90年代プレイバック
『キャプテン翼』が用意した前史
 正確にはフットボールなのだろうが、サッカーと呼んだ方がしっくりきてしまうのは、子供の頃からずっとサッカー、サッカー、と言ってきた経験からやってきているのだと思う。もちろん、世界的に通用しているのは“フットボール”なのであって、日本サッカー協会も英語に直されればJapan Football Associationになるのだから、フットボールと呼んだ方がサマにはなるのだけれど、ついつい、サッカー、サッカー、とアメリカに倣った用語で言ってしまうのだった。このへんの経緯は、ベースボールが野球と訳されているのとはいささか異なっているような気がする。

 あるいは、国民性なのかもしれないし、世代的な問題なのかもしれない。熱心なファンの人たちや若い子たちは、もうちょっと違うのかもしれない。時と場合によって、フットボールと呼んだ方が相応しく思われてしまうのは、日本代表が近年のワールドカップで目覚ましい活躍を見せるようになって以降、つまりは文字通りインターナショナルな競技だという意識が根付いてきたためなのではないか。反対に、自分が子供の頃の話をすれば、「あの翼くんだってずっとサッカー、サッカー、って言ってたじゃん」、であろう。

 ご多分に漏れず僕は、アニメ化もされ、大ヒットした例のマンガ『キャプテン翼』に、サッカーの魅力を教えられた世代なのである。’81年から’88年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載されていた『キャプテン翼』が、当時はまだ少年だった後のJリーガー達にどれだけの影響を与えたかはよく知られているが、いや実際その人気は、野球を頂点とする球技界の一般的な勢力図を大きく塗り替えるほどであった。『キャプテン翼』をリアル・タイムで読んでいた自分の周りでは、小学校の休み時間や放課後に、野球をするかサッカーをするか。以前は野球派だったのに、いつの間にやらサッカー派に趣旨替えする人間が続出したぐらいだ。スカイラブ・ハリケーンは無茶だけど、オーバーヘッドキックやツイン・シュートを真似されたことがある方々は手を挙げたまえ。

 ともあれ、80年代に『キャプテン翼』が団塊ジュニアの層を中心に強く支持された。このことが、90年代にサッカーがさらなるポピュラリティを得、発展していく上で、大きな手助けになったのは間違いない。
歓喜、熱狂、Jリーグ
 プロ・スポーツとしてJリーグがスタートしたのは’93年のこと。この年を境に、日本人にとってサッカーはより身近なスポーツとなっていく。地上波以外にも衛星放送が充実してきたこともあるし、たとえ会場にいられなくとも、テレビなどでその試合を頻繁に見られるようになった。それを目にしながら、海外に比べたら国内のプレイはまだまだレベルが低い、と言う口さがないファンもいるにはいた(今でもいる)が、まずそのレベルというものをわかっていない人間が大半だったのであって、少なくともプロ野球のナイターとはまた異なった臨場感に、燃えた、のだった。

 サッカーの文化におけるサポーターの役割というのも、ちょうどその頃知った。当時、埼玉の高校に通っていたのだが、確かJリーグが正式に開催される前年だった。浦和レッズのサポーターになってチームを応援しよう、という空気が同級生や同世代の間で急速に広まっていった。要はお祭りムードに沸いていたのだけれど、一部の熱狂はそりゃあすさまじかった。授業の合間に、君もサポーターにならないか、とばかりに知り合いをあたっては勧誘の説得を切々とし続ける友達もいた。残念ながら翌年には高校を卒業してしまったので、彼らのグループとは付き合いがなくなってしまったものの、風の噂で試合会場に足を運んでいると聞いた。昔話の類だ。

 それはもうサッカーの人気というよりJリーグの人気だったのかもしれない。が、あの前後の盛り上がりは忘れられない。Jリーグに関わるおおよそのことが真新しく、そして明るいニュースに思われたのだ。’93年に流行語大賞を受賞したのは「Jリーグ」である。
スター選手たちの登場
 Jリーグからは何人ものスター・プレイヤーが生まれただろう。実力はもちろん、華やかなメンバーが揃った読売ヴェルディ(当時)の選手に注がれる視線は特に、Jリーグ自体の人気を決定づけるのに一役買っていたように思う。現在も現役を貫き通すキング・カズこと三浦知良をはじめ、武田修宏、ラモス瑠偉、北澤豪、柱谷哲二、ビスマルク、やがては前園真聖等々、正しく一時代を築いた印象がある。中でも三浦は、Jリーグ以前における海外での活躍もあり、ヒーローとしての燦々たる輝きを放っていた。他にも、テレビのコマーシャルなどに起用され、ピッチ以外の場所でも有名になっていった者もいる。

 永谷園のCMに出演し、話題をさらったのはラモスだ。「Jリーグカレー」のユニークな演出を記憶している人はきっと多いに違いない。まさおと呼ばれる少年がカレーを一口食べる度にラモスの顔形へとモーフィングしていくあれである。完璧にギャグなのだが、むしろそれがギャグとして成立するぐらいの親近感が、お茶の間(死語)ではすでに得られつつあったのだろう。ラモスといえば、同じく永谷園の「お茶漬け海苔」で「日本人ならお茶漬けやろが!」と訴える姿も印象深い。他方、鹿島アントラーズのアルシンド・サルトーリも強烈なキャラクターで人気を博した。ここで思い出されるのは当然、「アルシンドになっちゃうよ!」であり「トモダチナラアタリマエ」でお馴染み、アデランスのCMなのだった。

