プロフィール

MAXWELL BIOGRAPHY



ニューヨーク/ブルックリン出身。1973年5月23日生まれ、双子座の28歳。”MAXWELL”とは本来彼のミドルネームで、父親(”Maximillian”)および名付け親(”Max”)の名前からとったもの。カリブ海に浮かぶ西インド諸島出身の母親と、プエルトリコ出身の父親の血筋を引く。3歳のときに父親を飛行機事故で亡くし、そして5歳のときに名付け親(教父)も他界したため、まだ若い母親と祖母の女手ひとつで育てられた。彼の作品の中に脈打ち続ける究極のフェミニズム、そして現在の“マックスウェル”を形作るパーソナリティすべては、この頃の家庭環境に負うところが大きい。父親の死をきっかけに、小さい頃から教会で長い時間を過ごし、独学でピアノを弾くようになったためだ。「今の自分があるのは、幼いときに他界した二人の影響がすべてと言ってもいいほどだよ。教会に通って聖書を読み耽ったのも、天国がどういう所かもっとよく知りたかったから。父がどこへ行ってしまったのか突き止めようと、未知の世界の扉を開けようとしたことが、結果的に自分の制作意欲をかき立てる結果となったんだ。だから、アーティスト活動を始めるときに“マックスウェル”という名前を名乗ったのは、僕にとって自然なことだった」 当時は非常に内向的でシャイな少年で、ほとんど口をきくこともなく、いつも本や絵を唯一の友達に、教会や部屋に閉じこもっていたという。クラスでは全く目立たず、「女の子にはまるで相手にされず」、ふられるのが怖くて気持ちを打ち明けることもしなかった。ハイスクールのプロムの相手すらいなかった、というからその内気ぶりは尋常ではない。



10代の頃にスライ・ストーンやブーツィ・コリンズ、マーヴィン・ゲイ、チャカ・カーン、スティーヴィー・ワンダー、ジェイムス・ブラウン、アレサ・フランクリンなどの洗礼を浴び、16歳でキーボードを手にしたのをきっかけに本格的に音楽に目覚める。ソウルに限らず、ピーター・ガブリエルやブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージックやフランク・ザッパなども聴いていた、と当時の影響の幅広さを語る。アルバイトで稼いだお金の大半を楽器や録音機材に費やし、自作曲を自室で録音。自分と音楽だけの小さな世界を築く日々が続いた。



高校卒業後、18歳のときにブルックリンからマンハッタンに移り、”COFFEE SHOP”というユニオン・スクエアに近いトレンディなカフェで8ヶ月間ウェイターとして働く。このときの経験がもとで「人と話をする術を覚えた」彼は、本格的にプロのミュージシャンを志向するようになる。ベッドルームでひそかに書きためたオリジナル曲は、19歳の時点でなんと300曲にものぼっていたという。酒も煙草もドラッグも、いわゆるティーンエイジャーにとって“誘惑”とされるものには何一つ手を出したことのない彼が、唯一音楽や本、アート以外に興味を持ったのは女の子だった。ガールフレンドとなった”COFFEE SHOP”のウェイトレスの女の子に自作のテープをプレゼントしたことがきっかけで、彼のデモが一部で評判となり、レーベル争奪戦を巻き起こす。こうして、“マックスウェル”という名のアーティストが誕生した。



‘93年末の”VIBE”誌の新人紹介コラム”NEXT”で、デビュー前にもかかわらずあのゴードン・チェンバースに”BRIGHTEST HOPE”として紹介され、注目を集める。’96年春、ようやく完成したセルフ・プロデュースのデビュー・アルバム”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”は、マックスウェルが実際に出会ったひとりの女性との夢のような一夜のラヴ・アフェアをめぐる、きわめて私小説的なコンセプト・アルバム。ロマンティシズムとフェミニズムに溢れた内容、ジャズのライヴ・フィーリングと‘80年代初期ソウルのスウィング・ビートを融合させた新しいサウンド・アプローチは、彼との共演を強く望んで参加したというスチュアート・マシューマン(シャーデー)、レオン・ウェア(マーヴィン・ゲイ”I Want You”の共作者)、ワー・ワー・ワトソン(g)ら、素晴らしいゲスト陣のサポートもあって高い評価を博し、じわじわと世界に浸透していく。「’80年代初期には、打ち込みと生楽器の完璧なバランスが保たれていた。それ以降、ヒップホップが台頭してからは、当時のダイナミックさが失われてしまったんだ」 ちょっぴりレトロな感触の、しかし斬新な彼のアプローチは、“ニュー・クラシック・ソウル”あるいは“ソウル・ルネッサンス”などという言葉で評され、ほぼ同時期に登場したディアンジェロ、トニー・リッチ、エリック・ベネイ、エリカ・バドゥらと共にひとつの新しい潮流を形作るようになる。



