BRUCESPRINGSTEEN
1949年 9/23 ニュージャージー州フリーホールドにて生まれる。
1956年 9月
〈エルヴィス・プレスリーが夢だった〉
彼が最初にR&Rに接したのは9才の時、「エド・サリバン・ショー」に出演したエルヴィス・プレスリーだった。
その後ハイスクール時代〜いくつかのバンドを経て(カスティールズ〜スティール・ミル〜)
1972年 5/3 CBSレコードのジョン・ハモンドのオーディションを受け、10枚のアルバムの長期契約をする。彼が22才の時だった。
 "信じられなかった。ディランと出逢った時以上の衝撃を受けた……"
・ジョン・ハモンド
1973年 1/5 1st Album『アズベリー・パークからの挨拶/GREETINGS FROM ASBURY PARK, NEW JARSEY』発売。(日本発売'74年7/21)
輝かしきデビュー・アルバム。本人の意向とは異なっていたが"ディランの再来"的にマスコミから取り上げられた。発売当初はチャート・インしなかったが、『明日なき暴走!/BORN TO RUN』発表に伴う勢いで'75年10/18付60位まで上る。
"光で目もくらみ" "成長するってこと"他全9曲収録。
〈ゴールド・ディスク獲得〉
1973年 9/21 2nd Album『青春の叫び/THE WILD, THE INNOCENT ANDTHEESTREET SHUFFLE』発売。(日本では'74年3/21に1stより先にこれを発売)
デビューから早くも10ヶ月後にリリース。ソウル感覚も取り入れつつ、その後の彼の方向性を確認できるアルバム。やはりこれも'75年10/18付54位まで上る。彼のライヴで欠かせない定番!
"ロザリータ"はこのアルバムに収録。
"ロザリータ" "Eストリート・シャッフル"他全7曲収録。
〈ゴールド・ディスク獲得〉
〈74年度ローリング・ストーン誌ベスト・アルバム〉
☆この年100回を越えるライヴを行う
1973年 9/21 2nd Album『青春の叫び/THE WILD, THE INNOCENT ANDTHEESTREET SHUFFLE』発売。(日本では'74年3/21に1stより先にこれを発売)
デビューから早くも10ヶ月後にリリース。ソウル感覚も取り入れつつ、その後の彼の方向性を確認できるアルバム。やはりこれも'75年10/18付54位まで上る。彼のライヴで欠かせない定番!
"ロザリータ"はこのアルバムに収録。
"ロザリータ" "Eストリート・シャッフル"他全7曲収録。
〈ゴールド・ディスク獲得〉
〈74年度ローリング・ストーン誌ベスト・アルバム〉
☆この年100回を越えるライヴを行う
    
1974年 5/9 歴史的出会い……ボストンで行われたライヴでローリング・ストーン誌のライターであったジョン・ランドゥがこの夜初めてプレイされた新曲"明日なき暴走"etc.を聴く。衝撃を受けた彼はリアル・ペーパー誌にロック史に残る有名な一節を書く。 "私はロックン・ロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン"
1975年 8/25 3rd Album『明日なき暴走/BORN TO RUN』発売。(日本発売'75年10/21)
満を持してリリースした3rdアルバムであり大出世作。全ての人が望んでいたまさにR&Rアルバムで、発表と同時に一大センセーションを巻き起こした。発売後一週間でTOP10、発売直後にゴールド・ディスク、すぐにプラチナとなった。'75年10/11より2週連続3位。70年代アメリカン・ロック史上に名を残す名作!
"明日なき暴走""涙のサンダー・ロード"他前8曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
1975年 10/27 "TIME" "NEWSWEEK"両誌の表紙を彼の顔が同時に飾る
☆『明日なき暴走』のヒットは単に音楽業界だけにとどまらず社会現象にまでなった。
マネージャー、マイク・アペルとの長期に渡る裁判沙汰によりレコーディング活動を停止せざる得なくなる。
1978年 6/2 4th Album『闇に吠える街/DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN』発売。(日本発売'78年7/1)
マネージャー訴訟の中、3年の期間を経てリリース。Eストリート・バンドとの抜群なコンビネーションがアルバム全体にみなぎる充実作。発売第2週目で10位、'78年7/29より3週間連続5位。
"バッドランド""暗闇へ突走れ"他全10曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
☆7ケ月に渡る全米ロング・ツアー敢行。109回のステージをこなし、100万人以上のファンの前で演奏。毎回4時間以上のショーは"アメリカ最高のパフォーマンス"と呼ばれるようになる。
1979年 6/12 ニュージャージー州議会により、「BORN TO RUN」がニュージャージー州の"非公式な若人のロック州歌"に認定される。
1979年 9/22・23 30才 マジソン・スクエア・ガーデンにて"ノー・ニュークス〜MUSEコンサート"(安全なエネルギーのための支援コンサート)という慈善の反核コンサートに参加。この夜の模様は『NO NUKES』というアルバムで聴ける。(映画も公開)
1980年 10/1 5th Album『ザ・リバー/THE RIVER』発売。(日本発売'80年11/1)
2枚組全20曲という大力作! まさに待ってましたとばかりに全米初登場4位、翌週には第1位獲得!(11/8より4週連続)さらにシングル・カットした"ハングリー・ハート"は彼にとって初のTOP5に入る大ヒット。彼の人気と実力が示された傑作。
"ハングリー・ハート" "ザ・リバー"他全20曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
〈全米No. 1!!〉
☆アルバム発売と同時にツアー開始。'81年9月までの11ケ月に渡る13ケ月139回ものロング・ツアー。アメリカは'81年7/2からスタート。それは彼の故郷NJに新しく建てられたメドゥーランズ・アリーナのこけらおとしとして行なわれ20,000×8回=160,000のチケットが即ソールド・アウト!
