6月25日のマイケル・ジャクソン一周忌に合わせて様々なイヴェントが企画されているが、なかでも音楽ファンにとって嬉しいのが
マイケルのソロ6作品と長らく廃盤になっていたジャクソンズ時代の7作品の計13作品が、完全な形で一挙に再発されることだろう。
そこで、限りなくマイケルを愛し、リスペクトする二人によるスペシャルな対談が実現した。
ひとりは、今回の13作品に入魂の「マイケル・ジャクソン・ストーリー Vol.1〜Vol.13」を寄稿したノーナ・リーヴスの西寺郷太氏。
そしてもうひとりは、マイケル最後のツアーになるはずだった「THIS IS IT」のダンサーに難関を突破して選ばれた
若き世界的ダンサーのケント・モリ氏。この二人がマイケルへの思いを熱く語り合った約1時間半をまるごとお届けします。
――今日はマイケルを愛するお二人に、マイケルへの思いを語り合っていただこうと思うのですが、まずはマイケル・ジャクソンとの最初の出会いから聞かせていただけますか?
ケント
じゃあ僕から。幼稚園の頃、送り迎えの車の中で、母親がいつもマイケルの曲をかけてたんですよね。だから、物心つくかつかないかの頃にはもう無意識でマイケルを聴いてたんですけど、マイケルの凄さに気づいて、自分から聴くようになったのは中学に入ってからですね。中1の時、テレビで流れたマイケルの「スリラー」のPVを偶然観て、“あれ? これって幼稚園の頃に聴いてた曲だよな。こんなにカッコいい曲だったんだ”って思ったのがきっかけで、すぐにCDをゲットして……。
西寺
ケント君は、どのアルバムを最初に聴いたの?
ケント
『ヒストリー』です。で、Disc 1の1曲目が「ビリー・ジーン」でしょ? それを聴いた瞬間、もう驚いたなんてもんじゃなくて、全身に稲妻が走り、血液が沸騰したような感じになって(笑)。血わき肉躍るというか、一瞬、時が止まったように感じたぐらいの衝撃を受けましたね。で、すぐに叫び出して、飛び上がっちゃった。
西寺
すごい。ダンサー、ケント・モリの誕生だ(笑)。
ケント
それまでダンスを意識したことなんてなかったのに、思わず身体が動き出しましたからね。それで恋に落ちて、今に至るという(笑)。郷太さんは?
西寺
同じく、最初は「ビリー・ジーン」。1983年の夏だからケント君の生まれる前だね(笑)。9歳の時かな。それまでも日本の歌謡曲やアイドルものが大好きで、音楽には執着がある子供だったんだけど、「ビリー・ジーン」のPVを観て、ケント君と同じように血わき肉躍る感覚になった(笑)。ただ、俺の場合はすぐに“この音楽って、どうなってんだろう”って、曲の構造に興味をもっちゃって。というのも、出だしのドラムから何からすごくシンプルで、ベースもギターもすべてがすぐに口ずさめるほどキャッチーでしょう? で、すぐに2台のラジカセを使って、いろんなパートをひとりで歌い多重録音し始めた(笑)。
ケント
9歳で? めちゃ早熟じゃないですか!(笑)
西寺
ははは。でも、ケント君がマイケルに出会ったのが中学1年だから、97年頃でしょう? その頃はマイケル不遇の時代というか、スキャンダラスな話題ばかりがメディアを賑わせていて、ちゃんと評価されてなかったよね?
ケント
ですよね。だから、マイケルが大好きだって言うと、迫害じゃないけど、周りから冷たい目で見られて……(笑)。マイケルが亡くなったら、みんな掌を返したように凄い凄いって言うようになったけど、ついこの前まで、僕がマイケルのオーディションに行くって言った時だって、みんな“マイケルって、鼻が取れちゃうんでしょ?”とか、そんなことばっかり言うわけですよ。なんで世の中ってこうなんだろうって、本当に悔しくて……。
西寺
メディアの責任は大きいよね。
ケント
そう。マイケルの音楽を聴けば絶対に良さはわかるはずなんだけど、ネガティヴな話題が先入観としてあるから、誰も耳を傾けない。そういうのがイヤで僕は日本を出ちゃったしね。だから、やっと大勢の人たちがマイケルをリスペクトしてくれるようになって、嬉しいですよ。その前にマイケル本人が亡くなってしまったのは本当に残念だし、悲しいけど。
西寺
本当に悲しいね。俺も10数年間、自分なりにマイケルの凄さを伝えてきたつもりなんだけど、本当に嫌な思いをすることもあった。でも、この1年間はとくに激動だった。マイケルの本を2冊出し、今回のマイケルとジャクソンズのCD再発にも関わることができた。とてつもないプレッシャーで、本当に大変だったけれど・・・。CD1枚につき約1万字。マイケルの偉業を汚さぬよう、一生残る仕事だと思って、死ぬような思いで書いたんですよ。
ケント
僕も読ませてもらって、知らなかった全体の流れがつかめてほんと良かったですよ。
西寺
あれ、全部読むと一冊の本だからね(笑)。嬉しい、ありがとう。いやでもなんと言ってもケント君の、あのマドンナのステージでのダンスは衝撃的だった。世界が注目したしね。日本人の誇りだと心から思うよ。そのあたりのエピソードも細かく書かれたケント君の本『Dream & Love』も出るよね? いち早く読ませてもらったけど、すごく良かった!
