プライマル・スクリームは、これまで徹底的に最高のロックンロールをプレイし、脳味噌をぶっ飛ばす音楽を与えてくれた唯一無二のバンドだ。いよいよプライマル・スクリームが前作『XTRMNTR』で見せた地下の埃と闇の世界からゆっくりと這い上がり、都会の日中へ踏み出した。世界や外側に対すると怒りと嫌悪に満ちた、大胆、かつ実験的な音楽は今回も健在だ。しかも、イネスは自信たっぷりに「今までで最高だね。いつもそういっているけど、実際そうなんだよな、うん、シンプルで刺激的な最高傑作だな」。
とはいえ、クリエイションの閉鎖に伴い、新作はメジャーへと移籍したスクリームの初作品。その辺り不安だったりはしないのか? 「勿論、アラン・マッギーは俺たちにとっては凄く特別だし、俺たちとは最高の組み合わせだったのは認める。でもここ(コロンビア)でも変わらない。俺たちの好きなようにさせてくれている。いい関係を築いているよ。スタッフも凄く熱心だから、凄く盛り上がるし。ある意味、後期のクリエイションに比べると、スタッフは最高にいいぜ」とボビー。まさに杞憂、その辺全く心配ないようだ。
「“プライマル・スクリームの音”というのがあるんだ」。ドラッグの代わりに誕生したばかり愛息ウルフ君のおかげで、夜も眠れないヴォーカルのボビー・ギレスピーは最後のミックス作業が残っているスタジオで語る。「それをまだ俺たちは探求し続けているんだ。アルバムの半分は変なエレクトロニック・サイケデリック・ミュージックで、残り半分はめちゃくちゃなぶっ飛んだホワイト・ライト・ロックンロールさ。本当にフリー・スタイルで熱狂的なエネルギーに満ち溢れた音楽だよ。皮肉に満ちていて、荒れ放題さ。つまりロックン・ロールの在るべき姿さ。海賊盤みたいにね。ミックスもいいし、ヒットしそうな曲も幾つかあると俺は思っている」。さらに続ける。「なんだろ、自信があるんだ、自分たちにね、はっきりとわかるんだ。だから、『Vanishing Point』から俺たちはいつだってワン・テイクだね。自分の頭のなかで鳴っている音がなぜだか出せるんだよ、今は」。さすがは自称“パンク・ロッカー歴25年”、違いのわかる男である。
最新作はプライマル・スクリームの中枢メンバーであるボビー・ギレスピー、アンドリュー・イネス、ロバート・ヤング、マーティン・ダフィー、そしてゲイリー “マニ” モーンフィールドはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズと共に自分たちで全てプロデュース、レコーディングを行った後、様々な仲間を呼んでミックスを依頼している。また、「21世紀版ブルース・アルバム」と最新作を評するイネスがこれまで以上にプロチュースとミキシングに大きく貢献、ケヴィンは5曲ミックスを手掛けている。「スワスティカ・アイズ」のリミックスを手掛けたジャグズ・クーナーも再登場、そして歴史的名盤『スクリーマデリカ』の大部分をプロデュースしたアンディ・ウェザオールが今回エレクトロニックな仕上がりになった3曲のミックスを手掛けるために戻ってきた。ザ・スクリーム・チームは、(その役割がいちいち)石に刻まれていないものの、自己認識のもと必要な時に貢献する集団のようだ。「プロダクションみたいなものなんだ」とボビーは説明する。「俺たちは別に全員の自負心を満たさなきゃいけないというありがちなバンド/ミュージシャンの決まりに囚われていない。全ての曲で同じ連中が同じ楽器を弾いていたんじゃ退屈だろう。少なくとも俺たちには向かない。俺たちは様々なサウンドを出すために、多種の楽器をいろいろ使うのが好きなんだ。最も大事なのはムードとサウンドを捉えること。サウンドによっては俺もどうやって実際にそのような音を出すべきなのかが解からないものもある。そういう時は必要に応じていろんな人に依頼する。俺たちには決まりはないんだ」。
既に記事等で取り上げられているが、その「必要に応じて」の今回参加しているミュージシャンには、トップ・ニュース間違いなしのスターが少なくとも一人、その名もロバート・プラントがいる。幾つかのアルバム収録曲は今まさに最終段階。そしてスクリームの肝である、シンプルかつ容赦のない徹底的でいて、美しいミックス・ダウンで、遂に「邪悪な熱気を帯びた鼓動」を完璧に封じ込める。事実、既にラフ・ミックスの状態ですら、どれも「Electronic Garage Band Future Rock’n’Roll / エレクトロニック・ガレージ・バンド・フューチャー・ロックンロール」というギレスピーの表現を裏切らない作品であり、この時点で2002年最も大胆でベストなアルバムを揺るぎないものにしている。