1980年 12/9 ジョン・レノンの死にショックを受けたブルースはこの日のショーの冒頭で追悼の言葉を捧げラストに "TWIST & SHOUT" を絶唱。
1982年 9/20 6th Album『ネブラスカ/NEBRASKA』発売。(日本発売'82年10/9)
NJの自宅で4トラック・レコーダーにて録音された"ソロ"・アルバム。全篇アコースティック・ギターとハーモニカだけで綴られたパーソナルな内容のアルバム。当時のファンの間では賛否両論あったものの初登場29位。'82年10/30より4週連続3位を記録。
"アトランティック・シティ""ジョニー99"他全10曲収録。〈ゴールド・ディスク獲得〉
1984年 5/4 NEW ALBUMから"ダンシン・イン・ザ・ダーク"がシングル・カット。全米チャートは4週目にTOP 10入り、"ハングリー・ハート"の記録を抜いて最高第2位!
1984年 6/4 音楽史上にその名を永久に残す7th Album『BORN IN THE U.S.A.』発売。(日本発売'84年6/21)
80年代を代表するだけでなく、ロック史上に輝くモンスター・アルバム。最初の2日で65万枚をアッという間に売り尽くし、4日間でプラチナ・ディスク。全米チャート初登場9位、'84年7/3No. 1! その後4週間連続No. 1の後、プリンスの「パープル・レイン」に一旦首位を奪われ24週2位を守りつつ、'85年1/19ロック・チャート史上に名を残す奇跡の復活、No. 1に返り咲く。(これだけの間隔をあけて復活した例はかつてない!)その後なんと'86年1/25まで連続84週ベスト10入りという大記録。全世界的大ヒットとなり、全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚以上のビッグ・セールス!!
〈全世界で2000万枚以上!!〉
〈もちろん全米No. 1!〉
〈グラミー賞最優秀ロック・ヴォーカリスト賞受賞〉
[シングル]
"ダンシン・イン・ザ・ダーク"('84年6/30から4週連続・最高位2位)
"カヴァー・ミー"('84年10/20付・最高位7位)
"Born In The U.S.A."('85年1/19付・最高位9位)
"アイム・オン・ファイア"('85年4/13から2週連続・最高位6位)
"グローリィ・デイズ"('85年8/3付・最高位5位)
"アイム・ゴーイング・ダウン"('85年10/26付・最高位9位)
"マイ・ホームタウン"('86年1/25から2週連続・最高位6位)
☆連続7曲TOP10入りと全て大ヒットを記録した。(同一アルバム・カットとしてはマイケル・ジャクソンの『スリラー』に並ぶ大記録)
1984年 6/29 「Born In The U.S.A.ツアー」スタート。翌年10月までロング・ツアー。ハイライトのひとつである11月のLAのオリンピック・メイン会場でのライヴは最終4日間で331,892人の動員、売上げは$5,688,445!!
1985年 1月 アフリカ難民救済のためのU.S.A. FOR AFRICA "ウィ・アー・ザ・ワールド"に参加。
1985年 2月 第27回グラミー賞"最優秀ロック・ヴォーカリスト賞"受賞。ローリング・ストーン誌第9回リーダーズ・ポール獲得。"最優秀アルバム""最優秀シングル""最優秀ソング・ライター&アーティスト"も獲得。
1985年 4月 感動の初来日公演!! 感激と感謝の3時間20分!
4/10・11・13・15・16 代々木オリンピック・プール
4/19 京都府立体育館
4/22・23 大阪城ホール
いづれの会場でも開演前からブルース・コールが起こり異様なまでの興奮と盛り上がり……。始まる前からそして最後まで観客は総立ちとなり、体全体でリズムをとり拳を振り上げ、彼と一緒に合唱し、3時間20分という時をブルースと共有した。
1985年 5月 モデルのジュリアン・フィリックスと結婚('88年離婚)。
1985年 10月 スティーヴ・ヴァン・ザントが提唱した反アパルト・ヘイト・キャンペーンの「サン・シティ」にも参加。
1986年 10月 ニール・ヤングの提唱した心身障害児のためのチャリティ・コンサート "The Bridge Benefit" に出演。
1986年 11月 『THE"LIVE"1975-1985/LIVE/1975-85』発売。(日本発売'86年11/14)
'75年10/18のロキシーから'85年9/30のL.A.コロシアムまで10年間のライヴを集大成。圧巻の3枚組。(LPは5枚組)まさに激闘の記録であり、そのエネルギーを少しも損なうことなく完璧に収録。アルバム未収録8曲含む、全40曲のスプリングスティーンの軌跡。初のライヴ盤。
〈全米チャート初登場No. 1!! 3枚組以上では史上初!〉
〈発売日にレコード店にファンが列を作るという社会現象にも〉
1987年 10月 9th Album『トンネル・オブ・ラヴ/TUNNEL OF LOVE』発売。(日本発売'87年10/21)
ひとりの男としての心情、苦悩、喜びが描かれたパーソナルなアルバム。オリジナルとしては3年ぶりで、自宅にソニーのデジタル機材を持ち込み録音したソロ・アルバム。(曲によってはEストリート・バンドが参加)ブルースの素朴な感情に起因した作品であった。
"ブリリアント・ディス・ガイズ" "スペア・パーツ"他全12曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
〈全米No. 1!! 300万枚以上!〉
1988年 9月 人権宣言40周年を記念するアムネスティ主催、"ヒューマン・ライツ・ナウ!"に参加。全世界20都市を回る。その一環として2度目の来日。
☆Eストリート・バンド発展的解散。
☆パティ・スキャルファとの間に初めての息子エヴァン・ジェイムス誕生。
1992年 3/31 『HUMAN TOUCH』『LUCKY TOWN』2枚同時発売。(日本発売'92年4/8)父親となったブルースが初めてリリースした約5年ぶりのNEW ALBUM。『HUMAN TOUCH』が完成しようとした頃、さらに1曲完成したもののコンセプトに合わず、改めて新たなコンセプトのもとにもう1枚作ったのが『LUCKY TOWN』ということで2枚組でなく別々にリリース。『HUMAN TOUCH』は全米初登場2位。『LUCKY TOWN』は3位。
