90年代プレイバック
『ポケベルが鳴らなくて……も、ケータイが鳴る』〜現代的なコミュニケーション・ツールの誕生 通信機器の革命期! どこにいても誰とでも繋がれる世界の訪れ。
気付けばここが未来だった
 言うまでもなく、90年代の時点からすれば、今こそが未来である。あの頃、21世紀というのはSFの世界を想像させるものであった。ハイ・テクノロジーによって映画やマンガの中に見られた夢のような景色が実現されているはずだった。

 さあしかし、この20年の間に何もかもがそこまで一変したか。90年代からタイムトラベルしてきた人間だったら「した」と驚いてみせるのかもしれない。けれど、実際に歳月を過ごしてきた人間にしたら全ては積み重ね、自然に慣れ親しんだものでしかないのであって、改めてそれに感動する機会の方が少ない。勿論、普段は気に留めないだけの話で、現実的に生活のスタイルが様変わりしていることは、電化製品がどれほど優秀になったのかを基準に過去を振り返ってみた途端、一目瞭然になるわけだ。空想とは異なる点もあるにはあるだろうが、十分にハイ・テクノロジーな21世紀を生きられているのである。

 それこそ、携帯電話やパソコンってすげえ便利だよね、と、わざわざ報告すること自体が既に野暮ったいものになりかけているのだった。が、いやでも、まさか携帯電話やパソコンがこんなにも身近で必須なアイテムになるだなんて。90年代の初頭においてはSFの世界に描かれていても不思議ではなかった。

 特に、インターネットを含めた通信技術の発展、それに伴う手続きの簡易化は、仕事環境はもとより、プライヴェートに起こるあれこれを大きく変えてしまったじゃないか、と言いたい。メールで一方的に「さよなら」だとかメールで一方的に「ごめんなさい」だとかメールの返事が全く来ないだとか、最近の自分の失恋はそんなのばっかりである。せつない。固定電話が主な連絡手段だった頃にはなかったせつなさだろう。'93年のテレビ・ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』にもなかったせつなさだと思う。
さよならポケベル。はじめましてケータイ
 携帯電話が現在ほど普及する以前、固定電話は重要な連絡手段だった。今や見つけづらくなってしまった公衆電話もまたしかりであって、外出の際にテレホンカードは手放せなかった。80年代の後半から90年代の初頭にかけ、ポケベル(ポケットベル)の所有がポピュラーになっていったが、あれもあれで結局のところ、送られてきたメッセージに返信しようとすれば、固定電話や公衆電話に頼らざるをえなかった。携帯電話のメールとは勝手が違ったのである。

 ポケベルを持っていたのは大学生の時分で、確か'95年ぐらいではなかったか。機種は皆さん御存知(だよね)センティーAであった。周りの友達で携帯電話の利用者は一人だけだった。ここで思い出されるのは、大学の掲示板で当日の休講を知ったはいいが、どうすればそれをまだ来ていない他の人間に伝えられるか、という事例である。公衆電話のプッシュボタンで知り合いのポケベルにメッセージを送りまくった記憶は非常に懐かしい。おそらく今の大学生にはわかってもらえまい。最初に「*2*2」と打ち、メッセージを変換するNTTドコモのネクストサービスは、'96年に開始された。PHSや携帯電話が主流になっていくのは、もう少し後のことだ。

 端末の価格にせよ通話料にせよ、90年代の半ばで携帯電話に手を出すのは、まだまだ勇気が要った。コストの面からアドバンテージを得たのがPHSである。ただし、PHSに最も親しんでいたのは、おそらく'74年生まれの自分よりもいくつか下の世代であったろう。高校生の時分に携帯電話やPHSがごく当たり前に存在していたかどうか。こうしたジェネレーション・ギャップは、多分そのあたりを境目にしている。個人的な感想になるのだったが、PHSをピッチと略すのは、わざわざ若者ぶっているようで最初は何だかちょっと気恥ずかしかったよ。

 初期の携帯電話は、決して安価ではなかった。ポケットへ突っ込み、持ち歩くにはでか過ぎた。しかし、わずか数年の間に問題点は改善されていき、90年代の後半にはポケベルに取って代わる。現代の必需品にまで上り詰めるのだから、ハイ・テクノロジーの恩恵はすさまじい。'99年には利用者の増加によって携帯電話とPHSの番号が11桁化された。文字通り携帯する電話に過ぎなかったそれが、メールやインターネット、カメラの機能を備えはじめたのも、ちょうど同じ頃であった。
インターネット・ライフの黎明
 マイクロソフトの「Windows 95」がリリースされたのは'95年であり、検索エンジンの「Yahoo! JAPAN」が開設されたのは'96年である。つまりは90年代の半ばに、パソコンとインターネットをめぐる状況は一気に躍進を遂げたと言って良いと思う。現在、多くの人間にとって当然であるような環境の原型が、この段階で確立されたのだった。

