Blaque Ivory

Shamari

Brandy

Natina
グループ結成、そして幸運なデビューまでの道
 シャマーリ(19)、ブランディ(16)、ナティーナ(18)。今や東のNY、西のLAと並んで重要な音楽都市、アトランタで結成されたキュートな女の子3人組は、今年デビューする数多くの新人の中で誰よりも幸運なスタートを切ろうとしている。

グループ名にある"Blaque"とは、"Believing in Life and Achieving a Quest for Unity in Everything"からとったもの。人生を信じ、全てに結束を求め続ける、という意味と"Black"の発音を引っかけた造語だ。名付け親は、彼女達の非凡な才能を見いだしたTLCのLeft Eye(=Lisa Lopes)。2ndアルバム『Crazysexycool』('94)が世界中で大ヒット、ガールズ・グループの頂点を極め、ブラック・ミュージックの以降の流れを決定づけたTLCのメンバー、レフト・アイが設立したLeft Eye Productionからの第1弾アーティストとして輝かしい全世界デビューを飾ることになる。
Left Eye Productionの設立は今から4年半ほど前にさかのぼるが、ソニーと正式にプロダクション・ディールを交わしたのは'96年のこと。TLCとしての表立った活動から遠ざかっていたここ数年間、レフト・アイは精力的にオーディションやショーケースを開いたり、地元アトランタのクラブでデモ・テープを受け取ったり、機会があれば街中で自らスカウトしたりして積極的に新人アーティストの発掘に努めたという。「アーティストの資質として大事なのは、まず第一に技量、第二にイメージとステージでの印象。それからしっかりしたヴィジョンと態度。自分のやりたい音楽がわかっていて、いろんなクリエイティヴなアイデアに溢れている才能のあるアーティストとしかサインしないの」と彼女は語る。
レフト・アイが絶賛する若き個性派グループ
そんなレフト・アイが惚れ込んだブラック・アイヴォリーとは?「一見、TLCの妹グループみたいな感じよ。3人組だし、ちっちゃくてカワイイし、それに2人が歌って1人がラップするっていうところもね。でもサウンドは別。絶対にユニークなイメージを持っているし、生の彼女達を見てみれば、一人立ちした個性あるグループだとすぐにわかるはずよ。でもきっとTLCを彷彿させるものはあると思うわ、ちょうどそんなマジックを兼ね備えているから」(レフト・アイ)
彼女の言葉通り、ブラック・アイヴォリーはメンバー3人共、それぞれに個性的なサウンドを持ち合わせている。ブランディのヴォーカルはまるで幼い子供の吐息のように甘く純粋だ。シャマーリはパワフルなソウル・スタイルを武器に、そしてナティーナはすべてのラップ・パートを担当している。彼女達が紡ぎ出すサウンドは、ソウルフルなR&Bとファンキーなオルタナティヴ的ヴァイブを掛け合わせた、未知のグルーヴに満ちた全く新しい感覚のものだ。「他のガールズ・グループがやろうとしないようなことにあえて挑戦するの。だって私達は2080年からタイムスリップしてきたんだから。私達の音楽を聴いてみれば、きっと違いがわかるはずよ。もっとアーバン/ポップ・オルタナティヴだし、全く違うヴァイブを持っているの」(ナティーナ)「私達みたいなグループは他に誰もいないわ。いつも時代の一歩先を見てるのよ」(ブランディ)
超豪華な制作陣がバックアップ
デビュー・アルバム"Blaque Ivory"に収録される全14曲のうち、6曲のソングライティングにナティーナを中心としたメンバーが自ら参加。レフト・アイが見守る中、レコーディングはシカゴ、アトランタ、ニューヨークの3都市でじっくり時間をかけて行われた。メイン・プロデューサーに迎えたのは、トータル、メアリー・J・ブライジ、アルーアをはじめ数多くのヒップホップ/R&Bのヒットチューンを送り出しているトラック・マスターズ。フロントマンのポーク&トーンに加え、ティモシー・“タイム”・ライリー、そして新たにトラック・マスターズ・エンタテインメントに加わった、マライアから全面の信頼を受けていることでも知られるコリー・ルーニーなど、ファミリーを挙げてのプロデュースぶりだ。加えて参加したのは、R.ケリー(アメリカでの1stシングル"808"をプロデュース、この曲のすべての楽器演奏も彼が担当)、リック・ウェイク(マライア・キャリー"Someday"、"There's Got To Be A Way"、セリーヌ・ディオン"Love Can Move Mountains"、テイラー・デインの一連のヒット作などを手掛ける)をはじめとする錚々たるメンバー。「R.ケリーと一緒に仕事が出来て、すごくいい経験になったわ」(ブランディ)「音楽業界のいろんなことについて、ひとつひとつ教えてもらったの」(シャマーリ)。レフト・アイとR.ケリーは、US 1stシングル"808"のビデオ・クリップにもちらりと客演している。 TLCの新作"Fanmail"にも参加、1stシングル"No Scrubs"を手掛けている新鋭プロデューサー、シェイクスピアことケヴィン・ブリッグスの手による楽曲("Roll With Me")も最後に付け加えられた。アルバムの多くの楽曲をミックスしているトニー・マセラティは、最近ではアンドレア・マーティンのデビュー・アルバムなどでも活躍中の敏腕エンジニア。さらに、数曲のバックコーラスにはダラス・オースティン絡みの作品に欠かせない実力派、デブラ・キリングスの名前も見受けられる。