"ヒューマン・タッチ""ロール・オブ・ザ・ダイス"他全14曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
〈全世界で350万枚以上〉
"ベター・デイズ""リープ・オブ・フェイス"他全10曲収録。
〈プラチナ・ディスク獲得〉
〈全世界で300万枚以上〉


1992年 6/15〜1993年 6/1まで ヨーロッパ、カナダ、アメリカを回る大規模なワールド・ツアー。計102回ものコンサートを行なう。
1993年 夏 映画「フィラデルフィア」のための新曲をレコーディング。
1993年 X'mas 映画「フィラデルフィア」映画公開。オープニングで"ストリーツ・オブ・フィラデルフィア"がフィーチャー。映画のためだけに曲を書き下ろし、なおかつ自分自身で歌ったのはこれが初めて。
シングルとしては久々の〈ゴールド・ディスク獲得〉
1994年 2/9 "ストリーツ・オブ・フィラデルフィア"アカデミー賞主題歌賞受賞
1995年 1月 "ストリーツ・オブ・フィラデルフィア"グラミー賞5部門ノミネート。
3/1 LAにてグラミー賞発表。4部門受賞!
3/9 『グレイテスト・ヒッツ/GREATEST HITS』発売(アメリカは2/28)
〈プラチナ・ディスク獲得〉
1995年 7/26・27 NYのソニー・スタジオで日本のメディアがブルースへの初めての本格的取材を敢行。テレビ朝日「ニュース・ステーション」に衛星生中継で出演した他、朝日新聞、エスクァイア日本版、週刊プレイボーイなどのインタヴューに答える。
1995年 11月 『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード/THE GHOST OF TOM JOAD』発売(日本発売11/23)ジョン・スタインベックの名作であり、ジョン・フォード監督が映画化した『怒りの葡萄』とその舞台になった時代を生きたフォーク歌手の元祖ウディ・ガスリーの作品に刺激されて作った政治社会意識の強いアルバム。ヒスパニック系の不法移住労働者の現実を描き、アメリカ社会が抱える問題を見つめた作品である。
〈ゴールド・ディスク獲得〉
1995年 11/21−12/27 初めてのソロ・アクースティック・ツアーとなる「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」が地元ニュー・ジャージー州ニュー・ブランズヴィックのステイト・シアターを皮切りに始まる。
1996年 1/7−1/28 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」の第2期ツアー。モントリオールを皮切りにカナダと米国を回る。
1996年 1月 サントラ『デッドマン・ウォーキング』発売
1996年 2/12−5/8 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」 が欧州を回る。35回の公演はブルースにとって、これまでで最長の欧州ツアーとなった
1996年 6月 社会の現実を直視した真面目な内容ゆえに本国では半年で50万枚強の売り上げ(ゴールド・ディスクに認定)にとどまっている『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』が、米国外の各国で合計140万枚(内欧州が100万枚)に届く売り上げを示す。歌詞に重視が置かれた内容にもかかわらず、非英語圏でも高い評価を受けていることが注目される。
1996年 8月 欧州各国で、ショーン・ペン監督の映画『クロッシング・ガード』の主題歌"ミッシング"のシングルが発売される。シングルCDにはベルリン公演でのライヴ3曲も収録。日本では'97年1月の来日に合わせ、『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』との来日記念特別カップリング盤で発売されることになる。
1996年 9/16−12/14 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」が再び北米を回る。
1996年 9/26 オハイオ州クリーヴランドで行われたウディ・ガスリーへのトリビュート・ショウに出演。ガスリー作の方の"トム・ジョード"をはじめとする彼の作品と"アクロス・ザ・ボーダー"を唄う。共演者はピート・シーガー、アーニー・ディフランコ、ビリー・ブラッグ他。このショウの模様はアルバム化され、98年中に発売される予定。
1996年 10/27 ロス・アンジェルズで行われた提案209(少数民族への優遇処置の撤廃を求める内容)への反集会にジェシ・ジャクスン師らと共に参加。"プロミスト・ランド"と"ノー・サレンダー"を唄う。
1996年 11月 ヴィデオ『ブラッド・ブラザーズ/BLOOD BROTHERS』発売。『グレイテスト・ヒッツ』用の新曲録音のために再結成されたEストリート・バンドとのセッションの模様を収めた映像作品。VHSには"ハイ・ホープス"や"ウィズアウト・ユー"他の未発表曲/ヴァージョンを収めた5曲入りのCDシングルが添付された。
*写真はDVD版
1996年 11/8 生まれ故郷のフリーホールドで、地元のヒスパニック系住民のためのベネフィット・ショウを行なう。アンコールの最後には「この日限り」の特別な曲として、自伝的な"イン・フリーホールド"が披露された。
1996年 11/24・25・26 アズベリー・パークでの3日間は、リトル・スティーヴン、ダニー・フェデリッチ、ヴィニ・ロペスら新旧のEストリート・バンドのメンバーをはじめとする昔のバンド仲間が舞台に揃う特別なショウとなった。
1997年 1/27・29・30・31 8年ぶりの日本公演が東京国際フォーラム・ホールAで行われる。アクースティック・ギター1本だけで5000人もの観客の心を捉えて離さない圧倒的なパフォーマンスだった。
1997年 2/5−2/18 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」のオーストラリア公演が行われる。