ケント
マジっすか!? 本は前から書き始めていたんですけど、それを出版するきっかけを作ってくれたのは郷太さんですからね。感謝! です。
西寺
でも、最近思うんだけど、それは望んだからできただけじゃなくて、マイケルがもつ物凄いパワーがこうやって周囲を巻き込んでしまう、不思議な磁力をもっているからだと思うんだ。
ケント
きっとそうですよ。僕だって、世界的なダンサーになるためにマイケルのオーディションを受けたわけじゃない。マイケルの計り知れないパワーが僕を動かしたんだとしか言いようがないですもんね。
――そのオーディションの様子を聞かせてもらえますか?
西寺
ケント君は大変なオーディションをいろいろ受けてきてるだろうけど、マイケルのオーディションは他とは違ったと、話してくれたよね。ぜひ詳しく聞かせてほしいな。
ケント
まず規模が違いますね。何万通という応募の中からLAのオーディションに行けたのが3000人だったらしいんですけど、人数だけでも凄い。しかも、普通、会場はダンス・スタジオなんだけど、マイケルのオーディションはNOKIAシアターっていう大きな劇場でやったんです。でも、何よりも凄かったのは参加者の熱気でしたね。みんな“これはマイケルのオーディションなんだ!”って興奮してるんです。僕もそのひとりだったわけですけど、そういうひとりひとりの思いが3000人分集まっているわけで、そのエネルギーの凄さは今まで経験したことのないものでした。でね、そこにいるみんなが、夢しか見てない感じなんですよ。これに受かればギャラはいくらだとか、この仕事がやれればオファーが殺到するぞとか、そんなことを考えてるヤツは、まずいなかったと思う。それくらい本気。だって、マイケル・ジャクソンに選ばれるということは、何物にも代えられないもの。ダンサーとしての夢がそこにあるんですから。
西寺
その体験は凄いなぁ。世界最高レヴェルの、みんなの夢が、まさにそこに「ある」んだもんね。
ケント
はい。あのね、トップ・ダンサーになればなるほど、マイケル・ジャクソン・フリークなんですよ。トップに上がってきたダンサーは、みんなマイケルのエッセンスをもってる。身体の動きにしても何にしても、突き詰めていくとマイケル・ジャクソンに行き着くんです。アーティストもそうなんじゃないですか? ビヨンセ、アッシャー、クリス・ブラウン、みんなそうでしょう?
西寺
結局ね、ちゃんと音楽をやってる人で、マイケルをバカにしてる人なんて、ひとりもいないって思ってる。もちろん好き嫌いはそれぞれの好みだけどね。ポップ・ミュージック、エンターテイメントという構造、音楽の道に足を踏み入れて、作曲、アレンジ、ミックス、ベース、ドラムス、ギターって突き詰めていくと、やっぱりマイケルが目指した場所、共演した人たちを追いかけていくことになるんだ。マイケルが亡くなって、玉手箱がパッと開いたように、そのへんのことを多くの人たちが気付いたと思う。
――それを、再発される13枚のCDで確かめてほしいですよね。
西寺
ほんと、そう思います。こうして13枚のCDが完璧な形で、後世に残すものとして再発されるわけだけど、13枚全部を買い直すのは無理っていう人も当然いると思うんですよ。でも、9歳の時の僕や13歳のケント君がそうだったように、新たにマイケルに衝撃をうける子供たちが今後もどんどん出てくると思うんです。そういう新しい世代に向けて、僕たちマイケルと同時代を生きた世代の責任として、今回、13枚でひとつのストーリーになるライナーを書いたつもりなんですよ。
ケント
ですね。初めて聴く人にとっても、これから生まれてくる子供たちにとっても、マイケルの作品は絶対に色褪せないものとして残っていくはずだから。
西寺
そうそう。この13枚は、永遠のクラシックスだから。今回、音楽評論家の出嶌孝次さん、高橋芳朗さんによる新しく詳細なアルバム解説と、僕が書いた「マイケル・ジャクソン・ストーリー」が入って、きっちりライナーとして世の中に出るっていうのは、意味のあることだと思ってるんだよね。デザインもスタッフの皆さんが色々と知恵を絞られた結果、13枚を並べると帯の背の部分がひとつの絵になってたりもして。もしマイケルがこのCD達が並んでいるのを見て、“ワオッ!”って喜んでくれたら嬉しいなぁと思ってました。
――最も思い入れのあるアルバム、或いは曲をそれぞれ挙げていただけますか?
