90年代プレイバック
『激!ゲームウォーズ90s』〜ゲーム機市場に諸行無常の響きあり。誰もが手に取ったあのハードこのハード。そして次世代機による熾烈な競争が幕を開けた。
ファミっ子の懐かしき時代
 正直に言おう。じつは最近になって初めてPSP を触ったのだった。いやあ、グラフィックやゲーム性を含め、技術の進歩ってすごいんだな、と改めて実感した次第である。おいおい、今さらかよ、という声が聞こえてきそうだけれど、ここ十数年は、せいぜい携帯電話の画面で落ち物のパズル・ゲームをプレイするぐらいの、ぬるゲーマーと言おうか、ゆるゲーマーと言おうか、すでにゲーマーと称するのもはばかれるようなライト・ユーザーだったのだから仕方がない。

 残念ながらその理由は、"大人になって働き出すと、まあいろいろ忙しく、時間の融通がなかなかきかないんですよ"、に尽きてしまう。物語や操作、システムの複雑なゲームに手を出したはいいが、それらを理解したり慣れたりしても、途中までしか進めず、そのまましばらく間が空いてしまい、もう一度内容を確認する前に「積んで」しまうことが少なくはなくなった。結局のところ、自分の中の基準として、そのゲームにどれだけ新しい感動や興奮が備わっているかより、どれだけ気軽に再プレイできるかの利便性の方が勝っていったのだ。しかし昔はそうではなかった(はずだ)。それこそ寝る間を惜しんでゲームをしていた時期が間違いなくあった。

 ちょうど『スーパーマリオ』がブームを起こした頃に小学生だった。つまりはファミコン世代である。ファミっ子である。が、それ以前にゲーム&ウオッチ('80 年)の洗礼を受けている。一番最初に触った家庭用ゲーム機は、エポック社のカセットヴィジョン('81 年)だったし、トミーのぴゅう太('82 年)もやった。そして、ファミリーコンピューター('83 年)のヒットを体験するわけだけれど、じつはセガ・マークIII('85 年)以降のセガ派であり、いやごめん、本当のことをいえばMSX('83 年)にも手を出しちゃうタイプの浮気性であった。もちろん、その後もNEC のPC エンジン('87 年)や、セガのメガドライブ('88 年)、任天堂のスーパーファミコン('90 年)などのハードを渡り歩きながら、SNK のネオジオ('90 年)に関しては羨ましそうに横目で眺めるだけ。わかるわかる、と言ってもらえたら嬉しい。

 生涯、人はいったいどれぐらいのゲームをプレイし、クリアーし、はたまた投げてしまうのかは知らないのだけれど、10 代から20 代にかけ、相応のキャリアを積んできたつもりである。少なくとも80 年代、90 年代の作品からは自分の血や肉となるようなインプットをたくさん得てきたと思う。現在もその手の話題になれば、ついつい身を乗り出してしまうのだ。ニコニコ動画のゲーム実況では、所謂レトロ・ゲームを扱ったものが好き。
群雄割拠から躍り出たプレイステーション
  さて、今でこそ次世代機というタームが一般的になり、様々なメーカーが次々に新しいハードを開発、発表するその目まぐるしさにもすっかりと慣れてきたが、任天堂が家庭用ゲーム機の市場においては常にスタンダードであり続けるだろう、と子供の頃に信じていたのがファミコン世代である。実際、任天堂の王位を脅かすべく、当時最先端の技術を結晶させたPC エンジンのヒューカードやCD-ROM は画期的であったものの、ファミコンの後継機として登場したスーパーファミコンのポピュラリティには勝てなかった。一足早く16 ビットのCPU を採用したメガドライブもしかり。結局のところ、8 ビットの時代も16ビットの時代も任天堂は見事にチャンピオンの座を守りきったのだ。

 しかし90 年代も半ばに入ると状況は大きく様変わりしはじめる。テクノロジーの進歩が如実になってくるのも、ちょうどこの頃であった。CPU の飛躍は正しく日進月歩のごとくであって、CD-ROM など大容量の光学メディアが当然の仕様になっていったのである。現在では逆にしょぼく見える面もあるにはあるけれど、実写やアニメの映像を取り込んだだけでも、すげえ、と驚かされたものだ。さらにポリゴンで三次元のキャラクターを自由自在に操作できるようになった時には、もうそれだけで、すげえすげえ、と目を丸くするほどだった。こうした利点を余すことなくパッケージングして、魅力的なタイトルを獲得していき、ついには90 年代後半のスタンダードとなったのがSCE のプレイステーション('94 年)であったろう。

 とにかく多くのサード・パーティが参入、膨大なゲーム数で他を圧倒、間口の広さで人気を博したのがプレイステーションだったわけだけれど、初期のヒストリーに燦然と輝く作品はといえば、やはり『ファイナルファンタジーVII』('97 年)が挙げられる。いやもうね、光学メディアの大容量がスケールの大きな物語と音楽を実現可能にしていた一方、システムや戦闘シーンはもとより、チョコボレースなんかのミニ・ゲームを含めて要所要所に遊び心が溢れ、スリリングなシナリオを追いながら、エンディング見たさに散々やりまくったわ、である。当時、あの奥行きのあるグラフィックを前に3D の主人公たちがちょこまか動く姿は、本当にエポックだったんだよ。クラウドやセフィロス、ティファといった登場人物が、オタクのシーンで今なお根強い人気を誇っていることからうかがい知れる通り、メガ・ヒットに相応しい一本だったのだ。