1997年 2月26日 NYのマディスン・スクエア・ガーデンで行われたグラミー賞授賞式に出席。"ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード"を舞台で唄い、最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバムを受賞した。
1997年 5/5−5/26 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー」が再び欧州へ。5月5日のスウェーデンのストックホルムでは 音楽界に残した偉大な業績を称えるポラー・プライズ賞を受賞する。
1997年 9月 ブルース本人が公認した彼の作品のカヴァー集『ワン・ステップ・アップ、トゥー・ステップ・バック:ザ・ソング・オブ・ブルース・スプリングスティーン』が発売される。このアルバムの売り上げの一部は故ハリー・チェイピンが始めたワールド・ハンガー・イヤー基金に寄付され、貧困や飢餓に苦しむ人びとのために用いられる。
1998年 1/31 ニュー・ジャージー州レッド・バンクのカウント・ベイシー劇場で行われたベネフィット・コンサート「ボン・ジョヴィ&フレンズ」に出演。ジョン・ボン・ジョヴィ、サウスサイド・ジョニー、Eストリート・バンドとマイアミ・ホーンズのメンバーが揃ったニュー・ジャージー・オール・スターズとも呼ぶべき豪華な顔ぶれと共演する。この催しは勤務中で殺された警官の家族のために寄付を集めるために企画された。
1998年3月 60年代フォーク・リヴァイヴァルの父といわれたフォーク歌手、ピート・シーガーへのトリビュート盤『花はどこへいったの/ソングス・オブ・ピート・シーガー』に参加。〈勝利を我等に〉をパティを含む9人編成のバンドの伴奏で唄っている。
1998年 4/4 NYのサグ・ハーバーで行われたジョン・スタインベック夫人のイレイン・スタインベックを称えるイヴェントに出席し、 『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』からの曲を唄う。
1998年 4/26 父のダグラス・スプリングスティーンが亡くなる。享年73歳。
1998年 7月 TV局HBOとブルースが『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』の収録曲を基にした番組を制作する企画を進行中と伝えられる。
1998年 7/16 マイアミで行われたソニー・ミュージックのコンヴェンションにブルースが自ら出席し、未発表曲を集めたボックス・セットの年末発売を発表した。
1998年 11月 『トラックス』発売。
1998年 11月 全アルバムの歌詞と創作にまつわる逸話を掲載し、未発表を含む写真を多数収めて、25年間の活動歴を辿る豪華本『Songs』を発売。
1998年 12/8 「ブルース・スプリングスティーンがEストリート・バンドと共に世界規模のツアーを99年夏から始める」と公式発表がなされた。
1998年 12/10 『トラックス』の発売に合わせての欧州各国を回るプロモーション・ツアーの途上、パリのベルシ・スタジアムで行われた国連の世界人権宣言採択50周年を記念したアムネスティ・インターナショナル・コンサートに出演した。この模様は市販ヴィデオ化されている。
1999年 2/26 マックス・ワインバーグがバンドリーダーを務めるNBC-TVの人気トーク・ショウ、『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』に出演。マックス・ワインバーグ7と一緒に〈ワーキング・オン・ザ・ハイウェイ〉を演奏する。マックスはこの晩を最後に一時的に番組を離れ、再結成Eストリート・バンドに加わる。
1999年 3/15 NYのウォルドーフ・アストリア・ホテルで行われた第14回のロックンロール・ホール・オヴ・フェイムの表彰セレモニーで、ブルースが殿堂入りを果たす。プレゼンターを務めたのはU2のボノ。ブルースはEストリート・バンド全員を舞台に上げて感謝の気持を伝え、彼らと共に〈プロミスト・ランド〉、〈裏通り〉、〈凍てついた十番街〉、そしてウィルソン・ピケットを迎えて〈イン・ザ・ミッドナイト・アワー〉を演奏した。その後、ステイプル・シンガーズ、ポール・マッカトニー、ボノ、エリック・クラプトン、ロビー・ロバートスンらと恒例のジャム・セッションを楽しんだ。
1999年 3/18,19 ニュー・ジャージー州アズベリー・パークのコンヴェンション・ホールで、3月初めから欧州ツアーに向けてのリハーサルを行っていたブルースとE・ストリート・バンドはその締め括りとして、「ア・リハーサル」と題したウォーム・アップ・ショウを2日続けて行なう。新曲〈ランド・オヴ・ホープ・アンド・ドリームズ〉が披露された。
1999年 4/6 NYのハマースタイン・ボールルームで行われたジョニー・キャッシュへのトリビュート・コンサートに出演予定だったが、スケジュールの都合のために録画したヴィデオでの参加となった。
1999年 4/9 スペインのバルセロナのパラウ・サン・ジョルディでの公演から、10年ぶりの再結成Eストリート・バンドとの欧州ツアーが始まる。この夜の最初2曲の演奏の模様は世界各国に生中継された。
1999年 4/13 『トラックス』のハイライトを集めたCD『18 TRACKS』発売(日本発売は4月14日)。ボックスからの15曲に、ボーナス・トラックが3曲追加されているが、その内の〈ザ・プロミス〉は長年ファンに待ち望まれてきた曲で、このアルバムのために新たなヴァージョンが2月12日に録音された。
1999年 6/9 ソングライターズ・ホール・オヴ・フェイムに殿堂入りする。欧州ツアー中のために本人はNYで行われたセレモニーに出席できなかった。
1999年 6/27 ノルウェーのオスロ公演で欧州ツアーが終了。欧州12カ国26都市で36公演を行い、77万5千人を動員した。
1999年 6月 友人の映画監督で、ブルースのミュージック・ヴィデオも手がけたこともあるジョン・セイルズの新作映画『リンボ』に主題歌〈リフト・ミー・アップ〉を提供。初めて曲全部をファルセットで唄った魅惑的なバラードである。サウンドトラック・アルバムの日本盤は7/23に発売された。
