80年代プレイバック 6
1986年『DCブランド』〜HOT DOGを頬ばるMEN’S NON-NOなPOPEYEたち!?
80年代中盤の若者ファッションの主流。国産デザイナーズブランドとキャラクターズブランドンの台頭……そう、DCブランドブームがやって来たのだ!!
丸刈り中学生時代。情報源はファッション誌がすべてだった!
 
  今じゃ、TVなんかで笑いのネタにもなってしまっている80年代のファッションだけど、当時は本気でカッコイイと思っていたわけで、そうした場面に出くわすたびに居心地が悪くなってしまう。確かに行きすぎ感のあるデザインや流行りだったかもしれないけれど、それはオレはほかのヤツらとは違うんだという意思表示でもあった。洋楽を聴いているというのも、そんな意識とは無縁じゃなかったはずだ。ファッションに関心を持っていたのは、それこそクラスで洋楽を聴いている人数と同じくらい少なく、親にも友だちにも理解されない世界であったと言っていい。駅前にダイエーくらいしかなかった東京近県の小都市に暮らしていた中学生(しかも校則で丸刈り)は、いつかこんな街出ていってやると心に秘めながら、おしゃれにいそしんでいたのだった。

  しかし、現在のようにファッションに関する情報があふれていたわけじゃない。じゃあ、どのように情報に接していたかというと、ファッション雑誌がすべてだったと言っていい。老舗の『POPEYE』をはじめ、その対抗誌の『Hot-Dog PRESS』、そして後発で86年創刊の『MEN'S NON-NO』や『FINEBOYS』が人気で、『MEN'S CLUB』は大人向けというかオッサンくさかったので誰も読んでいなかったおぼえがある。中でも人気だったのが、『Hot-Dog PRESS』。ファッションと同時にHな情報もばっちり仕入れられるという利点と、北方謙三先生の悩み相談“青春相談 試みの地平線”で「悩むより、ソープへ行け!」という返答を読みたいがために買っていたヤツが多かった。そうしたファッション誌に載っているのはDCブランドの最新ラインなわけで、バイトもできない中学生には手が出るわけがない。それらしく似た雰囲気の代替品を駅ビルに入っているようなショップでトライ&エラーを繰り返して買ったはいいものの、どうもカッコつかない。85、6年当時は安全地帯が着ていたような肩パッド入りまくりでツルツルと光沢のある生地のブルゾンや、英字新聞プリントのシャツ、そして最近リヴァイヴァルしているケミカル・ウォッシュのデニムが流行中で、それらしいモノを買ったはいいものの、やはり安モノ感がにじみでているし、なによりも坊主頭であることを完全に忘れていたのだった……。
バイトの高校時代。赤いカードの誘惑、セールの困惑。
 
  そんな忌まわしき中学時代が終わり、高校に入学。バイトをしてまず稼いだお金を握りしめて向かったのは、今では忘れかけられた存在の赤いカードでおなじみだった丸井。MEN'S BIGIにJUN MEN、PERSON'S FOR MEN、NICOLE CLUB FOR MEN、COMME CA DU MODE MEN、GRASS MEN'S、MEN'S BA-TSU、DOMONなど、憧れのブランドがひとつのビルにズラリと入っている夢のような場所で、学校帰りによく立ち寄ったものだ。友人の大半はボンタン、短ランを売っている店に立ち寄っていた。やっぱワタリは40cm以上だろ、とか言いながら……。

  ひときわ気合いが入ったのはセール前。あらかじめ気に入ったものをチェックしておき、セールの時に一網打尽にして買おうという作戦だ。そしてセール当日。学校はもちろん休みを決め込む。シェーキーズのピザ食べ放題に行きたいがために学校を休み集団で食べに行ったヤツらが見つかって停学を食らっていたので、先生の見回りを注意しながらうつむき加減で開店を待つ。もちろん行列だ。当時、DCブランドのセールにつきものだったのは行列。朝イチとまではいかないものの、学校に行くよりは早く家を出ていた。開店と同時にダッシュ。エスカレーターを駆け上がり、お目当ての店のチェック済みの服へまっしぐらだ。ところが……ない。店内くまなく探してもやはりない。どうなってんのよ!と頭に血が上りながら再度見るが、やっぱりない。後にわかったことだが、定番モノはいつでも売れるのでセールからは除外されていることが多く、そのシーズンのみとか、SとかXLとかサイズに偏りがあるものが中心になっていたのだ。そうして結局買ったのは、今年しか着れないことが確実な冒険的なのものや、ビミョーな色使いのものばかり。デザインと言ってしまえばまかり通ってしまい、ブランド・ネームに説得されてしまう。DCブランド=デザイナー&キャラクター・ブランドとはよく言ったものだと高校生ながらに思ったのだった。
盛況のDCブランドブームは円高と共に去りぬ!?
 

  ところが、そのDCブームは80年代末には勢いを失っていく。これも後に知ったことだが、円高が原因だったようだ。というのも、85年に1ドル=250円だったレートが87年には1ドル=120円になり、急激な円高が進行。海外のブランドもそう高価に感じられなくなり、バブル景気の勢いもあって、ラルフローレンをはじめとする海外のブランド人気が高まった。その反動として国内のブランドの人気が落ち着きを見せ、ブームが収束に向かっていったわけだ。もちろん、そんなことは高校生にわかるわけがなく、ラルフローレンのボタンダウン・シャツに、ブルックス・ブラザーズの紺ブレというスタイルに節操もなく乗り換えていたのだった。その変遷は奇しくもカラフルできらびやかな80'sサウンドから、グルーヴ感を強調したヒップホップやR&Bをはじめとするダンス・ミュージックが主流になっていたのと符合する。


  モテたいという下心があったことは否めない。中高生から異性のことを取ったら何も残らないのだから。しかし、そのオシャレ心の数パーセントに、やはり自分という人間を視覚的にアピールしたいという気持ちがあったのだと思う。今ではまったく意味をなさなくなった感のある“個性”という言葉を常に意識し、ワン・オブ・ゼムとして見られることを極度に嫌っていたのだと思う。それは今も同じ。当時は大きな流行の波に押し流されていたけれど、今は自分の好きな服を着て、好きな音楽を聴く。だって、それが自分らしさだもの。
文/油納将志