「今回は、スタジオにこもりっきりでヒゲもそらず、2週間ほどぶっとおしでプレイするって感じのアルバムを作りたかったんだ」とベン・フォールズ。それがソロ・デビュー・アルバム『ロッキン・ザ・サバーブズ』に続く、『ソングス・フォー・シルヴァーマン』だ。
レコーディングは昨年秋、かつてジョニー・キャッシュやエルヴィス・プレスリー、カール・パーキンスが使ったナッシュビルのRCAスタジオ。ベン自身のプロデュースによる本作には11曲(日本盤にはボートラ収録予定)が収録されており、ベースのジャレド・レイノルズとドラムスのリンゼイ・ジェイミソンを起用。「最初から最後まで、居間にいてピアノやベース、ドラムスでプレイしているようなアルバムなんだ。ストレートで、それでいて心がこもってる」

『ロッキン・ザ・サバーブズ』とEP3部作『スピード・グラフィック』、『サニー・シックスティーン」、『スーパーD』をほぼ自分ひとりで作ったベンは、またバンドと一緒にやりたくなったという。ベン・フォールズ・ファイヴを解散して以来、初めてのことだ。
「ソロでやるのに飽きたんだ、うんざりだった」とベン。「一緒にギグをやるのにぴったりな連中を見つけるには、それほど時間はかからなかった。リンゼイは狂気のドラマーだし、ジャレドもとんがったベースを弾く。僕の音楽にぴったりだよ。それに、すぐ近くに住んでるしね」

そういうわけで、ベンは2004年春に完成させていたソロ・アルバムをすべて白紙に戻し、秋に再びスタジオ入り。6週間のセッションで、トリオは手早く未発表に終わったアルバムの曲をレコーディングし直すとともに、新曲も数曲プレイした。
「レコーディングがこんなに早くできたのは、曲自体を手直しする必要がなかったからさ。最初のときに、それはすませてあったからね」とフォールズは説明する。「プレイをきっちりやることだけに集中した。テイクを取って、プレイバックを聴き、曲の本質をピタリと表現できてるプレイには鳥肌が立つ、それを確かめるんだ」

トリオが最初にレコーディングしたのは「Bastard」。選挙の夜に録音したヴォーカルをフィーチャーした、急増しつつある保守的な若者たちに厳しい目を向けた作品だ。「ウィンストン・チャーチルはこう言った…“リベラルな年寄りには脳みそがなく、保守的な若者には心がない”。僕がひとこと言いたいのは、18歳ですでに世の中のことなんて全部やったし全部見たなんて思ってる、シラケきった若者に対してなんだ。まだ若いくせに、そんなふうにシラケてる場合じゃない。少なくとも2、3分間は、理想に燃えるべきじゃないのか。年と共に、さらに頭が柔らかくなる人間もいるっていうのに。この曲で言ってるオールド・バスタードとは、実はティーンエイジャーのことなのさ」

ファーストシングル「Landed」は、心に訴える巧みなリリックにダイナミックで洒落たサウンドの、これぞベン印といった曲。『僕のことなど忘れてしまっていても、無理はない/なにしろ僕は、よその惑星に行ってたんだ/今、着陸したから迎えに来てよ』
「これは、イカレた彼女の影響から立ち直りつつある僕の親友のこと。彼が精神的に現実に戻ってくる、というイメージを歌ってる。空港に着陸して、元の生活に戻るから迎えに来てほしいといってるんだ」

当初のアルバムからそのまま使ったのは「Sentimental Guy」と、ベンの娘の歌「Gracie」だけ。フォールズは全曲をレコーディングし直すつもりだったが、レイノルズとジェイミソンが「この2曲はそのままがいい」と勧めたのだ。「彼らの意見を全面的に信頼した。遠慮せずに“もっとうまくやれるよ”と言ってくれる二人なんだ。その二人が一音も変えたくないというから、そのまま残した」