1999年 7/15 全米ツアーを開始。皮切りとなった地元ニュー・ジャージーのメドウランドでの15公演分30万枚のチケットが発売3時間でソールドアウト!と記録的な反響。
1999年 11/29 ミネアポリス公演で全米ツアーを一旦終了。18都市で52回の公演を行った。欧州と全米の両ツアーで合計180万人を動員した。
2000年 2/28 フィラデルフィア公演から全米ツアーを再開。
2000年 3/31 ブルースが本人役でチラリと出演したジョン・キューザック主演の映画『ハイ・フィデリティ』が全米公開される。
2000年 6/4 ジョージア州アトランタ公演で新曲〈ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード〉と〈アメリカン・スキン〉が初めて唄われる。〈アメリカン・スキン〉は99年2月4日にギニア人移民のアマドゥ・ディアロ氏が4人の警官によって41発もの弾丸を浴びて射殺された事件を題材にしたもの。ディアロ氏は非武装だったが、懐の財布を探した行為が銃に手を伸ばしたと勘違いされたのである。警官は殺人容疑で起訴されたが、事件が起きたNY市ブロンクス区から不可解にも白人人口の多いアルバニーに場所を移されて行われた裁判の結果、翌年2月に無罪評決が下された。
2000年 6/8 NY市警組合の幹部が〈アメリカン・スキン〉に対して、「事件の傷を癒す時期に、この曲は傷口を開くもの」として反発し、組合員にマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートをボイコットし、副業で会場警備の仕事もしないようにと呼びかける。
2000年 6/12 NY市にあるマディソン・スクエア・ガーデンでの10回連続公演が始まる。この初日にはブルースに感謝のコメントを発表していたアマドゥ・ディアロ氏の両親が招待された。
2000年 6/20 ブルース自らが開演前に会場周辺を歩き、ダフ屋の摘発に協力し、8人が逮捕された。全日程がソールド・アウトとなったMSG公演では、最高500ドルまでチケットの値がつり上げられていたという。
2000年 7/1 MSG10回公演の最終日となった当夜で、1年3ヶ月をかけて欧州各国と全米を回った世界ツアーが終了した。
2000年 11/3 パーキンソン病基金のためのベネフィット、ザ・ライト・オヴ・デイ・コンサートに出演。ジョー・グルシュキー&ザ・ハウスロッカーズと1時間半演奏する。会場となったアズベリー・パークのクラブ、ストーン・ポニーへの出演は5年ぶり。
2000年 11/7 82年の名作『ネブラスカ』の収録曲を、クリッシー・ハインド、ロス・ロボス、ベン・ハーパー、アニー・ディフランコ、ジョニー・キャッシュ、エイミー・マンらがカヴァーし、オリジナルと同じように4トラック・カセットで録音したトリビュート・アルバム『バッドランズ』が発売される(日本盤は11月22日発売)。
2000年 12/3 NAACP(全国有色人種地位向上協会)からブルースにヒューマニタリアン・コミュニティ・サーヴィス・アワードが送られた。ブルースの長年にわたる社会への様々な貢献がヒューマニタリアン(人道主義)であると認められたわけだが、直接的な理由は〈アメリカン・スキン〉がディアロ事件への関心を高めたことにあるようだ。白人のエンタテイナーが受賞するのは異例のこと。
2000年 12/17,18 アズベリー・パークのコンヴェンション・ホールで地元の8つものチャリティーのためにベネフィット・コンサートを行なった。ブルースはマックス・ワインバーグ7とパティ・スキャルファ率いるレッドヘッデッド・ウィメンを伴って登場。Eストリート・バンドの面々やサウスサイド・ジョニー、ボビー・バンディエラらも途中で加わった。
2001年 1月 〈アメリカン・スキン〉がシングルとして発売されていないし、ラジオでもかかっていないにもかかわらず、ローリング・ストーン誌の批評家選出年間ベスト10シングルの1曲に選ばれる。
2001年 3/2-3/6 ブルースとEストリート・バンドがNY市内のスタジオでレコーディング。〈アメリカン・スキン〉のスタジオ・テイクを録音し、その他数曲にも取り組んだようだ。
2001年 4/3 前年のMSG公演最終日2日間の録音から選曲された2枚組ライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク・シティ』発売(日本盤は4月18日発売)。
2001年 4/7 ペイTVチャンネルのHBOで、MSG公演の模様を収録した『live HBO special /Bruce Springsteen and the E StreetBand』が放映される。
2001年 9月 同時多発テロから10日後、世界150か国で衛星生中継されたチャリティTV番組『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』に参加。21組のアーティスト、50名以上の俳優が出演。番組の冒頭で新曲「マイ・シティ・オブ・ルーインズ」を弾き語る。
2001年 10月 同時多発テロに関わる緊急チャリティ・アルバム『ゴッド・ブレス・アメリカ』に新曲「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームス」を提供。
2001年 11月 DVD『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』を発表。
2001年 12月 9月に放送されたチャリティ番組『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』がCDで発売。オープニングを新曲「マイ・シティ・オブ・ルーインズ」が飾る。
2002年 5月 ジョージア州アトランタのサザン・トラックス・スタジオでのレコーディング終了。
2002年 6月 『Born In The USA』以来18年振りのEストリート・バンドとのニュー・アルバム『ザ・ライジング』が7/30全米発売と急遽プレス・リリースで発表。
2002年 7月 ☆10日、“ザ・ライジング・ツアー”正式発表。8/7のNJコンチネンタル・エアライン・アリーナを皮切りに年内は12/19まで46都市46公演(US39公演、ヨーロッパ7公演)
☆14日、チケット発売。NJ,NY公演はわずか5分でソールドアウト!