「俺たちはスタジオでいつもライヴを考えてレコーディングしてるんだ。“ヤバイ、こりゃライヴで演ったら最高じゃん”てな感じでね。俺たちは今までで最高の状態さ。ミュージシャンシップ、才能、技術、アティチュード、全てがね。音はぶっ飛んでるけど、誰もぶっ飛んじゃいない。重要なことだね。アルバムを仕上げたら、あとはライヴに向けてみっちりリハーサルさ。ロックンロールをプレイすることで本当に最高の気分になれるし、俺たち、上手いしな、凄く。ガツンと決めるだけさ。つまり俺たちゃ、ノー・ワールド・カップだぜ!」 あとはプリムローズにあるプライマル・スクリームのスタジオから完成品が届くことを待つこととしよう。
primal scream is.....
Bobby Gillespie (vo.)
ご存じ、プライマル・スクリームの看板であり、カリスマ。現在世界最高のロックンローラーを体現してみせるボビー・ギレスピーは1961年6月22日、スコットランドはグラスゴー郊外スプリングバーンにて誕生。10代初頭に引越したマウント・フロリダで、ひとつ年上のアラン・マッギーと、3歳年下のロバート・ヤングと出会い、そこから彼の音楽人生がスタートする。高校卒業後、一時印刷工場で働くが、すぐに音楽活動にのめり込み、退職。ジム・ビーティと出会い、プライマル・スクリームはその“産声”を上げた。その後、アラン・マッギーの勧めでレコーディングなどの活動を開始、同時にジーザス・アンド・メリー・チェインのドラマーとしての活動も並行させる。85年、シングル「All Fall Down」でクリエイションよりデビューを果たす。アルバム1枚でメリー・チェインを脱退、その後はプライマルズ一筋の人生である。プライマルズに成功をもたらす要因となった音楽性、方向性、姿勢において類い希なるセンスを発揮、常に時代を先取りする。音楽や芸術へのピュアな愛情が育んだ圧倒的な引き出しの多さ、妥協とは無縁の、徹底的に全てに拘る姿勢は音楽家の鏡であるといえよう。また、己を見つめる眼差しは厳しく、社会に対する自分流の哲学も頑ななまでに貫き通す孤高の人といったイメージが強い。全身でロックを表現するライフスタイルとアティテュード、定型化を極度に排除して新たな領域を目指すパンクの精神は、他の追随を許さない。そのためか、表面的にドラッグなどのセンセーショナルな部分ばかりが取り沙汰されるが、素顔のボビーはシャイで思慮深く、男気溢れる人物である。昨年末父親になった。
Andrew Innes (g.)
アンドリュー・イネスは1962年5月16日、グラスゴーで生まれ。15歳の頃、イネスの才能を見逃さなかったアランを通じて、ボビーと出会う。その後、アランと共にロンドンへ引越し、The Laughing Apple、Revolving Paint Dream、Biff Bang Pow!など様々なバンドで音楽活動を行う。そして1stアルバム『Sonic Flower Groove』制作中の86年12月に正式メンバーとなった。以降プライマルズを中心に活動するが、並行して自身のバンドRevolving Paint Dreamの活動も行っていた。アンディ・ウェザオールとの出会いを契機にダンス・ミュージックやダブなどに接近、スタジオワークの知識を深めていき、現在ではプライマルズのレコーディングにおいてはメンバー全員が信頼を寄せる‘メイン・サイエンティスト’である。事実、『XTRMINTR』以降、それ以前の共同プロデュース体制から一歩踏み出し、バンド中心のプロデュースに移行した。また、The Scream Team名義でのリミックスにおいては、イネスに任されている部分が大きい。写真には滅多に顔を出さないが、今回のアーティスト写真では免許証の写真で登場している。そんな謎の多い人物として捉えられがちだが、実に気の優しい、気配りのよくきく穏やかな人物。
Robert “Throb” Young (g.)