 しかして『パラッパラッパー』('96 年)や『みんなのGOLF』('97 年)等々、この時期のプレステはかなりイケイケであった。そりゃあもう、ライバルと目されたセガのセガサターン('94 年)や任天堂のNINTENDO64('96 年)が人気の上で後一歩及ばなかったのも不思議ではあるまい。
セガ派の矜持は今も残る
 先に述べたけれど、ファミコン世代にしたら任天堂こそがトップ・ブランドというイメージは、ほとんど刷り込みに近しい。反面、セガ派にはマイノリティであるがゆえのプライドみたいなものがあったように思う。アイディア的には必ずしも劣っていないのに、どうしてあいつらはこの良さがわからないんだ。嘆きながらも、この良さをわかっている自分の審美眼を愛してやまない。そしてそれは時代がプレステの天下になったところで変わることはなかった。かつてスーパーファミコンVS メガドライブであった図式は、90 年代の後半においてプレステーションVS セガサターンの様相を呈していくのだったが、そこでも一番手になれなかったことは決してセガ派のプライドを貶めない。

 実際、玄人向けといおうかマニアックなゲームを前面に出していく妙なところが、ROMカートリッジの昔からセガの魅力ではあったのだ。確かに、当初はアーケードのタイトルを十分に満足できるレベルで家庭用ゲーム機に移植しようとするその誠実さが、熱心なファンに高く買われる理由の一つとなりえていた。セガサターンの『バーチャファイター』シリーズに至るまで、そうした伝統は貫かれてきたといえる。他方、一癖も二癖もあるゲームによく似合うカッティング・エッジな側面は、飯野賢治が手がけた『エネミーゼロ』('96 年)や『リアルサウンド』('97 年)、チュンソフトが開発した『街』('98 年)の、セガサターンによるリリースに受け継がれていただろう。勿論、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』シリーズのチームが満を持して発表した『ナイツ』('96 年)も忘れてはならない。

 NINTENDO64 とプレイステーション2('00 年)の間隙を縫うようにして登場したドリームキャスト('98 年)もまた期待を裏切らないハードだった。しかしハードコアなユーザーは付くには付いたが、セガサターンよりもさらにマニアックな方向へ持って行かれた印象を拭えない。まあ、その結果として『シーマン』('99 年)や『シェンムー』('99年)のような伝説的なタイトルをゲーム史に残したわけだけれど、周知の通り、ドリームキャストを最後にセガはハードの開発から撤退している。

 ところで、90 年代のセガを語る際にもう一つ思い出されてくるのは、テレビCM に出演していた強烈なキャラクターである。つまり、セガサターンの"せがた三四郎"であって、ドリームキャストの"湯川専務"だ。藤岡弘扮する前者にしても、まさか実際の会社専務が自虐を繰り広げる後者にしても、独特なユーモアとテンションに溢れていて、実にそこがセガらしいのだったが、CM のインパクトや人気ほどにはハードの支持層を拡大できなかったのも、実にセガらしい。あ、ちなみにいま自分が携帯電話でプレイしている落ち物のパズル・ゲームとは、メガドライブでもセガサターンでも滅茶苦茶遊び倒した『ぷよぷよ』であることを最後に付け加えておきたい。
文/森田真功(1974年生まれ)
90 年代に登場した主な家庭用ゲーム機
発売年 ハード メーカー ソフトメディア 発売当初の価格
1990 年 スーパーファミコン (任天堂) ROM カートリッジ 25,000 円
1991 年 PC エンジンSUPER CD-ROM2 (NEC) CD-ROM 47,800 円
1990 年 ネオジオ (SNK) ROM カートリッジ 58,800 円
1994 年 3DO REAL (松下電器産業) CD-ROM 79,800 円
1994 年 ネオジオCD (SNK) CD-ROM 49,800 円
1994 年 プレイディア (バンダイ) CD-ROM 24,800 円
1994 年 セガサターン (セガ) CD-ROM 44,800 円
1994 年 プレイステーション (SCE) CD-ROM 39,800 円
1996 年 NINTENDO64 (任天堂) ROM カートリッジ 25,000 円
1998 年 ドリームキャスト (セガ) CD-ROM 29,900 円
90 年代に発売されたプレイステーション・ソフトのミリオンセラー
1995 年 アークザラッド(SCE)
1996 年 アークザラッド2(SCE)
1996 年 パラッパラッパー(SCE)
1996 年 バイオハザード(カプコン)
1996 年 鉄拳2(ナムコ)
1997 年 グランツーリスモ(SCE)
1997 年 みんなのGOLF(SCE)
1997 年 ファイナルファンタジーVII(スクウェア)
1997 年 ダービースタリオン(アスキー)
1997 年 クラッシュ・バンディグー2(SCE)
1997 年 ファイナルファンタジータクティクス(スクウェア)
1997 年 サガ・フロンティア(スクウェア)
1997 年 電車でGO!(タイトー)
1997 年 チョコボの不思議なダンジョン(スクウェア)
1997 年 IQ(SCE)
1998 年 バイオハザード2(カプコン)
1998 年 クラッシュ・バンディグー3(SCE)
1998 年 鉄拳3(ナムコ)
1998 年 XI-サイ-(SCE)
1998 年 THE 麻雀(SCE)
1998 年 パラサイト・イヴ(スクウェア)
1998 年 ビートマニア(コナミ)
1999 年 ファイナルファンタジーVIII(スクウェア)
1999 年 グランツーリスモ2(SCE)
1999 年 みんなのGOLF2(SCE)
1999 年 バイオハザード3(カプコン)
1999 年 ダンスダンスレボリューション(コナミ)
1999 年 ダービースタリオン99(アスキー)
1999 年 どこでもいっしょ(SCE)
(筆者作成)