☆26日、アズベリー・パークのコンヴェンション・ホールで“ザ・ライジング・ツアー”の公開リハーサル・ライヴを行なう。
☆30日、アメリカでアルバム『ザ・ライジング』発表。(日本発売は31日)。
☆30日、NBCの朝の看板番組”Today’s Show”に出演。アズベリー・パークのコンベンション・ホールから生中継でライヴ
2002年 7月 ☆30日、アメリカでアルバム『ザ・ライジング』発表。(日本発売は31日)
2002年 8月 ☆1日、2日 CBS”David Letterman Show”に2夜連続出演
☆7日、ニュージャージー州のコンチネンタル・エアライン・アリーナから“ザ・ライジング・ツアー”がスタート。当日はVH-1で数曲全米中に生中継される。
☆12日、ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンにてコンサート
☆29日、MTV Video Music Awardsにてパフォーマンス
2003年 2月 第45回グラミー賞のロック部門で3冠。アルバム『ザ・ライジング』で"Best Solo Rock Vocal Performance""Best Rock Album"、シングル「ライジング」で"Best Rock Song"を受賞。さらに、故ジョー・ストラマーに捧げるトリビュートでは、エルヴィス・コステロ、デイヴ・グロール(フー・ファイターズ)、スティーヴ・ヴァン・ザントとギター&ヴォーカルの横一線で並びクラッシュの「ロンドン・コーリング」を演奏、喝采を浴びる。
3月 夏のジャアインツ・スタジアム公演のチケットが発売され、1日で7公演(30万枚)のチケットを完売させチケットマスターの記録更新。さらに、2日間の追加公演が発表され、1つのスタジアムで9回のショーを行う史上初のロックアーティストに。ブルースは、ニュージャージー州メドウランド・スポーツ・コンプレックス(ジャイアンツ・スタジアム、コンチネンタル・エアライン・アリーナ)において、2003年までに50回の公演を行なっており、うちアリーナ44回、スタジアム6回(BORN IN THE USAツアーでの85年8月18,19,21,22,30,9月1日)ということで、同コンプレックス最多チケット販売の記録を持っていたが、その記録も更新した。99年のEストリート・バンド再結成ツアーでは、コンチネンタル・エアライン・アリーナで15回公演を全て完売という記録も打ち立てている。
イラク戦争開戦日=3月20日のシドニー公演のオープニングで「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を、続けて「ウォー」を披露し明確に反戦を訴える。
4月 ブッシュ大統領をステージで非難したディキシー・チックスへのメディアバッシングに対して、ブルースがオフィシャルHPで「非アメリカ的」と彼女たちの発言を擁護するコメントを掲載。
4月29日、盟友ボビー・バンディエラの息子の難病のためのチャリティ・ライヴが実施され、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・ボン・ジョヴィ、ザ・マックス・ウェインバーグ7、サウスサイド・ジョニーら"ニュージャージーオールスターズ"が集結。
5月 ブルースもヴォーカルとギターで参加したEストリート・バンドの準メンバー、スージー・タイレルのアルバム『White Lines』のリリースパーティがアズベリー・パークのストーン・ポニーで開催され、ブルースもステージに飛び入り参加。
7月 ジャイアンツ・スタジアム9公演を含む"北米スタジアム・ツアー"が、2003年夏の最大収益ツアーに認定される(ボストン・レッド・ソックスの本拠地フェンウェイ・パークで史上初のロック・コンサートを遂行)。
9月 トロントのスカイ・ドーム公演で、 9月7日に他界したウォーレン・ジヴォンの「My Ride's Here」をカヴァー。ノースカロライナのキーナンスタジアム公演では、 9月12日に他界したジョニー・キャッシュの「I Walk The Line」をカヴァー。
ザガット・サーベイによる『Music Guide』で、1万500人のミュージック愛好家の投票をもとに歴代ポピュラー・アルバムが発表され、『明日なき暴走』が1位に選出される。ビートルズの『Abbey Road』『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』が2位、3位。ちなみに8位に『闇に吠える街』もランクイン。
ザ・ライジング・ツアーのファイナル、10月4日のNYシャア・スタジアム公演にボブ・ディランが飛び入り、「HIGHWAY 61」を共演。
11月 3枚組ベスト・アルバム『エッセンシャル・ブルース・スプリングスティーン』発表。全米14位、全英28位。本作のバック・カバーは1985年京都公演のリハーサル場面。
12月 米業界誌『Pollstar』が発表した2003年全米コンサートツアー興行収入ランキングでブルースが1位。47公演を行い、総収入は1億1590万ドル。ローリング・ストーンズが1994年に打ち立てた1億2120万ドルに次ぐ歴代2位の記録を樹立。
2004年 1月 2枚組ライヴDVD『ライヴ・イン・バルセロナ』発表。
『ザ・ライジング』収録の「ザ・フューズ」がエンディングテーマの映画『25時』が公開。
2月 第46回グラミー賞で、ウォーレン・ジヴォンとのコラボ「ディソーダー・イン・ザ・ハウス」で"Best Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal"を受賞。
6月 妻パティ・スキャルファの11年ぶりとなる2ndアルバム『23rdストリート・ララバイ』(日本発売8月)に参加。
「ニューヨーク大学にて、アル・ゴア氏がおこなったスピーチは、俺がこれまで聞いたあらゆる声明の中でも最も重要なもののひとつだった。この国の行く末に関わりのあるすべてのアメリカ人によって思案されるべき問題を提起している。ここでファンのみんなにその内容を紹介できることを嬉しく思う」とアル・ゴア前米副大統領のスピーチを全文オフィシャルHP掲載。