特筆に値するのは、あのマライア・キャリーが"Don't Go Looking For Love"という新曲を提供していること。いかにもマライアとわかる美しいメロディー・ラインのバラードに、L.L.クールJの元祖メロウ・ラップ、"I Need Love"のバックトラックを借用したポーク&トーンのプロダクションも冴える注目度No.1のトラックだ。"Release Me"ではスティングの"Shape Of My Heart"の印象的なフレーズを全面に引用し、ホイッスルのカヴァー"Right Next To Me"は、アルバム中最もキャッチーな仕上がりとなったミディアム・チュ ーン。注目のシェイクスピアによる"Roll With Me"は、今のアトランタ・シーンを象徴するサウンド・プロダクションが映えるナンバー(日本の1stシングルに決定)だし、さらにシンディ・ローパーの名曲"Time After Time"のカヴァーにもトライするなど、ジャンルの枠に縛られないサウンドが新鮮だ。ちなみに"Bring It All To Me"でデュエット参加しているJ.C.は、ヨーロッパ、全米で大ブレイク中の5人組ボーイズ・グループ、'N SYNC(インシンク)のフロントマンである。

アルバムを聴くと、耳に残るR&Bバラードからレイドバックしたヒップホップ・ソウル、オルタナティヴなヴァイブ溢れるナンバーに至るまで、ヴァラエティに富んだアプローチがなされていることに驚かされる。ナティーナが書き下ろした1曲"I Do"に至っては、“アラニス・モリセットにインスパイアされた”という思い切ったサビへの鮮やかな展開が印象的。歌詞に込めたメッセージも、人類の団結の尊さや永遠の友情をモチーフにしたものなど、ポジティヴな内容を呼びかけたものが多い。「私達はポジティヴなグループなの。平和と愛を信じてるのよ」(シャマーリ)「現実的だけど先鋭的よ。ファンキーでクールなの」(ナティーナ)ファッション的にも音楽的にも一歩先を行く。それがブラック・アイヴォリーの掲げる主義だという。シャマーリ、ブランディ、ナティーナ。彼女達3人がこれからの歴史を新しく刻んでいく。
Blaque Ivory biography
シャマーリ・フィアーズ(Shamari Fears)、ブランディ・ウィリアムス(Brandi Williams)、ナティーナ・リード(Natina Reed)の3人編成のガールズ・グループ。TLCのレフト・アイが実施したオーディションを機に、'96年地元アトランタで結成された。同年ソニーと契約したレフト・アイ・プロダクションからの記念すべき第1弾デビューを飾る。