ロバート“スロブ”ヤングも1964年11月19日生まれ。彼も10代前半からボビーとアランの仲間である。二人よりいくつか年下ということで、アランは当時のスロブについて「小さくて、喧嘩好きで、反抗的だった」と目を細めて語っている。少年期から厚く固い友情で結ばれた3人は、一時期Black Easterというバンドで活動はしていたが、プライマル・スクリームのオリジナル・メンバーとしてボビーと共にずっと活動をしており、最も誰よりもボビーと時間を共有している人物である。しかし、そんなスクリーム一筋のスロブではあるが、スクリームに差し支えない程度でイネスのバンドやダフィーと一緒にThe Church of Raismや末期のフェルトのレコーディングにも参加していたようだ。結成当初はベースを担当していたが、2nd『Primal Scream』からはリード・ギターに転向して今に至っている。スロブはデビュー以来一貫して、ロックンローラーの証であるロング・ヘアーをトレード・マークにし、人前では滅多にサングラスを外すことがない。ある意味バンドの顔として、そのルックスが極めて目を引く存在。子煩悩な父親でもある。
Martin Duffy (key.)
1967年5月18日生まれ。プライマルのメンバーで唯一の音楽一家に育ち、幼少から教会などでオルガンやピアノに接したきたバーミンガム出身のマーティン・ダフィーは4th『Give Out But Don’t Give Up』でようやく正式メンバーとしてクレジットされるようになった。プライマルズのデビュー当時の85年頃から、フェルトのメンバーとして重要な役割を担うことになるダフィーは同じクリエイション仲間のプライマルズとはずっと親しい間柄であったようだ。そのためか、プライマルズのデビュー以来ずっとキーボードで参加しており、正式ではなかったが、ずっとスクリーム・チームの一員であった。表情は至って冷静沈着かつ柔和に見えるが、いったん話し始めると批判精神に富んだパンク・スピリットを内に秘めている。なお、ヤングも参加したThe Church of Raism、シャーラタンズ、ドクター・ジョン、シャックなどの作品でも彼のプレイを聴くことができる。プロフェッショナル・ミュージシャンとしての風情漂うクールなルックスとは裏腹に、ハスキー・ヴォイスで語る彼の表情は実に豊か。現在新婚の身で、前回の来日時はハワイのハネムーンから駆けつけた。
Gary “Mani” Mounfield (b.)
一番最後にスクリーム・チームに加入したマンチェスター出身、元ストーン・ローゼズのメンバーであったゲイリー“マニ”モーンフィールドは1962年11月16日に誕生した。ストーン・ローゼズ解散後、最も加入したいと思っていたバンドであったプライマル・スクリームへの加入の誘いを受け、天にも昇る気持ちでその幸せを噛み締めていたというエピソードは有名である。スクリームを瀕死状態から奇跡の大復活まで導いた救世主は、天性の明るいキャラクターでバンドを引っ張り、メンバーに活力を与え、スクリームを再びひとつにした。事実、ボビーはマニの加入を「神の贈り物」とまで語っている。『バニシング・ポイント』は2曲のみの参加であったが、『XTRMNTR』以降は全てパーマネント・メンバーとして参加。ほぼ正式メンバーのドラマー、ダリン・ムーニーと共にプライマル史上最強のリズム・セクションを形成、バンドのライヴ・パフォーマンスを飛躍的に向上させている。なお、マニを除くメンバー全員はロンドン在住だが、今も彼だけは地元マンチェスターに住み、家とロンドンを電車で往復する毎日を送っている。奇妙な日本語のみ堪能、空手の帯まで持っている(?)親日家。