10月 変革のための投票を訴えた"Vote For Change"ツアーを米大統領選の激戦州で開催(28都市で34コンサートを順次同時進行的に開催)。ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドはR.E.M.、ジョン・フォガティ、ブライト・アイズらとステージをシェア。10月13日のツアー・ファイナルは、ボスの地元NJコンチネンタル・エアラインズ・アリーナで開催。名曲「レーシング・イン・ザ・ストリート」でジャクソン・ブラウンが飛び入りし、伝説の共演に。
大統領選(11月2日)直前の10月28日、ウィスコンシン州マディソンで行われた民主党大統領候補・ケリー上院議員の演説会に登場。ブルースは、ギター1本で「プロミスト・ランド」を演奏。その後スピーチを行い、そのまま「ノー・サレンダー」を歌ってから、ケリーを呼び込む。
11月 大統領選挙は共和党のブッシュ現職大統領が再選。選挙後ブルースは、ギター1本での「アメリカ国歌」スタジオ収録ヴァージョンをオフィシャルHPにアップし聴けるようにした(ブルースがインターネットを使って発表した初めての新曲)。
2005年 2月 第47回グラミー賞、「コード・オブ・サイレンス」で"Best Solo Rock Vocal Performance"を受賞。
3月 ロックの殿堂入りセレモニーで、殿堂入りしたU2のプレゼンテーターをブルースが務める。ちなみに、99年にブルースが殿堂入りしたときに、彼をステージに招き上げたのがU2のボノだった。
4月 20thアルバム『デビルズ・アンド・ダスト』発表(日本発売5月)。全米1位、全英1位を含む世界10か国で初登場1位を記録。
『デビルズ・アンド・ダスト』を引っ提げた、たったひとりの"完全ソロ・アコースティック・ワールド・ツアー"がデトロイトからスタート。
6月 DVD『MTV Unplugged〜プラグド』(初DVD化)発表。
オリジナルUS初版アートワークを再現した第1弾紙ジャケCD6タイトルが日本発売(『アズベリー・パークからの挨拶』『青春の叫び』『明日なき暴走』『闇に吠える街』『ザ・リバー』『ネブラスカ』)。
7月 第2弾紙ジャケCD6タイトルが日本発売(『ボーン・イン・ザ・U.S.A』『The "Live"1975-85』『トンネル・オブ・ラブ』『ヒューマン・タッチ』『ラッキー・タウン』『MTV Unplugged〜プラグド』)。
8月 第3弾紙ジャケCD5タイトルが日本発売(『グレイテスト・ヒッツ』『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』『18トラックス〜ザ・ベスト・オブ・"トラックス"』『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』『ザ・ライジング』)。
11月 ニュージャージー州トレントンで、72公演に及んだ"ソロ・アコースティック・ツアー"終了(北米での2005年度コンサート収益15位)。
12月 CD+2DVD『明日なき暴走30th Anniversary Edition』発表。全米18位、オリコン総合39位を記録。
限定盤DVD『ストーリーテラーズ』発表。
特製ブックレット付2枚組アルバム『ライト・オブ・デイ トリビュート・トゥ・ブルース・スプリングスティーン』日本発売。
2006年 2月 第48回グラミー賞、「デビルズ・アンド・ダスト」で"Best Solo Rock Vocal Performance"を受賞。「デビルズ・アンド・ダスト」をアコースティックギター1本で披露。ステージ去り際につぶやいた言葉が「B ring them home......」。兵士達を帰還させろとイラク撤兵をメッセージとして残し、反響を呼ぶ。
4月 21thアルバム『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ』発表(日本発売5月24日)発表。全米3位を記録。
ライヴアルバム『ライヴ・アット・ハマースミス・オデオン,'75』発表。
スプリングスティーン・ウィズ・シーガー・セッションズ・バンドのお披露目が、4月30日、ニューオーリンズのメジャズ&ヘリテージ・フェスティヴァルで行われた。
ニューオリンズに捧げた新録曲How Can A Poor Man Stand Such Times And Live?」をオフィシャルHPのみで発売。
5月 Seeger Sessinons Band European Tourが、5月2日、ダブリンからスタート(ツアー全10回公演、5月21日のストックホルム公演で終了)。
Seeger Sessinons Band US Tourが 5月27日、ボストンからステート(ツアー全18回公演、6月25日のニュージャージーPNC公演で終了)。
6月 アルバム未収録のピート・シーガーの反戦アンセム「Bring Em Home」の新録を発表しオフィシャルHPのみで発売。
10月 Seeger Sessinons Band Fall 2006 European Tourが10月1日、イタリアのボローニャからスタート(ツアー全21回公演、11月21日のアイルランドのベルファストで終了)。
2007年 2月 第49回グラミー賞で2部門獲得。『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ』で"Best Traditional Folk Album"を受賞。「Wings For Wheels:The Making Of Born To Run」で"Best Long Form Music Video"を受賞。これでブルースは5年連続グラミー受賞という大記録達成。
7月 ライヴアルバム『ライヴ・イン・ダブリン』発表(2CD+DVD、2CD、DVDの3種類パッケージ同時発売)。全米23位を記録。
2CD+DVD
 
2CD
 