ブランディ(16)は生まれたときからずっと音楽に囲まれて育った。デトロイト出身。祖父のボビー・ロジャースはモータウンの伝説的グループ、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのメンバーで、父親もプロのシンガーだった。R&B界の歌姫、シェレール(アレクサンダー・オニールとのデュエットで有名)の実の姪でもある。「ずっと音楽が大好きだったの。小さい頃から、音楽以外の道に進もうとは夢にも思ったことがないわ。お医者さんにも弁護士にもなりたいなんて口にしたことは一度もなかった。ずっと歌手になりたいと思っていたの」

それとは対照的に、ナティーナ(18)は子供の頃からいろんな職業を夢見ていた。「ミス・アメリカにも、獣医さんにも映画スターにもなってみたかったわ」。NY出身。父親と叔父は共に聖職者で、小さい頃はよくおじさんの教会でドラムを叩いていた。少女時代にモデルを経験したのち、ライム(詩)を書き始め、CMのジングルを作るようになったのがこの道に入ったきっかけという。「リサ(・ロペス=レフト・アイの本名)とは昔から友達だったけど、私が作った"Now & Later"っていうキャンディのCMジングルをたまたま耳にするまでは、ちゃんと音楽の話をしたことはなかったの」とナティーナは言う。そのリサ・ロペスのアドバイスによって、彼女は音楽の道に進むことを決意する。ナティーナは“スプライト”のCMジングルも手掛けている。

プロのミュージシャンになりたいという夢がシャマーリ(19)の胸をふくらませていた。その思いは止められなくなり、ついに8年生の時、プロのシンガーを目指すとみんなに吹聴して回った。「私がレコード会社と契約して、バンドのメンバーを探しているって話をみんなに触れ回ったの」。やはりデトロイト生まれの彼女は、R&B、オルタナティヴ・ロック、ラップ、ゴスペルを幅広く聴く。

運命の神様が3人を引き合わせた。シャマーリとブランディは共にアトランタに引っ越してくる前、同じデトロイトの近所に住んでいたのだが、その当時全く面識はなかった。ニューヨークからアトランタに移ってきたナティーナはシャマーリと同じ小学校に通うことになり、"Butz"という地元のアーバン・カントリー・グループに共に参加したのがきっかけで2人は出会う。さらにシャマーリは"Intrigue"という別のグループと付き合いがあり、そのメンバーだったブランディとも親しくなった。しかし3人全員が顔を合わせたのは、'96年のレフト・アイ・プロダクションのオーディション現場がはじめてのことだった。

こうして結成された“ブラック・アイヴォリー”の3人を、レフト・アイはソニー・ミュージックの社長でCEOのトミー・モトーラのもとに連れていってオーディションさせた。モトーラは一発で惚れ込み、その場で契約を交わしたという。晴れてコロンビア/トラック・マスターズ・レーベルからリリースされることに決まったデビュー・アルバムのレコーディングは翌'97年秋にスタートし、実に1年以上の歳月を費やして入念に進められた。その間、'98年10月末に新装リリースされたSo So Defレーベルからのクリスマス・オムニバス盤"Jermaine Dupri Presents 12 Soulful Nights Of Christmas"に、レーベルメイトのデスティニーズ・チャイルド、キンバリー・スコット、トリナ&タマラなどと共に"Voices Of Soul"というスペシャル・ユニット名義で参加、"Someday At Christmasを熱唱して初お目見えを果たしている。一時は'98年初夏にリリースされると報じられたデビュー・アルバムが半年以上も延びることになったのは、よりよいものを目指して何度もレコーディングのやり直しをしたためという。ダンス・オリエンテッドな側面も出すためにもっとアップテンポなナンバーを加えたり、新しいプロデューサーを後から起用したり。ようやく完成間近となったアルバム"Blaque Ivory"には、時代の一歩先を行く彼女達のきらめく才能がいっぱいに詰め込まれている。

ブラック・アイヴォリーは今年4月より、同じマネージメント(Wright Entertainment Group)に所属する人気ボーイズ・グループ'N SYNCのオープニング・アクトとして、全米各都市を大規模なツアーで回っている。