 70年代に登場したパーソナルコンピュータは、長い間、高価である以上にそれを動作させるための知識がふんだんに必要であったため、どうしてもマニアックな印象を免れなかった。マッキントッシュ(アップル)のユーザーを別にすれば、OSを扱いやすく整理した「Windows 95」が登場したことで、個人使用に適した文字通りのパソコンが一般層に行き渡り出したのである。かつて、ワープロ・ソフトといえばジャストシステムの「一太郎」そして表計算用ソフトといえばロータスの「Lotus 1-2-3」の時代があった。それも「Windows 95」の支持を経、同じくマイクロソフトの「Word」や「Excel」にスタンダードの座を明け渡していくことになる。

 驚くなかれ、大学生だった90年代半ば、レポートなどをパソコンで作るというのは、結構進んでいることであった。文系だったのもあるのだろうけれど、周囲にはパソコンを触った経験のない友達が沢山いた。しかしそれが普通だったのである。そこから考えるのであれば、レポートの資料さえインターネットで簡単に調べられてしまう現在は、やはりハイ・テクノロジーに溢れた未来の姿に他ならない。

 そのインターネットにしたって、90年代の後半はまだダイヤルアップ接続に頼るしかなかったんだからな。ISDNやADSLの常時接続が本格化するのは、00年代に入ってからである。それ以前は、逐一回線の利用時間に気を配らねばならなかった。さもなくば、電話の通話料と等しく、あっという間に多額の請求が発生してしまう。容易にアクセスできることの気軽さと熱心にアクセスし続けることのコストは完全に別物だったのだ。'95年にスタートしたテレホーダイは、深夜から早朝に限定された定額制度であるが、あのありがたさたるや。インターネットと夜更かしは、ほとんどワン・セットだといえた。

 いずれにせよ、そこからWWW(World Wide Web)の門戸は広く開かれ、膨大なホームページやテキスト・サイトが立ち上がるのと前後し、'99年には「2ちゃんねる」が産声を上げる。
文/森田真功(1974年生まれ)
ケータイとパソコンをめぐる国内の主な90年代史
1991年 マイクロソフト「Windows3.0」日本語版発売
1991年 海外の半導体メーカーであるインテルが「Intel Inside」のロゴを発表(発案は日本人)
1992年 NTTドコモが設立
1993年 インテルがCPUの「Pentium」を発表
1993年 マイクロソフト「Windows3.1」日本語版発売
1993年 NTTドコモが第2世代(2G、デジタルPDC方式)の「mova」を提供
1994年 携帯電話の売り切り制が解禁
1994年 携帯電話市場にデジタルホングループ(現在のソフトバンク)、ツーカーグループ(後にKDDIへ合併)参入
1994年 ASAHIネットがインターネット接続サービスを開始
1995年 マイクロソフト「Windows 95」日本語版発売
1996年 ウェブディレクトリの「Yahoo! JAPAN」がサービス開始
1996年 NTT直営(当時)のプロバイダ事業「OCN」がスタート
1997年 デジタルホングループが日本初の携帯電話ショート・メッセージ・サービス「スカイウォーカー」を開始
1998年 DDIセルラーグループが第2.5世代(2.5G、CDMA方式)の「cdmaOne」を導入
1998年 マイクロソフト「Windows98」日本語版発売
1998年 ツーカーホン関西(後にKDDIへ合併)が初のプリペイド式携帯電話を発売
1998年 インテルがCPUの「Celeron」を発表
1998年 アップルが「iMac」を発売
1999年 携帯電話とPHSの番号が11桁化される
1999年 NTTドコモが携帯電話におけるインターネットの接続サービス「iモード」を開始
1999年 DDIセルラーグループ(現在のau)が携帯電話におけるインターネットの接続サービス「EZweb」を開始
1999年 DDIポケット(現在のウィルコム)が世界初のカメラ付き携帯電話(PHS)を発売
1999年 J-PHONE(現在のソフトバンク)が携帯電話におけるインターネットの接続サービス「J-スカイサービス(現在のYahoo!ケータイ)」を開始
1999年 電子掲示板サイト「2ちゃんねる」が開設
2000年 携帯電話の全キャリアでアナログ方式のサービスが終了
2000年 「Google」が「Yahoo!」のサーチ・エンジンに採用

(筆者作成)