80年代プレイバック 8
1988年「ゲーム」に、胸キュン。〜すべてはファミコンから始まった〜
1983年のファミコンが登場か5年。鈴木大地がバサロ泳法で世界の頂点に立った1988年、盛況のゲームの世界でも金メダル級のソフトが出現した。
『ドラゴンクエストIII』はサブタイトルどおり、『そして伝説へ…』。
 
  1988年、2月10日、水曜日。この日のニュースは、とあるゲームソフトをめぐる話題で持ちきりだった。それが、ファミコンの人気ロールプレイングゲーム(RPG)シリーズ最新作『ドラゴンクエストIII』の発売だ。前評判も異様に高かった“ドラクエIII”は、100万本の発売予定本数に250万の予約が殺到。全国で、前代未聞の“ドラクエ”フィーバーが巻き起こった。東京・池袋のビックカメラ池袋東口店(当時)には、噂の“ドラクエIII”を買おうとするゲームファンが発売前日から長蛇の列を作り、最終的には1万人とも語り継がれる人の列が店を取り囲んだという。当日、都内で補導された子供は約280人。買えなかった少年たちが起こしたカツアゲ・窃盗事件も頻発し、ますますニュースを賑わせた。まぁ、並んでたのは子供だけじゃないけどね。可愛い子供に「絶対、ドラクエ買ってきて! 買わないと、もう口聞いてあげない!」と脅され、わけのわからないまま並ばされたお父さん、お母さん、同情します。

  おかげで、次回作“IV”以降はしばらく、“ドラクエ”の発売日は、ゲームの発売日としては異例の土日・祝日に変更された。まぁ、前評判に違わず“III”は内容も超面白かったしね。裏世界があるとは驚いたねぇ。袋とじの同人誌みたいな珍妙な攻略本を買い込んで、「やべぇ、これ傑作じゃね?」と徹夜プレイにいそしんだのもいい思い出さ! こうして“ドラクエIII”は、皮肉にもサブタイトルの『そして伝説へ…』の名のとおり、ゲーム業界最大の伝説的タイトル、“国民的RPG”となった。それまで、単なる子供の遊び、子供たちの中だけのブームと思われていたTVゲームがさらに脚光を浴びたのも、この事件があったからこそだ。
80年代、大人は合コン、子供たちはおウチでファミコン。
 
  この“ドラクエ”フィーバーを例に挙げるまでもなく。音楽とともに80年代の若者カルチャーを語る上で外せないのが、TVゲーム=ファミコンムーブメントだ。さて、そのファミコンこと任天堂『ファミリーコンピュータ』が発売されたのは、1983年7月15日。メーカー希望小売価格は1万4800円。当時の子供向け玩具としてはかなり高価なシロモノだったが、それまでゲームセンターで100円入れながらプレイしていたビデオゲームを、好きなゲームカセットを差し替えて好きなだけ遊ぶことができるファミコンは、まさに夢のマシンだった。

  同時発売ソフトは『ドンキーコング』など3本。本体発売の約2か月後にはアーケードで絶賛稼働中だった『マリオブラザーズ』、翌1984年には『ロードランナー』『ギャラクシアン』『パックマン』『ゼビウス』『マッピー』など、当時ゲームセンターで圧倒的人気を誇っていた大ヒット作が続々とファミコンに移植。1985年の『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒット、前述の“ドラクエII”騒動によって、完全にファミコンは市民権を得た。誰かの家にカセットを持ち寄ってTVゲームを遊ぶことが、子供たちの生活に欠かせないものとなったのだ。

  実は、ファミコンと同日に、当時アーケードで隆盛を誇っていたセガが、同じコンセプトで家庭用ゲーム機『SG-1000』を発売したのだが……セガのタイトルだけでファミコンに対抗するのは、やはりムリがあったようで。80年代には任天堂に、90年代はソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に苦汁をなめさせられてきたセガハードの歴史については、ゲームファンとしてちょっと悲しい気分になるので多くを語るまい。すまん、セガ。
♪We are the World〜We are the ファミコン〜(マイケル風)。
 