 前園が「いじめ、カッコ悪い」で知られる公共広告機構(AC)のCMに出たのは、’96年である。その頃には、ファッショナブルであると同時に生き様系でもあるようなサッカー選手のイメージが、ほぼ定着していたといっていい。換言するなら、カリスマの面で見られることが多くなり、日本人のライフスタイルと密な関係が作られていたのだ。もしかしたらそれは、かつてのプロ野球選手が担っていたものかもしれない。
ドーハの悲劇。悲願のワールドカップ
 Jリーグの発足当初より沢山の外国人選手が投入されたことは、サッカーというジャンルそのものが極めてインターナショナルな性格をあらかじめ持っている、と暗に示していたのではなかったか。ある意味ではサッカー後進国である日本が、それのプロ・スポーツ化による構造の改革を経験した結果、ワールドカップにおける自チームの活躍に大きな期待をかけるようになるのは、ほとんど必然であった。果たして、ここで’93年の所謂「ドーハの悲劇」が一つのターニング・ポイントとして浮かび上がる。

 概要については、ことさら細かく説明するまでもあるまいが、1994年のワールドカップ・アメリカ大会、アジア地区の最終予選、日本は過去になかったほどの有利な条件を得、対イラク戦に臨む。これに勝利すれば、間違いなく本大会への出場が決定するという好機が到来していたのだ。おそらく、半分くらいの日本人は、まあそんなにうまくいくわけがないよね、と疑っていたはずであるが、半分くらいの日本人は、いや今の勢いがあればもしかしたら、と信じていたはずである。実際にカタールで行われた試合の中継は、深夜でありながらも48.1%の視聴率を記録したのだから、その注目度たるや。日の丸を背負ってピッチに立つ選手たちの姿に、多くのファンが固唾を呑んでいたのだった。

 まさか、あの試合終了間際のコーナーキックが命運を変えるだなんて。直前までは誰もが予想していなかったに違いない。前半戦、三浦知良が先制点を上げたはいいが、同点に追いつかれてしまう。後半戦、中山雅史(ゴンだ)が見事なシュートを決め、2 - 1のリードを取ったまま、試合はロス・タイムへと突入する。そこでイラクのカウンターを辛くも逃れたのはよかった。テレビの前で思わずガッツ・ポーズしちゃった、というのは次の日によく耳にした話である。しかし、その直後だった。コーナーキックから放たれたボールが、一旦のパスを経、一瞬の隙を突き、日本のゴールに吸い込まれていく。ああ、喜びも束の間とはこのことか。

 その、ありえない事故ともとれる展開は正しく悲劇のようであった。上記した通り、多くの人間が目の当たりにしてしまっただけに、この国のサッカー史に深い傷となって刻み込まれることとなったのだ。だがそれから4年後、1998年のワールドカップ・フランス大会で、ついに日本は初の本大会出場を可能にする。
文/森田真功(1974年生まれ)
1994年アメリカワールドカップ・アジア地区予選登録メンバー
背番号 名前 当時所属チーム ポジション
1 松永成立 (横浜マリノス) GK
2 大嶽直人 (横浜フリューゲルス) DF
3 勝矢寿延 (横浜マリノス) DF
4 堀池巧 (清水エスパルス) DF
5 柱谷哲二 (ヴェルディ川崎) DF
6 都並敏史 (ヴェルディ川崎) DF
7 井原正巳 (横浜マリノス) DF
8 福田正博 (浦和レッズ) MF
9 武田修宏 (ヴェルディ川崎) FW
10 ラモス瑠偉 (ヴェルディ川崎) MF
11 三浦知良 (ヴェルディ川崎) FW
12 長谷川健太 (清水エスパルス) FW
13 黒崎比差支 (鹿島アントラーズ) FW
14 北澤豪 (ヴェルディ川崎) MF
15 吉田光範 (ヤマハ発動機) MF
16 中山雅史 (ヤマハ発動機) FW
17 森保一 (サンフレッチェ広島) MF
18 澤登正朗 (清水エスパルス) MF
19 前川和也 (サンフレッチェ広島) GK
20 高木琢也 (サンフレッチェ広島) FW
21 三浦泰年 (清水エスパルス) DF
22 大野俊三 (鹿島アントラーズ) DF
監督・ハンス・オフト

1998年フランスワールドカップ・本大会登録メンバー
背番号 名前 当時所属チーム ポジション
1 小島伸幸 (ベルマーレ平塚) GK
2 名良橋晃 (鹿島アントラーズ) DF
3 相馬直樹 (鹿島アントラーズ) DF
4 井原正巳 (横浜マリノス) DF
5 小村徳男 (横浜マリノス) DF
6 山口素弘 (横浜フリューゲルス) MF
7 伊東輝悦 (清水エスパルス) MF
8 中田英寿 (ベルマーレ平塚) MF
9 中山雅史 (ジュビロ磐田) FW
10 名波浩 (ジュビロ磐田) MF
11 小野伸二 (浦和レッドダイヤモンズ) MF
12 呂比須ワグナー (ベルマーレ平塚) FW
13 服部年宏 (ジュビロ磐田) MF
14 岡野雅行 (浦和レッドダイヤモンズ) FW
15 森島寛晃 (セレッソ大阪) MF
16 斉藤俊秀 (清水エスパルス) DF
17 秋田豊 (鹿島アントラーズ) DF
18 城彰二 (横浜マリノス) FW
19 中西永輔 (ジェフユナイテッド市原) DF
20 川口能活 (横浜マリノス) GK
21 楢崎正剛 (横浜フリューゲルス) GK
22 平野孝 (名古屋グランパスエイト) MF
監督・岡田武史

(筆者作成)