セルフタイトル・アルバム『ソフィー・セルマーニ|SOPHIE ZELMANI』で、ソフィーが私たちの前にあらわれたのは1995年のこと。そのころには、地球の反対側にいる私たちにとっても、スウェーデンのミュージック・シーンは無頓着ではいられない大切な存在になっていた。けれど、ソフィーが携えてきた音楽は、それまでとは違うスウィディッシュ・ミュージックの表情で私たちを驚かせた。

ソフィーが生を受けたのは1972年2月12日のこと。
少女時代のソフィーの時間の多くは、サッカーと陸上競技に費やされた。ただ、「緊張しすぎて前日に眠れず、体調を崩して試合にでられなかったなんていうことも一度ならずあった」と笑う。そう、真っ直ぐなスポーツ・ウーマンだったなんていわれたら、こっちが困ってしまう。
だから、「ほかの女の子たちが書くような恋の詩とは違ったけれど、わき上がってくる気持ちをあちこちに落書きしたわ」というエピソードを聴くとほっとする。それでこそソフィーだ。

けれど、そんな少女時代の詩の数々が残されたのはノートの中ではない。

「自分の部屋の壁や家具や、ベッドの下の床にも書いたかもしれない。思い付いたら、言葉にしないではいられなかったから、場所なんて選んではいられなかった」
その、ソフィーの部屋の壁や床に残された言葉が物語になる日がやってくる。

「ある時、パパがギターの弾き方を教えてくれたの。といっても、コードの押さえ方を二つか三つ、教わっただけだけど」 けれど、その数個のコードから歌をつくることを知る。「それまでは言葉の断片でしか残すことのできなかった自分の気持ちが、歌になっていくことがすごく楽しかった」

数曲をカタチにしたところで、家の近くのスタジオでデモ・テープをつくり、それを名前を知っていた3つのレコード会社に送ってみる。そして、間もなくそのうちのひとつ、Sony Music Swedenから電話を受けることになる。「正式にレコーディングしてみないか」

そこからは駆け足だ。今に至るまで音楽パートナーとして信頼を寄せることになるプロデューサーのラーシュ・ハラピに出会い、デビュー曲となる「オールウェイズ・ユー|ALWAYS YOU」が完成。ファースト・シングルとしてリリースされると同時に、スウェーデンのヒットチャートを駆け登った。さらにデビュー・アルバム『ソフィー・セルマーニ』は、ネオ・アコースティックの新風として絶賛され、ゴールドディスクを獲得。'95年度のスウェーデンのグラミー賞で新人賞を受賞することになる。このアルバムは世界各国でもリリースされ、日本でもゴールド・ディスクとなった。そしてその成功に応えて欧州、日本、オーストラリア各国をライブ・ツアーでめぐり、賞賛を持って迎えられた(日本公演は、'96年6月大阪、名古屋、東京で計5公演を行った)。

この頃のソフィーは、少し呆然としていたかもしれない。音楽ビジネスのことなんてなにも知らない23歳。どうなるかなんて考えもせずに送ってみたデモ・テープが呼び込んでしまった大きな変化。一年足らずの間に、世界へ押し出され、たくさんの人が自分のことを知るようになる日がくるなんて。

「たくさんの観客の前にたってハーイと挨拶する。その度にどこかぎこちなくなってしまうの。そんな私が世界中の人の前でパフォーマンスしているなんて信じられなかった」

その渦がおさまる間もなく1998年、セカンド・アルバム『プレシャス・バーデン|PRECIOUS BURDEN』をリリース。会話や表情より、なによりその楽曲に心持ちが表れてしまう。そんなソフィーから二枚目に届けられたのが、この少し暗いトーンのドラマティックなアルバムだった。自分を巻き上げた渦の大きさに、ソフィーはこのアルバムで応えたのだった。

再び2年がたって、3枚目のアルバム『タイム・トゥ・キル|TIME TO KILL』」が届けられた。けれど、2枚目のアルバムまでの2年とこの2年はソフィーにとってまったく違う日々だったにちがいない。

1999年、ソフィーはママになった。

「以前となにも変わらないといえば変わらない。でも、すごく充実していることは確か」
どういう心持ちでこのアルバムにのぞんだのか、ソフィーは多くを語らない。
「聞く人が、それぞれの気持ちで見つけてくれたらいい」
満たされた心が奏でる音楽から、私たちはなにを見つけるのだろう。