普通の人々が感じる感情の複雑さと深さを、マックスウェルは徹底的に描いてみせる。そこには撃ち合いも登場しなければ、暴力もドラッグも酒も、露骨なセックス描写もない。そこに登場する男性は、たったひとりの神聖な女性を追い求め、きわめてシンプルかつ高次元な歌詞にその想いを昇華させて歌い上げる。時代遅れなほどの献身的な“純愛”をコンセプトにした、まるで寓話のような実話。現在主流のR&Bやヒップホップの基準からすれば、彼の音楽はまったく特異なものであり、だからこそ彼の歌は“リアル”なのである。



こうして静かにシーンに登場したマックスウェルのデビュー・アルバム”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”は、じわじわと世界中の賞賛を集め、数多くの栄誉と賞を受賞することになる。ローリング・ストーン誌の最優秀R&Bアーティスト部門受賞、グラミー賞最優秀R&Bアルバムノミネート、NAACPイメージ・アワードの最優秀新人賞および最優秀アルバム賞ノミネート、そしてソウル・トレイン・アワードでは最優秀シングル賞(R&B/ソウル男性部門)、最優秀アルバム(R&B/ソウル男性部門)、そして最優秀新人賞(R&B/ソウル部門)の3つの主要部門を独占受賞。発売から約1年をかけ、”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”は全米でプラチナ・アルバムに輝いた。



‘97年5月、アルバムを1枚しか発表していない新人アーティストとしては異例の”MTV UNPLUGGED”を収録。デビュー・アルバムの曲を中心にすべてアレンジを変え、ケイト・ブッシュやナイン・インチ・ネイルズのマックスウェル流リメイクを収めたこのスタジオ・ライヴは、パフォーマーとしての彼の実力を知らしめた素晴らしい内容で、7月にEPとして商品化される。前年からスタートしたアメリカ〜ヨーロッパ・ツアーはほぼ全都市でSOLD OUT、満場の観衆を熱狂と興奮の渦に巻き込み、新たなるセックス・シンボルの登場を広く世界に印象づけた。”MTV UNPLUGGED”は、ライヴEPにしてゴールド・セールスを記録する成功を収める。



‘98年初頭、ツアーが終わると共にマックスウェルは新作の準備のためスタジオに入った。約半年弱の制作期間を経て完成した2ndアルバム”EMBRYA”(’98)は、”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”をさらに高い次元に昇華したコンセプト・アルバム。前作同様、マックスウェルが実際に遭遇したある女性へのオマージュといった構成になっている。「でも、もっと複合的なんだ。もし、『アーバン・ハング・スイート』が1つの部屋だとしたら、もっといくつもの部屋に分かれているような。全くのリアル・ストーリーでなく、僕だけにしかわからないフィクション的なテーマを使っている部分もある」 「プレッシャーはもちろんすごくあったよ。これほど作るのに大変なレコードはなかった。だから、自分が作りたいものを作った。自分が何をやりたいか、自分でわかっていたから」 アルバム全体を通してのテーマともなったタイトル”EMBRYA”とは、”embryo”(胎児、萌芽)を女性名詞にした造語。「神様は女性に決まっている。空も海も女性も、こんなに美しいものは男には作れないからね。その神様が作った物も、だから僕はすべて女性だと思う」と言うマックスウェルの究極の女性崇拝を象徴する言葉だ。「このタイトルに込められた意味は、”birthing”(誕生)みたいなもの。きっと時が経てばもっとよくわかってもらえると思うけど、今生まれ変わりつつある新しい自分の誕生、芽生えを表した言葉」 と説明する。



