プロフィール
カルロス・ヌニェスはイベリア半島の北西部に位置するガリシア地方出身の若きスペイン人音楽家。この地方はフランスのブルターニュ地方同様、ケルト文化圏に属し、カルロスはその中でも圧倒的な人気を誇るアーティストである。

彼が操るのはガリシア地方を代表する楽器であるフルートとバグパイプで、その独創性と激しく情熱的な演奏から、「ケルト音楽の新しい王(フランス・リベラシオン紙)」「バグパイプのジミ・ヘンドリクス(ビルボード誌)」などと絶賛されている。

まさに次代のケルト音楽界をリードする存在であり、その活動は常に注目の的となっている。



スペインにおけるケルト音楽の伝統は深く根付いているものの、フランコ独裁政権下において各地方の伝統的な民族音楽は抑圧され、国全体の音楽として“フラメンコ”が普及していったのだった。ヌニェスはマドリード音楽院在学中にこの失われたガリシア地方のケルト音楽の研究と復興に尽力し、ケルト音楽界にその名を刻み込んでいった。

13才の時に彼はフランス・ブルターニュ地方のロリアンで開催されたケルティック・フェスティヴァルに参加、ここでケルト音楽界に君臨するトップ・グループ、ザ・チーフタンズのパディ・モローニに出会った。この時のつながりが後のカルロスの活動に大きな影響を与えていくことになる。18才の時にチーフタンズのアルバム『トレジャー・アイランド』にゲストとして参加、そこから数年間は彼らのツアーに頻繁に同行して自身の評価を高めていった。1996年の『ロング・ブラック・ヴェイル』ではチーフタンズの“7人目のメンバー”としてほぼ全曲に参加、この作品を同年のグラミー賞に導くに当たって重要な役割を果たした。

1997年には初のソロ・アルバム『スパニッシュ・ケルトの調べ(Brotherhood of Stars)』を発表、実に50人近いゲスト陣を迎え、ケルト文化と他文化とのつながりにおける独自の世界を築き、絶賛を浴びた。このアルバムはスペインのガリシア音楽に光を当てた初のアルバムであり、ケルト音楽の作品としてはスペインで初めてプラチナム・アルバムを獲得した。

続く1999年の『アモーレス・リーブレス』では前作で打ち出した方向性をさらに押し進め、100人以上のゲストと共に、様々な音楽が幾層にも絡まりあった、緻密なタペストリーのような作品を創り上げた。このアルバムは世界各地で高く評価され、ドイツ、イタリアなどを始めとする各国で音楽賞を授けられている。

続く2001年の『ガリシアの碧い風』はスペイン国内に向けた特別企画アルバムで、スペイン国内だけで10万枚のヒットを記録している。

これまでにジャクソン・ブラウンやライ・クーダー、ビセンテ・アミーゴ、ドゥルス・ポンテス、マドレデウスのテレーザ・サルゲイロ、シンニード・オコーナー、シャロン・シャノン、古謝美佐子、さらにはチーフタンズやダン・ア・ブラースなどといったケルト系の音楽家に至るまで幅広いジャンルの音楽家と共演を果たしてきたヌニェス、異ジャンルとの交流を経て新たな音楽世界を創造するその姿勢は世界中の音楽家達から敬意を集めている。

2003年の『絆〜ガリシアからブルターニュへ』ではソニー・ミュージック(フランス)に移籍。過去の作品ではケルト音楽をフラメンコやラテン・ポップス、そしてキューバ音楽などを結びつけてきたカルロスだが、この新作ではケルト音楽の源流の一つであるブルターニュ地方の音楽に焦点を当て、ガリシアとの間にある絆を探っている。ブルターニュとガリシアは有史以前から深いつながりを持っており、カルロスもブルターニュでは絶大な人気を誇っている。ゲストにはアラン・スティーベルやダン・アル・ブラース、ジル・セルヴァ、リアム・オフリンなどといった実力派ミュージシャンが参加、理性と情熱を兼ね備えた新しいカルロス・ヌニェス・ワールドが繰り広げられていた。

そして2005年。そんなカルロスの最新作は、これまでのケルト文化を掘り下げるスタイルから一転、大胆なまでにポピュラーな方向にシフトしている。

ラヴェルの「ボレロ」、バッハの「無伴奏チェロ組曲」から「ゴッドファーザーのテーマ」、そしてつい先だってアカデミー賞で「最優秀外国語映画賞」を獲得した「海を飛ぶ夢」の音楽まで、いつものように瑞々しい感性で取り組み、まったく新しいサウンドを聴かせてくれる。



2005年8月には来日ツアーも予定、佐渡で行われる<アース・セレブレーション>では鼓童との共演も実現する。今後がますます楽しみなアーティストだ。

ページトップへ