BRUCESPRINGSTEEN
『デビルズ・アンド・ダスト』
五十嵐 正氏による曲目解説


1. Devils & Dust
アルバムの幕を開ける表題曲はイラク戦争開戦の時期に書かれた。ブルースは「その表題は(アルバムの)すべての曲へのメタファーとして機能する。自分の悪魔と格闘している人びとの個々の物語のね」と語っているが、この曲で内なる悪魔と闘うのはイラクの戦場にいる兵士で、神が自分の側にいると信じ、自分の行為が常に正義であれと願う普通の米国の若者である。そんな彼も死の恐怖にさらされる戦場で生き延びるためには、銃の引き金を引かねばならない。この歌はそんな彼の抱える心のジレンマを描いているのだが、それは同時に現在の米国社会のジレンマでもあろう。「恐怖は力の強いもの」であり、それが「神に満たされた魂を悪魔と砂ぼこりで満たしてしまう」という繰り返しは、同時多発テロが米国民に植え付けた「恐怖」を利用して政策を進めてきたブッシュ政権への疑問とも解釈できるし、「生き延びるための行為が愛するものを殺してしまったらどうしよう」という一節は、対テロ戦争を口実に市民的自由の基本的人権に制限をかけようとする政府への批判とも受け取れる。

2. All The Way Home
元々は盟友サウスサイド・ジョニーの91年のアルバム『ベター・デイズ』に提供した曲。そのときはソウル・バラード調の作品だったが、ここでは歌詞を少し手直し、異なったメロディーを付けて、アップテンポのカントリー・ロック・ナンバーに改作してしまっている。バツイチの女性にもう一度恋愛に踏み出す勇気を促す求愛の歌で、内容的には『トンネル・オヴ・ラヴ』の〈タファー・ザン・ザ・レスト〉によく似ている。

3. Reno
曲名になっているネヴァダ州リノは「リトル・ラスヴェガス」とも呼ばれる歓楽の街で、売春が合法化されている。この曲でもメキシコからの出稼ぎ労働者の男が売春婦と寝る。売春婦の性行為の写実的な描写に驚く人もいるだろうが、そのおかげで中間部での恋人と過ごした故郷の牧歌的風景の回想との対比が一層鮮やかになっている。

4. Long Time Comin'
この曲は『トム・ジョード』ツアーで既に歌われていた。新天地まで旅をしてきて、3人目の子供の誕生間近で再出発を期する男の決意が歌われる。主人公が息子の将来への願いとして「おまえの罪がおまえ自身のものであるように」とあるのは、親が犯した過ちによって子供が不幸になることのないように、という意味なのだろうが、深読みすると、人間が神に対して罪を負う原罪という考え方にとらわれることに疑問を投げかけているのかもしれない。

5. Black Cowboys
モット・ヘイヴンはNYのブロンクス区にある町。ストリート・ギャングの抗争で多くの若者の命が失われる地域だが、主人公の少年レイニー・ウィリアムズは愛情豊かな母の言いつけを守って、いつも学校からまっすぐ家に帰ってくる。そんな彼は本で読んだ黒人カウボーイに憧れていた。やがて母はヤクザな男と一緒になり、生活が荒れていく(詳しい説明はないが、たぶんドラッグに溺れていったのだろう)。レイニーはそんな生活に見切りをつけ、男の金の一部を盗んで、本で夢見た西部へ旅立つ。都会のゲットーの現実と西部への夢を対比させたところがユニークな曲だ。

6. Maria's Bed
苦難に満ちた人生を送ってきた主人公がマリアのベッドに救済を見つける。恋人のベッドといえば、セックスを交わす場所であるが、ここでは聖母と同じ名前の女性のベッドだけあって、そこで「爽やかな水を飲んだ」り、鉛の羽根のために空から落ちてきたのを「そこがバラの花園のおかげで救われた」り、そこでは聖者の言う光よりも「輝く光で照らされる」など、そこが聖なる場所ともとれるイメージが次々と登場する。女性の愛情の聖と性の両面を賛美する曲と言えよう。

7. Silver Palomino
ブルースが言うところの「西部、田舎の風景が舞台になっている」曲のひとつ。パロミーノは体が黄金色でたてがみと尾が銀白色の馬である。13歳のときに初めて見かけ、野生馬の捕獲に長けた地元の者もロープをかけられなかったという銀色のパロミーノは、若い主人公にとっての自由や可能性の広がる未来の象徴として用いられているのだろう。だが、ある年の旱魃が家族に不幸をもたらし、彼の人生の行方を大きく変えたようだ。母親が亡くなったのか? 行間を読んで、想像力を膨らませなければならない。

8. Jesus Was an Only Son
ブルース風ゴスペルとでも呼べる美しい曲だが、ここではイエス・キリストを神の子ではなく、母親マリアの愛する一人の息子として歌っている。ブルース自身が3人の子供の親である体験が書かせたようだが、その視点によって、このアルバムの中でキリストは苦闘して生きた人間として、他の曲の登場人物と同格に扱われる。そこにある種の政治的メッセージを読み取る人もいるだろう。ブッシュ再選の大きな力となった米国で力を増す宗教右派の非常に偏狭な宗教観に対峙する考え方を提示しているとも言えるわけだから。

9. Leah
リアという女性と一緒に家を建て、人生を共に歩んで生きたいと歌う。このリアという名前はアズベリー・パークにある行きつけの店のウェイトレスの名前を借りたそうだが、聖書ではヤコブの最初の妻の名前であるし、ロイ・オービスンに同名のヒット曲(62年)もあった。

10. The Hitter
これも『トム・ジョード』ツアーで披露されていた曲。ブルースのストーリーテラーとしての語り口のうまさが特に冴えわたり、物語にぐいぐいと引き込まれてしまう作品だ。生きていくためなら八百長も辞さない賭け試合専門の流れ者ボクサーが、久しぶりに家に戻ってきて、母親に語りかける設定で半生を振り返る。まるで短編小説のような見事な作品である。

11. All I'm Thinkin' About
「俺が思っているのはおまえのことだけ」と歌う軽快なラヴ・ソングだが、歌の背景には南部の田舎の風景が用いられている。ブルースが全編ファルセットで歌うのは、99年の映画『リンボ』の主題歌〈リフト・ミー・アップ〉以来のこと。

12. Matamoras Banks
『トム・ジョード』アルバムの主要なテーマにもなっていたメキシコから不法入国する出稼ぎ労働者たちの悲劇的な物語のひとつ。マタモラスはメキシコ東北部にある港町で、合衆国とメキシコとの国境をなすリオ・グランデ川の河口にある。曲の出だしで2日間川に浮かんで流されてきた死体が登場するが、それはより良い暮らしを求めてメキシコ側から合衆国に密入国しようとして生命を落とした男の死体である。ブルースはその死体の流れを逆に辿り、彼が泳いで渡ろうとしたテキサス州ブラウンズヴィルの川を挟んで反対側の地点、そしてそこへ至るまでに越えてきた砂漠にまで戻って、彼の物語を語る。


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