80年代プレイバック 2
『エアチェックブーム』〜CD登場!でも主役はCT!!
レコードからCDへ。80年代まさにアナログからデジタルへ生まれ変わった時代。なのだが、まだ僕らの最重要アイテムはカセットテープとウォークマンだった!
レコードがCDに変わる80年代最大の音楽産業革命!
 
  衝撃のMTV開局から1年後、再び僕らの音楽シーンを揺るがす大事件が起こった。1982年10月1日、ソニーから世界初のコンパクトディスクプレイヤー「CDP-101」が発売されたのだ。価格は16万8千円。さらにリモコンは別売り1万円だった。小学生(筆者当時6年生)や中学生のお小遣いを貯めても、お年玉でも手が届く代物ではなかった(でも欲しかった)。針で溝をこすらなくてもいいソフト非接触の音楽再生機の登場に心がときめいたのは事実。

  日本初のCD盤は、やはり日本発、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売された。記念すべき第1弾は、邦楽が大滝詠一の『A LONG VACATION』、そして洋楽がビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』だった。ともに3500円という価格は、2500〜2800円ぐらいだったLPレコードと比べると、やはり割高だった。いちはやくCDに飛びついたのがクラシックファンだったことは今さらながらに納得の大人の趣向品だったのだ。級友のお父さんが家に招待してくれてCDでビリー・ジョエルを聴かせてくれたのは中学1年生の時。「オネスティ」のあの前奏ピアノのクリアな音に身体が震えたことを覚えているが、正直、何がスゴいのかは良く分からなかった。レコード針が盤に堕ちた音も、溝をこするあの独特の音が聴こえない無音状態で、スピーカーからピアノの音が飛び出してきたことに、ただただ、驚いていたのだ
デジタルをアナログで聴く!一億総逆行作業に時代到来ではない!?
 
  ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』を、迷わずSONYノーマルテープ=HFシリーズの最高峰=AHF(水色のヤツ)にダビングさせてもらった。本当はもっとハイグレードなハイポジションやメタルテープに収めたかったのだが、13歳の小僧にはまだ高価で買えなかった。「CD自体がノイズ皆無なのだから、ノイズ除去方式ドルビーもBもCもないはず。よし、ドルビーオフにしちゃえ!」。無邪気な選択も今となっては本当に懐かしい。その良し悪しは別として、CDのデジタル信号記録をわざわざカセットテープ(以下CT)の磁気記録に置き換えるという、今にしてみれば逆行の非効率な行程を当時は何の疑いもなくせっせとこなしていた。CDはあくまで再生ソフトの最高品質アイコンであって、記録ソフトとしての概念はまだ誰も持っていなかったのだ。後にCTメーカーもビニールパッケージに「for CD」とコピーを躍らせるほど、国民全員がこの「偉大なる無駄作業」を楽しみながら、自分だけのCTをせっせと量産していったのだ。そのCTを何で聴いていたのか? 部屋ではもちろんラジカセが主流だったが、一歩オモテに出れば主役はやはりウォークマンだった。
音楽を持ち歩く新スタイル。希代の逸品ウォークマン登場
 
  ソニーが初代ウォークマン「TPS-L2」を発表したのは1979年だったが、一般層に浸透したのは、1981年に2代目ウォークマン「WM-2」が登場してからだ。徹底的にファッション性を意識し外部デザインから設計されたこの新モデルは、可能な限りの小型化を目指し280gという軽さも実現、若者から圧倒的に支持されのだ(ちなみに日本発のウォークマンは、2〜3年の時差でアメリカにも上陸。その人気を決定づけたのは1984年公開映画『フットルース』と言われている。サントラのジャケットのケビン・ベーコンの腰にぶら下がっているオーディオプレイヤー。そのボディラインは初代ウォークマンに他ならない)。

  街に2代目ウォークマンがあふれはじめた同じ頃、貸レコード店が全国で1000店舗を突破しようとしていた。黎紅堂、友&愛、レック、ジョイフルが4強だ。基本、アルバム1枚10曲、片面5曲で23分×2の46分CTに収めることが出来たが、中にはそうはいかないクセモノアルバムも存在した。例えば、ブルース・スプリングスティーンの『BORN IN THE U.S.A.』は54分CTでないと入りきらず、ダビングし直すなど、泣いたリスナーも多かった。中には録音レベルを強引にフェードアウトするツワモノもいたが……。一方、ヴァン・ヘイレンの『1984』は、マクセルの30分CTならばギリギリ収録できるなどメーカーによってCTの内容にも差があることを僕らユーザーは気づき始めていて、口コミによるそんな情報交換もマイテープ作りの楽しみのひとつだった。「貸レコード」「CT」の密月関係は80年代の特徴とも言えるが、この時代にタダで自分だけのCTが作れる方法があった……70年代から続く「エアチェック」だ。
CTインデックスはやっぱり鈴木英人。FM誌を読む、切り抜く、楽しむ
 
  1981年に『FM STATION』が創刊。既発『FM fan』『週刊FM』『FMレコパル』と合わせて、FM情報誌黄金時代に突入する。AMラジオ放送に対して、音質が良いステレオ放送の番組をCTに録音する、すなわちエアチェック。70年代から続く人気録音方法だが、アンテナ位置やリスナーの部屋環境の改造まで指南してくれたFM誌は、最新音楽ニュースと合わせて大切な情報源のひとつだった。 FM番組表が2週間分掲載されたFM誌は、エアチェッカーにとってはまさに必需品だった。特に後発の『FM STATION』は先発の既刊誌がA4サイズだったことに対し、見やすさを追求したB4サイズの大判が特徴で、本体から切り離しやすい製本も人気だった。

  さらに目玉は、創刊以来の表紙も手がける当時の新鋭イラストレーター、鈴木英人が描きろしたカセットインデックスだった。西海岸や湘南の海を独特のタッチで起こす新世代イラスト。毎号6枚ほどのインデックスが付いていて、人気アーティスト名が印字されたCTの背中用のインデックスまでもが重宝された。このオリジナルインデックスが欲しいがために“Fステ”を買ったリスナーも少なくないはずだ。 「80年代前半にレンタルレコード店の進出によりエアチェックブームも休息に衰退……」云々な記事をたまに見かけるが、80'sエアチェッカーの僕らはLP1枚の「貸レコ」とライブ特番や特集の「エアチャック」は別モノととらえ、その用途に合わせてCTの種類もキッチリ使い分けていた気がする。 手元に残る懐かしいCTコレクションを手にするとそのことを今更ながらに実感する。

  1985年〜86頃に手頃な価格になったCDプレイヤーもついに一般家庭に普及し、一家に一台の時を迎えようとしていた。そして、1987年、アナログレコードとCDの生産枚数がついに逆転する。しかし、お茶の間ではCTウォークマンCMのヘッドフォンする猿が大人気を博していた──「音が進化した、人はどうですか?」。本当の意味で僕らがデジタル移行するのはもう少し後のことだ
文/安川達也