一方、「Give Judy My Notice」は数回やり直した。『スピード・グラフィック』収録のヴァージョンを削ぎ落とし、ベンのピアノだけを残した。未発表に終わったアルバムのヴァージョンには、80年代のポップ特有の輝きがあった。だが結局、R.E.M.やボブ・ディランとプレイしてきたペダルスティールの名手、バッキー・バクスターのおかげで、カントリーっぽいサウンドになっている。
「あの曲は、今回のアルバムのレコーディング状況をよく表しているよ」とベン。「あの曲をやることになってから、バッキーが街に来てるから頼んでみようよ、ってことになったんだ。たちまちバッキーがスタジオに来てくれた。こういう方向でいこうとか、あれこれ考えずに自然に任せたんだ。“Time”もそう。あの“ヘン”なアル・ヤンコビック先生が街に来てたんで、ちょっと呼んでコーラスで歌ってもらったのさ」

書くのに一番苦労したのは「Late」。これは2003年10月21日に亡くなったシンガーソングライター、エリオット・スミスを歌った作品。「エリオットとは一緒にツアーしたから、少し知ってたんだ。彼の音楽にはいろんな意味で大きな影響を受けた。僕が音楽も何もかもやめたいと落ち込んでるようなとき、彼の音楽で心が軽くなり、支えられた。そのうえ、人間的にもいいやつだった。そういうことを、ありきたりな表現でなく誠実に曲にするのは難しい」

失敗するのではないかと怖れたベンは3日間苦悩した末、スミスの死を悲しみ、ほんの短期間でも知り合えたことを幸せに思う気持ちをリリックに書き表した。「僕がツアーで知ったエリオット・スミスを書きたかった。シャイで傷つきやすそうな一面があるかと思うと、すごく攻撃的なバスケをやるんだ。彼の音楽のおかげで、僕はつらい時期を乗り越えられた」とベン。「僕が、天井いっぱいに汚い言葉を書きなぐった安っぽいクラブでプレイしなきゃならない自分を呪っているときでも、エリオットは同じ掃きだめにいてでさえ、美しい音楽を創り出していた。詩人は、ワーズワースが見上げたのと同じ空を見上げることができるからこそ、インスピレーションが沸くんだ。僕も、エリオットが見上げていた“Dookie”、“Nirvana Sux”、“Eat Me”(楽屋の落書きの意)と同じ星空を見上げていたから、インスピレーションが沸いた。できればこの曲を聴いた人が5人ほどでも、彼のレコードを買って、彼の存在意義を考えてくれればと思うよ。ほんの数分間でも、僕の曲で彼を思い起こさせることができれば、僕の願いは達せられたといえる」

『ソングス・フォー・シルヴァーマン』には特に一貫したテーマはないものの、トリオがスタジオで共有した高揚感が全曲に流れているとベンは言う。「そのときの気分をきわめてよく捉えたレコードというのがある。これは精神的にタイトなアルバムで、音楽的には必ずしもタイトとはいえない」

しばらくバンドなしでツアーとレコーディングをやってきたベンは、『ソングス・フォー・シルヴァーマン』でピアノとベース、ドラムスというかつての組み合わせに戻って、新鮮な気分になったと言う。「ピアノとベース、ドラムスは、僕にとっていつでも一番自然な形なんだ。12歳のときにピアノとベース、ドラムスで録ったテープもある。ベン・フォールズ・ファイヴ以前にも同じ形で2つバンドを組んでいた。その形からしばらく遠ざかって、違うことをやりたかったんだけど、やっぱりピアノとベース、ドラムスが僕の基本なんだ」

この春、レイノルズとジェイミソンを伴って、アルバムのプロモーションでロードに出る計画だが、今のところは何にでもオープンな姿勢だ。ツアーもレコーディングも、もっと多くのミュージシャンを加えることもあれば、ピアノだけのソロもありうると…。

 
ベン・フォ-ルズの来日レポートです。
2001年11月