ケント
やっぱり、生まれて初めて自分で買ったアルバムっていうことで、『ヒストリー』ですね。で、曲で言うなら、その1曲目の「ビリー・ジーン」!
西寺
やっぱり最初に買った作品は思い入れがあるよね。『ヒストリー』は2枚組のアルバムで、Disc 1がベスト盤、Disc 2がニュー・アルバムだったけど、ちなみにそのDisc 2を聴いて、中学1年生のケント君はどう思ったのか興味があるなぁ。
ケント
中1の僕にとっては、あのアルバムのすべてが新しいものだったんですよ。どれを聴いても、言葉にならないくらい凄いものだった。もちろん、2枚目のほうがサウンドが新しくて、1枚目のほうはもっとシンプルだっていうことはわかったけど、どっちも好きでしたね。
西寺
なるほど。個人的にはね、実はマイケルの遺した最高傑作のひとつが「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」(『ヒストリー』のDisc 2に収録)だと思ってるのね。あの曲って、本当に独創的でしょう?メッセージ性とキャッチーさ、それとスタジアム・ロックのダイナミックさが異常なレヴェルで結合してる。
ケント
ダンスの面で言っても、あの曲って足踏みをして手を動かす、それだけの動きなんだけど、実はあれが正解で、あれ以上は必要がない、凄いと思います。他にも「スクリーム」とか「ストレンジャー・イン・モスクワ」とか入っている『ヒストリー』の2枚目ってヤバいですよ、ほんと(笑)。
西寺
だよね。でも、発売当時は『ヒストリー』の2枚目には割といわゆる音楽マニアは否定的で。ところが、マイケルが亡くなった時、一番最初に「THIS IS IT」公演のリハーサルから、オフィシャル・リリースされた映像が「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」のダンス・シーンで・・・。それを観た時、正直“やっときた!”って感じだった、なぜ最初にあの曲が選ばれたのは偶然だったのかもしれないけど、あの時にあの曲の映像が世界中で何万回、何億回と流れたことには、絶対に意味があると思うんだ。まぁ、確かに「ビリー・ジーン」や「スリラー」も入ってるベスト盤と、あの時点で最新のマイケルが聴けるニュー・アルバムで構成された『ヒストリー』は入門編としても一番いいアルバムだと思うなぁ。
ケント
それは間違いない。でも、マイケルの作品はどれをとっても一番なんですけどね(笑)。
西寺
わかる(笑)。でも、俺も1枚をあえて挙げるなら、ケント君と同じように初めて自分が買った作品になるかな。それが、ジャクソンズの『ヴィクトリー』。ミック・ジャガーとの「ステイト・オブ・ショック」とか、とにかく好きな曲だし、LPに入っていた吉岡正晴さんが書かれた『ヴィクトリー』のライナーノーツの中のマイケルの歴史を一字一句覚えるくらい熟読して、そこからマイケルを好きになったんだ。とにかく、ソロだけじゃなくてジャクソンズの良さもこの機会にぜひ、新しいファンに知ってもらえれば嬉しいです。
ケント
当時の音楽の温かみとかノリって、ダンサーとしても好きな部分なんですよ。何よりも人の心を動かしますよね。
西寺
これまで日本で長い間廃盤だったことからもわかるように、どうしてもジャクソンズって、ジャクソン5と『オフ・ザ・ウォール』以降のマイケル・ソロとの間の、途中経過みたいな捉え方しかされないことが多かったんだけど、実は「ショウ・ユー・ザ・ウェイ・トゥ・ゴー」とか「シェイク・ユア・ボディ」とか「キャン・ユー・フィール・イット」とか、他のアーティストだったら一世一代のヒット曲になるような曲がたくさんある。
ケント
あっ、マイケルのオーディションで、みんながステージに上がってアップする時に一番最初にかかった曲が「キャン・ユー・フィール・イット」で、僕、すごい感動したんですよ。大好きな曲だっていうのもあるんだけど、“今、ここにいることを、二度とないこの場所にいることを感じているか?”っていうマイケルのメッセージをもらった気がして、“これだ!”って思ったんです。
西寺
お〜、今、全身鳥肌立った(笑)。
ケント
でしょう? でも、この対談や僕たちの本がきっかけになって、たくさんの人たちがマイケルのCDに接して、その凄さを感じてくれたら嬉しいですよね。
西寺
心からそう思いますね。でも、本当にマイケルの事になると話は尽きないよね。今日はどうもありがとう!
ケント
こちらこそ、とっても楽しかったです。また、やりたいですね(笑)。
(取材・構成/染野芳輝)
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