  その後も80年代を疾走したファミコンは熱狂的なブームを続け、それに伴って家庭用ゲーム自体も志向を変化させていった。始めは、アーケードゲームに準じて発売されるジャンルもアクションゲームやシューティングゲームが主流だったが、そのうちにPCゲームとして人気を博していたアドベンチャーゲームやRPGといったジャンルを、オリジナルな日本流にアレンジした作品が脚光を浴びるようになる。

  アドベンチャーでは『ポートピア連続殺人事件』(1985年)が先駆けとなり、日本で初めて家庭用ゲーム機向けRPGとして、前述の“ドラクエ”シリーズ第1作目『ドラゴンクエスト』(1986年)が発売に。さらに翌年、1987年には、国産RPGもう一方の雄『ファイナルファンタジー』第1作目がリリース。ゲーム性と謎解きで遊ばせる『ドラクエ』と、深みのある物語とキャラクター性で魅了する『FF』。タイプの異なる秀作がシリーズを重ねながら切磋琢磨したおかげもあり、それまでマニアックなゲームジャンルだったコンピュータRPGは一躍、TVゲームになくてはならない、大人の心も躍らせる人気ジャンルへと成長していった。

  それを一例として、80年代のTVゲーム、ファミコンはとにもかくにも活気があった。作り手も20代という若さなら、ムーブメントの受け手も若い。映画や音楽などに比べても、エンタテインメントとしては新参者のTVゲームは、作り手のクリエイティヴィティと遊び心を存分に謳歌。斬新な遊びを提供し続け、TVゲームはアニメと並ぶ日本を代表するサブカルチャーと認められるようになった。海外に行っても、一定世代以下の人とは「マリオ」「ニンテンドー」で話が通じ、日本の有名ゲームクリエイターはファンから大いにリスペクトされている。ファミコン時代からヒット作を手がけている筆者の知り合いのクリエイターも、出張先のLAの路上でいきなりゴツい黒人集団に呼び止められ、喧嘩を売られるのかと思ったら……熱心にサインを求められてビビリまくったらしい。いや、マジに。
2009年7月11日“ドラクエ”最新作登場!って、23年経ってまだ9作!!
 
  現在、カルチャーシーンを牽引する30代半ばのクリエイター諸氏は、小学校時代にゲームを遊びまくったファミコン世代。ファミコンは、この世代にとって“ガンダム”と並ぶ共通言語だ。女子にも話が通じるあたり、ガンダムよりも浸透度は遙かに高い。よゐこの有野がひたすら懐かしのゲームのクリアに挑戦するフジテレビCSの人気番組『ゲームセンターCX』がヒットを続け、さまざまなジャンルのエンタテインメントにゲーム文化が介入しているのも、サブカルチャーを牽引するファミコン世代の馬鹿力あってのことだ(ちなみに、この番組をモチーフにしたニンテンドーDS用ゲーム『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』のシリーズもオススメだ。ファミコン以降、ゲームを遊んできた大人には涙が出るほど懐かしい“あるある”ネタとこだわり満載ですぜ)。

  そして、今なおTVゲームは進化を続けている。家庭用の据え置きハードは下手なPCを凌駕するハイスペック化を果たし、ファミコンを遙かに超える性能を誇る携帯ゲーム機で、いつでもどこでもゲームが遊べる世の中になった。ファミコンの登場から四半世紀。さらにいえば、今年2009年7月11日は『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』の発売日。ニンテンドーDSという、現在最も普及しているハードでリリースされるシリーズ最新作。1作目から23年経ってまだ9作目だったんだ、ということに別の意味で驚かされるが、ファミコン時代から続くシリーズタイトルはいくつかあっても、続編発売のたびに一般人をも巻き込む大ニュースになるのは“ドラクエ”ぐらいか? 「最近のゲームは複雑すぎて……」という、フツーのファミコン世代も“ドラクエ”となれば話は別。当時のワクワク感を、そのままに叶えてくれる(ハズの)超ビッグタイトルに、子供時代の熱狂を重ね合わせて遊んでみるのもきっと楽しいぜ!
文/阿部美香