自らのルーツであるラテン/ヒスパニック/カリビアン・フレイヴァーを随所に取り入れ、官能的なヴォーカルの上に幾重にも重ねたサウンド、そしてファンキーで力強いグルーヴの織りなすシンフォニーが、心地よい浮遊感溢れる世界を構築する。前作同様、スチュアート・マシューマン(シャーデー)との3曲の共作・共同プロデュースを含む全曲を自作&セルフ・プロデュース。シャーデーのエンジニアとして知られるマイク・ペラも、前作同様ミックスを手掛けたばかりか、アソシエイト・プロデューサーとしてもクレジットされており、緻密な音づくりに大きく貢献している。アートワークの写真はすべて、著名なファッション・フォトグラファー、マリオ・ソレンティがマックスウェルと水中に潜って撮ったアーティスティックなもの。全編を通して、水の中を漂うような浮遊感と、海の底深くに引き込まれていくような彼の引力を感じる超大作。6月末にリリースされた”EMBRYA”は、ビルボード・アルバム総合チャートで初登場3位をマークする順風満帆のスタートを切り、初の来日実現(7月)を含めた精力的な世界戦略にも着手する。



しかしマックスウェルはその後、秋に予定されていた全米ツアーを突如キャンセル。その延長線上に組まれていたワールドツアーも白紙に戻り、しばらく表舞台から遠ざかる日々が続く。キャンセルの理由は、完璧主義者で知られる彼が要求するレベルと実際の予算が折り合わなかったため、とも言われているが、実際のところは定かではない。



‘99年春、遂にマックスウェル再始動のニュースが届く。なんとR.ケリーが手掛けるエディ・マーフィー主演映画のサントラ『LIFE』への参加だという。これまでスチュアート・マシューマン以外の他アーティストとコラボレーション歴のないマックスウェルがR.ケリーと組むという話は、業界中の注目を集めた。そしてR.ケリーが書き下ろし、プロデュースも務めたこの曲’FORTUNATE’こそ、マックスウェルのキャリア最大のヒット曲となったのだ。彼ならではのファルセット・ヴォイスを生かした神々しいまでのハーモニーが、美しく聴き手を包み込んでいく感動的なバラード。K-Ci & JoJoの歌う主題歌’LIFE’に続き、サントラからの第2弾シングルとしてリリースされたこの’FORTUNATE’は、全米R&Bチャートの首位を6週間独走、総合シングルチャートでも初のTOP5入りを果たすことになる。



この大ヒットがきっかけとなり、マックスウェルは’99年8月〜9月にかけて全米ツアーを敢行。前作に続きプラチナ・アルバムに輝いた”EMBRYA”からの曲を中心に、新曲も交えながらの素晴らしいパフォーマンスはまたしても絶賛を浴び、各地でSOLD OUTを記録した。’99年10月には、新曲2曲(‘LET’S NOT PLAY THE GAME’、’AS MY GIRL’)を映画『THE BEST MAN』のサントラに提供。’LET’S NOT〜’は、ローリン・ヒル、ザ・ルーツなどとほぼ同時にサントラからシングル・カットされ、R&Bチャートを賑わした。’99年末から翌年頭にかけて、’FORTUNATE’は、グラミー賞最優秀R&Bヴォーカル・パフォーマンス部門、そしてソウル・トレイン・アワード最優秀シングル(R&B/ソウル男性部門)にノミネートされ、この年を代表するR&Bヒットのひとつとして刻み込まれることになった。



マックスウェルは、翌2000年から2001年にかけてのの大半をニュー・アルバムのレコーディングに費やした。”NOW”とシンプルに名付けられた今回のプロジェクトには、デビュー・アルバム”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”の成功ととまどい、超大作”EMBRYA”にまつわる葛藤、そして思わぬ’FORTUNATE’の大ブレイクを経て、彼が見つめ直す“今”が反映されているはずだ。

全世界が熱い視線を送る中、その作品がヴェールを剥ぐ日は、もうすぐそこまで来ている。

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