DVD
限定盤『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ(アメリカン・ランド・エディション)』発売。
9月 妻パティ・スキャルファの3rdアルバム『プレイ・イット・アズ・イット・レイズ』に参加。
アルバム先行シングル「レディオ・ノーウェア」発表。米国ラジオ業界への痛烈な批判メッセージソング。
10月 22thアルバム『マジック』発表。全米1位、全英1位を含む世界10か国で初登場1位を記録。ブルースは8作目の全米No.1で、エルヴィス・プレスリー(19作)、ビートルズ(10作)、ジェイ・Z(10作)、ローリング・ストーンズ(9作)に次ぐ、バーブラ・ストライサンド(8作)、ガース・ブルックス(8作)と並ぶ歴代4位を記録。また『マジック』はビルボードの「The Billboard 200(通称『全米』)」「Top Digital Albums」「Top Internet Albums」「Top Rock Albums」「Comprehensive」「Tastemakers」の6つのアルバムチャートを同時制覇するという偉業も達成。オリコン洋楽チャート初登場2位、オリコン総合チャート初登場14位を記録。
『マジック』を引っ提げた全米ツアーが10月2日、コネチカット州ハートフォードからスタート。10月17日、18日のNYマディソン・スクエア・ガーデンのチケットはたった1分でソルドアウト(全24公演、11月19日のボストン公演で一旦終了)。
11月 『マジック』が、登場3週目で返り咲きの全米1位を記録。ブルースにとっては1985年1月の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』以来の珍記録。
ヨーロッパ・ツアーがスペインのマドリードからスタート(ツアー全12公演。12月15日のベルファスト公演をオアシスの記録を塗り替え8分でソールドアウト)。ツアー最終日、12月19日のロンドン公演のチケットは10分でソールドアウトした。
2008年 2月 第50回グラミー賞で3部門獲得。「レディオ・ノーウェア」で"Best Solo Rock Vocal Performance"、"Best Rock Song"、「Once Upon a Time in the West」from『ウィ・オール・ラヴ・エンニオ・モリコーネ』で"Best Rock Instrumental"を受賞。これでブルースは6年連続グラミー受賞という大記録を樹立。
  『マジック』を引っ提げた全米ツアーの第2部が2月28日、コネチカット州ハートフォードからスタート。
3月 『ライヴ・イン・ダブリン』がブルース初のBlu-ray Disc発売。
4月 4月17日、Eストリート・バンドのキーボード奏者ダニー・フェデリチが癌のため死去。享年58歳。ダニーがEストリート・バンドとして最後にステージに上がったのは3月20日のインディアナポリス公演。「7月4日のアズベリー・パーク(サンディ)」も演奏。
5月 ヨーロッパ・ツアーの第2部が5月22日、ダブリンからスタート。
7月 ニュージャージー州ジャイアンツ・スタジアム3days公演。
8月 8月30日、ミルウォーキー公演で、100回を超えのべ200万人を動員した『マジック』ツアーが終幕。
10月 民主党のバラク・オバマ大統領候補への支持を表明し、前回の大統領選挙に続いて、今度は単身のVOTE FOR CHANGEのキャンペーンツアーを開始。10月5日のフィラデルフィアでは、前市長に紹介されて登場しアコースティックギターを抱え、フィラデルフィアオバマ支持者約5万人を前に7曲演奏。テレビ、新聞、雑誌など多くのメディアがニュースに取り上げる。
  10月16日、NYハマーステインボールルームでオバマ大統領候補のベネフィットライブが行われ、ビリー・ジョエルと共に出演。
12月 ミッキー・ローク主演の映画『THE WRESTLER』の主題歌「ザ・レスラー」が、ゴールデン・グローブ賞の主題歌にノミネート(発表は2009年1月11日)。「ザ・レスラー」は『ワーキング・オン・ア・ドリーム』にボーナストラック収録。
  Billboard Boxscore発表の2008年コンサートツアー興行収入ランキングでブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが2位を記録(1位 ボン・ジョヴィ 2億1000万ドル/2位 ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド 2億400万ドル/3位 マドンナ 1億6200万ドル/4位 ポリス 1億5000万ドル/5位 セリーヌ・ディオン 9100万ドル)。
  第51回グラミー賞で2部門にノミネート。「ガールズ・イン・ゼア・サマー・クローズ」で“Best Solo Rock Vocal Performance”“Best Rock Song”。受賞すれば7年連続受賞の空前記録(発表は2009年2月8日)。
2009年 1月 1月11日、ゴールデン・グローブ賞主題歌賞受賞(ミッキー・ローク主演映画「ザ・レスラー(原題)」主題歌)
  1月18日、オバマ第44代米国大統領就任祝賀イベントワシントンD.C.)に出演  
  1月28日(EU 1/26, US 1/27)、ニューアルバム『ワーキング・オン・ア・ドリーム』発表。
2月 2月1日、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドがフロリダ州タンパのレイモンド・ジェイムス・スタジアムで開催されるスーパーボウルのハーフタイム・ショーに出演予定(全米で1億4800万人以上が視聴するとされる)。
  2月18日、『ワーキング・オン・ア・ドリーム〜デラックス・エディション』(CD+ボーナスDVD)発表。

(資料制作協力:五十嵐正氏、安川達也氏)

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