シャキーラの歩み
シャキーラ実績
総合セールスは、6,000万枚超!
“優美な者”という意味のシャキーラ。シャキーラ・イザベル・メバラク・リッポールという名の元に1977年2月2日、中米コロンビアに生まれる。レバノン系の父親とネイティヴ・コロンビアの母親の間に誕生した彼女は、幼い頃から両者の文化を吸収すると共に、欧米のロック・ミュージックに傾倒。8歳で曲を書き始め、11歳でギターを弾き、そして13歳では既にソニー・ミュージック・コロンビアとの契約をものにしていたという天才児。
’91年に『Magia』(“魔法”の意)でアルバム・デビューを飾り、’93年にはセカンド『Peligro』(“危険”の意)が続くが、彼女が本格的に頭角を表わしはじめるのは’95年の『裸足のままで』の頃から。同アルバムからはメガ・ヒット「エストイ・アキ」を始め数々のヒット曲が生まれ、コロンビアは勿論のことラテン・アメリカ諸国から海を越えたスペイン、さらには北米のスパニッシュ・コミュニティの間で一躍名を知られることになる。続く’98年の『ドンデ・エスタン・ロス・ラドローネス?〜泥棒はどこ?』では、グロリア・エステファンの夫であるエミリオ・エステファンをプロデューサーに迎え、またもやヒット曲を多発すると共にラテン圏におけるスーパースターの地位を確かなものとする。
’00年の『MTVアンプラグド』の発表後、辞書を片手に英語で歌詞を書き始める。その成果である初の英語アルバム『ランドリー・サーヴィス』(’01年)とシングル「ホウェネヴァー、ホウェアエヴァー」が40カ国で1位を獲得し世界中にセンセーションを巻き起こしたのはご存知の通り。
そんな彼女がじっくり2年の歳月を掛けて完成したのが、コンセプト・アルバム『フィハシオン・オラル vol.1』と『オーラル・フィクゼイション vol.2』の2部大作。これは1年に2枚のアルバムを発表するという業界でも初の試みで一石を投じ、そこから生まれた「ヒップス・ドント・ライ−オシリは嘘つかない feat.ワイクリフ・ジョン」は全米、全英で1位を獲得したのをはじめ、こちらも再び驚きの40カ国以上で1位を記録、女性アーティストによる今世紀最大のヒット曲で同年で最も売れた大ヒット・ソングになった。
その後の活躍はめざましく、ビヨンセの最新アルバムDX盤の目玉として収録された「ビューティフル・ライアー〜華麗なる反撃」で夢の競演を果たし、こちらも大ヒット。翌年、映画『コレラの時代の愛』の主題歌「ディスペディーダ」が、ゴールデン・グローブ賞(08年)で最優秀主題歌賞にノミネートされるなど八面六臂の活躍!’09年にはオバマ大統領就任式でスティーヴィー・ワンダーらとパフォーマンスし、世界中の人に視聴された。
自ら超完璧主義者だと語るシャキーラは、ほとんどすべての楽曲に関して、作詞、作曲、プロデュースからアレンジまでを手掛けるという徹底ぶり。ベリーダンスを始めとするセクシーな動きも、彼女自身が感じたままを表現。何事に対しても明け透けに語る彼女は私生活面での話題も豊富で、フィアンセ(経済危機で政権を追われた前アルゼンチン大統領の息子)との関係もタブロイド紙によって常に報じられているが今でも仲睦まじく、堂々と交際を続けている。またコロンビアの子供たちへの教育促進を目的とする基金<Pies Descalzos Found(裸足の基金)>を自ら立ち上げており’06年にはUnited Nationsから表彰された。「私達が今日帰宅する頃には、今生きている960人の子供が死んでいる、ということを忘れないで欲しい。」とスピーチ。ユニセフの親善大使でもあり、シリアスな横顔ももっている。スペイン語、ポルトガル語、英語を操り、イタリア語、アラビア語も話す才色兼備なディーヴァ。