Day」Method Man
98年「Beneath The Surface」GZA
98年「The Pillage」CAPPADONNA
98年「Beneath The Surface」GZA
99年「Uncontrolled Substance」Inspektah Deck
99年「Blackout」Method Man & Redman
99年「Tical The Alter Ego Remixes」Method Man
99年「Nigga Please」Ol'Dirty Busterd
99年「The RZA Hits」Various
99年「Immobilarity」Raekwon
99年「Golden Arms Redemption」U-GOD
00年「Supreme Clientele」Ghost Face Killer

● RZA
→別名:ボビー・デジタル。野獣揃いのウータン・クランの指揮をするウルトラ・スーパーなリーダー。普通の人間とは住んでる次元が違う、最もイルる男。宇宙的。目が尋常じゃない。プロデューサーとしての手腕はモチロンのこと、MCとしてもハンパない切れ味の超絶クレイジー・フロウを見せる。無類のカンフー映画好きで、ウータンの基本的コンセプトは全てこのヒトの頭の中から始まっている。ウータンのデビュー以前に、トミー・ボーイからプリンス・ラキーム名義でシングル“OOH,I LOVE YOU RAKEEM”(1991年)をリリース。そこには既にウータンの文字が…。自らが音楽を担当した映画『ゴースト・ドッグ』での怪演も忘れ難い。ソロ・アルバム:『BOBBY DIGITAL IN STEREO』(1998年)/他に、RZAがセレクトしたウータンのベスト盤や、全面的に音楽制作に携わったジム・ジャームッシュ監督作品のサントラ盤『ゴースト・ドッグ』(1999年)もあり。また、フルートクワン、トゥ・ポエティック(R.I.P.)、プリンス・ポールと組んだグループ、グレイヴディガズでも2枚のアルバムを発表している。
● GZA/ジーニアス
→ウータン随一の知性派で、ひとつひとつの言葉の重みはダントツ。シブいという言葉がこれほど似合うラッパーは、いない。イブシ銀な魅力。ウータン以前にコールド・チリンからアルバムをリリースしたが、速攻で契約を切られた。彼は今もその悔しさを忘れていない。2度目のウータン来日公演でDJも務めていたプロデューサー、アラー・マセマティックスと深い関係を持つ。RZAの従兄弟。ソロ・アルバム:『LIQUID SWORDS』(1995年)/『BENEATH THE SURFACE』(1999年)がある。
● METHOD MAN(メソッド・マン)
→別名:ジョニー・ブレイズ。天性の超絶ヴァイブを体全体から放ち続ける“ビッグ・ベイビー”。その正直さ、天真爛漫さ、何も恐れず自分の思うがままに行動する態度は、正にデカい子供。TVゲーム好き。“オレのルーツだから”と言い、メンバーの中で今も唯一スタテンに住んでいる男。AGから聞いた話だと、幼少時はドモリ性でいつもヒトの後ろに隠れてるような引っ込み思案な少年だったという。そんなヤツを変えたのはヒップホップ&大量のガンジャなのか?ちなみに、メソッドとはガンジャのことらしい。シルベスター・スタローン主演作『コップランド』に強盗役でチョイ出演。レッドマンとは公私共に仲が良い。ソロ・アルバム:『TICAL』(1994年)/『TICAL 2000:JUDGEMENT DAY』(1998年)/他にレッドマンとの共演アルバム『BLACKOUT』(1999年)もあり。2ndソロ作も間もなくドロップの予定。
● OL' DIRTY BASTARD(オール・ダーティ・バスタード)
→別名:オサイラス。天性のキ印具合に加え、ナンでも来いの超ヘヴィーなドラッグ&アルコール・ユーザーなもんで、ヒップホップ界でも最も手の付けられないブットビ男になってしまった。伝説は数知れず。裁判沙汰も数知れず。だが、そのブットビ具合がMCという立場で爆裂した時のスサマジイ破壊力は、背筋が凍るほどだ。オンナ大好きで、そのリリックのトンでもないスケベさには目が点になる。現在ドラッグのリハビリ中な為、活動休止。RZAの従兄弟。ベクトルの向きは違うものの、ブットビ具合はいい勝負か?ソロ・アルバム:『RETURN TO THE 36 CHAMBERS:THE DIRTY VERSION』(1995年)/『NIGGA PLEASE』(1999年)がある。
● RAEKWON(レイクウォン)
→別名:シェフ、レックス・ダイアモンド。そのイウォーク族(『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』より)に酷似したユニークなルックスからは想像もつかないようなカッコいいラッピンを武器に、ウータンにスパイシーな味付けをする料理人。実際にも料理がウマいらしく、得意なのは豆を使った料理だとか。とにかく高価なモンが大好きなようで、現在のお気に入りはグッチ。取材の時もグッチのジャケットを着て来てました。仲間思いのあたたかいヒト。マフィア映画ファンで、一番好きなのは『スカーフェイス』。ソロ・アルバム:『ONLY BUILT 4 CUBAN LINX』(1995年)/『IMMOBILARITY』(1999年)がある。
● GHOSTFACE KILLAH(ゴーストフェイス・キラー)
→別名:アイアン・マン、トニー・スタークス。レイクウォンと並ぶウータン最高のストーリー・テラー。そのソウルフルな表現力の深さで泣かせる名曲多数あり。鋭くビートに切り込んで来る時のスリリングさも凄い。アル・グリーン、デルフォニックス、モーメンツなどなど、70年代ソウルが好きらしく、そうした感覚はソロ・アルバムで見事に開花している。最新作からのカット"CHERCHEZ LAGHOST"がロングヒットとなっている。最近、モス・デフともコラボレイト。ソロ・アルバム:『IRONMAN』(1996年)/『SUPREME CLIENTELE』(1999年)がある。
● INSPECTAH DECK(インスペクター・デック)
→別名レベル・INS、フィフス・ブラザー。インスペクター(=警視、検査官)の名の通り、常に冷静沈着。ライム・スタイルは最もオーソドックスだが、通の間での人気は高く、それはギャングスターやピート・ロックのアルバムにフィーチャーされてたことでも証明済みだろう。プロデューサーとしても活躍中。ソロ・アルバム:『UNCONTROLLED SUBSTANCE』(1999年)がある。
● U-GOD(U-ゴッド)
→別名:ゴールデン・アームス。他のメンツと比べると地味な感じは否めないが、その野太い声質で繰り出す押しの強い個性的な味系フロウは根強い人気を誇る。憎めないタイプ。 ソロ・アルバム:『GOLDEN ARMS』(1999年)がある。
● MASTA KILLA(マスター・キラー)
→別名:ハイ・チーフ。グループの中では、一番目立たない存在。ウータンの謎がこれだけ解明されてきた現在も、このヒトのことだけは全くの謎。どうしてウータンにいるのか、それすらちょっと疑問だが。ソロ・アルバム:2001年に待望のソロ作に期待。
● CAPPADONNA(カパドンナ)
→別名:カプチーノ。ウータンのセカンドまでは準メンバー的存在だったが、今回からおそらく正式メンバーの仲間入りを果たす。特別光る何かがあるってワケじゃないが、中々に味わい深い声とフロウは持っているし、ドンドンカッコ良くなってきてるのは確か。今後の増々の成長に期待大。ソロ・アルバム:『THE PILLAGE』(1998年)がある。